第120話全員集合2

「あんずちゃん、どこに入れたいか決まった?」


「はいッ。首のうしろに入れてくださいッ」


 美奈が用意してくれた朝食をペロリと平らげ、俺とあんず、緑の三人は元の部屋に戻った。今からあんずに刺青を施すのだ。しかし、あんずは刺青についてよく分かっていない様で、痛みが伴う行為だという事はまだ知らない。教えた所で痛みが軽減されるワケでもないし、童子のあんずが痛がるかどうかも分からない。まぁ、っつっても手のひらより一回り小さなサイズだ。俺の筋彫りよか大した時間はかからないだろう。

 あんずが緑にした注文は、うなじに俺の家紋である『丸に橘』の紋を入れる事だ。俺の鬼とは違い、パキッとした幾何学模様を、平坦ではない肌の上に描かなければならない。緑は先ず、紙に家紋を描きだした。

 用意した半紙をあんずのうなじに合う大きさに切り、木炭を粉にして水で溶いた物で半紙に精確な図形を描いていた。緑は定規やコンパスの様な物を使って線を引いていたが、家紋というものは元来フリーハンドでは描かない。少しの直線と、半径の違う円の組み合わせで成り立っているからだ。


「よしッ。下描きはこんくれーかな。拓也、わりぃ。美奈から油分けてもらってきて。あんずちゃんは服脱いで準備してね」


 緑に言われた通りに、美奈から食用油を少し拝借させてもらった。部屋に戻ると、パンツ一枚だけを身に付けたあんずが、布団に横たわっていた。無防備なあんずの姿に一瞬ドキンとしたが、そんな事より緑に油を渡さなくては。セクシーなあんずから目を逸らし、俺は分けてもらった油を緑に差し出した。

 緑はその油をあんずのうなじに塗りたくり、先ほど描いた下描きの半紙を、油の上から貼り付けた。あんずに塗られた油を吸収した半紙は、見る見る半透明になっていく。半紙に描かれた家紋の部分の全てに油が染み渡ると、緑は半紙をペロンと剥した。すると炭の粉で引かれた線が、あんずの肌に転写された。コレを元に墨を彫っていくのだ。

 転写した下描きをあんずに見せる為、緑は俺の時と同じ様に合わせ鏡で彼女に確認させていた。それを見たあんずは、納得の表情を浮かべていた。どうやら気に入ったらしい。パンツ一丁で嬉しそうにピョンピョン跳ねるあんずを見て、俺は鼻血をブッパしそうだった。だってあんずのおっぱいが丸見えなんだもん。


「じゃあ、あんずちゃん。もう始めるね。痛い時は遠慮なく言うんだよ。休憩するから」


「はいッ!おねがいします、みどりさまッ!」


 おい、みどりさまよ。俺にはそんな優しい言葉かけてくれなかったじゃねーか。何が『遠慮なく』だ。テメーが遠慮しろよ。親の仇みたいにブスブス針刺しやがってよぉ…。決定的に違う扱いの差に、モヤモヤとした憤りがじわじわと沸き立っていた。

 そんな俺の気持ちなどお構いなしに、あんずの刺青は順調に進んでいた。彫られている彼女の表情は、うつ伏せている為、窺い知る事はできない。もしかしたら、痛みに悶絶してるのかも知れない。俺は恐る恐るあんずに話しかけた。


「あんず…?お前、痛くねーんかて?」


「すこしチクッとしますけど、全然だいじょーぶですよーッ」


「はぁ…。そ、そうですか……」


 あんずはケロッとした顔で俺の質問に答えた。あれ?こんなにも刺青を痛がってるの俺だけッ!?いや、ちょっと待てよ…。確か聞いた事がある、女の方が痛みに強いって。つまり感じる針の痛さの違いは、個人的なものではなく、性別の違いからくるものなのだッ!きっとそうだ。そうに違いない。そういう事にしておこう。そうじゃないと、俺がカッコ悪すぎるッ!ひーとん??あの人はトチキチだから、性別とか関係ないっしょ。

 余裕綽綽で施術を受けているあんずと、苦痛に表情を歪めながら施術を受けた俺との差に絶望していると、あんずを喋らせるな、と緑に注意された。声を出すだけでも、筋肉の繋がりで施術している部分が干渉してしまうらしい。緑が躍起になっている理由は、正円や左右対称の曲線を彫らなければならないからだ。俺の鬼やひーとんの阿修羅は、多少ミスしても修正する事ができる。しかし、幾何学模様の紋を彫りあげるには、一縷の油断も許されないのだ。


「筋はこれで終わりッ!あんずちゃん、ちょっと休憩しようか」


「はいッ」


 一時間も経たない内に、あんずの刺青は筋彫りまで完成した。後は中を塗りつぶすだけだ。このペースで行けば、あと二時間くらいで全部終わるんじゃないかな。

 進捗の具合から残りの時間を割り出した俺の頭に、突然ひーとんからのコールが入った。もう何度か経験した現象ではあるが、慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだ。いきなり脳内に直接誰かの声が響くのは、どうしたってビックリしちゃうのだ。


《今ちゃん…、おっすー…。何してたー?》


「おぉ、ひーとん。今あんずに刺青彫っとるんだわ。ってゆーかどうした??声に元気がねぇがや」


 ひーとんは、桃子からの伝令を受け、俺にコールしてきた様だ。その内容は、あんずの着物の出来上がりが早まって、今夜にも渡せるという事だった。それはいいんだけど、昨日はあんなに上機嫌で桃子の家に泊る事を伝えてきた彼が、何で今は末期がん患者の様になっているのか。大体の予想はつくが、その理由は本人の口から聞かせてもらう事ができた。


《夕べ、ももたんとヤろうとしたんだけど、拒否られちゃってさぁ…。力ずくも考えたんだけど、『これ以上迫ってきたら絶交する』って言われちゃって、何もできなかった……ッ》


 それを聞いた途端、俺は目が白黒するくらい笑いそうになった。しかもひーとんは唇を噛みしめ、涙ながらに語ってくれた。それがまた笑いに拍車をかける。これは一刻も早く緑に聞かせてやりたい。俺は、『そっかぁ…』とだけ言って、通話を切った。笑っている事を悟られない様に、細心の注意を払いながら。


「コールひーとんから?何だって??」


「あんずの着物が今夜にも出来上がるみたいだわ。それと、ひーとんのヤツ、桃子に拒否られたって」


「ブフゥゥッ!!バカヤロウッ!拓也、テメーッ!こんな時に笑わせるんじゃねぇッッ!!手元狂っちまうだろうがッッ!!筋彫りだったら取り返しのつかねー事になってたぞッ!」


 そう言いながらも、緑はノミを持つ手を休めて爆笑していた。加えて、ひーとんが涙ぐんでいた事も教えてやると、腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。他人の不幸を、ここまで笑うなんて、ちょっと人としてどーなの?と、思いつつ、俺も緑と一緒になって大爆笑した。だって他人の不幸って面白いんだもん。

 あんずの刺青は、もう少しで完成の所まできていた。

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