第116話作戦会議12

 相変わらず遠慮も躊躇もなく彫り進める緑の針は、かつてない程の鋭い痛みを、俺の背中に与えていた。焼いた鏝を当てられているみたいだ。もうちょっと優しくできないの?

 一度肌に刺さった針は、確実に墨を刻む為に引っ掛ける様にして抜かれる。その際、針自身の金属としての反発力によって、『チャッチャッ』と子気味良い音が鳴るのだが、彫られているこっちとしては、その音が鳴る度に、ゾクッとした不快感とそれに伴う痛みを感じる。これがあと何時間続くのだろう…。もう既にイヤになってきた。


「おい、拓也。気持ちは分かるけど、そんなビクビク動くなよ。彫りにくくてしゃーねぇ。お前、ひーとんと喧嘩した時、自分で腕引き千切ったんだろ?それに比べたらこんなん、屁みてぇなもんだろ」


 いや、それとこれとは違うじゃん。痛みの種類が全然違うじゃん。そんなのも分からないの?この腐れジャンキーは。

 痛すぎて、何だかそれを与えてくる緑が敵に思えてきた。ガマンならなくなったら、彼女を殴ってしまうかも知れない。しかし、緑も一応女の子だ。男としては女に手を上げるワケにはいかない。そんな葛藤と闘いながら、時間にして一時間が過ぎようとした頃、緑は少し休憩を入れる事にしてくれた。


「あ~…、いってぇ…。どんだけ進んだ?まぁそろそろ終わりそう??」


「バカ言ってんじゃねぇ。まだ10分の1も終わってねーよ」


 聞くんじゃなかった。緑の返答は、この地獄が少なくともこの10倍続く事を暗示していた。筋彫りだけでこんなに時間がかかるんなら、イナリに施したモンモンはどれだけの歳月をかけて完成させたのだろう。ちょっと目眩がしてきた。

 先の事を考えると途方に暮れそうな現実を前に、気が遠くなっていると、タイミングを見計らったかの様に、お茶を淹れてきてくれたヨシヒロがハクトと共に部屋に入ってきた。それは嬉しいんだけど、それって表ではあんずとイナリの二人だけにしてるって事だよね?彼女らの不仲を説明していなかったのは失態だったが、特に争っている様な声を音も聞こえなかったので、二人とも大人しくしているのだろう。

 あんずとイナリが一触即発の事態に陥っていない事を願いつつ、ヨシヒロが淹れてくれたお茶に舌鼓を打っている時、ある事に気づいた。この神社の主である美奈の姿が見当たらなかったのだ。常に境内の掃除をしていると勝手に決め付けていた俺は、彼女の不在を疑問に思った。


「おい、美奈はどーした?今日はおらんの??」


「あー、美奈ちゃんならちょっと出かけてるみたいだよ~ッ。行先までは聞いてないけど~」


 未だにアシッドのトリップから抜け出せていないヨシヒロが、俺の質問に答えてくれた。まぁ、美奈にも色々用事とかあるのだろう。でも、もしこのタイミングで新にここへ送られてくる新入りが来たらどうするんだろ?俺らで対応すんのか?俺はご免だぞ、めんどくせぇ。

 そんな事を考えていると、ここで休憩を打ち切りにした緑が、再び布団へと俺を促した。またあの地獄が始まるのである。俺は憂鬱な気分をぶら下げて、布団に突っ伏した。


 ――――――――――………


 俺が刺青の痛みと大激闘している頃、神社を留守にしていた美奈は、氏家と秘密の会合をしていた。場所は海岸線にある小高い丘の上。あまりヒトやミコトの行き来がない所だ。誰かに聞かれたらマズい内容なのだろうか。


「やッ、美奈。彼らの様子はどうだい?」


「みんなで揃って都に行くそうよ。膿を絞り出すいい機会かも知れないわ。あなたは今回ノータッチ?」


「いや、水面下で関わる事になると思うよ。今泉くんには早く『覚醒』してもらいたいしね」


「でも心配だわ。二一組が絡んでくるとなると、一筋縄じゃいかないから…」


「大丈夫だよ。山野くんもいるし、『イナリを連れた』瓜原さんもいる。気の毒なのは、彼らを敵に回した向こうの方だよ。それに、上手くいけば『アレ』が手に入る。いや…、入る事に『なってる』んだから」


「そうね…。今度の件が済んだら、あの子たちに話すのかしら?『手水政策』の事…」


「そのつもりだけど、全ては語らないよ。まだ『海を渡らせる』のは早いからね。彼らには、もう少し『ここ』でやってもらわなきゃいけない事がある。どうせ『外国』もこの聖域には手が出せないんだから、時間の猶予はいくらでもあるよ」


「だといいんだけど…」


 逢瀬にしては色気のない二人の会話は、それぞれの温度差を如実に表していた。美奈は一体、何を気に病んでいるのだろう。そして、氏家には一体、この先の未来がどう見えているのだろう。

 俺や他のミコトの意に介さない所で、運命の歯車は複雑に絡み合っていた。その渦中に巻き込まれるあまねく一切のミコトの運命は、『手水政策』に収束していく事になる。この世界の理を、分厚いベールに隠したまま……。


 ――――――――――………


 あああああああああああああッッッッ!!もオオォォォおしっこ出ちゃいそおおおおぉぉッッッ!!

 美奈と氏家の会合が密かに盛り上がりを見せている頃、文字通り針のむしろと化した俺の背中には、緑の持つノミが引き続き地獄を与えていた。十数秒に一度訪れる、針先に墨を補填する為の休息は、その後また十数秒続く地獄の恐怖のせいで、気の休まるものには決してならなかった。もういっその事、石か何かで頭カチ割ってもらって、気絶してる内に彫ってくれないかなぁッ!

 既に何時間もこの痛みに耐えてるのに、一向に慣れる事がないどころか、さらに苦しみに拍車がかかっていく。ひーとんのヤツ、『覚えてねぇ』とか言ってたけど、本当なのかねぇッ!?俺なんかトラウマになりかけてるんだけどッ!?


「み…、緑さん…。あと、どれくらいかかりますか…??」


「あぁ?そうだなぁ、あと六時間くれぇかな。筋彫りは途中で止めらんねーから、このまま一気にいくぞッ!」


 ちょっと待ってよッ!!俺が耐えられる痛みの臨界点はとっくに超えちゃってるんですけどッ!このままじゃ、俺気化しちゃうよッ!目の前に突き付けられた現実に、俺は黒目を失ってしまった。

 どんどんと視界が霞んでいく中、針の痛みとは違う感触が、俺の背中を刺激している事に気づいた。それは、緑の額から流れ落ちる汗だった。俺は自分ばっかりが辛いもんだと思っていたが、俺が耐えている時間と同じだけ、緑も集中して作業しているのだ。失敗できない緊張感を鑑みれば、苦労は彼女に軍配が上がるかも知れない。

 刺青とは、彫る方と彫られる方が共に苦痛を味わう行為なのだ。だからこそ、彫りあげられた刺青には、魔力を帯びた様な魂が宿るのだ。


「ちょっと休憩いれよーぜ、拓也。私シャブ打ってくるわッ」


 おい、こいつドーピングしとるやんけッッ!!

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