第115話作戦会議11
天才デザイナー兼マエストロである桃子の苦悩は、あんずのセレクトによって報われた。丸一日近くに及ぶ苦戦の中で失われかけた彼女の自信は、何とか取り戻せた様だった。自分の仕事にそこまでのこだわれるっていうのも、才能の内かも知れない。
着物の柄が決まった所で、一息つく間もなく、今度はそのデザインを元に絹を織らなければならない。しかしそれは、このブティックで済ませられる作業ではないらしく、織物を作ってくれるヒトを頼るしかないと言う。
俺が銃の制作を依頼したムラゲ然り、その手の専門家がちゃんといて、必要に応じてちょくちょく桃子は注文しに行っているそうだ。今俺が着ている一張羅二号も、そのヒトたちに作ってもらった生地で仕立てたらしい。
現世でもそうだったが絹という物はかなり高価で、着物と帯を揃えるとなると、織物だけで相当な額になってしまう。その説明を予め聞いていたので、先に貝だけ用意しておいたのだ。
「えっ?もう貝持ってきてくれたのっ??でも、どうしよう…。それ生地屋さんに払うやつだから……」
「だったらこのまま俺が運んであげるよッ!その生地屋さんまで案内してくれる??」
ひーとんのトラックには、さっき多々良場から持ち出した貝を積んだままにしていた。これから生地の注文に行く桃子と一緒に、貝の運搬までひーとんが買って出てくれた。それじゃあ、桃子の事はひーとんに任せるとしよう。こうなってくると俺はお邪魔虫だし、後は若い者同士でしっぽりやってくれりゃいい。
今日は臨時休業にすると言った桃子を乗せて、ひーとんのトラックは生地屋さんに向けて走り出した。
「たくやくーんッ、あんずちゃんの着物はあさってにはできあがるから、また取りにきてねーッ!」
「今ちゃーんッ、何かあったらまたコールするわーッ!」
デザインの考案から解き放たれた桃子と、彼女と一緒にいられる喜びを感じているひーとんは、テンション高めで俺の前から姿を消した。上手くやれよ、ひーとん。
まだ午前中だというのにやる事がなくなってしまった俺は、多々良場まで戻ってあんずとまたチルアウトするか…、などと考えていた。そんな俺の頭に、あの刺青ジャンキーからのコールが入った。
《おーいッ、拓也ー!何してるー??ヒマだったら神社にこいよーッ!今の内に筋彫りだけでも進めとこーぜッ!!》
「お、おぅ…。緑か。…分かった、今から行くわー」
うーん…。刺青の事は俺から言い出したとはいえ、昨日のアレだけでも泣いちゃいそうだった俺は、あまり気乗りしなかった。きっとまた、俺の想像を軽く超える痛みに襲われるのだろう…。憂鬱だなぁ…。
腐っていても仕方ないので、あんずを連れて神社に向かう事にした。神社には今、ハクトも来ているので、俺とは違いあんずはノリノリだった。だけどあんず、イナリもいる事忘れんなよ。
――――――――――………
「あーッ、あんずちゃーんッ!あそびにきたのーッ!?」
「ハクトちゃーんッ!やっほーッ!」
神社に着くと、境内にはハクトとイナリの姿があった。昨日はあんなに恥ずかしがり合っていたのに、どうやら一緒になって遊んでいた様だ。しかしあんずは、イナリには目もくれず彼の存在を認めていなかった。イナリも、今まで楽しく遊んでいたのが嘘の様に、あんずが現れた事で露骨に不機嫌になった。
「いずみく~んッ、おはよ~。中でみどりちゃんが待ってるよ~」
あんずとイナリの不仲さ加減に辟易していると、社からヨシヒロが出迎えてくれた。…、のはいいんだけど、彼の様子はいつもとちょっと違う様に思えた。なんだか人懐っこいというか、やけに陽気というか…。どうかしたのかと問いただした所、何とヨシヒロは昨日LSD刺青の施術を受けてから、キマりっぱなしなのだとか。そうか、彼はカナビスの栽培者ってだけで、他のドラッグに対する抗体を持っていないのかッ!
何だか可哀想な事をしてしまったと、申し訳なく思ったが、パニックにもバッドにもなっていなかったので、このまま様子を見る事にしよう。ここには緑もいるし、俺が気に病む必要もないのだ。
「ヨシヒロ、緑とは仲ようなれたか??」
「うんッ。彼女、すごい化学に詳しくて、すっごい勉強になるよ~ッ」
その状態で、何が勉強になると言うのだろう。まぁ、親睦を深められたのは素直に喜ばしいからいいんだけど。
アシッドのトリップに支配されているヨシヒロに、一抹の不安を抱きつつ、俺を神社まで寄越した緑が待つ社の中へと入っていった。今から刺青を彫られる事を考えると、やはりその現場をあんずには見られたくない。彼女にはハクトと一緒にお外で遊んでいてもらいたいと思う俺の心を読んだのか、ヨシヒロはアヤカシたちの面倒を見てくれると言った。緑が新開発したアシッドは、その効能を充分に発揮している様だ。
「緑ー、おっはー」
「おッ、拓也。もう準備はできてんぞ。上脱げッ」
緑の手元には、濃いめに磨った漆黒の墨と下描き用の薄い墨、それに何本かのノミが、敷布団と共に用意されていた。マジでこれから刺青を彫るのかと思うと、緊張と不安でゲボが出そうだった。でも、ひーとんが覚えていないくらいの痛みなんだったら、そんなにビビらなくてもいいのかな。
俺は上着のシャツを脱ぎ、敷かれている布団にうつ伏せた。すると緑は間髪入れずに、昨日彼女の家で俺に宛がったB1サイズの紙を見ながら、薄い墨と筆を用いて俺の背中に鬼の下描きを施していった。筆のこそばゆい感触も耐え難くはあったが、昨日思い知った針の痛みに比べれば何の事はなかった。本番もこのくらいだったらいいのに…。
そんな都合のいい妄想をしていると、あらかたの下描きが済んだのか、合わせ鏡を使って背中の鬼を一度見せてくれた。もうこの時点でカッコイイ。
「どうだ、拓也?こんなカンジでいいか??」
「どえらいええがね。これで頼んます」
あぁ…、断るなら今の内だったのに、今更芋を引けない俺は、潔く覚悟を決める事にした。…したんだけど、できる事ならあんまり痛くしないでくださいッッ!!お願いしますッッ!!
「じゃー始めんぞーッ」
ップス…
痛ッッッッてえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!
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