第108話作戦会議4

「おい、緑。いったんカナビス吸って落着きゃあ。ほれ、イナリも」


 顔面が凶器みたいになっている緑と、木星への旅からなかなか帰ってこないイナリに、俺はカナビスの紙巻をそれぞれ分けてやった。生唾が口の中で絡んでいる緑は、『シュルルル…ッ、シュルルル…ッ』と、タービンの回る様な音で呼吸しながら、カナビスを受け取った。イナリも俺の声に反応したのか、左手の甲から注射器を引き抜き、こちらへ寄ってきた。針の刺し跡から、ダラダラと血を垂らしながら。軽い地獄絵図だぞ、コレ。

 二人は紙巻を一本吸い終わる頃には、いくらか落着きを取り戻したみたいで、ハードドラッグのラッシュ状態から凱旋しつつあった。腰かけにもたれ掛っていた緑は、一度天井を仰ぎ大きく息を吸ってから、こちらに向き直した。彼女の目には、怪しくギラついてた光はもう残っていなかった。


「あぁ、そうだ。拓也には私からも用があったんだ。刺青、どこに何入れたい??」


 都の件ですっかり頭から抜け落ちてたけど、そっちの方が先に約束してた事だったな。ジャンキーは忘れっぽいからって釘を刺しておいた俺が忘れてたんじゃ、世話ねーよな。

 緑からの質問に対する答えは、一応俺の中で準備をしておいていた。手水政策を受ける前から刺青を彫る事を決めていた俺は、ある程度の漠然としたイメージを持っていたが、それはこの世界に来てから明確なものへと変化を遂げていた。


「まずはやっぱ背中だわなぁ。バックピース一面に、デッカく『鬼』彫ってよッ」


 俺が緑にそう告げると、彼女はチラッとあんずの方を見た。あぁ、そうだよ。『鬼』を入れたいのは、あんずが『童子』だからだよ。文句あっか?

 それをすぐ側で聞いていたあんず本人は、この会話のやり取りが意味する所をあまり分かっていない様で、自分が話題になっている事すら気づいていなかった。おそらくあんずに、刺青とは何か、何故それを身体に施すのかを説明しても理解できないと思うし、興味も持たないだろう。彫りあげた時にでも、『これは鬼(童子)だぞ』と、解説してやればいい。

 とにかく、元より鬼に対して憧れや同情、シンパシーを抱いていた俺は、あんずと出会い絆を深めた事で、その思いを刺青という形で表したいと考える様になったのだ。


「じゃあ、拓也。上脱いでこっちきて」


 俺からのオーダーを受けた緑は、B1サイズ程の大きな紙を用意した。上半身裸になった俺の背中にその紙を宛がい、背中の大きさをトレースしながら、モチーフとなる鬼のポーズや配置のアタリを決めていった。彼女の頭の中では、既に完成像が出来上がりつつあるのだ。流石と言うべきか、やっぱり緑ってすげぇなぁ。

 こういう人より秀でた能力を、生まれ持った素質だとか考えるバカがたまにいるが、そんな停止した思考では計り知れない程の努力を、緑はしている。この家中に散らばっている絵の数々が、それを裏付けている。才能とは、自分のスキルを磨く為の努力を維持し続ける事だと、俺は思っている。他人の才を羨む者は、努力をしてこられなかった己に対する劣等感を棚上げしているに過ぎない。

 かくいう俺も、現世ではそういった努力をしてきたつもりだ。それは、『賭け事で勝つ』だ。その為には手段を選ばない。欲しい物は、死んでも勝ち取れ、殺してでも奪い取れ。自分にそう言い聞かせて、イカサマの腕を磨き続けた。そんな俺と比べると、やっぱり緑ってすげぇなぁ。

 だって俺がしてきた努力って、つまる所ただのズルなんだもん。彼女の才能を前に、劣等感を感じずにはいられなかった。


「細かい部分はおいおい考えるとして、全体のイメージはこんなカンジでどーだ?」


「あ、はい。すごくイイと思います…」


「…ンだよ、その反応は。なんか他に意見とか感想はねーのかよ」


 自分のしょーもなさに呆れつつ、シャツに袖を通している俺に見せてきた緑のラフ画は、その時点で目を丸くする程カッコ良かった。そんなもんサラッと描くなやッ!この天才クソ野郎がぁッッ!!化学のエキスパートに加えて凄腕の刺青彫師ですってか!?大層なご身分だなぁッ!俺なんか、ただの手品が得意な大工さん見習いだぞッ!この差は何なんだッ!

 勝手に来て勝手に自己嫌悪に陥っている俺は、自分のしょーもなさに拍車をかけているだけだった。そんな俺をフォローするかの様に、緑は静かに語り出した。


「でも、拓也に鬼ってゆー組み合わせは、核心を突いてるっつーか的を得てるっつーか…。かなりアリだと思うぞ。お前にはわりーけど、水芭蕉の事とか、氏家との事とか、色々聞かせてもらったんだ。…それと、こっちに来る前の事とか……」


 多分、ダボハゼからの情報なんだろうけど、アイツは俺のプライバシーがないとでも思ってんのか?人の事をベラベラと他のヤツに話しやがって…ッ。マジでいっぺん言わせたらなかんなぁ、あのダボハゼ。その氏家から聞かされたという内容に、緑は俺への評価を改めたと言う。

 氏家たちとの鬼大富豪で築いた勝ちへの道筋や、ゲトーを何人も殺しひーとんと張ったタイマン、目を覆いたくなる様な現世での不幸…。彼女は、それらの障壁を俺が乗り越えてきた事を、『神』の所業というより、『鬼』の所業と表現するほうが正しいと感じたらしい。そんな俺だからこそ、童子のあんずが付き従っているのではないか、という憶測も付け加えた。

 どういった経緯で、緑がそういう結論に至ったかは分からないが、さっきまで渦巻いていた俺の自己嫌悪は、彼女の言葉で薄れていった。


「拓也の墨の事はこんくらいにしといて、私とイナリも街まで行ってみんなと合流した方がいいんだろ??

 スパイスをブッ潰すためによ…」


 そうだ、俺に刺青彫るだとか、緑の才能に嫉妬するだとかは二の次でいい。俺らがこうしている間にも、高桑のカノジョや三谷の友達は、スパイスの毒牙によってその身体を蝕まれ続けている。早急に手を打たなければ、桃子が背負っている十字架と同じ物をアイツらにも背負わせてしまうかの知れない。そうなってしまった時に襲われる友達としての悲しみは、緑が一番よく分かってる。

 早速街に向けて出発しようとする俺に『待った』をかけた緑は、牛乳瓶の様な容器に入った透明な液体と、何本かのノミ(手彫りで使う刺青用の針)を用意していた。


「コレ、絶対ぇ役に立つからよッ」

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