第44話完成間際2

 国際法スレスレの可愛さを見せるあんずに気取られながら、朝飯前にしてはちょいと重めの仕事をこなしていた。一日がかりでもおかしくない程の作業も、気づけば終わりが見えてきた。

 あとは鉋で接ぎ目の段差を均せば、俺の任務は完遂だ。新しく貼った板とその周りは木材の地の色が見えてしまっているが、こればっかりは手の付け様がない。


「あんずー、もうすぐ終わるでなー」


「はーいッ」


 先ほどの一服時に間接的に吸わせたカナビスが、しっかり効いているみたいだ。手持無沙汰もお構いなしに、ニッコリした顔を携えて俺の作業を見守ってくれている。


「か、かわいい…」


 あっ、ヤベッ。口に出しちゃった。まさか聞こえてないよな…。っていう俺の期待は大外れなものだった。

 氏家の体内に埋め込まれた機械の音を聞き取れるあんずの耳に、俺の失言が届いていないはずがない。いや、別に失言って事ぁないんだけど、そんな台詞を女の子に言った試しがない窓シコ野郎の俺は、どんな反応が返ってくるか恐ろしくなった。

 反射的に顔を背けてしまったが、眼球のステアリングを目一杯切って彼女のレスポンスを窺うと、何故だかあんずはフリーズ状態だった。


「あ、あれ…?」


 無反応というのは完全に想定外だ。まだ拒絶された方が取りつく島があったかも知れない。終わりかけの作業も進まず、彼女に対してどうすればいいかも分からず、時間だけが無意味に流れていた。

 こうなりゃ、ヤケだ。どうせ一度は聞かれた台詞なんだし、もう一回ハッキリ伝えてやろうじゃねーか。そんくらいの甲斐性がなきゃ、この先やっていけねーぞ。


「あんず…。お、お前は本当にかわいいな…」


 言っちまった!もう覆水は盆に返らねーぞ!あんずはどう出るッ!?

 清水の舞台から決死のダイブを果たした俺の中で、羞恥心や緊張感や期待や不安がアベコベに混ざり合って、かつてない程のエンドルフィン分泌を可能にした。

 俺の頭がパーになりかけている最中、漸くあんずの処理落ちが解消された様だった。


「…た、たくちゃんに『かわいい』って言われると…、嬉しいんだか恥ずかしいんだか、胸のここがキュウッって痛くなります……。前にもこんなのありました…。たくちゃんに『大事だ』って言われたとき…」


 あんずが何の躊躇いもなく裸になる事に激怒した理由を説明した時の事だ。あん時も相当な気合を入れて自分の気持ちを伝えたのを良く覚えている。足がガタガタ震えてたっけ。

 俺が一人で勝手に怖気づいているだけで、胸の内を明かす度に、あんずはしっかりとそれを受け止めて喜んでくれる。だからと言って事ある毎にこんな台詞吐いてたら、浮いた歯がどっか行っちゃうけどね。

 惚れた腫れたなんてのはガキの俺には未だ良く分からない。そんな俺に、あんずは的外れな質問をしてきた。


「たくちゃんも、アタシに『かわいい』って言われたいですか…?」


 んな事男に言ったって糞の役にも立ちゃしねーよ。でも、何であんずがそんな事聞いてきたかは大体予想がつく。

 自分が言われて嬉しい事を、俺にもお返ししたいんだろうな。誠実な彼女の考えそうなこった。ちょっとズレが激しいけど。

 あんずが変な気を回さなくてもいい様に、彼女の質問に対して素直に答える事にした。


「俺がかわいっくたってしょーがねーがや。俺はあんずが傍におってくれやぁ、それでええでよ…」


 嘘偽りない俺の回答は、思いがけずもまた彼女の小さな胸をキュウッっとさせてしまったみたいだ。欲を言えば物理的にキュウッっとしたい所なんだけど…。男ってのは下世話だね。

 あんずのしおらしい反応を直視出来ない俺は、強引に作業へと戻った。知らず知らずに鉋を持つ手に力が入ってしまい、必要以上にゴリゴリと接ぎ目を削っていた。鰹節じゃねーんだぞ。


「おーいッ。お前らいつまでやってんd…っておいッ!!メチャクチャ綺麗に直してんじゃんッ!!」


 俺たちの様子を見にきた瓜原が、驚愕の声を上げた。そりゃそうだ、誰もここまでしろなんて言ってないからな。刺ジャンの驚いた顔が見れただけでも御の字だ。

 期待以上の成果に瓜原も喜んでいる様だ。


「テキトーに切り上げて部屋戻ってきな。イナリがメシ作ったから。早くしねーと冷めるぞ」


 そういえばさっきから美味そうな匂いが漂っている。現金なもんで、メシの匂いを嗅いだとたんに腹の虫が大絶叫した。それはあんずも同様で、散らかした道具と木屑を大まかに片付けた俺たちは、誘われる様に食卓に着いた。

 テーブルに用意されていたのは、シチューの様な煮込みもので、中にはゴロッとした肉も入っていた。


「昼もとっくに過ぎちゃって悪いな。大したもんじゃねーけど、遠慮せず食べなよ」


 やっぱり瓜原はいい所の子なんだな。客人に対しての配慮がしっかりしてる。口わりーけど。

 彼女の人となりに得も言えぬ安心感を抱きながら、ご相伴に預かった。


「じゃあ、あんず。いただこまいッ」


「はーいッ!いただきまーすッ!」


 ヨシヒロん家の時みたく箸でとる食事ではないので、木の匙を子供掴みで使いながらマクマクとシチューを口に運ぶあんずは、とても幸せそうな顔をしていた。メシ食ってるあんずを見るのは飽きないなぁ。

 そんな事を思っている俺とは全く違った視線を彼女に向ける者がいた。イナリだ。

 あんずの奴、さっき大喧嘩した相手が作ったメシだって事に気づいてねーな。イナリからしてみれば、あんなぶっ飛ばされ方しておいて、一言の謝罪じゃ煮え切らない所があるんだろう。

 でもあんずの中じゃ、互いに謝ったんだから手打ちは済んでいると思っているはずだ。多分。


 誰よりも早く器の中身を平らげたあんずが口の中を空にすると同時に発した次の言葉が、この幼いアヤカシ二人の仲を切り裂く引き金となった。


「おいしーッ!おかわりーッ!」


「てめぇでもってこいよ。ばーか」


 ドゴォッッ!!…バギッ―――――……ボスンッッ……


 この光景メチャクチャ既視感あるわぁ。だって今朝見たばっかなんだもん。

 全然反省してないガキ二匹の諍いは、この家に新たな風穴を拵えた。


「お前ら、いい加減にしろよォッッ!!!」


「お前ら、ええ加減にせェよォッッ!!!」


 俺と瓜原が奏でる怒りの二重奏は、楽しい食卓の終演を告げた。

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