第38話政策と制作7
「着きやした。ここがあっしらの村でごぜぇやす」
結局、中腹まで登った山を越えて、反対側まで来てしまった。帰りも一山越えなくてはならなくなったじゃねーか。果たして俺の体力は持つのだろうか。
嘆いていても始まらないので、早速木綿を保管してある倉庫まで案内してもらった。
「さぁ、こちらにある綿でしたらお好きなだけ持ってってくんなせぇ」
二十畳ほどの広さの貯蔵庫には、積み上げられた木綿が天井まで達していた。よくもまぁこれだけ集めたもんだな。ここにある木綿を全て糸にしたら地球一周くらい簡単に届くんじゃないか。それは言いすぎか。
想像以上の綿の量に面食らいながらそんな事を考えていた時、戦慄の様なものが走った。
この世界って、そもそも何なんだ?ここって地球なのか?もしかしたら全く別の場所かも知れないし、仮に地球なのだとしたら地球のどこなんだ?
俺に政策を施行したヤブ医者は、『精神と霊を別の場所に移す』とか言ってたよな。別世界って言ったって、ここも朝になれば陽が昇るし、夜になれば月も昇る。地球と何も変わらないじゃないか。
自分が今地に足を付けているこの場所の不明瞭さが、少しだけ俺の思考を停止させた。
「たくちゃん、篭に綿詰めときましたよッ」
「お、おう。さんきゅー」
ボケっとしていた俺に代わってあんずが一仕事してくれていた。助かるわぁ、俺もう動けないもん。
騙し騙しここまでやってきたが、膝から下の感覚は既に消えていた。壊死したかな?いい加減休息を取らないと、死ぬ死なないの問題じゃなくて、癇癪起こして誰かを傷つけそうだ。
ここは恥を忍んで休ませてもらおう。
「重ね重ね申し訳ないんですけど、どっか足を伸ばせる所ないすか?」
「それでしたら、あっしの家に上がってってくだせぇ。碌なもてなしもできやせんが、茶の一杯でも出させてもらいやす」
やった。おじさんの家で休ませてもらえる事になった。おじさん大好きッ。どうでもいいけど、なんでここの世界のヒトって江戸っ子みたいな喋り方なんだろう。
男性の自宅へ向かう途中、何気なくこの村の様子を見ていた。俺たちが普段活動している街と比べるとかなり小規模ではあるが、集落としてちゃんと成り立っている。それぞれが割り当てられた仕事をして、支え合って生活出来ていれば、彼らにはそれ以上望むものはないのかも知れない。
発展と幸福は比例するもんだと思っていたが、変わらないっていう幸せがあるのも事実だ。『ヒトはヒトらしく、自然の中で小さく暮らせばいいんだよ…』、氏家の言葉が脳裏を横切った。
「おっかぁ!けぇったぞ!早速だけどよ、茶ぁ淹れてくれ茶ぁッ」
おじさんの家に着くと、中では奥さんと思われる女性が糸巻きを回していた。いつもとは違う時間に帰ってきた亭主と、脇にいる俺たちの存在に驚いた様子で作業の手を止めた。
「おまえさん、山の見回りはどうしたんだい?そちらの方はどちらさまなんだい?」
「ミコトさまだよ、ミコトさま。おぅッ!失礼のねぇように気ぃつけろよ!いいから茶を淹れろってんだ。茶っ葉はサラの奴こしらえてよ、渋いの淹れてくれ。おい、なんか茶請けはねぇか?」
「ぬか漬けなら都合があるよ」
「ぬか漬けだぁ?そんなしみったれたもん食わすんじゃあねぇやな!疲れておいでなんだよ、甘いもん出せッ!」
「軒に柿が干してあるよ」
「おぅッ!それだそれだ。そいつのヘタ取って種取ってよ、厚めに切ったら皿に盛るんだぞッ。失礼のねぇようにな」
なんか寄席を聞いてるみたいだな。この掛け合いを見てると、俺とあんずのコールアンドレスポンスにおじさんが混ざって来たのも分かる気がする。
奥さんがお茶を用意してくれている間にブーツ脱いで板の間に上がらせてもらおう。ブーツのレースを解くと、それまで鬱血していた血液が、じんわりとつま先の方まで行き渡った。よくここまで歩いて来たよな。
与えられた達成感の割りには、払った代償がデカすぎるぞ。というぶつけ所の無い憤りを遮る様に、お茶の香りが辺りを包み込んだ。
「大したもんじゃあございやせんが、どうぞお上がりなすってくだせぇ」
「すんません、いただきます」
湯呑をすすると、お茶の渋みと苦みと旨みが合わさってスーッっと鼻から抜ける匂いは新緑の様だった。コーヒーもいいが、日本人はやっぱりお茶だね。
干し柿も糖が吹いてて、天然物とは思えない甘さだ。この甘さを忘れない内に一口お茶をすすると……、ハァ~……ッ。落ち着くわぁ。
ふと隣を見ると、どうもあんずの様子がおかしい。小さく縮こまって随分としおらしい感じだ。
「あんず、どうした?」
「タ…、タクチャン…。コノミズ、ニガイ……」
宇宙人みたいな喋り方になってんじゃねーか。つーかお茶飲むの始めてかよ。まぁ、当然っちゃ当然か。
酒の味は大丈夫なのにお茶の苦さはダメなんだ。基準が分かんねー。
「あんず、そっちのヤツ食え。うまいぞ」
お茶の衝撃が強すぎて、干し柿にも手を伸ばしていなかったあんずにそれを勧めてやった。甘い果物が好きな彼女なら、きっと気に入るだろう。
恐る恐る干し柿を口にしたあんずは、予想のど真ん中を音速で駆け抜ける様に、干された柿の甘さを蕩けた顔で味わっていた。
「あまーいッ」
あんずのお茶苦い発言に一度は肝を冷やした夫婦も、干し柿をお気に召した彼女の様子を見て、胸を撫で下ろしているみたいだった。
その笑顔にあてられたのか、おばさんの方が猫撫で気味な声で、あんずに尋ねた。
「お嬢ちゃんもミコトさまなのかい?」
「まさかーッ。アタシは童子ですッ」
「「えっ?ど、童子……?」」
おばさんの反応は分かる、初耳だろうからな。ただ、おじさん。テメーは駄目だ。あんたには既に名乗ってんだよ、『童子ですーッ』って。ちゃんと聞いとけや。
あんずの可愛い声を聞き逃したおじさんを少し疎みながら、童子の存在に対してどんな対処をするのかな?と気にかけていると、何やらおじさんが忙しなく家の外へ駆け出した。
「おぉーいぃッッ!みんなぁー!!ミコトとアヤカシの番いだぁぁッ!ミソギができるぞぉぉぉぉッ!!」
え?何か村ビトがわらわら集まって来たんだけど。これは何?袋叩きにでもされんの?こっちはあんずがおるんだぞ、舐めんなや。
全く状況が掴めない中、俺に走った緊張は杞憂だったと教えてくれるかの様に、おじさんが語り出した。
「急に騒ぎ立てて申し訳ありやせん。実はこの村に伝わるミソギが、ここ百何十年途絶えてるんでやさぁ。ミソギっつーのはミコトとアヤカシの番いに執り行ってもらう祈祷なんでやすが、大昔はこの辺にも女のミコトさまと狐のもののけのご番いがいましてね。そのお方にお願い申し上げていたものの、ある時から突然お姿を拝見させてもらえなくなりやして……――――」
おい、それって瓜原とイナリの事だよな。あいつら何であんな隠れる様に暮らしてんのかと思ったら、このヒトたちから逃げてたのか。逃げる必要もないと思うんだけどな。
「――――……差し出がましい様でございやすが、ミソギの執り行いをお願いできねぇでございやしょうか」
「え、別にいいですよ」
番いでやる共同作業の儀式なんて、ケーキ入刀みたいなもんじゃないか。あんずが花嫁さんかぁ。考えただけでムラムラするなぁ。あ、となると花婿は俺か。いや、まいったなー。
浮かれポンチなアホを待ち受けていたミソギは、何か俺の思ってるヤツと違った。
「水が枯れねぇように、この井戸の水一口飲んでくだせぇッ!」
「土が痩せねぇように、この畑に一度鍬を入れてくだせぇッ!」
「獣に襲われねぇように、この鈴を一回鳴らしてくだせぇッ!」
「犬とはぐれねぇように、三回廻ってワンと言ってくだせぇッ!」
「元気な子が生まれるように、妊婦の腹ぁ撫でてくだせぇッ!マタニティクラクションベイベーでやさぁッ!」
最後のは何だ。
全てのミソギが終わる頃、瓜原たちが何故彼らから逃げているのか、何となく分かった気がする。
これ、クッソ面倒くせぇ…。
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