第36話政策と制作5

 氏家の汚い地図は、夜のハイキングをさらに困難にさせた。辺りは草木が生い茂っていて、方向感覚を狂わされそうだったが、空はよく晴れていたので月の位置は常に把握できた。

 流石にコヨミを作っただけの事はあるなと感心させたのは、汚くて見にくい地図だけど、目指す方角や座標を明確に示していた事だ。合ってんのかは知らねーけど。

 とにかく夜通し歩いてみるか。もし遭難する羽目になったら氏家をボコボコにするだけだ。


「あんず、ちょっと一服いれるか?」


 朝からお酒にご執心だったあんずは、この日一度もカナビスを吸っていなかったのだ。体力のペース配分を考えると、この辺で小休止を入れたかった俺は、彼女にカナビスのお誘いをした。


「んー…。ボング持ってきてないですよね…。アタシお酒があるんで大丈夫ですッ!」


 そういえば、あんずはボング以外でカナビスを吸いたがらない。俺が常にくわえている紙巻には、何故か一度も興味を示さない。何かが彼女の中で、この違いを別のものと認識させているのか。

 もしかしたら、酒飲めない俺を差し置いて自分だけ両方楽しむなんて、あんずには出来ないのかもな。てな事を考えていた俺を裏切るかの様に、彼女がこんな提案をしてきた。


「あッ!じゃあ、たくちゃんの煙をアタシにかけてくださいッ!」


 え?


「ふーッって!ふーッってかけてくださいッ!それ吸いますッ」


 何を言い出すんだこの子は。女の子が『かけてください』なんて口にするもんじゃありません。ドキッとしちゃうでしょーが。ばかちんが。

 しかも既に受け入れ態勢になっているのか、目をつむったまま顔を上に傾け、つま先立ちで俺が吐くカナビスの煙を待ち構えている。

『こんなん、間違えてチューしちゃっても仕方なくね!?ガバッといっちゃえよ!』と言う欲望剥き出しの天使と、

『彼女は純粋にカナビスを待っているのです。妙な勘違いはお止めなさい』と言う願望を邪魔する悪魔が、俺の頭に住み着き、暫らくの間思考が停止した。

 ハッと我に帰った俺は、紙巻のカナビスを深く吸い込み、胸いっぱいに溜まった煙を、あんずに向けて吐きかけた。

 一度俺の肺を巡ってきた煙を再び吸い込んだあんずを見て、物凄い背徳感で頭がシビレそうになった。彼女の口から出てくる煙は、俺が見てきたどんなイヤラシい物よりも卑猥に見えた。


「ふふッ、おいしーですね。ごちそうさまですッ」


 あー、ダメダメ。えっちすぎます。

 つーかだいぶ酔っ払ってんなぁ、こいつ。俺だけがドギマギしているこの状況は、初めてあんずと出会った日の事を思い出させる。彼女はきっと、あの日と同じ様にただ無邪気なだけだったのだろう。その無邪気さは俺の琴線にダイレクトミートして、俺は彼女に魅せられていくのだった。


「たくちゃん!お返ししてあげますッ!ハァ~~…ッ」


「酒くせぇッ!」


 魅せられていくのだった。


 ――――――――――………


 夜の暗さが役目を終え、東の空が薄ぼんやり墨を流した様に紫色に滲む頃、氏家の地図が示す座標の付近まで辿り着いた。

 目的の場所は研究所の様な施設だろうと勝手に想像していた俺は、辺りの何もなさというか人気のなさに一抹の不安を感じていた。


「まーそろそろそれっぽいもんが見えてこないかんわなぁ…。マジでこっからはダボの地図役に立たんし…」


 なまじ近い所にいるせいで、一晩中歩き続けた俺の足は続投不能を申告し始めていた。いくら身体が悲鳴を上げようが、目的地に辿り着くまでこのハイキングは終わらない。

 本当に勘弁してくれ、とベソかきそうになっている俺に、突然あんずが注意を促した。


「たくちゃん、何かいます」


 俺には認識出来ない『何か』を察知したあんずは、俺のすぐ近くで臨戦態勢に入った。ただの動物相手なら彼女はこうはならない。

 接近している者の正体が分からない恐怖と、あんずが見せる緊張の中『そいつ』は姿を現した。


「ここらじゃ見ない顔だな」


 俺たちの視界に入ってきたのは、怪しい雰囲気を纏う男の子だった。

 その異様さを引き立てているのは、彼が着ている服にあった。明らかにヒトの着ている衣装とは違う、デザインが現代的すぎるのだ。

 しかし、違和感はもう一つある。ヒトでないにしても、ミコトでも決してない。何故なら彼は幼かったからだ。被行者なら16歳でなければならない。

 ヒトでもミコトでもない者がおべべを着ている…。どっかで聞いた事ある様な話だな。


「俺たちは『瓜原』って子を探してここまで来たんだよ。君、知らない?」


 半ば分かってて聞いた。この子は絶対、瓜原緑と関係がある。

 返す刀で答えた彼の言葉は、このハイキングの終了を告げる鐘となった。


「みどりに用があるのか。なら、おれん家にこい。みどりもそこにいる」


『おれん家』?瓜原って子は、こんな小さな子の家に世話になってんのか。ん?この子の家?この子は十中八九アヤカシだと思うんだけど、だとすると家って……。

 かく言う俺も最初はあんずの世話になった。そう、そのあんずが住んでいたのはただの穴ぐらだ。探しても見つからねー訳だよ。

 え?瓜原って子はずっと穴ぐらで世話になってるの?女の子なんでしょ?

 俺が頭上にクエッションマークを浮かべている間に彼の案内は終わっていた。


「ここだ、はいれ。いまみどりを起こしてくる」


 いや…、探しても見つからねー訳だよ…。本当に間近に来るまで分からないくらい巧妙にカモフラージュされた家だった。

 どうなってんだ?ここに家があるなら見逃すはずないんだけど、光学迷彩でも施されてるんじゃねーかってくらい周りの景色に溶け込んでる。っていうか同化してる。

 中に入ると、散らかってはいたが、部屋の混雑を生み出している物は大量の『絵』だった。動物や花のスケッチ、複雑な仏画、模様や文字のレタリング…。様々な絵が所狭しと積み上げられていた。

 女の子だからお絵かきが趣味なのかな?っていうレベルじゃない。枚数とクオリティがキチガイじみている。絶対やべー奴だ。

 やがて奥から、寝ぼけた眼をこすりながら大あくびをかます女を、案内してくれた彼が連れてきた。


「こんな朝っぱらから何の用だよ…。ねむてーのにぃ…」


 な…、何だこの女…ッ。刺青だらけじゃねーか…ッ!ガチでヤベー奴だ…。

 現れたのは、あまり品のよろしくない話し方をなさる、体中にお絵かきしちゃったイカレあそばされるお嬢さんだった。

 女の子の寝起きというものに、禁じ得なかった幾ばくかの下心を踏み潰す様なインパクトに物怖じしながら、俺はその口を開いた。


「朝からごめんね。俺は今泉拓也。作ってもらいたい物があってお願いしに来たんだけど…」


「……。どれ?」


「あ、あぁ…。これなんだけど」


 彼女に会ったら渡すように氏家から言われていたメモ書きを、彼女に渡した。

 俺には見ても分からない化学式の様な文字と記号の羅列を目にした瓜原は、寝癖でクシャクシャの頭をさらにクシャクシャにしながらゆっくりと俺たちの方を見た。


「これ、ハジキの弾だろ…?何モンだよ、あんたら」


 メモ書きをチラ見しただけの彼女は、それが何かを言い当てた。相当頭いいぞ、この女。まぁ別に隠し事してる訳じゃないし、疑問にはなるべく答える様にしよう。


「俺いま拳銃作っとるんだわ。ほんで火薬がいるみたいだで君に頼みに来たの。氏家って奴に教えてもらってよ」


「カハッ!氏家の差金かよ。つまんねぇ」


 彼女も氏家を知っている様だ。意外と顔広いんだな、あいつ。

 っていうかその言い方だと、俺が氏家に指示されて動いてるみたいじゃねーか!冗談じゃねーぞッ!この誤解だけは早急に解いておかなければ、ストレスで死んでしまうかも知れない。自然と言葉が強くなってしまった。


「あいつとは取引があるで一緒におるだけで、仲間でもなんでもねーでよぉ。舐めた事ぬかすとブチ抜くぞ、このあまァ…」

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