第8話ミコトと童子4


「たくちゃん、朝ですよ。そろそろ起きましょう」


「ん…、お……」


 あんずに揺すられ目を覚ました。寝ぼけた頭でも、昨日まで迎えていた朝とは違う事をちゃんと分かっていた。ムクっと身体を起こし、手馴れた手付きでタバコに火を着ける。どうやら俺は唯一のゴザを借りてしまっていた様だ。小さい女の子に気を使わせてしまったと少々後悔したが、シャツ貸してるしお相子か、とダンディズムの欠片もない事を思い浮かべていた。


「顔洗いてぇなー…」


「少し降れば沢がありますよ。アタシも水を汲みたいので一緒に行きましょ、たくちゃん」


 彼女の寝座には水道なんて気の利いた物はもちろん無く、当たり前の様に原始的な朝を迎えるあんずに従いノソノソと動き始めた。


 少しばかりの距離を歩き、沢に着いた。誰に言われるでもなくこんな早くからやる気を出す太陽の日差しが、俺の頭皮に熱をこもらせていたので、頭部をまるごと沢に沈めた。ブクブクと息を吐き、限界を迎えると同時に髪が含んだ水気を振り切る様に勢い良く顔を上げた。

 サッパリした頭で捉えた周りの景色は、どうしてそれまで気付かなかったのかと思うほど一切の人工物が無く、見渡す限りの大自然がこれまでの現実とまるで違う事を物語っていた。

 あんずは持ってきた小さな壺が満たされるだけの水を汲み終えて、俺の様子を伺っていた。


「たくちゃんは頭だけでいいんですか?身体ごと入るときもちいーですよ」


 その言葉に俺はハッとした。案の定あんずは俺のボーイフレンドシャツ(そんな言葉は無い)を脱ごうとしている。冷水に漬けたおかげで頭が冴えていたせいか、手遅れになる前に彼女を抑制する事が出来た。


「ちょっと待てあんず!ストップ、ストーッップ!!」


「へ??」


 俺に背を向ける形で身体を向けていたので、プリッとしたお尻を眼福とさせて頂く程度で済んだ。


「無闇に裸になろうとすんなて。昨日も言ったがや、表で裸になったらいかんって」


「はぁ。それをたくちゃんが言うんですか…」


 そう言ってあんずは俺をジロっと舐める様に見た。いや、確かに俺も今上半身裸なんだけど、それとこれとは話が違う事をどうしたら理解してもらえるのか分からなくて、誰かに教えを乞えるなら乞いたいと、半ベソかきそうになっていた。


「俺は男だでええっつっとるがやッ!!とにかくお前はそう簡単に服脱ぐなてッ!!」


「な…、なんでたくちゃんが怒ってるのか、アタシにはわかりません…ッ!」


 あんずは目に少し涙を浮かべながら不服そうに俺を睨みつけた。

 しまった、やってしまった。頭ごなしに怒られたら誰だって良い気しねーわな。俺の言葉は意味が分かってなかったら、自分勝手で理不尽な主張に聞こえても無理の無いものだった。それを説明せずに怒鳴りつけてしまった俺のどこが徳の高いんだか…。自分がイヤになるこの感じはいつになっても慣れる事は無いだろう。

 凄まじい反省と後悔と自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、俺は胸の内をあんずに伝える事にした。


「す、すまん…。今のは俺が悪かった…。でもな、良く聞いてくれあんず。お前は童子かも知れんけど、その前に女の子である事に変わりねーんだわ。そんで俺は男だ。男は女の子に裸見せられたら恥ずかしくて顔から火が出そうになるんだて。それに、あんずは俺の力になってくれるって言ったがや。その時点でお前は俺にとって大事な存在なんだわ。その大事な子の裸がこんな所で他の奴に見られてみぃ、俺そいつの事殺してまうかも分からん…」


 言いながらそれこそ顔がターボライターになってしまいそうだった。ちゃんと言葉に出来ていたか分からない。でも、俺が必死に紡いだ歯の浮く台詞をあんずは黙って聞いていてくれた。

 自分の思いを声に出して伝えるのがこんなにも怖くて勇気のいる事だとは知らなかった。ベルボトムのジーンズの下で、俺の膝小僧はカタカタと震えていた。


「ア…、アタシ、たくちゃんに対してそんな失礼な真似を…。それにアタシのこと大事って…」


 少しの間続いた沈黙を静かに破り、それまで俯けていた顔をゆっくり上げながら話すあんずと目が合うと、彼女も俺と同じく顔を赤らめていた。それを見て、俺の支離滅裂な言葉の羅列からニュアンスだけでも届いたんじゃないかと安堵した。


「でも水浴びたいなら、俺木の陰に隠れて一服しとくで、その間に浴びてこやー。どうせここ誰も来んでしょ?」


「あッ、そうですね。わかりました。すぐ済ましてきますね」


 あんずの裸が見えない様木の陰に腰掛けタバコを吸っていると、あんずが水浴びをしているのであろうパシャパシャと水の音が聞こえてきた。その音を聞いていると、あそこで全裸の女の子が水浴びしてるんだなぁと実感が湧いてきて無性に覗きたくなったが、ここで覗いたらさっきの俺の御託はどーなるんだよと、二律背反な気持ちが俺の心を二つに裂こうとした頃、あんずの声が後ろからした。


「おまたせしましたー」


「お!終わった?じゃあいっぺん戻るか」


 あんずがちゃんと俺のシャツを着ている事を確認し、彼女が汲んだ水の入った壺を抱え、帰路についた。

 一度あんずの寝座に戻り、杏子の実で腹ごしらえしてから街に向かう事にした。


「あんずに似合う服みつかるといいな!」


「アタシはたくちゃんの服でもいいですけど」


「それはいかん」

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