第7話ミコトと童子3
赤く染まっていた西の空も、東から伸びる藍色の夜が染み渡り、頭上は天然のプラネタリウムと化していた。昨日までいた場所ではお目にかかれない星空に一瞬だけ気を取られていると、ズビーッと大きく鼻をすすったあんずが、もう泣き止んだ事を知らせる様に俺に微笑みかけた。
「あーッ…。取り乱しちゃってすみません。もう大丈夫です!」
「何かごめんね。泣かせるつもりじゃなかったんだけど…」
俺に悪気が無い事は重々承知してくれているみたいで、謝罪の言葉に何も返さなかったのは彼女なりの気遣いだったかも知れない。そう確信させる様に、一つ息を置いてからあんずは静かに語りだした。
「アタシ、あんずって名前すごく気に入りました。やっぱりミコトの方は不思議な事をするんですね。それか、たくちゃんが変なのかも…」
それまで泣いていたせいなのか、やわらかな月明かりのせいなのか、辺りの暗さとは対照的にキラリと光るあんずの大きな瞳に釘付けになっている俺を、彼女もまた見つめていた。
「アタシ、たくちゃんのお役に立ちたいです!たくちゃんの力になりたいです!」
きっと図らずも名前という大きな供物を与えてしまった俺への精一杯の誠意なんだろう。
昼間に見たあんずの身体能力を考えれば、お側に置けば百人力かも知れない…。そんな打算的な考えは、建前というか照れ隠し的なものでしかなく、こんな可愛い子と一緒にいれるって考えたら心臓のタコメーターの針はレッドゾーンを超えて振り切れてしまいそうなほど、彼女の意向は嬉しいものだった。
跳ね上がる心拍数を悟られない様に、慎重に言葉を選びながらあんずの申し出を快諾した。
「そりゃ助かるなぁ。俺こっちの事何も分からんし、あんずがおってくれればまた危ない目に合っても何とかなりそうだでな」
「はい!たくちゃんに手を出す奴がいたらぶっ飛ばします!」
可愛い顔してこの子割とやるもんだねと、良く考えたらあんずは鬼、童子なんだよなぁ。そもそも今までの現実じゃ、鬼なんてのはお伽話や迷信の中にしかいない存在であって、恐ろしい者という漠然なイメージがあるだけでその実態を何も知らないでいた。
「そいやぁ昼間の奴ら、あんずにでらビビッとったけど、何かあったの?」
「いいえ。あいつらを見たのは今日が初めてですけど…。まぁ童子はヒトに嫌われてますからね」
やっぱりここでも童子という鬼の存在は邪険にされるもんなんかな。俺の個人的な意見では鬼に対してネガティブな感情は一切無い。いつも悪者にされてる鬼の立ち位置を悲観した事もある。そういうちょっとした人とのズレが被行者に選ばれた理由の一つかも知れない。
嫌われ者の童子とハブられ者の自分を重ね合わせ、運命的なものを感じた時、俺の顔がニヤけている様な気がした。それを隠す為にタバコを咥えて火を着けながら呟いた。
「別にあんずが何かした訳じゃねぇだろうに…、身勝手な奴らだなぁ」
何気なく口にした俺の言葉は全くの的外れだったみたいで、そんな俺を不思議そうに眺めながらあんずはこう言った。
「いえ?アタシらは定期的にヒトを攫って食べますからね」
「か…、かにばぁ…」
俺の同情を、熨斗付きの着払いで返す様なショッキングな発言に、俺を取り囲んでいる空気は彩度を失った。
そりゃ嫌われるわ!食べちゃいかんわそんなもん!あ、まぁでもそれが鬼たる所以なのか…。しゃーないよな、食生活だもんなこればっかりは。あ…、でもそうなると……。
「お、俺の事も食べちゃう…?」
「あはは!食べませんよぉ!たくちゃんはミコトじゃないですか」
良かった。どうやらミコトは食べられないらしい。そういえばあんずはミコトの事を『ヒト成らざる人』と言っていた。俺たち被行者とここに住むヒトとは明確な差がある事を、ミコトは食べないと言った彼女の言葉が裏付けた。
「ヒトとミコトってそんな違うの?」
「月とスッポンくらい違いますね。ミコトの方は偉いんですよ」
何だかそう言われると本当に自分が偉い様な気がしてきた。何もしてないのに。そうだよな、言ってみれば神に選ばれてここにいる様なもんだもんな。あのケツ穴ヤブ医者ヤローもおめでとうとか祝ってたし。だからあんずも呼び捨てには出来なかったんだな。
何となく合点がいって、この世界における自分の立場に底知れぬ優越感を覚えていたら、原チャリの二人組にされた仕打ちにものすごく腹が立って来た。
「その割には、あのゲトーの奴ら…。良くも俺をええ様に可愛がってくれたがや…!!」
「そうですよ。何であんなのにやられっぱなしだったんですか」
「いや!あん時俺何も分からんかったもん!しゃーねぇがや!」
あんずに幻滅されたくなくて大声で言い訳してる自分に幻滅した。しかし、俺の言い分にも一理あって、いきなりあんな状況になったら誰だってパニックになるだろう。運良くあんずに助けられはしたが、もしそうでなければ一体どうなっていたのか。考えても意味の無いifに思考を巡らせていると、急にあんずが立ち上がり、両手を大きく広げながらこう提案した。
「じゃああいつらに仕返ししましょう!借りたもんは返さなきゃダメですよ!」
そんなビャッと動くな。また『女の子』が見えるぞ。でもあんずの言う事は正しいと思うし、彼女の誠実さを見習わなければと、その言葉に同調した。
「それもそうだわな。俺もこのままじゃ気が収まらんし…」
「でしょ!じゃ、明日にでも…―――」
あんずの台詞を遮り、俺は全く別の方向へと話題を変換させた。
「それより!お前のその格好だわ。まーちょっと何とかしなかんてぇ」
「え??コレだめですか!?」
これは無自覚というより無頓着だな。逆に何でそれでいいと思うんだよ。こういう手合いは無理やり何か着せようとすると、赤ん坊や動物の様にイヤがるかも知れない。だから彼女が自ら進んで服を着るように仕向けなければならない。俺の口先八丁に重圧がのしかかった。
「良い訳ねーがや。そんなみっともない格好俺が許さんわ!それにあんずもせっかく女の子なんだで着飾らないかんわぁ」
「んー…、確かにミコトのお側にいるにはちょっとアレかもですね」
よし!食いついた!本当の事を言えば、ボロの裾からチラチラ見えるあんずの肌が童貞ちんぽこ先生の俺にとって刺激が強すぎるからなんだけど。まぁそれはいいとして、あとは適当にコーディネートすれば……。
「あの、他に服の様な物って…」
「ないですよ」
……。もう自分の浅はかさを責めるのは止めよう。無いなら手に入れればいいだけの事じゃないか。上手く頭を切り替えて行け。そうしねーとこの先やっていけねーぞ。
「じゃあどこ行きゃー服が手に入る?」
「街に行けば何かしらあるんじゃないですかね?」
街か。今日は尻込みして入れなかったけど、俺の服装もあんずのボロ姿もどっちにしろ浮くんだから、もうそこは気にせず街に突入してみるか。
「んじゃ明日街に行ってみよまい。それまでは俺のシャツ貸してやるで」
俺は自分の上着を再び脱ぎ、それを着るように指示した。大して変わらないかも知れないが、ボロよりはマシだろうという考えと、この無防備なあんずの姿を誰にも見せたくないという思いからの行動だった。何を一丁前に独占欲出してんだよと囁くもう一人の自分と格闘する俺を尻目に、あんずは何故だかはしゃいでいた。
「えー!?アタシが着ちゃっていいんですか!わぁ、すごーい!こんなの初めてーッ!」
「貸すだけだでな!ええ服見つかったら返せよ!それ俺の一張羅なんだで!」
「はーいッ!」
生返事を返す彼女に、ちゃんと伝わったのか疑問に思ったが、気分上々テンション爆上げのあんずを見て、別にいいか…とため息を吐いた。
そして彼女はそれまで羽織っていたボロを脱ぎ捨て、一度全裸を晒してから俺のシャツに袖を通した。こいつは俺に裸を見られても何も思わないのか、俺だけ異常にドギマギしている状況に少しトホホな気持ちを抱いている間に着替えは完了していた。
俺よりひと回りもふた回りも小さいあんずにとって、俺のシャツは明らかにオーバーサイズであり、そのダボダボさがこれまでの無防備なボロ姿よりも遥かに淫靡な空気を纏っていた。これが世に言うボーイフレンドウェア(そんな言葉は無い)かと、えも言えぬ感動を覚えていた。
「破いたりしたらいかんぞ…」
「はい。ちゃんとお返ししますんで安心してください!」
気の利いた台詞も言えず、どうでもいい心配を投げかけてしまったが、それこそどうでもいいと言わんばかりに満面の笑みを浮かべながら、あんずは俺のすぐ隣を陣取った。何がそんなに嬉しいんだか俺には理解し切れずに、幸せそうに今日採ってきた杏子の実をほうばるあんずを、ただ眺めていた。
そうして俺の初日、俺とあんずの初日の夜は更けていった……。
「おい!汁零れとる汁零れとる!!」
「あぁッ!ごめんなさいッ!」
「シャツで拭うなシャツで!」
「あぁッ…!!」
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