第5話ミコトと童子1
この世界の『童子』と呼ばれる存在は、俺たちで言う所の鬼という解釈でいいらしい。その童子が今俺の目の前にいる。
先ほど俺を襲った輩が逃げ出したのもこの子を童子と認識したからだ。その前に、走ってくる二ケツの原チャリの勢いを片手でいとも簡単に跳ね返していた。きっとすごい力の持ち主で、ヒトから恐れられる存在なのだろう。
だけど、助けてもらったせいか俺はこの子を怖いとは思わなかった。さらに言えば、童子というものにすごく興味が湧いた。この子に近づきたいと思った。
「俺さぁ、ついさっきこっちに来たばっかなんだわ。だで色々教えてもらいたいんだけど…」
「そうですか。でも今あなたはアタシに助けられたので、今度はアタシが助けてもらう番ですよ?」
俺の要求を後回しにする事を決めたこの童子は、伸びっぱなしの栗毛を揺らしながら小首をかしげた。
等価交換を持ちかけられながらも、その可愛らしい仕草に少しだけ心を奪われてしまった俺は、この子の要求を飲むことに一寸の迷いもなかった。
「俺に何か手伝える事あんの?」
「この辺りは杏子がいっぱい採れるんですよ。アタシ杏子が好物なので。だから一緒に収穫してください」
言われてみれば辺り一面、赤黄色に実った杏子から香る甘い匂いで満たされていた。すぐ手の届く所にあった実を一つもぎり、少し匂いを嗅いでから口へ運んだ。
「あっま!!でらあめぇ!」
「でしょでしょ!?ここのはすごく美味しいんですよ」
果物をそのまま食べるなんて随分してなかったから、ほうばった杏子の芳醇な甘さに思わず声をあげてしまった。俺のちょっと大げさなリアクションは、どうやらこの子のお気に召した様だった。
ニコニコ顔で作業の指示をよこしてくれるその無邪気さで俺のやる気に火が着いた。
「なるべく色が濃くてやわらかいのを選んでください。もいだ杏子は一旦ここに集めましょう」
「熟れたやつを採りゃーいいのね、んじゃやろまい」
杏子の実は、一見房の様に見える程密集して成っていて、収穫は思っていたよりもかなり順調に進んだ。しばらく作業していたせいで額に汗が滲んでいた俺に気を使ってくれたのか、童子は少し休憩しようと提案してくれた。上手い具合にベンチ代わりになりそうな倒木に二人で腰掛けて、俺はまたポケットからタバコを取り出し一服を始めた。
「結構採れたな。あとどんくらいいるの?」
「んー、もうちょっとあれば大丈夫ですね。採りすぎも良くないので。でも一人でやるより楽ですね、助かりましたよ」
たださっきのお礼をしているだけの俺に労いの言葉をかけてくれた。
集まった杏子の実は既に100を超えていて、手の届く範囲の熟れた実は大方採り尽くしてしまった。目ぼしい獲物はちょっと背の届く高さではなかった。ハシゴか高枝切狭でもあれば話は別なんだが…。枝をよじ登って採る事も考えたのだが、これまでに何匹もの毛虫に遭遇していたのでそれをする気にはなれなかった。
「まいったなぁ…。ありゃ届かんぞ…」
「そうですか?ちょっと飛べば届きますよ」
そう言って童子は、俺が途方に暮れながら向けた視線の先にある杏子の実に向かってジャンプした。その高さは余裕で2~3mを超えていた。童子の並外れた跳躍力にも度肝を抜かれたが、それよりも驚いたのは、不可抗力とはいえ下から覗いてしまったその股間が『女の子』だった事だ。
やだ、この子ったら下履いてないの!?そりゃそうだ、ボロ布一枚羽織ってるだけなんだもん。下着持ってる方がおかしいよな。いや、でもパンツ一枚くらい持ってるっしょ?あれ?そもそもこの世界に下着って概念あるの?もしかしたら俺もジーパンの下ノーパンかも知れない!確かめなきゃ!!
俺はプチパニックに陥った。
「ね。こうすれば届く……。なにしてるんです…?」
「お、俺は履いてますからぁぁッッ!!」
俺の動揺が収まるまでの間、彼女はヒョイヒョイと飛び跳ねながら残りの必要な分の杏子を集めていた。その姿を眺めながら自分の思慮の浅さに憤りを感じていた。
見れば分かるじゃん。最初から分かるじゃん。どう見ても女の子じゃん。何で今まで気づかなかったんだよ、俺はアホか。(アホでした。)
っていうか見ちゃった…!女の子の『女の子』見ちゃった…!ヤバイ、意識しちゃう。もうあの子を女の子としてしか見れない。そう思うとどエライ可愛く見える…!!
「落ち着きましたか?アタシの方は終わりましたよ」
不意に横から顔を覗かせた彼女の前髪が風に吹かれめくれ上がり、額の両脇にある突起物を露わにした。それを目にした時、この子が人間でない事を理解して少し背筋に冷たいものが走ったが、やっぱり愛くるしいその顔を直視出来ず、無理やり話題を変えてしまった。
「ま、まぁな…。それよりコレどうすんだて?どっかに運ぶの?」
「はい。アタシの寝座まで持っていきます」
どうやって?と、疑問に思った時には彼女は行動に移っていた。首の辺りでくくっていたボロの結び目を解き、そのボロを風呂敷代わりにして収穫した杏子を包もうとしていたのだ。そんな事したらスッパになってしまう…、っていうかもうスッパやんけ!!
慌てて俺は彼女の暴挙を阻止しようとした。
「お、お前はたわけかぁッ!!何しとんだてぇッ!!」
「え…?何って…、え??」
俺が声を荒げた理由が分からずキョトンとしている彼女からボロを奪い取り、半ば強引に元の姿に戻してやった。その行為の訳も分からずに少し怯えた様な表情を見せる彼女をなだめる為に、俺は言った。
「女の子がこんな表で裸になったらいかんがや。誰かに見られたらどうするんだて」
「はぁ…。でもそんなの誰も見ませんよ」
「お、俺が俺の…!おれがオレノオレノオレロレノ……ッッ!!」
せっかくしてやった心配を押し返す様な彼女の反応に、滅茶苦茶どもってしまった俺の姿がツボにハマったのか、彼女はクスクスと笑いを漏らしていた。その笑みに恥ずかしくも顔を赤らめながらシャツを脱ぎ、彼女と同じ方法で杏子の山を包んだ。
「俺が持ったるで、君の家まで案内してちょ」
「そこまでしてもらわなくても…」
彼女は遠慮したが、俺が強引に歩みを進めたせいか甘んじて俺の好意を受け入れてくれた。その事を嬉しく思い、俺の気持ちは浮き足立っていたのかも知れない。案内される側の俺の方が前を歩いてしまっていた。俺の思慮はやっぱり浅かった。
「あのぅ…、方向逆です」
「はよ言えやぁ…」
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