完璧にして不変なる蛇足。(おまけ小話その1)


 ※この話を読む際は、貴方様が一人称「私」になった気分で楽しんでください(笑)




 深い、味のある重厚な扉を前に、私は立っている。


 アンティーク調の装飾と、鴇色のレンガで組まれた小さな家屋。

 扉の側に飾られた観葉植物は、青々と涼やかな色を湛えている。


 扉の出っ張りに引っ掛けられたプレートには、こう刻まれてあった。



「サリエル、古書堂………?」



 サリエル古書堂。

 そう記されたプレートと、手元の便箋を交互に見比べる。

 

 私の手元に届いたのは、一通の手紙。

 唐突にやって来た彼女からの誘い文句は、暇だった私の興味を引いた。

 そうして、遠路はるばるやって来たわけだが………


 まさか、彼女が古書堂なんて珍妙なモノをやっているとは、夢にも見なかった。


 あの日―――――あのトーナメントの時に目にした彼女の様相からは、到底想像もつかない平和な現状。

 まあ、あれから早5年程経つ。

 人間…… では無いが、時間をおけば誰だって、人は変わるものだ。

 そうやって、納得する。



 一呼吸置いて、それから扉の取っ手に手を掛けた。



 チリンチリンッ



 扉の上部に取り付けられた小さなベルが、小気味良い音を奏でて私を歓迎する。

 

 古書堂のなかに入った私の視界を埋め尽くしたのは、壁のように並び立つ本棚と蔵書の数々。

 蔵書は総じて年季が入っており少し草臥れているが。

 埃など、果てはチリひとつ落ちていない。

 管理の厳重さ、そして本への大切な心持ちが伝わってくるようだった。


 

 本棚を避けて、ゆっくりと奥に進む。



 コツ、コツ……



 新調した靴の踵が、磨かれた木製の床を打つ。

 

 やがて、三つ目の本棚を通り越したときだった。

 視界の端に、懐かしい人が映った。

 どうやら彼女は、私を見つけて微笑んでいるようだ。



「おや、珍しい客人だね?」



 珍しいとはなんだ、君が手紙を寄越したのだろう。

 そう言って苦笑する。

 すると彼女…… ダリアは可笑しそうコロコロと笑って、手に持った本を閉じた。



「こうして会うのも如何程ぶりであろうか。まあ、掛けると良い」



 ダリアは無邪気な笑みを微笑にして、自身の向かいにあるダイニングチェアを手で促した。

 反抗する理由もないので、従って腰を掛ける。

 クッションを敷いた座面が、非常に座り心地が良い。


 

「あぁそうだ、良いモノがあるぞ。少し待て、淹れてこよう」



 思い付いたように言ったダリアは、立ち上がって本の山の向こうへ消えていった。

 

 しばらくして帰ってきた彼女の手には、湯気のたつティーカップがふたつ。

 漂う暖かな香りは………



「どうだ、よい香りだろう? 普段は高価で手が出せないが、今日はよろず屋が仕入れていたのでな。"リンゴ"と言う赤い果実だ、知っているか?」



 そう、ほのかにリンゴの風味を纏った紅茶。

 所謂アップルティーというやつだ。

 

 ダリアはカップを私に差し出し、受け取ると期待を含んだ目を向けてきた。

 ワクワク、という吹き出しが付きそうな程上機嫌。

 以前との違いが有りすぎて、最早別人の様に感じてしまう。



「うん、美味しいよ」

 


 紅茶を一口含んで、舌の上で転がす。

 紅茶特有の香ばしさと、リンゴから抽出された旨味と香りが、非常に心地よい。

 喉へ流し込んで、そう感想を述べると、ダリアは満足そうに笑った。



 ふと、気になったことを言った。



「以前より、表情が豊かになったみたいだね」



 彼女の頭に浮かぶのは疑問符。

 顎に手を当てて首をかしげる、不思議そうな表情。

 そういうところのことだ、とは言わなかった。



「そうだろうか?」


「うん、笑顔が増えたよ。なんだか、柔らかくなった」


「柔らかく……?」



 柔らかくなった、そう言えば益々不思議な顔をする。

 私はそれを見て、思わず笑ってしまう。


 あのトーナメント以来の仲だが、私はすっかり彼女と友人である。

 だからこそ、そんな急激とも言える友人の"良い変化"は、少し寂しいと思うものの、やはり喜ばしいモノなのだ。

 だがまあ、一体その変化にはどんなカラクリがあるのか、というのは気になったりもする。

 


「それじゃあ、なにか心当たりはないかい? 君に変化を与えた原因は」


「変化… 余に、変化か……」



 すこし考えるようにして、椅子に深く座り込む。

 うんうんと唸りながら考える友人のつむじをぼんやりと眺めながら、紅茶を嗜む。

 

 一瞬にも、永遠にも感じた長考の末に、ゆっくりと彼女は口を開いた。

 答えは出たようだが、まだ確信ではないようで、考えながら言葉を紡いだ。



「余は…… 愛したい人が出来た、のだと思う」


「え……っ?」



 愛したい人。

 確かにそう言った。

 愛したい人…… 愛したい…… 愛する…… 愛…… アイ…… あい……


 それはつまり、彼女が………ダリアが、恋をした。

 と、いうこと。

 恋?

 それはいわゆる、色恋の、『コイ』?


 

 愛や恋、なんてものが、どうしても彼女から想像できない。

 以前の彼女ならば、



『色欲に溺れたか…… 所詮はその程度。やはり発情期の獣同然だったか』



 とか何とか言って吐き捨てる辺りだ。


 

 ―――――、か。



 やはり前述も述べた通り、ヒトは時間を経て変わる。

 そういうことなのだろう。


 事実。

 私の眼前で、恥じらいを感じているのか顔を紅潮させ、懸想するかのように目を伏せた彼女は、最早かつての『戦野の亡霊』では無いのだろう。

 

 今、彼女はやっと人間になれたのでは無いのだろうか。

 本を読み、茶を嗜み、友と笑い、そして誰かを想う。

 人らしいヒトに、憎しみダリア喜びダリアへと変化した。

 その変化の原因が、誰が為の淡い恋心だったというだけ。


 

「じゃあ、君の愛したい人って、誰なんだい?」



 なんだかその事が無償に嬉しくなって、イタズラっぽくニヤリと笑いながら問い掛けた。

 案の定、そういったことにウブなダリアは、余計に顔を赤くして慌てる。

 ふふっ、まるでリンゴみたいだ。



「そ、それは…… きっ貴殿には秘密だッ!!」



 それを見て、可笑しくて、お腹を抑えて笑う。

 拗ねてしまったのか、彼女は紅茶を飲み始めてしまった。

 ジトっとした半目で私を睨んでくる。

 けれどその目に威圧や殺気は籠っていなく、ただ不満と羞恥が入り乱れたモノだった。

 


「―――――なぜ気が付かないのだ……… バカ…」



 ダリアのカップ越しに、少し籠った呟きが聞こえたような気がしたが、よく聞き取れなかった。

 なんと言ったのだろうか。

 


「なにか、言ったかい?」


「別に、なにも言ってはおらんよ」



 ため息混じりにそう言われる。

 少し呆れられているような気がするのは何故だろう。



 気のせいか。



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