第4話
――吸血衝動。
考えてみれば当然のことであった。吸血鬼とは、血を啜り糧とする種。それは眷属とて例外ではない。
恭介は、ここ数日、常に吸血衝動を耐えに耐えていた。日に日にその本能は増すばかりで、周りの人間が血の詰まった肉袋にしか見えない。このままでは早晩に人を襲って血を吸ってしまう。
血を吸わなければ人間社会に溶け込むことは難しく、血を吸ってしまえば人に戻れなくなる。
「眷属よ。吸え。吸ってしまえ。なに、無辜の民を襲うのではない。いわば罪人を襲えばよいのだ」
フェルストがそう囁く。確かに――犯罪者なら倫理的にはまだマシと言える。
しかし、法律的には無論許されない。どうしたものかと苦悩して帰路に着いていたら、
―――人を殺していた。
最初は流石にそれだけはいけないと思っていた。代替案が何かあるはずだと。苦しいなら吸血をしろと言うフェルストの囁きも、恭介を慮る気持ちから出る物だと分かっていたが、倫理観がそれを許さなかった。
路地裏を歩いていた恭介は、男に声を掛けられた。
「おい、坊主よぉ、金ェ持ってんだろ?酒買ってきてくんねぇか」
ボロボロの着衣に、何ヶ月前に風呂に入ったのだろうかという程の異臭。浮浪者であろう。
「いや、流石に無理ですよ、未成年ですし買えません」
立ち去ろうとする恭介を、男は壁に追いやりまくし立てる。
「んだよぉ、クソガキ!小汚いホームレスには恵んであげませんってか!親に養ってもらってる学生のクセに粋がりやがってよぉ!」
男は初対面の恭介に、強く、そして理不尽な罵倒をぶつけた。
――無理だ、最早抑えきれない。
恭介は男の胸ぐらを掴んだ。そして――汚れた薄汚い生ゴミ置き場に男を放り投げた。
真祖には通用しないその力だが、眷属とて吸血鬼。超常の存在であるからして――当然人間の男など話にならないレベルで圧倒できるのも当然である。
「痛えじゃねぇか!この野……」
男の言葉は途中で止まる。立て続けざまに恭介の拳が何度も何度も突き刺さる。
そして――恭介は男の首筋を「手で掻き切った」。
「あああああああ!!!!ああああああ!!!!」
男の断末魔も虚しく、紅い血が鮮やかに舞い散った。
恭介は、床に散らばった血液を手で集めて喉に運び、嗚咽を漏らした。
甘美で舌に残る味――美味である、などと。
一度でもそんな事を思ってしまった自分は最早人ではない。
「こんな……こんな本能なんて要らねぇ……」
そう漏らした恭介に、影から出てきたフェルストが声を掛ける。
「吸血鬼になった者なら通る道よ。気に病むことはない。余もそうであった」
慰めなどいらない。吸血鬼など辞めてしまいたい。嘲りの笑みを浮かべた恭介を、フェルストは儚げな真紅の双眸で見つめていた。
「おや、これは?」
中年の男の声が恭介の耳に届いた。
――マズい。
浮浪者の亡骸、血塗れの床、そして口元には紅い血液。
今の恭介は、どう言い逃れしても猟奇殺人犯。言い逃れは状況からして不可能だろう。最悪この男も殺すしかなくなる。
「……異端」
男は唐突につぶやいた。白人だろうか、彫りの深い顔立ちだった。
「血を啜り、無辜の民を殺す。貴方は――貴方達は異端です」
男は、二双の剣を取り出して構える。
「アンタ……何者だ?」
「私はしがない神父です。貴方達の正体は言わずとも分かる――」
刹那、踏み込んだ。
「
体感、0秒。
一瞬で恭介の懐に入った神父は、その二刀を振るう。
西洋刀と思われるそれらは、恭介の腹を裂き、腕を斬る。
「――ぐぁああああ!!」
倒れ込む恭介の首筋に突き付けられたのは冷たい白刃。
「私は怪異退治の神父、ヴァレンシュタインと申します。吸血鬼の真祖と眷属よ。貴方達の蛮行、ここで食い止めさせて頂きます」
神父は淡々と、まるで心なんてないような語り方で恭介を見下ろした。
「十三争乱などと他愛ない内輪揉めで大変でしょうが、私には関係のない事。神の代行者たる私が天誅を加えましょう」
と、言いたいところですが。とヴァレンシュタインは刀を仕舞い、踵を返す。
背後には朱槍を向けたフェルストの姿があった。
「そちらの真祖にはただならぬ圧を感じます――ただの吸血鬼ではない、異質な力を」
分が悪い、という事だろうか。いずれにせよ、撤退するのなら恭介としてはありがたい。
「貴方達は必ずや消し去りましょう、主の名にかけて」
神父・ヴァレンシュタインはそう言い残して去った。後に残されたのは、吸血鬼2人と、血液を一面にぶちまけた肉袋であった。
Mirror どんぶり @donburi
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