第4話 放課後の危険な掃除

「あ、せんぱい。おはようございますー、今日は早いですね」


 屈託のない笑顔を浮かべて爽やかに挨拶する目の前の少女に、バールのようなもので危うく心臓をくり抜かれそうになった翌日。

 珍しく早起きした俺は、近所……というか隣に住む問題の少女、ネムの家を訪れていた。


「よっす。まあ、たまにはな。……あー、ところで……体は大丈夫か?」


 極力、顔からも口調からも悟られないように何気なーく問いかけたつもりだったが、ネムは口元に手を当ててニヤニヤと頬を緩ませる。


「あははは、せんぱいに治してもらったから、ぜーんぜん大丈夫です。心配してくれるのは嬉しいですけど、気にしすぎですよー。大体、私の方がよっぽど怪我させちゃってますしね」


 あっけなく心情を見抜かれ、バツが悪くなって頭を掻く。


「別にそういうわけじゃ……つか、自覚あるんならやめてくれね? 割とマジで」

「だーめーでーすっ。でも、せんぱいが素直に心臓をくれるなら今日にでも終わりますよー?」


 相変わらず、そら恐ろしいことを平然と言ってのけるヤツだ。

 これでも、前世バージョンと比べたら三割程度マイルドな気がするからリアクションに困る。


「お前なぁ……。まあいいや、学校行くぞ。あー、それと……今晩カレーなんだけど、ネムも一緒にどうだって母さんが。来るよな?」

「わー、いただきます。いつもいつもありがとうございますー」


 身寄りのないネムが島で生活を始めたのは三年前。

 当時はまだ中学生であり、足が不自由という身体的不便もあったため、養護施設に入るか養子縁組をするか、どちらかが現実的だった。

 だったのだが……驚くべきことに、ネムは金に物を言わせて、廃墟と化していた隣家を匠も驚くバリアフリーの素敵なお家へとリフォームし、一人暮らしの道を選択してしまった。

 親の遺産が相当あるとのことで、金には困っていないらしいが、それにしてもたくましいというか無謀というか……。

 まあ、ヘルパーを雇って定期的にお世話はしてもらっているものの、大抵のことは独力で解決しているから、文句のつけようもない。

 ご近所のよしみか我が子の彼女に対する気遣いか、俺の両親も今日のように食事に誘うなど何かと面倒を見ているが、それも勝手なお節介になっている気がする。

 俺の助力も、車椅子の専属運転手をするくらいなもんだ。


 ともあれ、かつては自殺をするまで追い詰められていたとは思えないほど、ネムは毎日を元気に楽しく過ごしている。

 狂喜乱舞しながら俺を殺そうとするのは勘弁して欲しいが……。




「よーお、ツツジ、ネムちゃん、昨日はサンキュな。にしても、高井のじいさんマジで人使いが荒いっつーの。時給よこせって感じだよなぁ、ったくよー」

「アンタ、あの程度の手伝いでごちゃごちゃと男らしくないわねぇ……。おっはよー二人とも」


 教室に入ると、俺と同学年で付き合いが最も長い二人がすぐに歩み寄ってきた。

 茶髪のロン毛でチャラチャラした男、櫻井さくらいあざみがため息混じりにぼやくと、隣に立つショートボブでさばさばした勝気な女、蓮実はすみ菜乃花なのかが呆れながら肘で小突く。


「おはようございます、櫻井さん、蓮実さん。でも高井のおじいちゃん、すっごく感謝してましたよー。それでいいじゃないですかー」

「薊……お前の気持ちは分からんでもないが、数少ない若者の義務として諦めろ。それに、お礼にラムネもらったじゃねーか。報酬は充分だろ」

「いやいや、ショボすぎじゃん……」


 人のことは決して言えないが割と人見知りをするネムも、ざっくばらんでフレンドリーな人の多い離島で三年間暮らしたことで、交友の幅がかなり広がった。

 中でも、俺と毎日つるんでいる薊と蓮実とはすっかり打ち解け、今では旧知の仲と言えるくらい親しい間柄となっている。


「皆さん、おはようございます。はいはーい、座ってくださーい」


 いつものように四人で談笑していたらあっという間に時間が流れ、すぐに朝礼の時間となった。

 よし、今日も一日、退屈な授業を適当に頑張るか。

 とぼんやり考えていた俺は、毎月の末日に行われている恒例行事がまさしく今日であったことをすっかり忘れていた。


 「さて、今日は島内清掃の日です。今から班分けをしますので、協力して取り組んでくださいね。時間までに決められた場所に集まってください。遅刻厳禁ですよー」


 そうか、今日は島内清掃だった。


 この島では、前世返りのせいで余計な仕事が生まれる。

 ジャングルになった商店街の草刈りだとか。

 サファリパークとなった田んぼの糞掃除だとか。

 鳥になって大空へ羽ばたき行方不明になった家畜の捜索だとか。

 これらの問題は役場の主導により、基本的に島民全員が解決に当たる。

 学生の身分である俺達とて例外ではない。

 役場から学校に依頼された仕事を、教師陣が適材適所で割り振って班を作る。

 当然、万が一にも危険がないよう、子供でもこなせる年相応のチョロイ内容が厳選されている。

 ……普通はね。

 うん、普通はそうなっているのだが…………。


「――そして最後に、青柳君、弟切さん、櫻井君、蓮実さんの四人ですが……香川さんの牧場でミノタウロスが大量に発生したらしいので、駆除をお願いします」


 ホラキタ。

 最も危険が伴う、魔物駆除。


 通常、前世返りによって猛獣となっても人間を襲うことは絶対にない。

 島に数人いるビーストテイマーによって徹底的に調教されているからだ。

 行動を完璧に制御できるわけではないので、まれに家畜が敷地から逃げたりもするが、危害を加えるような事件に発展したことは未だかつてない。

 新たに生まれる動植物の前世が人に危害を加える生物かどうかを役場が調査して調教、場合によっては駆除しているのだが……問題は、ビーストテイマーでも操れない好戦的な生物、魔物だ。

 ゴブリンやコボルト、オークにオーガなど、RPGではお馴染みの連中が、この島では珍しくない。

 一度に大量に繁殖する虫が、こうした魔物の大群と化すケースもあり、そうなると島民総出で慌てて駆除を行う大事件に発展する。

 人が死ぬことは滅多にないが、他と比べてミッションの難易度は桁違いに高い。


「ちょっ! せんせー、俺ら先月もそれ系だったじゃないっすかー。しんどいしマジだるいし、不公平っすよー」


 すかさず文句を垂れる薊。

 普段なら「お前メンドくさがってばっかだな(笑)」と茶々を入れるところだが、今回ばかりは全面的に同意なので俺も神妙に頷く。


「うーん、あなた達には悪いんですが、やっぱり適任ですから。こういうの頼める人って少ないみたいで、あの子達にはいつも申し訳ないって役場の人も言ってましたよ。期待されてると思って頑張ってください」

「もー、別にいーじゃない。アンタこれくらいしか社会貢献できないんだから」

「てめぇ……はぁぁ~、まあしゃーねーかぁ……」


 結局、毎度のことなので、頬杖をついてブツブツ言いながら薊は引き下がった。

 人材不足と言われれば無下にもできないし、仕方がない。

 ……けれど、どうしても反論したいことがあり、俺は手を挙げて発言する。


「あの……香川さんの牧場ってスゲー森になるじゃないですか。どう考えても俺は役に立たないんですけど……炎だし、燃えちゃいますし……」


 至極当然なことを言った俺に対し、先生はニッコリと笑って即座に答えた。


「あなたは回復係です……っていうのは建前で、弟切さんが青柳君と別々じゃイヤって言うから。ふふふ、仲が良いわね~」

「なん……っ!?」


 そういうことだったのか……。

 今までも何かおかしい班だと思うことが多々あったが、理由は実にシンプルだった。

 教室中から降り注ぐ生暖かい視線を避けて元凶を睨むと、清々しいまでに誇らしげなドヤ顔でふんぞり返り、授業参観で張り切る子供のように威勢よく声を上げた。


「はい! せんぱいと私はいつも一緒でお願いしますっ!」


 別にコソコソ隠れて付き合っているわけではないが……堂々としすぎだろ。

 とても真似できない。

 尊敬に値する。

 恥ずかしくて死にそうな俺は、うつむき加減に「あ……はい、じゃあ、それで……ありがとうございます……」と消え入るような声でモゴモゴ答えることしかできなかった。




 この島で一番規模の大きな牧場、香川ファーム。

 牛、ヤギ、鶏、馬、その数、合計二百五十。

 広大な草原に放し飼いされた動物がのそのそと歩き、もさもさと草を食べ、ぽかぽかとした太陽を浴び、のんびりと育てられている。

 こんな平和な場所が、人を襲う魔物が闊歩する不気味な森に変わるだなんてとても信じられない。


「ふぁ~あ……そういや、ツツジって卒業したら島に残るんだっけ?」


 大の字になって日向ぼっこする薊が、のんきに欠伸をしながら問いかける。

 もうすぐ五時になるというのに緊張感が欠片もない。


「ん、まあなー。別に大学行きたいわけじゃねーし、本土に引っ越すのも面倒だしなぁ。まだ仕事は決めてないけど……」


 同じく寝そべってウトウトしながらぼんやりと答えると、からかうように蓮実が口を挟む。


「とか何とか言っちゃってー。本当はネムちゃんと離れたくないだけなんじゃないのー? ふふふ、青柳やっさしー」

「せんぱい……愛してますっ」


 ぎゅっと手を掴んで感動するネムから目を離し、俺は咄嗟に言い返す。


「い、いやっ! 別に、そんな理由じゃ……!」


 実は、そんな理由なのだ。

 しかし、「もちろんそうさ!」とは気恥ずかしくて言えるわけがない。

 あたふたして言い淀む俺を救ったのは、島の隅々まで届く重厚な鐘の音だった。

 赤々と染まった世界がわずかに霞み、徐々に姿を変えていく。


「うへぇ~~、もう時間か~……。くっそー、かったりーなぁ」

「この期に及んでアンタは……。さあ、気合入れてやりましょ!」


 夕日がふっと水平線に吸い込まれて消えるように、いつの間にか周囲は鬱蒼と生い茂る背の高い木々で暗く閉ざされていた。

 薊は億劫そうに立ち上がり、大きく息を吐いてうなだれる。

 蓮実は元気よく伸びをして、薊の背をバシバシ叩く。

 俺は昨日の惨劇を思い出し、ネムの挙動に細心の注意を払って距離を取る。

 ネムは楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ね、夕陽を受けて輝く瞳を俺に向ける。


「あはは、そんなに見つめられると照れちゃいますよー、せんぱい。安心してください、昨日みたいなことはしませんから。今日はお仕事優先です」


 俺の心を見透かし、ネムは朗らかに笑った。


「そ、そりゃ助かる。……それはそうと、気を付けろよ、ネム」

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