第3話 死の思い出

 四年前。


 家族みんな、マンションから落ちました。


 一家心中です。

 理由は分かりません。

 眠っていた私と弟を両親が背負い、勝手に道連れにして飛び降りたみたいです。

 父も、母も、弟も、見るも無残な肉の塊と成り果てました。

 でも、私だけは運悪く死に損ないました。

 脊髄を損傷し、足はぐちゃぐちゃ。

 望んでいない奇跡によって、たった一人、病院のベッドで目を覚ました私。


 それからのことは、あまり覚えていません。

 下半身不随となった私を待っていたのは、長い長い治療とリハビリ。

 ある日、私は病院を抜け出しました。

 なぜそんなことをしたのか。

 何がしたかったのか。

 どこへ行こうとしたのか。

 よく分かりません。

 多分、私は気づいたんだと思います。

 生きることに、何の意味も価値もないってことに。


 いつの間にか、ずっと遠く離れた、知らない島の端っこにいました。

 視界いっぱいに広がる海と、水平線に沈んでいく真っ赤な夕日。

 今まで見たことのない、きれいな景色。


「きれい…………」


 ここで死のう。

 何だか、何もかもバカバカしくなって、自然とそう思いました。

 涙がこぼれるくらい眩しい夕日から一時も目を逸らさず。

 両親と同じことをしてしまう自分を笑い。

 私は、身を投げました。


 しかし、ここでも私は死ねませんでした。

 あとちょっとのところで、誰かが私を引っ張り上げ……。

 そして、私の代わりに落ちました――――。




 前世返り。


 午後五時に起こる怪現象を、島の人たちはそう呼んでいる。

 つまり、毎日二時間だけ、何らかの理由で前世の自分に戻るってわけだ。

 と言っても、人間だけはパッと見、ほとんど変化はない。

 だが、それ以外の生物は外見からサイズ、おそらく記憶まで完全に切り替わる。

 なぜかは不明だ。

 そもそも、「これ、もしかして俺達の前世なんじゃね?」という、何の確証もない誰かの短絡的な勘に基づく、実にふわっとしたテキトーな憶測だから、誰も心の底から前世だと信じちゃいない。

 何せ、原因も原理も未だサッパリ解明されていないのだから。

 まあ、別に名前なんて何だっていいし、理屈なんてどうでもいい。

 けれど、俺は少なくとも前世ではないと確信している。

 なぜなら、俺の前世とやらは……不死鳥だからだ。

 永遠に生きる鳥が前世とか、ありえねーだろ?


 あの日。

 自殺しようとした少女を咄嗟に助けた瞬間、頭が真っ白になった。

 死にたくないから時よ止まれと思いながら、いっそ恐怖も痛みも感じないように一刻も早く死にたいと矛盾した願いを抱くくらい混乱した。

 ゆえに、始まりを知らせる鐘がゴーンと鳴った瞬間。

 馬鹿みたいだが、自分の頭がカチ割れる音だと完全に勘違いしてしまった。

 仕方ないだろう。

 ほんの数秒早く落ちていたら、俺はこの世にいなかったのだ。

 今思い出してもゾッとする。


 岩礁に叩きつけられてから、どれだけ時間が経っただろうか。

 意識を取り戻した俺は、口をポカンと開けて呆然としながらも、自分が死なずに済んだことを悟り、大きく息をついて安堵した。

 正確には、死んだけど不死鳥の如く蘇ったのだろうが……なあに、細かいことは気にしない。

 代償として失ったものの大きさも漠然と感じ取っていたが……なあに、しゃーねえしゃーねえ。

 ついでに、まだ自由に使いこなせない炎の翼を補助にした過酷なロッククライミングまで強いられたが……それすらも、命の素晴らしさの前では瑣末なことだ。

 死んだばかりの体に鞭を打ち、ようやく登頂を果たした俺が目にしたのは、魂のない抜け殻のように脱力し、とめどなく流れる涙を拭うことなく沈みゆく夕日を虚ろに眺める少女だった。

 少女は俺に気付くと、まるで死人を見るような驚愕の表情を浮かべて凍りつく。


 ――この時。

 頭を打っておかしくなったのだろうか。

 全くもって唐突に。

 何の前触れも脈絡もなく。

 あまりにも場違いな感想を、俺は心の中で叫んでいた。


 か……可愛い――――――!




「う……そ…………な、なん……で……? あなた、い……今、落ちて……。そ、それに、その……背中の、火……羽…………?」


 私にはもう、心なんてないと思っていました。

 しかし、生きているはずのない人が息を切らせて崖を這い上がってきたのを見て、冷たい汗が背中を伝い、心臓がばくばくと音を立てて鳴り止みません。

 怖い。

 絶対に助かるはずのない高さ。

 なのに、傷一つない体。

 何よりも、真っ赤な陽射しを受けて燦々ときらめく、炎の翼。

 見た目は、私と大して年の離れていない普通の男の人。

 だからこそ一段と感じる、得体の知れない恐怖。

 私は夢を見ているのでしょうか。

 それとも、幻を見ているのでしょうか。

 もしかしたら、この人は人間ではないのでしょうか。

 何が何だか分からず、ただただ息を飲んで震える私。

 そんな私を、しばらくじーっと見つめて……やがて、彼は思いもよらない言葉を口にしました。


「どうして自殺しようとしてたのか……そんなことはどうだっていい。たった今、俺は君に心を奪われた! あり得ないと思っていたけど、一目惚れってやつだ。つまり、えーっと……率直に言うと、好きだ! 付き合ってくださいっ!」




 完全にドン引きしている初対面の女の子に向かって、いきなり愛を叫ぶ。

 どんな心理状態からそのような暴挙に及んだのか、それは今でも永遠の謎だ。

 ただ、間違いなく言えることは、決して再び自殺するのを思いとどまらせようと口からでまかせを言ったのではなく、紛れもない本心だったということだ。

 つまるところ、俺は本当の本当に、一目見た瞬間に彼女を好きになってしまったのである。

 「言ってやったぞ、どやぁ!」と言わんばかりの俺。

 目を丸くして、口をポカンと開けてフリーズする彼女。


 あ、これはやっちまった。


 あまりにも遅まきながら、俺は我に返った。

 しかしながら、今さら時間を巻き戻す魔法も汚名を返上する術もない。

 己の愚行が頭の中で延々とリフレインし、サーっと血の気が引くのを感じていると……。


「ぷっ……ふふふ…………はは、あははははっ」


 彼女は、ぱあっと花のような笑顔を咲かせ、錯覚しようがないほど完璧に俺の心を射抜いた。




 変な人でした。

 彼――青柳ツツジは、どんな言葉をかけられても響かなかった私の暗く澱んだ心を、からっとした太陽みたいに晴れやかな青空へと変えてしまいました。

 私は耐え切れず吹き出してしまい、久しぶりに思いっきり笑ってしまいました。


 もうちょっとだけ、生きてみようかな。


 それから、いろんなことを聞きました。

 この島のこと。

 前世返りという、不思議な現象のこと。

 彼のこと。

 正直、私を好きということも含めて、どこまで本当なのかはわかりません。

 だけど……。

 だけど、もしも全てが真実であるならば……。

 彼は、私のせいで大切なものを失ってしまいました。




 蘇る度に、思い出を失う。


 小学生の頃、不死身の体を過信して無茶した末に学んだことだ。

 日本語や一般常識といった基本的なことを忘れることはない。

 奪われるのは、何気ない日常の記憶。

 生活に支障をきたすほどではない。

 アルバムを見ても自分のことと思えなかったり、友人や家族が語る思い出話に覚えがなくて笑って誤魔化したり、そんな問題があるだけだ。

 それに、自他を問わず傷を治す程度ならば何ともない。

 なので、他の人と同じように気をつけてさえいればいいだけの話だ。

 むしろ、その程度の代償で生き返ることができるのだから、十分にチートな能力と言える。


 といった旨を、俺は彼女――弟切ネムに説明した。

 ……というか、こんなことまで出会ったばかりの彼女に話す必要は全くなかった。

 人生初の告白がもたらした羞恥による極限のテンパり状態が引き起こした、人生最大の失言である。

 無理な頼みだろうが、俺は気にしないでくれと彼女に言った。

 神に誓って断言するが、俺は失った思い出以上に大切なものを得ることができたのだから……。



 この日、俺はまた死んだ。



 この日、私はまた死ねませんでした。



 代わりに、俺はようやく大事な人を見つけた。



 代わりに、私はようやく生きる意味と理由を見つけました。



 初めて、俺に恋人ができた。



 初めて、私に恋人ができました。


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