mission0-16 決別と決意
「はぁっ、はぁ……はぁ……」
シアンに促されるまま、寝起きのノワールたちは慌てて道場を飛び出し、港の方に向かって走っていた。
「なぁ、急にどうしたんだよシアン! 逃げるって言ったって、どこに——」
ノワールの言葉の途中、背後についてきていたクレイジーが急に背中を強く押してきた。転がるようにして地面に倒れる一行。その頭のすぐ上を何かが風を切って飛んでいく音がした。銃弾だ。
「裏切り者は海へ向かっている! 黒髪の少年以外は生死を問わない! 何としてでも止めるのだ!」
男の声がしたと同時に、村の家々の影からランプを掲げた軍人らしき男たちがぞろぞろと出てくる。
「あれはガルダストリア軍、リゲルの部隊だな」
ジョーヌが軍人たちの顔ぶれを見て呟く。それを聞いたシアンは自嘲するかのように笑った。
「なるほど、はじめっから全然信用されてなかったってわけね……!」
軍人の他にも、すでに寝静まっていたはずの村人たちが家から出てきて、それぞれの手に武器の代わりになるような棒切れや漁に使う銛を抱えている。
「見損なったぞ!」
「ココット村の恥さらしめ!」
「今までの恩をあだで返すとは!」
村人たちは口々にシアンを蔑み、小石を投げつけてきた。シアンはノワールたちを庇うようにして立ち上がり、投げつけられた小石を一身に受ける。
「どうしちゃったんだよ、村の人たち……シアン、何かしたのか?」
ノワールの問いに、シアンはぎゅっと唇を噛み締め、小さな声で言った。
「ごめん、みんな。後でちゃんと話すから。まずは海に逃げよう。私たちの居場所は……ガルダストリアにはもうないの」
ノワールたちはなんとか追っ手を振り切り、ココット村の港までたどり着いた。
道場から港までの間、待ち伏せしていた兵士たちに何度か襲われたが、クレイジーが味方についていたのが幸いだった。兵士たちはノワールたちの中に飛び道具を扱える人間がいることは想定していなかったようで、暗闇にまぎれて飛んでくるナイフの脅威に部隊の統率を乱していた。
「やれやれ……一応すでに恩返しはした手前、キミたちを助ける理由はないんだけどサ。ガルダストリア軍の手にかかって死ぬのだけはごめんだから、ね」
クレイジーは飄々とした様子でそう言った。あれだけひどい怪我を負っていたのに、すでに戦える状態まで回復しているという事実は空恐ろしいものであったが、今は一時的だとしても共に戦ってくれることが心強い。
港に着いてすぐ、ノワールはポセイドンの神石に念じて仲間のシャチを呼び出した。
“おいおい、こんな夜中に何だってんだよ”
シャチは文句を言ったが、ノワールたちのすぐ後ろに追っ手が迫っているのを見て状況を理解したらしい。
“事情は分かんねぇけど、余裕はなさそうだな。とりあえず俺の背中に乗れ! 沖の方まで一気に連れてってやる”
ノワールたちは海に飛び込み、シャチの背びれを掴んだ。船よりも速いスピードでぐんぐん港から離れていく。村人たちから飛び交う罵声もだんだん小さくなっていく。
“しっかり掴まっていろよ! 加減はできないからな!”
シャチに連れられ、ノワールたちは沖の岩礁にたどり着いていた。一年前にノワールが海で生きていくことを決めた場所だ。この辺りは漁船も軍艦もあまり通らない海域なのである。
ノワールたちは岩礁に上がり、海水でびしょ濡れの服を絞る。ここは潮風を遮るものが一つもない。容赦なく潮風が吹きつけて髪も身体も乾かしていく。息ひとつ吸うと、身体の中まで潮風で満たされていくような感じがした。
「そろそろ話してもらおうか、シアンちゃん。一体何があった?」
ジョーヌが尋ねると、シアンはぽつりぽつりと話し始める。
「宰相リゲルが、私を雇おうとしたの」
そして村長の家で何を言われたのかをありのままに伝えた。
「リゲルめ、少女相手に卑劣な……!」
「ううん、私も悪いの。正直……あなたたちと一緒に逃げることに迷いがなかったって言ったら嘘になっちゃうから。だけど、リゲルに大金を見せられて……やっと分かったんだ。私が今までジョーヌやノワールと一緒にいたのは、お金のためじゃなかったってこと」
シアンは顔を上げてノワールたちの顔を見る。
「ただ単純に楽しかったの。あんたたちといられる時間は、ひとりぼっちじゃなかった。それに、あんたたちは私のことをボディガードとしてじゃなくて、ひとりの人間として見てくれていた。誰かを守るために生きてきたけど、誰かに守ってもらえたのは初めてだった。それが、すっごく嬉しかったの」
彼女の頬は少しだけ赤く染まっているように見えた。それを隠すように下を向くと、肩を落として普段の彼女らしからぬか細い声で呟いた。
「……だから一年前は余計に寂しかった。ノワール一人で抱え込んじゃってさ、頼りにしてくれないんだって悲しい気持ちになった。一緒にいて楽しかったのは私だけなのかなって、そう思って……笑って見送ることができなかった」
「違う、俺だって楽しかったよ。できることならあのままココット村でのんびりしていたかった……けど、俺のそばにいたら二人はまた危険な目に」
ノワールの言葉の途中、シアンは首を横に振ってそれを遮る。
「うん、わかってる。きっと色んなことを考えた上で、あの選択を取ったんでしょう? だったら……一年遅れちゃったけど、私も同じくらいの覚悟の上で選択しないといけないと思ったの」
シアンの言葉に迷いはなかった。
彼女はすっとノワールの目の前で片膝をつくと、戸惑うノワールにはお構いなしに彼に向かって右手を差し出した。
「ノワール、私をあなたの護衛として雇ってください。お金は要りません。代わりに、私がピンチになったときは助けてほしい。そうしたらずっとそばにいて助け合える。あなたが抱える運命も、一緒に背負っていけるから」
差し出した手を、握り返してくれるのを待つ。
自分の言葉が頭の中で何度も響く。改めて考えるとかなり思い切ったことを言ってしまっているのではないか。まるで、プロポーズのような。
そう思うと恥ずかしくなってきて、シアンの顔は湯気が吹き出そうなくらい赤く熱くなっていく。案の定横で聞いていたジョーヌとクレイジーはにやにやと笑みを浮かべて言った。
「シアンちゃん、それは……ずいぶん大胆というか……」
「愛、だねェ」
「が、外野は黙ってて!!」
シアンはぶんぶんと腕を振ってジョーヌとクレイジーを遠ざける。ノワールだけが深刻な表情をして言った。
「……シアン、君がそう言ってくれて俺は嬉しいよ。けど、本当にそれでいいのか? シアンには帰る家も故郷もあるじゃないか。それなのに……」
「いいの。私、形に縛られすぎていたんだと思う。あの場所を守り続けることで、大切な人たちがいつか帰ってくるような気がしていたけど……そんなはずなかった。もういなくなってしまった人たちは帰ってこない。だから、新しく見つけた大切な人たちのことは手放しちゃいけない。それに……父さんや母さんも、きっとそうしたと思うから」
ノワールはその言葉に、以前シアンから聞いた彼女の両親の話を思い浮かべる。
シアンの両親はガルダストリアの宰相だった時のジョーヌのボディガードを務めていて、ジョーヌの乗っていた船が海難事故にあった時に、自分たちの身を賭してジョーヌを守ったのだという。
ジョーヌは娘が生きて行くこれからの時代を平和に導くことのできる人物だから、何としてでも生かさなければいけない……そんな言葉を残して。
自分が守りたい人たちのために生きる、それが代々ボディガードを生業とする一族の誇りなのだとシアンは言った。そう語った彼女はどこか寂しげだった。きっと本音は、見知らぬ他人を救うために両親が亡くなってしまったことが辛かったに違いない。
だが、今のシアンの瞳には、もう悲しみや孤独は映っていなかった。
きっと吹っ切れたのだろう。様々な葛藤があった上で、彼女自身が納得いく道を見出したから。
だとすれば、ノワールがやるべきことは決まっていた。
ノワールはシアンの右手を手に取り、彼女を立ち上がらせる。
ガルダストリアで一緒に逃げた時に、いつも強気な彼女の手がこんなにも小さいものだったのかと驚いたことを思い出す。
人は意外と脆い。
脆いのに、傷つけあい、奪いあい、騙しあう。
ノワールは、自分の神石があるせいで争いが起こっているのだと思っていた。
だがそれは過信だった。
ポセイドンの神石が人間社会から消えたとしても、人同士が争いたがる性分であることに変わりはない。今度は別のものに目移りして、また争いが始まる。
「俺も、考えていたことがあるんだ」
ノワールはジョーヌとシアン、そしてクレイジーの顔を見る。
「俺が一年前に選んだことは……もしかしたら、ただの逃避だったのかもしれない」
ノワールは言葉を続ける。
「この一年間いろんなものを見てきた……戦争が近づくにつれて海がどんどん汚れて、海で死ぬ人も増えて、あんなに優しかったココット村の人たちは血相を変えて俺たちを追いかけてきた。結局俺が選んだのは、大事な人たちを守ることなんかじゃない。自分を守る代わりに、他の人たちがどうなっても知らないふりをするって選択肢だったんだ」
ノワールは首から下げていたネックレスを外し、それを掲げる。淡いグレーの石が小さな光をたたえてノワールたちの足元を照らす。
「俺、戦うよ。最初で最後の戦いだ。もう二度と、大事な海と大事な人たちが争いに巻き込まれないように……俺は、海の平和を守る力を手に入れる。ポセイドンの神石を覚醒させるんだ」
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