mission0-14 裏切りのクレイジー



 仮面の青年は目を覚ますなり、ベッドからガバッと飛び起きた。そして袖口を探る。だがそこに何もないことに気づき、彼はだらりと力なく腕を下げた。


「ナイフがあったら俺たちを殺すつもりだったのか」


 ノワールは彼を海から引き上げて服を着替えさせた時に回収したナイフの束を見せる。


 仮面の青年はゆっくりと顔を上げ、首を横に振った。


「……よく考えたら、その必要はもう無いんだった」


 そうして、ぼふんと背からベッドに身体を倒し、呆然と天井を眺めている。


「まだ身体が痛むんじゃないか? 全身ひどい傷だった。すぐには動かないほうがいい」


「そうだろうねェ……だってボクはもう死んだと思っていたんだ」


 少年は気だるげに身体を横に向け、ベッドの側で看病していたノワールに視線を向ける。


「キミ、ノワールとか言ったっけ。なぜボクを助けた……? ボクはキミの命を狙っていたのに」


「お前が死んだら困る人がいるかもしれない、そう思っただけだよ」


 ノワールはそう言って彼の持ち物であるロケットを見せる。


 すると少年は乾いた笑い声をあげ、ノワールの手からそれを奪い取った。


「ハハ、それは無駄なことをしたね。ボクが死んで困る人間なんて誰一人いないよ。帰る場所はもう無い……生きている理由もないんだ」


 そう言ってロケットを高く掲げると、床に向かって思い切り叩きつけた。ロケットが金属音を立てて割れ、中に描かれていた幼子の顔の絵はばらばらに散ってしまった。仮面の青年は身体を震わせて狂ったように笑っている。


「いったい何があった? 君は仮面舞踏会ヴェル・ムスケに所属していたんじゃないのか」


 ジョーヌが尋ねても彼は何も語らなかった。ただ笑うのをやめ、口をつぐんで黙っているだけ。


「なら……名前、何て言うんだ? 俺らだけ知られてるってのもなんか不公平だろ。それくらい教えてくれよ」


 ノワールがそう言うと、彼はふっと笑う。


「……名前なんてとっくの昔に捨てちゃったよ。仮面舞踏会でのコードネームは”クレイジー”。呼ぶならそう呼んでくれ。もはやそれも、今のボクには相応しくない名前だけど」






 クレイジーは全身にひどい傷を負っていたが、ノワールたちが大した治療をしてやらなくてもみるみるうちに回復していった。クレイジー自身が呪術と薬草の力を使って自分で治療してしまったのだ。仮面舞踏会の筆頭を務めていた彼は、単身で敵地への潜入任務を担うことも多く、何かあった時のための治癒術の心得があるのだという。


 一週間後。クレイジーは自力で立って歩くまで回復していた。彼の持ち物はナイフも含めて全て返したが、本人が言っていた通りノワールたちの命を再び狙うようなことはなかった。


「キミたちを狙っていたのは、それがジグラル王子の命令だったからサ。だけど今のボクは祖国を裏切り、仮面舞踏会から追われる身。自分の身を守るのに精一杯で、キミたちにはもう興味がない。安心してくれよ」


 ノワールとジョーヌはすっかり彼に気を許し始めていたが、シアンだけは警戒心を解かなかった。


「そんなこと言って、私たちを油断させてから襲うつもりじゃないでしょうね……! 少しでもそのそぶりを見せたら、次は二度と起きれない身体にしてやるわよ」


 食ってかかるシアンに、クレイジーはやれやれと肩をすくめた。


「わかった、わかった。じゃあもう少し傷が癒えたらすぐにここを出て行くよ。だけど、不本意ながらせっかく助けてもらったんだ、礼の一つくらいさせてよ」


「別に礼なんて」


 ノワールは断ろうとしたが、クレイジーはお構いなしに彼の荷物の中から木筒を取り出した。筒状になっているが、二つに分かれて開くようなものでもなく、何の目的に使うものなのかノワールにはさっぱり分からなかったものだ。


 クレイジーは木筒の中央部に指を這わす。どうやら木目に紛れてリング状の切れ目が入っているようだ。彼はそれを回し、表面の装飾だと思っていた木組みを器用に組み換えていく。


 やがてカチッと何かがはまる音がして、クレイジーは筒の上半分に手をかけた。ノワールがどれだけいじってみてもびくともしなかった筒があっさりと開き、中から丸められた紙が現れた。


「これは……!」


「機密文書サ。仮面舞踏会が傍受した、ナスカ=エラとガルダストリアとの間でやりとりされていた通信のコピーだよ」


 クレイジーが広げたその紙に書かれた内容を見て、真っ先に声をあげたのはジョーヌだった。


「そんな……大巫女マグダラ様が……!?」


 そこにはこう書かれている。




—————————————————

大巫女マグダラ、病ニ伏ス。

モハヤ、二国間ノ争イニ異ヲ唱エル者ナシ。

—————————————————




 つまり、開戦に対する一番の抑止力がなくなり、二国間大戦がいよいよ始まるということ。


「こんな話聞いていないぞ! マグダラ様は今まで倒れるような病にかかったことなどなかったはずなのに!」


 普段冷静なジョーヌが珍しく声を荒げていた。ノワールとシアンは思わず身をすくめる。クレイジーだけがけらけらと気楽な様子で笑っていた。


「そりゃそうだろうねェ。このことは極秘扱いで、まだ公表されていないんだから。だけど、両国のトップはすでに情報を掴んで動き出している。そもそも病っていうのも、ガルダストリア側の陰謀なんじゃないかって噂もあるしね」


「馬鹿な……リゲルや陛下は一体何を考えている……!?」


「そして、このことはキミたちにとっても他人事じゃないはずだ」


 突然クレイジーに指をさされ、ノワールはきょとんと首をかしげる。


「俺たちにとっても……?」


「そう。ガルダストリアは一年前と状況が変わってきているんだよ。傭兵団ヴァルトロのトップが急速に力をつけてきて、王の信頼が宰相リゲルから傾き始めてる。……つまり、リゲルはとっても焦っている、ってわけ。もう一度王からの信頼を取り戻すために躍起になるはずだ。君の持つ神石のことも、一年前の時以上に必死になって探しているらしいよ?」


 そしてクレイジーはシアンの方をちらりと見る。シアンははっとしたような表情を浮かべて目をそらした。クレイジーはその反応を楽しむかのように、にぃっと紫色の唇の口角を吊り上げる。


「ここも田舎とはいえガルダストリア領内。ノワール、油断しないほうがいいよ。いつ誰が制海権を狙って襲ってくるかわからないんだからねェ」



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