mission0-13 開戦の兆し



——それから、一年後。


 再びシャチたちとの海の生活に戻ったノワールは、いつも通り幼馴染のシャチと共に狩りに出ていた。


 だが、以前と違う点がある。


 それは、近頃の海はやけに「死」が漂っているということだった。


 ぼろぼろの人の死体、毒物を飲み込んだ海の生き物たちの死骸、撃ち落とされた海鳥の死骸。


“うへぇ、また水死体だ。ぶくぶく膨らんでて、俺苦手なんだよなぁ……”


 連れのシャチが文句を言うのを黙って横で聞きながら、ノワールは銛を使って沈みかけていたその死体を引き揚げる。近隣の陸地に埋葬してやるためだ。


 他のシャチの情報によると、最近スヴェルト大陸——ガルダストリア、ルーフェイの二大国に挟まれる場所に位置する大陸だ——の周辺で軍艦の砲撃が行われているらしい。


 兵器や軍艦の排出するオイルや鉄くずによって海は生き物たちが住めるような場所ではなくなり、少し距離の離れたここ・ガルダストリア近海でも避難してきた外来種によって生態系が乱れ始めている。


 ここ最近、ノワールは首にぶら下げたポセイドンの神石を眺めてはしきりに問いかけていた。


 今の海は平和と言える状態なのだろうか、と。


 ポセイドンの神石を持った自分が姿を隠すことで、海の平和は保たれるものだと思っていた。


 アンフィトリテの一族はそうして代々密かに過ごしてきたはずだ。


 だがノワールやシャチたちの知らないところで人間たちが争いを始め、その影響が海にも現れ始めている。


(俺が一年前に選んだことは……間違っていたのか……?)


 何度問いかけても答えは返ってこない。


 答えの代わりに、少し沖の方まで出ていたシャチが鳴く声が聞こえた。


“おい! こっちに生きている人間がいるぞ!”


“!?”


 ノワールはすぐさま泳いでそのシャチがいる場所まで駆けつけた。そこには木の板に捕まった状態で意識を失っている人間がいた。自分と同じ年頃の青年だ。全身傷だらけで衣服は真っ赤に染まっているが、確かに微かな呼吸の音が聞こえる。


 その服装に見覚えがあったノワールは、彼の肩を揺さぶり顔を上げさせた。一部割れているものの見間違えるはずがない、鼻より上を覆う派手な陶器の仮面。ガルダストリアの酒場で自分たちを襲ってきた、仮面舞踏会ヴェル・ムスケの青年だ。


“どうしてこいつがここに……”


“なんだ、知り合いか?”


“知り合いって言うのかな……説明が難しいけど”


“迷っている暇はないぞ、ノワール。こいつ、だいぶ海水を飲み込んでるし出血もひどい。助けるならすぐに手当てしないと”


 シャチに急かされ、ノワールは唸った。


 彼は一度自分たちの命を狙いにきた刺客だ。ここで助けてやる義理はない。それにもし彼が目覚めたとして、その時一体どんな反応をするだろう。ためらいもなく人を殺す彼のことだ。命の恩人だろうと容赦しないのは目に見えている。


 だが、目の前で助かる可能性のある人間を見殺しにするなど……。


 その時、ノワールはふと彼の開けた襟元に金属のチェーンのようなものを見つけた。以前会った時には身につけていただろうか。もしかしたら服の中に隠していたのかもしれない。


 海水に揺られ、チェーンが服の中からこぼれ出る。チェーンの先端にはロケットが取り付けられていた。ロケットの中には幼い子どもの絵が描かれている。


「……ル……さ、ま……」


 かすれた声のうわ言が聞こえて、ノワールははっとした。


 彼がどんな人間なのかは全く知らない。


 だが、きっと彼が死んでしまったら困る人がいるはずだ。それはもしかしたらこのロケットの絵の子どもかもしれないし、彼が名前を呟こうとした誰かなのかもしれない。


 その人たちを悲しませる権利が自分にあるか?


 あるはずがない。


“……ここからだとココット村が近い。そこまで運んで手当てしてもらおう”






「シアン! シアンはいるか!?」


 海から上がり、ノワールは仮面の青年を背負ってかつて居候させてもらっていたシアンの家の扉を叩いていた。


 しばらくして家の中をドタバタと走る音が聞こえてきて、勢いよく扉が開いた。


「ノワール!? 一体どのツラ下げて——ていうか服!! しかもその背中のってもしかして……!?」


 言葉を失うシアンの後ろから、ジョーヌが顔を出してにっこりと微笑んだ。


「久しぶりだな、ノワール。とりあえず中に入りなさい。それと、今後シアンちゃんと会う時はちゃんと服を着るようにな」


「あ……」


 そう言われて初めてノワールは自分の格好に気づく。海の生活に洋服は邪魔なだけなので、しばらく着ていなかったのだ。「ごめん」と謝ろうとした時にはすでに遅し、シアンの鉄拳が頬に向かって飛んできていた。






 シアンの家はかつて道場であっただけに広く、空き部屋もいくつかあったので、以前ノワールが寝泊まりしていた部屋で仮面の青年の手当てをすることになった。


 彼を助けたことについてシアンはぶつぶつと文句を言い続けていたが、ジョーヌはノワールを責めることはしなかった。


「君は優しい子だからな。彼もきっと感謝するだろうよ」


 一方、シアンは薬や包帯の入った箱を乱雑に置くと、口を尖らせて言った。


「そんな甘いことを……意識が戻った時に襲われても知らないから!」


 彼女は「用は済んだ」と言わんばかりに、ぴしゃりと扉を閉めて部屋から出て行ってしまった。


「……シアン、機嫌が悪いな」


「照れ隠しだよ。本当は君にもう一度会えて嬉しいんだ」


「そうは見えないけど……?」


 ノワールは腑に落ちなかったが、ジョーヌはからかうように笑うだけだった。


「そう言えば、反戦活動の方はどう? 上手くいってる?」


「いや、むしろ逆だな。ここ最近は開戦の機運が高まっている。ついにガルダストリアの港では海外からの入港規制が行われ、この村を海防拠点にするって話もあるらしい」


「それでか……さっき村の中を通った時、以前と比べて雰囲気が違う気がしたんだ」


「戦争など全く関心がなかったこの村の人々も、軍の開発資金が出るかもしれないとなると浮き足立ってしまってね。そろそろ私がここで身を隠しているのも限界だ。別の場所に拠点を移そうかとシアンちゃんに話していたところだったんだよ。だから、その前に君ともう一度会えてよかった」


 ジョーヌはそう言ってノワールの頭を撫でた。


 きっとジョーヌは本心からそう思ってくれているのだろう。だがノワールは罪悪感を覚えてうつむく。もしノワールが海に戻らずジョーヌの手助けをしていれば、今頃はどうなっていたのだろうか。


「……ジョーヌ、あのさ」


「ん?」


「俺が一年前に選んだことって……」




 正しかったの?




 尋ねようとする前に、ベッドの上で横になっていた仮面の青年がうめき声を上げてうっすらと目を開けた。


「ここは……?」



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