天使と悪魔の唄

社宗佑

side A:こんなにもうつくしい世界で

track 1

 

 とても心地のよい夢だ。

 まるで羊水のなかででもゆったりとくつろいでいるよう。

 

 薄い陽射しはやわらかく皮膚を撫で、風はそよと吹き静かに頬をくすぐって。

 遠くからは子どもたちの唱歌がぼんやりと聞こえている。

 それらすべてが霊妙に混じり合って、世界にあたかも賢治童話のような幻想性を灯らせる。

 

 やさしい、瞬間だ。

 

 そのなかでぼくらは共に笑い、益体もなくはしゃいでいる。

 心を暖かい感情でなみなみと満たし、陶然とした甘い悦びに身悶えしそうになりながら。

 

 ――そうして、ぼくは見慣れた光景のなかを名前すら忘れた誰かと歩いている。


 夢から醒めると、ぼくはまた涙を流していた。

 

 いつものことだった。

 夢見ているときは幸福なのに、目覚めとともに堪らなく哀しくなる。

 生きていることが億劫になる。

 ばかばかしくなる。

 人間ぶるのはもう止せよ。どうせすべてはつまらぬ絵空事に過ぎないのだから。

 そんな浅はかな諦めが心をすぐにも満たそうとする。

 降りしきる雨は、いっそうそれに追い討ちを掛ける。

 シトシトと、終わりのない雨が外界のすべてを嬲るように蹂躙し続ける。

 屋根から落下する雫の破砕音はいかにも無様で、思わず乾いた笑いが込み上げる。

 

 ますます、心は光から遠退いてゆく。

 

 だがそれもまた、いつもの予定調和に過ぎない。

 

 ぼくは日々のルーティーンをさらに積み重ねるため、ステレオのスイッチを入れる。1972年に英国で発表された、とあるカルト・ミュージシャンのアルバムがスピーカーから流れる。ジクジクと血が滲み出たようにささくれて、それでいて清水のように澄んだ音色が空間を満たしていく。

 この生々しい感触が今のぼくには心地よく、なにかまだ光を信じていてもよいのだと思わせてくれる。人をして、死にたくなると言わしめるような憂鬱で独白的な作品ではあるけれど。

 

 ベッドに寝そべったままでしばらく音楽に身を委ね、気分がほんの少し切り替わってからぼくは身支度を始める。顔を洗い、歯を磨き、制服に着替える。

 朝食は取らない。抜かりなく荷物のチェックを済ませてから家を出る。近頃物忘れが酷いから。

 ――学校へ向かえば、彼女たちに会うことができる。

 そう思えば自然と心は弾む。彼女たちは今のぼくにも光を見させてくれる。大切な友人たちだと言える。はずなんだ。きっと。

 

 こうしてぼくは今日も降りしきる雨の下へ出かける。仲間たちとの触れ合いで、心を満たすために。

 

 

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