聖騎士が消えた日 聖騎士を探す日

聖騎士が消えた日 聖騎士を探す日

「――本当に、わざわざありがとうございます」


 上品な、しかしくたびれた様子の中年女性が、ひとりの女を家へ招き入れた。


「ごめんなさい、突然で」

「いえ、娘も喜びますわ」


 靴箱の上に花。入ってすぐに大きな風景画。この家の経済状況が窺える。

 婦人に案内されつつ、赤い瞳の女は落ち着かなさげに周囲を見回していた。


「仁菜。先輩がいらっしゃったわよ」


 婦人が引き戸を開けた途端、ふわりと線香の匂い。

 そこは仏間であった。畳の上に小さな祭壇、位牌、いくらかの供え物、そして大きな故人の写真。

 ……故人。聖マリベル学院の制服を着、眼鏡をかけた、ショートボブの少女。

 合成臭い空の背景の前で、幸せそうに微笑んでいる。


「お線香、あげても」

「どうぞ、お願いいたします」


 祭壇の前の座布団に、赤い瞳の女は正座した。

 供え物の饅頭を脇に置き、その上に香典を置く。表面には『亀井奈々子』と偽名。

 線香をあげりんを鳴らすと、チーンと高い音が部屋へ染み渡る。

 静かに手を合わせ、一礼。


 イメージしていたより、ずっと地味な娘だ。

 眼鏡も野暮ったく、髪型も無難で、化粧が落ちたように目鼻立ちも違う。

 これがあのスイートクッキー。真の名を、大迫仁菜。


 赤い瞳の女。セブンポットは。枠の中の少女をじっと睨んだ。

 平凡だ、あまりにも平凡だ。心の中で、何度もそう繰り返しながら。




「ワタシも良くなかったわよね、セブンポット」


 大迫仁菜の家に行き、交友関係を調べる。

 この仕事をセブンポットに任せたのは、キャロライナであった。


「アナタ達の仕事を退屈なものにしたのは、確かにワタシの責任でもあるわ」

「え゛、え゛ぁ……」


 実に申し訳なさそうな顔で、キャロライナは語り掛けた。

 暗黒の空間で、赤黒い杭で空中に磔にされたセブンポットへ向けて。


「退屈な仕事続きじゃ、ついついサボリ心が出るのも無理ないわ」

「え゛ぁ、あ゛ぉ」

「サボりたいと思う気持ちは間違ってないわ。でも、実際にサボるのは?」

「お゛えぇあ゛ぁい」


 裸に剥かれたセブンポットは、両手足首を赤黒い魔導杭で貫かれ『大』の字にされている。その上、舌、顎、喉を貫く形で太い杭がもう一本。


「悪い子誰ですか?」

「けぷっ、お゛えぇあ゛ぁい」

「悪い子誰ですか?」

「あ゛っ、あ゛ぁひい」

「んふっ、もっとハッキリ? 悪い子誰ですか?」

「あ゛はひえ゛ぅっ、あ゛ばぃえ゛ふぅ、お゛えぇあ゛ぁい」


 戦士が傷で死ぬことはないが、それは痛みを感じないということを意味しない。

 真性のサディストが魔導エネルギーで作ったこの杭は、貫いた傷口に唐辛子を塗るような刺激を与え続けている。


「もうしませんか?」

「ひぁへん、ひぁへんっ」

「偉い子ね、信じるわ、セブンポット」


 キャロライナが指を鳴らすと、杭が一斉に消滅。セブンポットは地に崩れ落ちた。

 同時に空間が崩壊し、そこはセブンポットの部屋に戻った。


「ごめんなさいねセブンポット。叱るワタシも苦しいのよ」


 糸の切れた人形めいて抵抗できないセブンポットを抱きしめ、キャロライナは繰り返し頬ずりした。

 傷はみるみるうちに塞がってゆく。とはいえ精神的消耗は凄まじい。これは誰も逆らえないはずだと、ぼんやりした頭でセブンポットは考えた。


「でも、アナタには重要な使命を任せたいのよ。計画を新たな段階に進める為のね」

「……新たな、段階?」


 弱々しく問うたセブンポットを、キャロライナはベッドへと抱えてゆく。


「そうよ。炉は完成し、祭壇は築かれ、星辰は正しき位置に戻る。復讐は必ず成されるわ。大切なモノを奪った、この世界へのね」


 何を言っているのか、今のセブンポットではよく分からない。

 それを見透かしたように、キャロライナはセブンポットをベッドに寝かせ、子供をあやすように頭を撫でる。


「気にしなくていいわ。そう遠くない未来、アナタの望みは達せられる。地味な仕事が多いかもしれないけど、必ず意味はあるわ。流れていくお菓子よりも、ずっと」

「……嫌なこと思い出させないでよ」


 虚ろな白い部屋、ベルトコンベアの記憶が去来する。キャロライナはセブンポットの左手を握った。


「ずっと側にいてね、セブンポット……復讐が成されるその日まで」


 拷問狂と同一人物は思えぬ慈悲深く、憂いを帯びた顔で。キャロライナは囁いた。


 どれが本物の顔なのか。

 そんなことはどうでもいい。ただ復讐さえ成されるなら。


 キャロライナの唇を、セブンポットはその体に受け入れた。




「この度は……その、お悔やみ申し上げます」


 ……その数日後に任された仕事が、これだ。


「いえ、まだ実感が湧かなくて……娘が粉々になって帰って来て、しかも正義のヒロインだった、なんて」


 大迫仁菜の生前の知り合いの振りをし、元聖騎士としての観点を活かしつつ、彼女の交友関係を探る。


 ……無理があり過ぎる。


 長い工場生活で対人スキルを欠落させているというのに、赤の他人と親しかった振りをせねばならないとは。


「生前は娘がご迷惑をおかけしたみたいで」

「い、いえ」


 大迫夫人は、セブンポットを聖マリベル学院OGだと思っている。

 卒業生による進路相談会で仁菜と知り合い、その後も度々相談に乗っていた。それがキャロライナの与えたロールである。


「あの子、将来は大学教授になりたいって言ってたんです」

「ああ、その、聞きました。言ってましたね」


 セブンポットは適当に話を合わせるしかない。


「どうでしたか、亀井さんからご覧になって」

「えっ」

「娘は……仁菜は、なれそうだと思われましたか。大学教授」


 ……困った質問だ。

 セブンポットは仁菜について、スイートクッキーとして戦う姿しか知らない。それが大学教授になれるかどうか? 知ったことか。だが、何か答えねば怪しまれよう。


「……そう、ですね。仁菜さんは」


 セブンポットは、二度の交戦から受けた彼女の印象をなんとか手繰り寄せた。


「少々、行動に躊躇が多いというか、殻を破り切れない部分がありました。やるべきことが分かっていても、少々腰が重いというか」


 セブンポットの見た限り、クッキーはパンケーキに後れを取る場面が多かった。

 考え無しに突っ込むのは愚かだが、アレコレと考えた結果動けないのは論外。基本的な動きはできても、こちらの驚くような常識外の行動はあまり見られない。

 いかにも優等生だが、創造性に欠ける。それがセブンポットの印象だった。


「ああ……その、でも」


 母親の顔を見、セブンポットは慌てて付け足す。


「一度決心すれば、なりふり構わないというか。変に気取らなくて、根性があって。それに、学んだことを活かしたり応用するのは得意だったと思います。あと……友達思いですし」


 クッキーは、小さな体ながらパワーが尖っていた。エンジンがかかってからの動きには迷いがなく、ガッツもある。泥臭いサポートめいた役回りにも躊躇が無く、パンケーキへの信頼の厚さが随所で窺えた。


 ……だからこそ、パンケーキの為に死んだのだろう。

 友を助ける為、勝てない相手に真っ直ぐ挑み、砕け散るまで抵抗を止めなかった。

 伝聞でしかないが、その死に様は生前の印象とそう噛み合わぬものではない。

 その愚かな勇気が無ければ、こんな最期だけは避けられただろうに。


「……あの、つまり」


 結論を出さねばならない雰囲気を察し、セブンポットは意識を現実に引き戻した。


「正しく学んで成長すれば……恐らく、叶えられたと思います。夢を」

「そうでしたか」


 大迫夫人は、寂しげに微笑んだ。


「あの子、昔から我が強くて、周りの子とよく喧嘩してたんです。口論の末に男の子を殴ったりして……そのくせ本の虫で、友達が全然いなくて」


 セブンポットは何も言わず、大迫夫人の言葉を正座のまま聞くのみだった。


「家でも本の話ばっかりで……ずっと心配してました。甘寧ちゃんと出会うまでは」


 ……友人の名か。

 セブンポットは視線を上げ、大迫夫人の顔を見た。


「アマネ、さん」

「ええ、ご存知ですか? 佐藤甘寧さん。小学校二年生だったかしら、それからずっと同じクラスで」


 話を聞く限り、仁菜に親しい友人はそう多くないらしい。その数少ない友人となれば、注目せねばならないだろう。セブンポットは息を飲み、話に耳を傾ける。


「いつも本読んでばっかりのあの子に、甘寧ちゃんは話しかけてくれたみたいなんです。どんな本読んでるのって。それからあの子の本を一緒に読んだり、逆にあの子を連れ出して遊びに行ってくれたり」


 セブンポットの脳裏に、映像が浮かんだ。

 地味な眼鏡の娘が、がやがやとうるさい教室の隅で本を読んでいる。無視されても、陰口を叩かれても、彼女はそちらに関わろうとしない。

 そんな彼女の元に、ひとりの少女が駆けてくる。スイートパンケーキが。


(仁菜ちゃん)

(甘寧)


 仁菜の顔に光が差し込む。彼女は本を閉じ、パンケーキと語らい出す。日の当たる春の教室、どこかで見た、どこにでもいる友人同士のように。


「あの、お顔色が」


 セブンポットはハッと我に返った。大迫夫人が心配げに顔を覗き込んでいる。


「……すみません、何でも……続けてください」

「はぁ……とにかく、家で本以外の話が聞けて。本当に嬉しかったんです。東堂町の子って聞いて、最初は少し心配だったんですけど……お通夜の時もお葬式の時も、ずっと棺の隣にいてくれて」


 大迫夫人の目に、じんわりと涙が浮かぶ。


「ごめんなさいね……本当に、なんであの子がスイートパラディンになんか。体育も苦手だし、そんなガラじゃなかったのに」


 小柄な中年女性は涙を拭い、笑顔を繕い直そうとする。


「やっぱり、甘寧ちゃんの影響かしらね。うっかり屋だけど困った人を放っておけない、優しい子なんだって聞きました。本にしか興味の無いあの子も……困った人を救いたいって。そう思ったんでしょうかね」


 それでも、溢れ出る涙は止まりはしない。


「でも、だからって……自分の命より救わなきゃいけないものなんてありますか。困った人を助けたいっていうなら、私達だって困ってるんですよ。今すぐ助けてくれなきゃ嘘ですよ……身勝手なようですけど。私は正義の味方なんかより……学者になった、あの子を……」


 ……セブンポットは正座の姿勢を崩さず、泣き崩れた大迫夫人の後頭部を見つめていた。大迫夫人が落ち着くまで、ずっとずっとそうしていた。


「……ごめんなさいね、みっともない所お見せして」


 やがて大迫夫人は顔を上げ、そして、再び深々と頭を下げた。


「亀井さん。娘のことを本当にありがとうございました。良い先輩を持って、娘も本当に幸せだったと思います」


「……


 誰にも聞こえぬような声で、セブンポットはいつの間にか呟いていた。

 彼女が誰に何を謝ったのか。

 それは誰にも分らない。恐らくは、本人にさえも。




 香典返しの袋を持たされ、大迫夫人に見送りを背中に受けつつ。夕暮れの中、セブンポットは帰路に就く。


 不幸の連鎖。セブンポットはキャロライナの言葉を思い出していた。

 あの家族の悲しみは、薄らいでも消え去りはしないだろう。

 近隣住民、マスコミ、関係ない多数の人々が、外から囃し立てるだろう。

 その対応に追われ、家族はこれからも心を削り続けるだろう。


 二十三年前も、きっと同じ悲劇がどこにでもあった。

 目の前の敵に、使命感に、高揚感に精一杯な自分の、どこまでも狭い視野の外で。

 プリッキーが、スコヴィランが戦う度に、大迫夫人が何人も生まれていた。

 そして今も。セブンポットが闇の種を生むたび、何度でも。


 嗚呼、それを目の当たりにしたセブンポットは。今。




 




 自分を踏みつけ顧みなかった者達が、今報いを受けている。それだけのことだ。

 これが自分の望みだ。だからこそこの道を選んだ。愉快に思うことこそあれど、胸を痛める必要などほんの少しでもあるものか。


「佐藤、甘寧」


 セブンポットはその名を呟く。

 もうひとりの聖騎士かもしれない、その少女の名を。


 嗚呼、スイートパンケーキ。

 この無為なる廃工場を救おうとする、愚かな娘。

 不遜な色を背負い、不遜な武器を振り回す、身の程を知らぬ娘。

 相棒のひとりすら救えぬ、弱き、弱き娘。


 彼女が何者か必ず付き止め、そして血祭りに上げねば。

 来たるべき復讐、その礎とするために。


 セブンポットの影は黄昏に溶け……そして、消えた。

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