ネロ・パニック!パンケーキの新しい力!!④

「……ん、もう戻ったとね」


 駐車場に舞い戻ったセブンポットが最初に見たのは、カイエンの顔だった。


「何、待ち伏せ? なんかキモいんだけど」

「自意識過剰も大概にせんね。たまたま外に出ただけたい」


 カイエンは呆れた顔で言った。


「で、どうやったとか」

「ああ、ガキ共? 確定でいいと思う、校内で変身してたから」

「フン。そんなら早く報告ばせんね」

「いや、少し時間置く。キャロライナが早過ぎるって怪しむかもだし」

「……まだ空が赤いと思ったら。プリッキーば置いて帰ってきたとね」


 カイエンが先輩面をして小言を吐き始めた。セブンポットは話半分に聞き流す。


「新人のくせにサボリばっかり覚えてから。プリッキーは火と同じとばい? 最後まで責任ば持たんと」

「はいはい……そういやアンタさ、何か話あるんでしょ?」

「むっ」


 セブンポットがふと思い出し切り出すと、カイエンは若干目を逸らした。


「丁度いいじゃん、今聞かせてよ」


 カイエンは数秒もごもごと口を動かし……やがて向き直った。


「……お前、キャロライナに随分気に入られとるごたぁばってん」

「まあ、一応セフレ的な」

「せっ……そげん具体的に言わんで良か」

「アンタ、ひょっとして童貞?」

「どげんでん良か、そげんこつ」


 まさか図星だったか。セブンポットがニヤついていると、カイエンは側にある柱へ寄りかかった。


「キャロライナから聞いとらんね、ジョロキア様のお考えば」


 カイエンの面持ちが、にわかに真剣になる。


「いや、別に……ってか逆に訊きたいんだけど。アタシ挨拶もしてないんだけど大丈夫なわけ? 会議で名前が出た瞬間のあの空気何?」


 セブンポットの疑問に、しかしカイエンは首を横に振っただけだった。


「……分かんないの?」

「ご復活以来、俺もネロもジョロキア様とお会いしちょらん。会っちょるのはキャロライナと、世話係のアナハイムだけたい」


 二十三年前に与えた傷はそれほどまでだったか。それとも。


「俺は、ジョロキア様のご命令なら何でもするたい」


 セブンポットの思考を遮るように、カイエンが続ける。


「それが戦士の使命たい。この世界ば滅ぼせっち言われたら滅ぼす。死ねっち言われたら死ぬ覚悟たい。ばってん」


 カイエンは、どこか遠くを見ているようだった。


「それでも俺は、ジョロキア様の見ちょる景色が見たか。全部滅ぼして、その先に何を築くつもりとか。俺は隣でそれを一緒に見て『納得』したか。俺は――」


 その時である! 遥か遠くから、ドゴォンと聞き覚えのある爆発音が轟いたのは!


 戦士達は同時に音の方向を見る。西の空に煙の柱。プリッキー作成に伴う爆発であろう。だが、一体誰があのプリッキーを?


 同時に、セブンポットの懐で何かが振動した。


 キャロライナに買い与えられた、セブンポットのスマートフォン。キャロライナから電話。セブンポットは嫌な予感と共に電話を取った。


「……もしもし?」

『セブンポット。今どこ?』


 ……駐車場、とは答えられまい。


「いや、現場だけど。何?」

『ジョロキア様のご体調が急激に悪化し始めたわ。何か魔導エネルギーを使い過ぎるようなことしてない? だったらすぐ止めてほしいんだけど』


 セブンポットの血の気が引いた。まさか、起きたのか。予想外の事態が。


「ま、待って。状況よく把握できてなくて。調べるから。後でかけ直す」

『セブンポット?』


 無理矢理通話を終わらせ、煙の柱を睨みつける。犯人はひとりしかいない。


「最悪……アイツ、勝手にプリッキーの二体目出しやがった!」


 よりによって、セブンポットが少しだけサボったその日に。余計なことを!


「アイツ止めなきゃ、アタシの立場がヤバイ」

「なんね、一体なんが――」

「ネロが暴走してんの! アンタも手伝って、ヒマでしょ!?」

「ま、待たんね!」


 セブンポットはアスファルトを蹴り、赤黒い風となって飛び出して行く。カイエンも慌てたように後を追った。


「あーもう、なんで空間転移って帰る方向にしかできないわけ!?」

「そら、転移の魔法はチェックポイントば設定して、そこに――」

「マジレス求めてないから! だから童貞なんだっての!」

「だぁ!?」


 激しい戦闘音が、この距離でも伝わってくる。これ以上何もしてくれるな。自分に責任が及ぶようなことを。

 赤い空が青に戻っても、依然として嫌な予感は消えはしない。それどころか、なおいっそう禍々しい魔導エネルギーの波動を感じる。


「いかんばい。これは――なっ、何ねアレは!?」


 カイエンが驚愕の声を上げる。聖マリベル学院の方角で、突如として光の柱が上がったからだ。


「分からんこつばっかりたい、一体何ね今日は!」


 セブンポットとカイエンは、体育館の屋根に立ち、グラウンドを見下ろす。

 そこには、にわかには信じがたい光景があった。


 ひび割れ、複数のクレーターの形成されたグラウンドに、ふたりの人影。

 片方は予想通りネロ、片方はスイートパンケーキ。それは分かる。


「らあぁあぁあッ!」

「ウガアァ!?」


 だが、何故。


「あぁ! あぁ! あぁあ!」

「アガァ、アッ、アオォッ!?」


 スイートパンケーキの手には、ある武器が握られていた。

 大きな泡立て器。その先端部で光の尾を描きながら、パンケーキはネロを繰り返し殴打している。

 あんな殺傷力の低そうな物体で殴られようと、普通はびくともしないはず。そうさせないのは、泡立て器から発される聖なる魔導エネルギーであった。


 バシュシュシュ!


 泡立て器がネロの肌へ触れる度、魔導エネルギーがほとばしる。それは一瞬にして彼の肌を焼き焦がし、重度の魔導火傷を作っていた。

 余程耐え難い痛みなのだろう、ネロは地を這い、後ずさり。ただ逃げ惑っている。


「ぅらああぁあ!」


 稲妻が如き速度で、しかしパンケーキがその眼前へ回り込む。


「らあぁ! らあぁ! らあぁーあッ!」


 バシュシュシュシュ!


「アゴホォオォ!?」


 憎悪、悲哀、殺意。

 思わず息を呑むほどにビリビリと感じられる、むき出しの感情。

 その全てが武器に乗り、哀れな怪物へと振り下ろされている。

 それは、二人の戦士を呆然とさせるには充分であった。


「「……あれは」」


 あの武器を、二人は知っている。二十三年前、嫌というほど見た武器。スコヴィランを追い詰め、スイートパラディンを勝利へと導いた武器。


「……


「『』ッ!」


 今やパンケーキは、伝説の武器を本能的に操っていた。

 ∞の字を描くように振り回すと、その度にホイッパーの先端が白く輝く。それは彼女自身のエネルギーであり、女王ムーンライトのエネルギーであり、そしてファクトリーに満ちる幸福のエネルギーである。


「ウガハァ、アァ、やめろ、やめろぉ」


 ネロは完全なる恐慌状態に陥っていた。敵に背を、血みどろのフードプロセッサーを向け、どことも分からぬ方向へ逃走しようとしている。

 嗚呼、パンケーキの顔が、ミシミシと音を立てて憤怒に歪んでゆく!


「らああぁああーッ!」


 ホイッパーの先端から白いビームがほとばしる! ネロはこれを避けようとするも、ビームは追尾弾めいてネロの背中を狙い!


「アガハァアァーッ!?」


 ネロの後ろ半身を、丸ごと焼いた! 背中のフードプロセッサーが、聖なる魔導エネルギーに耐えかね炸裂! 中を満たしていた血肉の塊が、周囲に散乱した!


「アオッ、アオォーッ」

「死んでよ」


 パンケーキは飛び上がり、下に向けて突きの姿勢を取る。


「仁菜ちゃんの代わりにぃ! あなたが! 死んでよォ!」


 ……その時!


「そこまでよ」


 ブオン!


 セブンポットとカイエンの間を、突風が通り抜けた。

 突風はネロの前に形を持って立ちはだかると、右腕を掲げ! 聖なる武器を、素手で受け止めた!


 バシュシュシュシュシュシュ!


 しかしその腕は火傷を負わない! 何故なら、赤く燃え上がるほどの高密度魔導エネルギーを纏っていたからである!

 聖なる魔導エネルギーと邪悪なる魔導エネルギーが反発し合い、周囲に赤と白の稲光がほとばしる!


 バチィン!


 後方へ吹き飛ばされたパンケーキは、ゼエゼエと荒い息と共に膝をついた。ホイッパーを杖代わりに何とか己を支える彼女を見下ろすは……キャロライナ。


「……初めまして、スイートパンケーキ」


 ……セブンポットは、カイエンは、どっと汗をかきながら硬直していた。


「ワタシはキャロライナ・リーパー。スコヴィランの最高幹部よ」


 パンケーキは立てぬまま、しかし燃え盛る瞳でキャロライナを捉えていた。


「ウチの子が失礼したみたいね。お互い今日はここまで、痛み分けといきましょう」


 キャロライナの言う通り。パンケーキは一歩前進しようとし、そのまま地面へうつ伏せに崩れ落ちた。余程消耗が激しかったのであろう。


「ネロ。セブンポット。カイエン。アナタ達の処分は追って下すわ。帰るわよ」


 ……最早セブンポットには、何の言い訳もしようがなかった。

 キャロライナがネロを連れ、影の中へずぶずぶと沈んでいく。


「待っ、て。行かせ……な、い」


 這いずって近付こうとするパンケーキ。ナメクジより遅いその動きでは、彼女らの退散を止めることはできなかった。

 パンケーキはぎぎと首を動かし、カイエンを、セブンポットを見る。


「……スコヴィラン。かえ、して。にいなちゃんを。クッキー、を」


 周囲に散らばる肉の残骸、そして独りぼっちのパンケーキに視線を遣り、セブンポットは、恐らくカイエンも、ここで何が起きたかをおよそ理解した。

 深く、深く、深く、カイエンは息を吐く。


「……スイートパンケーキ。言ったはずばい」


 彼を睨んだまま、パンケーキは黙っていた。


「命のやり取りっちゅうのはそういうことばい。お前はせいぜい考えんね、ひとつしか無か命ん遣い方ば」


 カイエンはそう言って、影の中へ沈んでいった。

 セブンポットだけがそこに残り、無言のままパンケーキと睨み合い続ける。


「……その武器は」


 セブンポットは、ようやくそれだけ口にした。


「アンタのじゃ、ない。何なの、アンタ」


 セブンポットは転移魔法を発動させ、影の中へとぷんと沈んでいく。

 邪悪な気配はもうどこにもない。今や、風の音だけがパンケーキと共にあった。


「ハッ、ハッ、ハッ」


 パンケーキは、スイートホイッパーをごとりと落とした。それは光の粒と化し、空へ向かって蒸発してゆく。


「ハッ、ハッ、ハッ」


 パンケーキは少しずつ理解した。現実だと。スコヴィランは消えてしまったが、今起きたことは紛れもなく現実であったと。


「……ハァ、ハァ」


 パンケーキは、よたよたと肉塊に近寄り、その前で跪いた。


「ハァ……ハァ、ハァ」


 パンケーキは、まだ生温かく生臭いその有機物の中に、その手を突っ込んだ。


「あぁ……はぁ。戻さなきゃ……あぁ、ハァ」


 早く元に戻さないと。仁菜が死んでしまう。

 用務員のおじさんと、サラリーマンのお兄さんと混ざってしまった。

 どこが仁菜で、どこが別の人だろう。

 早く。早くしないと。

 ぼろの布きれや切り刻まれた金属も混ざっている。

 全部仕分けないと。

 仁菜を元に戻すのだ。

 でないと。そうしないと。


「うぅ、う……」


 やがて肉塊の中から、やや大きめの物体が現れた。

 鉄をも砕くフードプロセッサーの中でかき回されながら、傷のひとつも付いていない……ムーンライト・ブリックスメーター。

 つい先程まで、確かに仁菜と、スイートクッキーと共にあったもの。


「うあぁ、あぁ」


 仁菜が元に戻らないことを、パンケーキは徐々に理解し始めた。

 仁菜は、もう肉だ。それは不可逆だ。

 友達が、いなくなった。

 大切な友達が、スコヴィランの手で、いなくなった。


「あぁ……ああ、あぁ……」


 仁菜のブリックスメーターを握りしめ、パンケーキはぼとぼとと涙をこぼした。


「あ……う、あぁ……は、ぁ」


 地に膝を着け、下を向き、しかしブリックスメーターだけは両手で掲げながら。祈るように。パンケーキは泣いていた。

 事態が収まったと理解した人々が集まって来ても、彼らがあまりの惨状に悲鳴や嘔吐を起こしても、冷静さを保った教師のひとりが声を掛けても。

 彼女は。

 パンケーキは。

 佐藤甘寧はただただ、いつまでもいつまでも、泣いていた。




 ……その日の空は、鬱陶しいほどに青かった。

 人がひとり、この世からいなくなったとは思えないほどに。

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