ネロ・パニック!パンケーキの新しい力!!③
「やめてくれよォ! ここ東堂町じゃねぇだろォ!?」
痩せた髭面の男は、腰を抜かしたままその女を見上げていた。
「きゅ、給料安い俺みたいなのじゃなくて、もっと金持ちをいじめてくれよぉ!?」
「金持ち嫌いなの? 丁度いいじゃん。プリッキーになれば沢山殺せるって」
体育館裏の草を刈っていたら、突然そこに舞い降りたこの女に出くわした。
彼女はスコヴィランを名乗ると、コスプレめいた衣装に着替えた上、自分をプリッキーに変えると言って来たのだ。
「俺、俺ぁ! 金持ちのガキの首絞めてぇ衝動を堪えながら! 安い給料で毎日頑張ってんだよ! こんな真面目な男捕まえて、せめて東堂町のDQNとかにしろよ! 頼むよ、お願いします、アイツら全員殺してもいいから、俺は助け――ぶへっ」
男の側頭部を、彼女は一度蹴とばした。
「あがっ、おごぉっ!?」
「はぁーあ、ってかガキ共の変身確認したらもう帰ってよくない? 結果は見えてるし。アンタどう思う?」
女の右腕が、ずぷりと男の胸に刺さる。とてつもない異物感と不快感。
「う、うごおぉ!?」
「いいよね。アタシも汚いオッサン触って不愉快だし、充分働いたでしょ」
女は自分を抱えて跳躍。体育館の屋根にひらりと着地すると、
「じゃ、楽しみな。最後の晴れ舞台を……さァ!」
「あっぱぁあぁあぁああぁあーッ!?」
グラウンドに向け、彼をブンと放り投げ――!
「――えぇ?」
男は悪夢から目を覚ます。
順番に状況を確認した。マリ学の校舎前。背後の校舎の窓は砕け、校庭には地割れがあり。隣には何故か気を失った上半身裸の男。
そして正面には……スイートパラディン。そしてその奥に、目をぎらぎらと輝かせる、巨体のスコヴィラン……!
「うひぃっ」
男は思い出した。自分が先程まで何をしていたのかを。
「やべぇよっ、やべぇっ、あの校舎、俺、俺がやったのかよ!?」
「あっ、起きちゃいましたか!?」
ピンクの聖騎士、スイートパンケーキが振り向いて声を掛ける。
「ひいぃ、た、助けてくれお嬢ちゃん、俺クビになっちまう! それどころか損害賠償請求とかされちまうかもしれねぇ! 給料安いのによぉ、払えるわけねぇよ!」
男は突然パンケーキの脚にすがり付くと、ボロボロと涙を流し始めた。
「ちょ、ちょっと、落ち着くですよ」
「これが落ち着いていられるかぁ! 給料安くて貯金も無ぇ、次の仕事も絶望的! 飢え死にしたらどうすんだよォ!?」
黄色の聖騎士、スイートクッキーの制止も聞かず、男は喚いた。
「あ、う……」
パンケーキは、男へ声を掛けられないようだった。まるで、思い出したくない記憶を彼へ重ねているかのように。
「そ、そりゃ私達に言われても困るですよ、それより今スコヴィランが――」
「それよりじゃねぇよクソ! 一大事だぞ!? 終わりなんだぞ俺の人生はァ!」
だが男は、クッキーの声もパンケーキの態度も気にしていないようだった。
「大体、テメェら! テメェらのせいだぞ!」
男が指差したのは、スコヴィランの戦士、ネロである。唐突に騒ぎ出したこの男を、ネロはしかめっ面でギロリと見た。
普段のこの男ならば、睨みつけられた時点で小さくなるのが関の山だろう。だが今の彼は、絶望から半ば破れかぶれであった。自分が何を言っているのかすら、正確には理解できていなかったであろう。
「俺みたいな奴の人生終わらせて! 何が楽しいってんだよこのクソボケぇ!」
……故に、最後の引き金を引いたのは、彼だったと言えるかもしれない。
「……なんて、言った」
ドロリとした空気が溢れ出す。しかしそれすらも男は理解できない。
「なんて、言ったんだ」
「おじさん、落ち着いて――」
制止も聞かず、顔を赤子のようにくしゃくしゃにしながら、彼は叫んだ。
「分からねぇのかよ、このでくの坊! 俺の人生どうしてくれるんだっつったんだよ、理解できねぇのかド低の――」
そして、それが最後の言葉となった。
「馬鹿にしたなァッ!?」
瞬間! パンケーキとクッキーは、同時に別々の方向へ弾き飛ばされていた! ダンプカーに撥ねられたかのような衝撃! 通り抜けたのは車ではない、ネロである!
「オレをぉぉ! 馬鹿にするなァーッ!」
あの巨体からは信じられぬほどの俊敏な動きで、彼は男の頭を掴み、地面へ叩き付けていた! 彼の頭は熟れ過ぎたトマトめいて爆ぜ、頭蓋骨に収納されていたパーツが飛び散っている!
「ひ……」
「あ、あ」
ネロの周りの空気が陽炎めいて揺らぐ。その頭には、心なしか角が生えているように見えた……否、実際生えたのだ、たった今、山羊めいた二本の角が。
見れば、彼の姿は明らかに今までと異なっていた。目の覚めるような赤い肌。前より更に膨れ上がった筋肉。そして、いつの間にか背負っていたのは……巨大なフードプロセッサー!
「フゥーッ、ハァーッ……!」
まさか変身!? スコヴィランもできるというのか!? 答えを知るであろう妖精達は、どこかへ飛び去っている!
フードプロセッサーの蓋を、ネロは背負ったままカポンと開けた。頭部の無い男をそこに放り込むと、再び蓋を閉める。フードプロセッサーの中には、何枚もの刃が!
「まさかッ――」
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!
凄まじい回転音! 僅か数秒のうちに、男は単なるミンチ肉へと姿を変える! フードプロセッサー内で満遍なく飛び散る血液、肉片!
「ウフーッ! ホッ、ホアーッ! ウガハッ、ハァーッ!」
血を吸った喜びに打ち震えるかのような、刃の唸る音。何十秒も射精し続けているかのようなネロの絶頂の声。
「ウハッ、ウハァーッ……ォオゥ……グフッ、グフッ。どうだ」
ネロは、ゆっくりと振り向く。目を爛々と赤く輝かせ、愉悦の笑みと共に。
「オレは……ウグフッ、強いだろぉ」
怒り。悲しみ。正義感。戦いの高揚感。
ふたりの聖騎士は、これまでの戦いで様々な感情を抱いて来た。
しかし初めてであった。
目の前の相手に対し、『恐怖』を。理不尽な厄災への『絶望』を抱いたのは。
「フホッ、フホッ、フホォッ」
鬼と化したネロは、ずんずんと一歩ずつ足を進める。
目指す先には、先程までプリッキーだった上半身裸の男。
「だめ、だめっ」
「う、ああ」
パンケーキは。クッキーは。脚が動かなかった。
ネロに撥ねられた。二度も必殺技を撃った。パンケーキに至っては全身に大怪我まで負った。どれも理由のひとつである。
だが、どれも本質ではない。
本能レベルでの恐怖。
彼女らを金縛りに遭わせたのは、結局のところそれなのだ。
「……うっ……? えっ、あ!?」
ネロに脚を掴まれ、宙にぶら下げられた男が、にわかに意識を取り戻した。
「うわあ!? 何だ、何だよコレ!?」
拘束は振りほどけない。
男の視線が、白い顔をしたパンケーキと合った。
「たっ、助けて! 助けてぇ!」
パンケーキは、立ち上がろうと脚を動かした。力を込め……もう一度崩れる。半歩ほどの距離も前進できていない。
「ウガハ、ハァ」
「助けて、助けてくれよぉ!」
脚が竦むふたりの前で、男はゆっくりとプロセッサーに飲み込まれる。ドンドンと叩く音が、プロセッサーの内側から聞こえてくる。
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!
それも一瞬であった。悲鳴のような声が轟いたようにも聞こえたが、恐らく一秒にも満たなかっただろう。
「あ、あ……」
「ウホッ、ウホォーッ……ハァーッ」
背中で砕け散る人間の感触が、ネロにはたまらないようであった。
そしてその目は……パンケーキへと向く。
「オマエ。オレより、弱い……砕く。オレ、褒められる。ウガハッ、ガハァッ……」
パンケーキはゆっくりと立ち上がり、構えようとした。力がどこにも入らない、どこからも湧いて来ない。ただ、涙ばかりが溢れ出す。
「あ、あああっ」
放とうとしたパンチは、ネロの左腕によって容易に阻まれた。
ネロはその拳を掴み、パンケーキごとひょいと持ち上げると、その体をヌンチャクめいて振り回し始めたのである!
「ああぁあがばっ、ごっ!?」
失われる平衡感覚。幾度も地面にぶつけられる痛み。上も下も分からぬうちに、パンケーキはグラウンドへと頭から数センチ叩き込まれた。
「え゛っ、ぉえ゛ぇぇ」
血の混じる吐瀉物を、パンケーキはうつ伏せのままバタバタと吐き出す。三半規管の狂いに加え、普通なら三度は死ぬ痛み。こうならぬ方が不思議だと言えよう。
そしてその隣には、既にネロが立っている。
「ウガハッ、ガハ。強い……オレ、一番強いぃ」
最後の仕上げをすべく、ネロはボロ切れめいた少女へ手を伸ばす。
「あ……」
そして。
「……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
引き裂くような悲鳴を上げたのは、パンケーキではない。クッキーだった。
クッキーは今出せる全速力でネロへ近付くと、全ての魔導エネルギーを右腕に込め、その側頭部へと渾身の一撃を放ち。
「…………」
……何もできなかった。
ネロの太い首は、その拳を易々と受け止めたのである。
しかし、クッキーはそれでも二撃目を放つ。
「あ゛え゛ぇお゛ぉッ! い゛ぃえ゛ぇあ゛ぁ!」
何を言っているのか誰も分からない。
ネロの脚に当たった拳は、彼を微動だにさせなかった。
「あ゛もるのッ、あ゛まぇわあぁッ、あ゛ぁしがあぁあ!」
三発目。四発目。そのどれもが、ネロにほんの僅かなダメージすらも与えない。
「クッキー、だめ、にげて」
「ずっと、あ゛ぁしがぁッ! あ゛えにもッ――えあ゛ああ! あ゛あ゛ぁ!」
クッキーの頭が掴まれ、宙に浮く。
「だめ、だめ……だめ!」
「や゛あぁあぁあ! はな゛しでえェエ゛ェェ! あ゛ァーははハあ゛ァーァ!? あま゛ね゛ェ! あ゛ま゛ね゛え゛ェーえ゛ェ!」
ネロはフードプロセッサーにクッキーを放り込み、蓋をする。
「だめだよ、だって」
「ウガハァーッ!」
「にいなちゃんは、わたしの」
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!
……あまりにも、現実感が無かった。
……血と、骨と、肉になった。
「……あ、あ゛あぁあぁぁあぁぁあぁあぁあぁぁあぁあああぁぁあぁァーァァアァアァアァァアァァァアァ!?」
長い、長い、長い絶叫だった。
フードプロセッサーの音を掻き消すほどの。
「オレ、壊した! フッ! フッ! フガッ! ホホォッ! オホホォーッ!」
脳内麻薬が異常分泌され、よだれを垂らした怪物の隣。
膝から崩れ落ち、両手で頭を抱えた聖騎士が。声にならぬ声を上げながら地に這いつくばっている。
「オホッ……オォン……もう一匹もぉ、壊すゥ」
うずくまったまま、パンケーキは動かない。
ネロは目の焦点の合わぬまま、パンケーキに腕を伸ばし。
「……てよぉ」
そして聞いた。かすれるような小さな声を。
「……えしてよぉ」
だが、これから死ぬ弱き者の声になど、ネロは興味を持たない。
彼は構わずパンケーキの体をその指で――!
「かえしてよぉ! にいなちゃんを! もとどおりにかえしてよぉっ!」
瞬間だった! パンケーキの体から、変身時をも超える光の柱が立ち上ったのは!
「ウガハァッ!?」
ネロは驚愕し、己が右手を見る! 馬鹿な、無い! 人差し指から小指までが! 手のひらの半分以上が!
「アッガアアァアアァアァーッ!?」
傷跡は醜く焼けただれている! 脳内麻薬漬けになっていたネロが、急激に素面へ戻ってゆく! 何が起きたのか、それすら理解できぬまま!
やがて、光の柱が消えると。
そこには、パンケーキが立っていた。
大きさ一メートルを超える、巨大な泡立て器を持って。
「許さない」
その顔には、既に恐怖の色は無い。
そこにはただ、憎悪があった。奪われし者の憎悪が。
「絶対に、絶対に」
まるで電気でも流れているかのように、泡立て器からは魔導エネルギーがビシビシと溢れ出している。
調理器具の形こそしているが、それは武器。明らかに武器である。スコヴィランに敵意を持ち、この世から殲滅させるための!
「――許さないッ!」
光の尾を描く武器を構え! 新しい力を得た少女は今! 大地を……蹴った!
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