ストレス限界!マドンナはつらいよ③

『プリッキィーイィイィイイィイイィイ!』


 そのプリッキーは、髪の長い裸の女のように見えた。

 ただし顔の中央には、縦向きの巨大な口。そしてその全身が、しめ縄めいた太いロープで官能的に縛られていたのである。

 唯一拘束を逃れているのは、身長より長い右腕。それを振り回し、プリッキーは周囲の家々を叩き潰していた。


「ま、また裸の女の人見ちゃった!」

「甘寧、それどこじゃないですよ!」


 古本屋『まほー堂』の中から、事態に気付いた客達が何人も飛び出してくる。

 無論、それ以外の場所からも。厄災たるプリッキーから逃れようと、多くの人間が走り回っていた。


「甘寧、仁菜、変身だッチ!」

「分かってるです、でもどこで変身するですか? ちょっと人前では」

「そんなこと言ってる場合じゃ――」


 ドゴォッ!

 乗用車が『まほー堂』の看板に激突! プリッキーが放り投げたのだ!


「……!?」


 その瞬間、仁菜は見た気がした。

 看板の上。明らかに不自然な場所に立っている、ふたつの人影を。


「あれは――」

「危ないっ!」


 頭上へ落下してくる看板の破片、そしてへしゃげた車! 甘寧は咄嗟に仁菜を抱きしめ、飛び退く! 間一髪! ふたりのいた場所に、大量の鉄塊が降り注いだ!


「う、だ、大丈夫? 仁菜ちゃん」

「あ、ありがとです……って甘寧!?」


 嗚呼! 甘寧の右二の腕に、鉄片が突き刺さっている! 当然出血!


「甘寧!」

「大丈夫だよ、それより早く変身しなきゃ」

「いや、明らかにまず腕を何とかすべきですよ!」

「変身だッチ!」


 隣からそう叫んだのは、チョイス!


「はァ!? この小動物、この怪我が目に――」

「変身すれば、女王様の魔導エネルギーでその程度の傷は塞がるんだリー!」

「えっ、そんな無茶苦茶な!」


 隣から補足するのはマリー!

 仁菜は辺りを見回す! 人々は逃げ惑うか、あるいはプリッキーに注目しスマホを向けているか!


「畜生、チャンスは今ですかッ」

「しよッ、変身!」


 甘寧の右手に力が入らぬ分、仁菜がその左手に固く力を入れる! そしてふたりは掲げた! ムーンライト・ブリックスメーターを!


「「メイクアップ! スイートパラディン!」」


 瞬間! ふたりを中心に光のドームが形成される! 宙を舞うふたりの制服は、聖騎士の衣装へと変化!


「膨らむ甘さは新たな幸せ! スイートパンケーキ!」


 甘寧だった聖騎士は、可愛くキメポーズ!


「頬張る甘さは悩みも蒸発! スイートクッキー!」


 仁菜だった聖騎士は、知的さにどこか幼さを残したキメポーズ!


 ふたりは高らかに声を揃え、合体決めポーズと共にその名を宣言する!


「「メイク・ユア・ハッピー! スイートパラディン!」」


「うわっ、スイートパラディン!?」

「ホンモノ!?」


 人々が一斉にふたりへ注目し始める! 周りから見れば、光のドームと共に突然ふたりが現れたようにしか見えない!


「皆さん、逃げてください!」

「ここは危ないですよ! でやぁーッ!」


 パンケーキとクッキーは同時に地を蹴り、プリッキーへと向かっていく! 妖精達の言う通り、パンケーキの二の腕は今や完全に治癒していた!

 壁を蹴り! 屋根を蹴り! あっという間にふたりはプリッキーの間合いへ――!


『イヤアアアアアアアアアァァァァァァァァ!』


 その時だった! その巨大な口で、女型プリッキーが突如悲鳴を上げたのは!


「ぎゃーっ!?」

「のわーッ!?」


 襲い来る衝撃波! 砕け散る窓ガラス! 吹き飛ばされる聖騎士達! 道路に転がされ、即座に立ち上がる! 体に小さな擦り傷ができたが、それはミシミシとたちどころに治っていった!


『イヤアーァァアアアァア!』


 再びの絶叫! 吹き飛ばされる人! 車! 屋根瓦!


「こ、こりゃ最早ミニ台風ですよ」

「何とかしなきゃ! でもこれじゃ近付けない!」

「足に魔導エネルギーを集中させるッチ!」


 吹き飛ばされそうなのを何とかこらえながら、チョイスが叫ぶ!


「えっ、それってどういう――」

「なるほど! 分かった! 行こっ!」


 パンケーキは躊躇なく道路を走り出し、屋根へと飛び移る!


『イヤアアァアァアァアアアァアァ!』


 三度目の衝撃波! パンケーキは転倒することもなく屋根を駆ける! クッキーは電柱にしがみついて何とかその場に留まった!


「マリー! もう一度説明するですよ!」

「足の裏に意識を向けて、そこに魔導エネルギーを集中させるリー!」


 パンケーキと共に行ってしまったチョイスに代わり、マリーが解説!


「パンケーキと手を繋ぐ時を思い出すリー、地面とひとつになるイメージって、昔のスイートパラディンが言ってたリー!」

「な、なるほどですよ!?」


 クッキーは足の裏へと意識を向け、もう一度プリッキーへ向け駆け出す!


『イヤアッ! イヤアアアァァアッ!』


 完全に平気とはいかぬものの、踏ん張れば耐えられる程度までは軽減された!


「よ、よくもまぁ容易くやってのけるですねパンケーキ、学校の勉強はいつも赤点ギリギリで――」

「ぎゃああぁ!?」


 パンケーキの悲鳴! 近付いたはいいが、プリッキーの長い腕によって横殴りにされ、屋根へと叩き付けられていた!


「パンケーキっ! 大丈夫ですか!」

「うんっ、何とかなるッ」


 クッキーが追いつくと、パンケーキはアクロバティックに立ち上がる!


「動かせるのは右腕だけっぽいですから。アレにだけ気を付けて、声の攻撃は何とか踏ん張れば――」


『イヤッ、!』


 その時、プリッキーの口から思いもよらぬ発言が飛び出した。


「えっ、今」

「『』って聞こえたですよね」


 昨日のプリッキーのように、本当は戦うのを拒んでいるのか? クッキーが想像している間に、プリッキーは更なる言葉を紡ぐ。


『イヤッ! ウタモ! ベンキョウモ! イエノコトモ! マドンナモ! ミンナノキタイモ! ゼンブゥゥッ!』


 プリッキーは、その右腕で己の喉を掻きむしっている。見ればその手首には、リストカットめいた傷跡が無数に残っていた。


「……ま、マドンナって、言った?」

「マドンナ、歌、しめ縄、緊縛……ハッ!?」


 クッキーは、そして恐らくはパンケーキも、そのプリッキーの正体に思い至った!


「「!?」」


 だとすれば、今吐いた台詞は! タマミの本心だとでもいうのか!?


「嫌だったのかな、マドンナって呼ばれるの」

「家の事情とかも色々大変だったですね、きっと……あの万引きもひょっとしたら、そういうストレスから」

「ふたりとも! プリッキーの様子が変だッチ!」


 そう! タマミプリッキーは、己を拘束する縄を、掴んで引っ張っている!


「まさかッ!?」

「しまったですよッ!」


『プリッキィイイィイィイイィイイイイイイィイイイーアアアァァアァア!』


 何ということか! タマミプリッキーは拘束を引きちぎり、その体の自由を取り戻したのだ! たちまち両腕を振り回し、家や道路を叩き割るタマミプリッキー!


『イイィィイィイィイィイィイイ』


 更に! 地の底を這うようなその声と共に、タマミプリッキーの口に暗黒の魔導エネルギーが集まっていく! 明らかに、取り返しのつかない攻撃の予備動作!


「あれだけは撃たせたらまずいです――パンケーキ!」

「うんッ!」


 ふたりは横並びで屋根の上を駆け、一直線にタマミプリッキーの元へ! タマミプリッキーは指を組み、ふたりをダブルスレッジハンマーで叩き潰さんとする! その腕が振り下ろされた瞬間!


「行くよッ!」

「よっしゃあ!」


 ふたりは素早く左右に飛び退き、それを回避! 叩き潰される屋根! その隙にふたりはプリッキーの腕を駆け上り……!


「せーのっ――」

「「ムーンライト・ダブルキーック!」」


 やはりネーミングに捻りが無い! だが、顔を両側から蹴り飛ばし、縦に開いたその口を閉じさせることに成功した!


『プァアアアアァアァァ!?』


 行き場を失った魔導エネルギーは、口内で暴発! 口から煙を吐きながら、タマミプリッキーは家の残骸の上に仰向けで倒れた!


「今だッチ!」

「必殺技でとどめを刺すリー!」


 側の道路に着地したふたりは、昨日と同じように指を組み、その魔導エネルギーを循環させ始める!


「はあぁっ……き、きてるっ」

「うふぅっ、なんか、やっぱ変な感じですよ」


 みるみる高まりゆく魔導エネルギー! 解き放たねば、おかしくなってしまう!


「「はああああああぁぁぁぁぁぁぁーッ!」」


 ふたりは空いた手で強く拳を握り、ピンクと黄色のオーラをほとばしらせる!


「「スイート・ムーンライトパフェ・デラーックスッ!」」


 突き出した腕から放たれた光の波は、ふたつは螺旋を描いてまざり合い! プリッキーへと真っ直ぐに飛んでゆく!


『イヤアアアァァアアァアァァアアアアアァア』


 タマミプリッキーの巨体が光に包まれ……人間大へ戻ると、赤い雲は霧散し、元の青空が戻ったのであった。


 だが、これでは終われない。

 ふたりは頷くと、瓦礫の上で気を失ったタマミの元へと駆け寄っていく。パンケーキが彼女を抱えると、ふたりは屋根の上を風のように舞い、現場から離れていった。




「……あっ、おはようございます、公庄せ――」

「パンケーキ」

「あ、そうだった。公庄、さん」


 夕方。川の土手で寝かされていたタマミは、ゆっくりとその目を開いた。


「……ここは」

「藤影川の土手です。滅多に人が来ないし、落ち着いて話せるかなって」


 パンケーキが答える。


「あなた達は……私……」


 ぼんやりした顔で何か言いかけたタマミは、しかし次の瞬間、顔をハッとさせた。


「わ、私ッ」

「あの、公庄さ――」

「私ッ、ああっ、壊しちゃったッ!」


 タマミは絶望の顔で頭を抱え、赤子のように地へ転がる。


「人も、車も、家も! こ、壊して……私がしたって、みんなが見てっ……!」

「く、公庄さん、落ち着くですよ」

「無理だよッ! 私もう人間じゃない! 怪物なんだからッ!」


 クッキーが恐る恐る声を掛けても、タマミは聞く耳を持たない。


「裏切った! お父さんも、お母さんも、妹も、先生も、友達も! 期待してくれる人みんな! 悪い子なのバレちゃった! 泥棒で、変態で、人殺しで……あ、ああ」

「公庄さん、あの。プリッキーのことならまだバレたとは限らないですよ。人が集まる前に移動したですし、その」

「やめて気休めなんか!」


 そう返されてしまえば、クッキーも何も言えなかった。変身させられる前、戦いの最中、連れて逃げる直前。どこで誰が見ていたか分からないのだから。


「頼んでもないのにマドンナとか言われて! 良い子じゃないといけないのに悪いこといっぱい考えて! 明日からは人殺しって呼ばれる! ガッカリされる! もう終わり! 全部、全部――」



 口を開いたのは、パンケーキだった。


!」


 クッキーですら見たことの無いような、それは真剣な表情で、そしてハッとするような声であった。

 タマミすらも言葉を切り、パンケーキの顔を見ている。


「プリッキーになったのも、色々壊したのも、先輩のせいじゃありませんっ……誰でもそうなるんですっ、みんなの心にある弱い部分を、無理矢理大きくされただけなんですっ!」

「……パンケーキ」

「先輩は悪くありませんっ、そりゃDVD万引きしたのはダメですけど、でも! 絶対やり直せます!」


 タマミを『先輩』とは言わない約束だったが、クッキーは彼女の言葉を遮ることができなかった。

 息を荒くしたパンケーキは、少しだけ呼吸を整え直す。


「……えっと、私の知り合いに、二十三年前プリッキーにされた人がいて。その人は取っても優しくて、カッコ良くて。でも、人を傷付けました……それでも。今は学校の先生で、結婚して、子供も生まれて。いいことばっかりじゃないと思うけど、幸せなんじゃないかなって。思います」


 パンケーキの顔には、いつの間にかいつもの笑顔が戻っていた。


「公庄先輩も、今まで色々大変だったかもしれないですけど。でも、何とかならないことなんてないって思います。DVDも返して謝ればきっと許してもらえますよ。だから、きっと大丈夫――」




?」




 刹那。ぞっとするほど冷たいタマミの声が、パンケーキの笑顔を凍り付かせた。


「大丈夫なわけないでしょ。何、そんな極端な例出して。その人がどう生きてようと、私がしたことは変わらないんだよ?」

「いや……だから」

「あなたみたいに思ってくれる人、世の中に何割いるの? それともあなたがひとりひとり説得してくれるの? 私は悪くないって」

「……それは、でも」

「あなたが明日から私の代わりに学校に行ってくれるの? 批判とか悪い噂とか、全部肩代わりしてくれるの? ねぇ。何とかなるっていうなら、今すぐ私のしたこと巻き戻して、みんなの期待も無かったことにして、私を楽にしてよ!」


 タマミは立ち上がると、クッキーの持っていたカバンを奪い取り、中から『緊縛OL』のDVDを取り出した。


「助けてよ私を! 私の全部を! できないならもう放っといて!」


 パンケーキの顔に、タマミはDVDを投げつけ、そして土手を走り出した。夕日を浴びながら。ふたりに背を向けて。

 パンケーキはそれを追おうとし……しかし立ち止まった。タマミの姿が見えなくなるまで、ずっとそうしていた。


「……パンケーキ」


 クッキーは、パンケーキの肩を静かに抱いた。パンケーキはクッキーの胸にうずくまり、静かに涙を流した。いつまでもいつまでも、ふたりはそうしていた。


 タマミも、きっと帰りながら泣いていただろう。

 彼女が被害を及ぼした全ての人も、命があれば涙を流すだろう。

 タマミの家族も、ひょっとしたらこれから泣くのかもしれない。


 そしてふたりは気付いたのだ。その涙を、自分達はどうすることもできないと。




 次の日。タマミは学校に来なかった。次の日も、その次の日も来なかった。

 タマミが不登校らしい。仁菜と甘寧がそう聞いたのは、それから何日も経ってからであった。

 学園のマドンナに何が起きたか、生徒達は口々に噂し合ったが……プリッキー、そしてスイートパラディンのニュースが、瞬く間にそれを押し流していった。

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