ストレス限界!マドンナはつらいよ②

 目が覚めた瞬間、感覚で遅刻を確信した。

 アラームはどうした。また正社員に小言を言われる――。


「お目覚め?」


 がばりと上体を起こした彼女を出迎えたのは、ピンクの間接照明に照らされた妖しい部屋。そして、左隣で身を横たえる裸の美女。


「おはよう、セブンポット。よく眠れた?」


 セブンポット。自分の名だ。彼女は思い出した。自分の身に何が起きたのか。グラマラスな肉体のこの女は誰で、どうして一緒に寝ているのか。

 ……考えれば、女と寝るのは初めてだった。とはいえ自分は生まれ変わったのだ。性の対象くらい変わるだろう。丁度男にも飽き飽きしていたところ。


「ふっ、ふははッ」


 そう、生まれ変わったのだ。セブンポットは立ち上がり、壁の大きな鏡で己が姿を確認した。少なく見積もっても十歳は若返っており、肉付きも当時より良い。


「ふうぅーッ」


 魔導を込めて念じると、体が燃え上がり、戦闘衣装が形成されていく。


「気に入ってくれた?」

「最高」


 鏡を食い入るように見つめながら、セブンポットは久方ぶりに笑っていた。表情筋の使い方がややぎこちない。


「さ、役者は揃ったわね」


 キャロライナはゆらりと立ち上がると、ワンピースドレスを形成。


「みんなを会議室に集めてちょうだい、アナハイム」

「かしこまりました」

「うおっ」


 セブンポットはこの時初めて気付いた。小柄なメイド服娘が、部屋の隅で音もなく佇んでいたことに。


「その子はアナハイム。自由に使ってちょうだい」

「不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 アナハイムはにこりともせず一礼。足音も立てず部屋を出て行った。


「じゃ、ワタシ達も行きましょう」


 まだ心拍の落ち着かないセブンポットの髪を撫でながら、キャロライナが言う。


「行くって?」

「ミーティングよ。今後の戦略を確認する為のね」




 会議室は、まさしくバイトの休憩室と呼ぶのが相応しかった。

 壁際にロッカー。部屋の中央に長机がふたつ、向かい合う形で置いてある。奥にホワイトボード。隅にテレビ。給湯スペースもある。


「改めて。ワタシ達の新たな仲間、チョコレート・セブンポットよ」

「……よ、よろしく」


 キャロライナによってホワイトボードの前に無理矢理立たされ、セブンポットは久方振りに自己紹介をした。

 嫌な緊張感が会議室を支配する。気の利いた言葉が出てこない焦りもあるが、それ以上に気になるのは、パイプ椅子に座って彼女を睨むふたりの男。


「実力は知ってるわよね? 一度はワタシ達全員に勝った相手だもの」


 セブンポットは、かつて武器を交えた戦士達を改めて確認する。

 片方は、短髪に太眉、ロングコートのむすっとした男。カイエン・バーズアイ。

 その隣、こちらから見て奥側に座っているのは、身長三メートルはあろうかという筋肉質な坊主頭。こちらはネロ・レッドサビナ。

 アナハイムはいない。召使いは会議に参加できないのだろう……それでもメンバーが若干足りないように見えるが、今言うことではなかろう。


「さ、自己紹介も済んだし、本題に入りましょうか」


 キャロライナはセブンポットを席に着かせると、資料を一枚ずつ配り始めた。


「まずはおさらいね。我々の攻撃により、ショトー・トードは総人口の七割、及びスイートファウンテンの機能のうち九十五パーセントを失いました」


 セブンポットはぎょっとして資料を見た。『ショトー・トード建国記念日、結界の緩むタイミングで攻撃』とある。既にそこまで作戦が進んでいたとは。


「完全な滅亡へ向け、以降も作戦を展開します。とはいえ、今後結界の緩みが期待できない以上、当面はファクトリーの幸福を奪う作業が中心となるでしょう」


 幸福の量を減らし、兵糧攻めにする作戦か。どうやら、やること自体はそう変わらないらしい。

 キャロライナは続ける。


「懸念すべきは、やはりジョロキア様のご体調です。傷が完全には癒えておらず、またショトー・トード侵攻で魔導力を我々に供給し過ぎた故、少々疲れておいでです」


 昔チョイスだかマリーだかに聞いた、スイートパラディンの戦闘能力に関する仕組みを思い出す。

 自分、相方、そして女王の供給する魔導エネルギー。これら三つを混ぜ合わせることで爆発的戦闘力を発揮するのが聖騎士だと。

 スコヴィランの戦士もまた、自分と魔王の魔力を混ぜて戦っているというわけか。


「よって、ジョロキア様のご体調が安定するまでは、プリッキーを中心とした作戦でファクトリーを攻めることとなります。出撃は一度にひとり。破壊活動はプリッキーに任せて。我々は可能な限り戦闘しないこと」


 ……すぐには全力で暴れられないということか。即座に大虐殺できるとばかり思っていたセブンポットは、少々肩透かしを食らった。


「で、忘れちゃいけないのが……


 三人分の視線が、一挙にセブンポットへと集まった。


「カイエン。昨日アナタが作ったプリッキーは」

「スイートパラディンに倒されたたい」


 カイエンは不機嫌そうに口を開いた。


「何ね、文句ね。弱いプリッキーば作ってからっち」

「まさか。むしろシナリオ通りよ。よくやってくれたわ」


 キャロライナ以外の全員が、その言葉の真意を測りかねているようだった。


「スイートパラディンは暴れさせておけばいい。むしろその方が好都合だわ。ワタシ達がワタシ達である限り、この戦いはようにできてるんだもの」

「お前の命令は意味が分からんばい」

「カイエン」


 キャロライナの眼光がにわかに鋭くなった。


「ジョロキア様がワタシにこの作戦の全権を任せた以上」

「お前の言葉は魔王様の言葉。分かっちょるわ」


 カイエンが目を逸らすと、キャロライナは満足気に微笑み直す。


「みんなにもすぐ分かるわ。とにかくアナタ達は、プリッキーでできる限り大きな被害を出して。ついでに聖騎士を始末できれば最高だけど、被害が出せた時点で及第点よ。ということで。作戦の確認はここまで。セブンポット、大体分かったかしら?」

「……うん、はい」


 よく分かった。誰に尻尾を振るのが正解なのか。


「それじゃ、今日の動きに関する連絡ね。セブンポット」

「えっ」

「新人研修よ。実際にプリッキーを作って、暴れさせてごらんなさい」


 ……いきなり実践的だが、その為にわざわざ来たのだ。異議などあるはずもない。


「いい顔だわ。じゃあ、カイエン。指導はアナタが」

「「えっ」」


 二人は、つまりセブンポットとカイエンは、同時にキャロライナの顔を見た。


「新人は分からないことだらけなのよ。先輩が手取り足取り教えてあげなきゃ」


 二人は何も言わず、ちらりとお互いの顔を見た。

 よりによって、コイツと。きっとお互いそう思っていたに違いない。




「…………」

「…………」


 東堂駅前ロータリー。セブンポットとカイエンは、お互い何を話すでもなく、駅の壁にもたれて立っていた。

 戦闘衣装は少々目立ち過ぎる故、セブンポットはキャロライナから借りた無難な春服、カイエンはつなぎの作業着。


 ……しかし、汚い町だ。セブンポットは思った。

 たこ焼き屋、ドーナツ屋、花屋、服屋。あの頃駅前にあった店は全て潰れている。閉じたシャッターに落書き。ポイ捨てされたゴミ。辺りをうろつく、年収と知性の低そうな住人達。

 住めば不幸になる町。それが東堂町。二十三年前、みんながそう決めたのだ。瓶井ナナ以外の、沢山の『みんな』が。


 嗚呼、地元の中学校、東堂中の制服を着た生徒達がゾロゾロと家路についている。こんな町でなお愉快そうなその顔は、セブンポットの心の柔らかい部分を無遠慮に触った。


「懐かしかとやろ」


 今まで黙っていたカイエンが、不意にそう声を掛けてきた。


「隠しても無駄ばい。お前の故郷やろが。何も思わんはずがなか」

「何、いきなり」

「俺は信じたわけじゃなかけんな。お前ンこつば」


 腕組みしたまま、カイエンは険しい顔でセブンポットを睨む。


「お前らがヤクサイシンば滅ぼしたとやけんな。俺らの故郷を」

「……その節はどうも」

「チッ。お前、自分のせいで死んだヤクサイシンの民ンこつば少しは考えとるとか」

「生きてるじゃん、アンタもジョロキアも」

「ジョロキア『様』をつけんか、バカチンが」


 セブンポットの応対が、どうもカイエンの気に障ったらしかった。


「俺達は生きとるくさ。何とか、って感じばってんな……俺はつまり、ヤクサイシンの民ンこつば言いよったい」

「民?」

「そら、国土があれば民もおるくさ。ジョロキア様が自分の腹ば膨らますためだけに戦争ば仕掛けたとでも思っとぉとか」


 ……考えたこともなかった。ジョロキアと戦う際、セブンポットは一度だけヤクサイシンに行ったが、どう見ても岩だらけの暗くて暑い荒野だった。文明が存在したとはとても信じられない。


「土地ン痩せたヤクサイシンで、民ば飢えから守らんばいかん。外敵からも守らんばいかん。その為には、無限の食糧庫たるスイートファウンテンが必要やった。だからこそジョロキア様は戦ったとたい」


 カイエンは、不意にセブンポットの胸ぐらを掴んだ。


「ぐっ!?」


 セブンポットの体が宙に浮く。


「みんな死んだとぞ。あるモンは飢えて。あるモンは外敵に襲われて。残ったんはジョロキア様と、召使いのアナハイムだけたい」


 その顔をセブンポットに近付け、カイエンは続ける。


「俺達が正しかったっち言うつもりは無か。お前に何ば言ったっちゃ仕方ん無かとも分かっちょる。お互い信じる者、愛する者の為に戦ったはずやけんな」

「…………」

「だからこそたい。ファクトリーば守るために命懸けで戦ったお前が、なんで今更こっちに付くとな? 有り得んやろうもん、そげな都合良かこつ。言うてみんね。何が目的な? どげんして裏切るつもりか? お前は――」







「かはっ……!?」


 セブンポットは、カイエンのみぞおちへ膝蹴りを放っていた! 思わず手を放したカイエンの頭に、もう一撃回し蹴りを叩き込む! よろめき膝をつくカイエン!


「イキんなよ、アタシに負けたくせに」

「お、お前ェ」

「なんでファクトリーを捨てるか、だっけ? 知りたい?」


 セブンポットはしゃがみ込み、カイエンに視線を合わせ……そして、内なる悪鬼を抑えつけたような顔で、言った。



 ……その迫力に気圧され、カイエンは言葉が出て来なくなった。


「センパイ。早く教えてよ。プリッキーの作り方。虫けら共の殺し方」


 嗚呼、ふたりの力関係は、この時決定したと言って良かろう。


「……分かっちょる、言われんでも教えちゃるわ。あの女の命令やけんな」


 カイエンは苦い顔で立ち上がると、レクチャーを始めた。


「知っちょるやろうばってん、プリッキーの材料は人間。そして『闇の種』たい……まずは適当な人間ば選ばんね。なるたけ心に闇のありそうなモンが良か」

「心に闇の無い奴なんているの?」

「揚げ足ば取るな。誰を選んでもそこそこ強いっちゅうこったい。適当に選ばんね」

「はいはい」


 セブンポットはぼんやりと周囲を見回し……そして、ひとりの娘を目に留めた。


 駅の正面に建つ古本チェーン店『まほー堂』。その自動ドアから飛び出してくる、ひとりの女子高生。

 あのお上品な制服は。聖マリベル学院。偏差値六十五の小中高一貫校で、金持ちの子と教師の子がよく通っていた。

 いかにも知的そうなその娘は、何故か半泣きになりながらどこかへ駆けていく。


「あの子にするわ」

「ん、決めたとね。なら――」


 セブンポットとカイエンは、ほぼ同時に地面を蹴り……瞬間移動する黒い炎めいて娘の前に現れた! ふたりの姿は、いつの間にか戦闘衣装に変わっている! ざわつく通行人!


「――そいつが暴れんごと捕まえんね」

「ひっ……!?」

「高い所に連れて行くと良かばい。逃げ場が無かけんな」

「なるほどね」


 セブンポットは少女の腕を無理矢理引っ掴むと、跳躍! ゆっくりと回転する『まほー堂』の看板の上に着地!


「な、何」

「悪く思いなさんな。これも命令たい」


 カイエンもまた追い着き、少女を羽交い絞めにする。


「あとはセブンポット、お前が念じれば『闇の種』が生みだせるたい。それをこの娘の胸に埋め込めば良か」

「ふーん」


 セブンポットは目を閉じると、右手の握り拳に魔導エネルギーを集中させ、開く。

 すると、嗚呼、なんということか。その掌の上には、紫色に輝く半月状の小さな結晶が出現しているではないか。


「これが『闇の種』……これを?」

「あ、ああっ」

「こうして突っ込むわけね」


 セブンポットは種を再び握り締め、少女の胸へ近付ける。するとその手は、少女の体内へずぷずぷとめり込んでいくではないか。


「あ、ああっ、やだ、そんなの、入れないで」

「これだけ? ふーん、簡単じゃん」


 少女から手をずるりと引き抜いたセブンポットは、カイエンに訊ねた。


「すぐに『覚醒』が始まるたい。離れな巻き込まるぅばい」

「あ、そう。じゃあアッチ行ってもらおっかな、コイツに」


 セブンポットは少女をカイエンから引き剥がすと、


「じゃあね、いいとこの嬢ちゃん」


 嗚呼、脚を持ってハンマー投げめいて一回転し、放り投げたのだ!


「嫌あああぁぁぁぁ!?」


 住宅街へ一直線に飛んで行く少女! 遠ざかる悲鳴! 少女の体は、宙に浮いたまま突如赤黒に発光し……!


「来るばい」


 破裂! 轟く爆発音! 揺れる大地! 吹き荒れる爆風! 上がる煙! そして!


『プリッキィイイィイィイイイィイ……ッ』


 身の丈七メートル近い影の巨人! プリッキーが! 住宅二棟を踏みつけつつ、その姿を現したのである!


「……あんま見てて気持ち良いモンじゃないね」

「そら、見た目は気持ち悪かくさ」

「でも、アレがこの町を壊すんだ。ふっ、ふふ」


 セブンポットの歪な笑みをちらりと目で見、カイエンは看板に腰掛ける。


「さて、スイートパラディンは現るぅかいな?」


 きっと来る。セブンポットは確信していた。

 見極めねば。どんな馬鹿娘が聖騎士の名を継いだのか。自分からその名を奪うに相応しかったのか。

 そして……どんな方法で無残に殺してやるべきかを。

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