ストレス限界!マドンナはつらいよ

ストレス限界!マドンナはつらいよ①

 聖マリベル学院。東堂町の隣町、中吉なかよしに位置する私立小中高一貫校。

 昨年校舎が改修され、新築めいた美しさとなったこの学び舎は、今。


「先輩! スイートパラディン直接見たんすよね!?」

「動画上げてる奴いたな、スイートパラディンが戦ってるトコ」

「めっちゃ強かったよねー、スイートパラディン」


「……持ちきりだね」

「持ち切りですよ」


 突如現れた謎の聖騎士、スイートパラディンの話題で持ちきりになっていた。

 中等部も高等部も――敷地が別なので分からないが、恐らく初等部も。聖騎士に無関心を貫く者はそういまい。

 マリ学だけではない。二十三年振りのプリッキー発生。そして聖騎士による討伐。あらゆるメディアは、これを熱狂的に取り上げた。


「仁菜ちゃん、サインの練習した方がいいかな」

「その練習が役立つ事態になったら学生生活終わりですよ」


 安請け合いした昨日の自分を殴りたい。仁菜は早くも後悔しながら、ポケットの重さを確かめていた。ブリックスメーター。聖騎士への変身アイテム。その責任と重圧の質量を。




「チョイス達の世界『ショトー・トード』は、お菓子溢れる素敵な場所だったッチ」

「女王ムーンライト様の治めるその世界で、妖精達は毎日のんびり暮らしてたリー」


 プリッキーを撃退し、生徒全員が無事学校へ戻ったその放課後。

 人目を避けてふたりが屋上へ向かうと、妖精達は(尋ねたわけでもないのに)身の上話をとうとうとまくし立てた。


「ショトー・トードには『スイートファウンテン』っていう夢の泉があったッチ」

「スイートファウンテンは、ファクトリー……つまりこの世界の人間が幸せを感じる度、それに反応してお菓子を生み出す奇跡の泉なんだリー」

「スイートファウンテンある限り、甘いお菓子が主食の妖精は安心して暮らせたんだッチ。でも」

「二十三年前、泉に呪いをかけた奴らがいたリー。それこそがスコヴィランだリー」


 二匹の妖精の語る内容は、恐らくプリッキーを研究している学者ですら知らないであろう事実であった。


「スコヴィランは、不毛の大地『ヤクサイシン』に住む魔人だッチ。その王であるジョロキアは、スイートファウンテンを奪って呪いの泉に変えたんだッチ」

「スイートファウンテンは、ファクトリーの人間の不幸に反応して、辛いお菓子を作る泉になったリー。そしてスコヴィランは、人間を不幸にして辛いお菓子を大量生産する為に、ファクトリーで破壊行為を始めたんだリー」

「えー、ひどい」


 頬を膨らませたのは、甘寧であった。


「お菓子の為に人を不幸になんて。絶対おかしいよ」

「その通りだッチ。そんな身勝手な奴らを懲らしめる為に、女王様はスイートパラディンを遣わしたッチ」

「ふたりの聖騎士のお陰でスコヴィランは滅ぼされ、泉も元にもどったんだリー」

「じゃあなんで私達は今スイートパラディンやってるですか?」


 今度は仁菜が口を挟んだ。話がここで終わりなら、自分達が出る幕も無くハッピーエンドということになってしまう。


「スコヴィランは復活したんだッチ」

「しかも今度は、スイートファウンテンを奪うどころか壊してしまったんだリー」

「えぇっ!? お菓子食べれないじゃん!」

「そうだッチ……」


 チョイスの体はしおしおと小さくなった。


「スコヴィランに国土を荒らされて、家や命を失った仲間も大勢いるッチ。その上、泉からお菓子がほとんど生まれなくなって、みんな飢え死に寸前だッチ」

「スコヴィランはファクトリーをより不幸にして、泉を完全に枯らすつもりだリー」

「そりゃ迷惑極まりない話ですよ」


 仁菜が腕を組んで抗議すると、甘寧も腕組みでそれに同調した。


「自分達の為だけに人をプリッキーに変えて。絶対許せないよ。ぜーったいスコヴィランを倒してみんなを守ろうね、仁菜ちゃん!」


 甘寧にそう言われれば、うんと納得するしかない。

 戦闘後の高揚感も手伝い、仁菜は躊躇無くイエスの返事をした。したのだが。




「倒すって言ったって、スコヴィランの居場所も分からないですのに」


 マリ学の最寄り駅、中吉駅から二つ上った駅。それが甘寧の最寄り駅たる東堂駅であった。

 甘寧の寄り道に付き合う形で、仁菜は駅前の古本チェーン店『まほー堂』に立ち寄っていた。


「女王様によると、奴らは既にヤクサイシンにはいないらしいッチ」

「きっとファクトリーのどこかだリー。迎撃しつつ、奴らの尻尾を掴むリー」

「うーん。それしかないのかなぁ」

「妖精達、公共の場では静かにですよ。見つかるですよ」


 妖精達をカバンに押し込みつつ、仁菜は目的も無く古本の背表紙を眺める。


「仁菜ちゃん、異能を持ったワンちゃん『魔犬』達が東京湾に浮かぶワンちゃん島の縄張り争いの為に命懸けの戦いをする小説『犬闘破壊楽園けんとうはかいらくえんティンダロス』が読みたいんだけど見なかった?」

「甘寧、今タイトル以外言う必要あったですか……む」


 仁菜の目に留まったのは、一冊の本だった。


『トウドウ ―プリッキー汚染、その実情―』


「……なんでまだこんな本売ってるですか」


 仁菜は思わず毒づいた。

 古野憲樹ふるのかずきという社会学者が、九五年に書いた『ベストセラー』だ。


「東堂町は精神に影響する未知の有害物質が出ているため、サイコパスが多い。それがプリッキー被害を拡大させる土壌となった」


 専門外の分野にもかかわらず、何の根拠もなく立てたこの仮説、否、妄想を、大したデータも取らず書き記し、学者の肩書で箔をつけ、無知な読者に広く信じさせた。

 現在は数々の反証により否定されているが、未だこの内容を本気にする者もいる。この本こそ、その後の風評被害を加熱させた原因と言っても過言ではない。


 ……少なくとも甘寧には見せられない。仁菜は本を目立たぬ場所へ移動させようと辺りを見回し、


「……ん? 甘寧、アレ」


 気付いた。店の奥をうろつく、高等部の制服を着たひとりの娘に。


「えっ? ……あ、あれは!」


 ふたりは音も無く移動し、本棚の陰からそっと顔を出す。そして見た。その横顔。間違いない。

 知的な眼鏡。長い髪。この距離でも感じられる清楚さ。男女問わず見る者を思わずハッとさせるその姿は。


「やっぱり、公庄くじょう先輩だ」

「容姿端麗品行方正、実家は東堂町の歴史ある公庄神社、成績優秀で声楽でもコンクール入賞、誰からも頼られ、次期生徒会長筆頭候補とも言われる、あの」

「仁菜、人のこと説明口調とか言えないッチ」


 公庄タマミ。マリ学のマドンナとまで言われる彼女に、こんな場所で会うとは。仁菜は考えてもみなかった。


「声かけてみる?」

「よすですよ、話したこともないのに――ん? なんか様子がおかしくないですか」


 そう、仁菜の言う通り、タマミは先程から妙な雰囲気を漂わせていた。

 そわそわ落ち着かぬ様子で、周囲を幾度も見回している。人目を避けるように。


「どうかしたのかな」

「あっ、動く――えぇっ」


 仁菜は何とか理性で声を押し殺した。

 タマミが向かう先は、本来彼女が入るべからざる場所。黒いカーテンにピンク文字で『18』と書かれた、禁断の地。彼女はそのカーテンを……くぐった!


「……ににに、仁菜、ちゃん」

「あああ、あそこ、って……」


 ふたりは口をあんぐりと開けたまま、お互いに顔を見合わせる。


「えっ、今のがどうかしたかッチ?」

「ちょっと黙るですよ小動物」


 チョイスを再び甘寧のカバンに押し込んだ後、仁菜はごくりと唾を飲んだ。


「ど、どうしよう仁菜ちゃん?」

「どうしようって……くぅ、図らずもマリ学最重要機密を握ってしまったですよ」

「あの向こうって、おっぱいが大きい水着のお姉さんがセクシーポーズでちゅってする写真とかがあるんでしょ? それ見て公庄先輩照れながら鼻血出すのかな?」

「甘寧の想像するエロのレベルがよく分かったですよ……お、追うべきですかね」

「えっ……でも気になるよ、公庄先輩が鼻血出すトコ」

「絶対出さないですけど……分かったです、あくまで見るのは公庄先輩の様子! 周りの棚は見たらダメですよ!」


 先程のタマミめいて周囲を警戒しながら、ふたりはカーテンへ近付く。静かに頷き合うと、仁菜が先頭を切る形でカーテンをめくり……。


「うおっ……あ、甘寧、顔を伏せるです。入って二歩で曲がり角です、そこからそーっと覗くですよ」

「分かった」


 突入! 一歩、二歩! 棚の陰から顔を……覗かせる!


「ぎゃっ!? 仁菜ちゃんこの女の人裸!」

「だから見るなって言ったですよ! 先輩だけ見るですよ!」


 声を押し殺しつつ、ふたりは改めてタマミを見た。どうやら、彼女以外の客はいないらしい。棚の前で、彼女は間違いなく商品を見つめていた。


「DVD見てるですよ」

「立ち読みできないよね……買うのかな」

「ん、待つですよ。何か様子が」


 そう、タマミの視線は間違いなく棚にある。

 が、明らかに楽しげでも恥ずかしげでもない。

 まるで何か重い決心をしかねているような。


「あっ……!?」


 瞬間。ふたりは見た。

 タマミがその細い指で、一本のDVDを取り出す所を。

 そして、嗚呼、何たることか! 彼女はそのDVDを、のである!

 明らかに「間違って入れた」では通用しない! そう、タマミは――!


「公庄先輩ッ!?」

「「えっ!?」」


 仁菜は、そしてタマミは驚愕の声を上げた! 甘寧が身を乗り出し、大声でタマミの名を呼んだのである!

 心臓が飛び跳ねたようにびくんと体を震わせ振り返るタマミ! 数秒のうちに、その顔は恐怖、そして絶望へと変わっていく!


「嫌あああァァァァ!?」


 反対側の出入り口のカーテンをめくり、タマミは全速力で飛び出していく! カバンにDVDを入れたまま! 周囲の商品を床に落としながら!


「先輩!」

「ちょちょ、甘寧ェ!」


 追う甘寧! 商品を棚に戻しつつそれに続く仁菜! 他の誰かが駆けつける前に、仁菜は何とかアダルトコーナーから脱出! が!


「ぎゃーっ!?」


 甘寧が梯子につまづき、本棚に勢い良く激突! 大量の本が降り注ぐ!


「仁菜ちゃん助けてーっ!」

「お客様!?」

「店員さん!? ごめんなさいですよ! すぐ片付けるですよ!」


 仁菜が大急ぎで本を拾い、一旦甘寧を救出する。


「せ、先輩は――」

「もう出て行っちゃったですよ、とりあえずコレ片付けるですよ」

「でも」

「でもじゃないですよ、こっちで散らかしたですから。私も手伝うですよ」

「うぅ」


 甘寧は何か言いたげだったが、やがて本を拾い上げ、片付け作業を始めた。バイトの店員も、特に小言を言うでもなく参加し、三人体制で復旧が進んでいく。


 無論、万引き犯は放置できないが。


 しかめ面で本を片付けながら、仁菜は考える。


 いきなり脅かすのではなく、三人だけで静かに話せる方法とてあったはずだ。

 しかし何と言って切り出せばよかった? いっそ店員や教師に話すべきか? いや、そんなタマミを売るような真似をしていいものだろうか。


 ……少なくとも、甘寧の一手が最善ではなかったことは間違いない。

 甘寧があの現場を放っておけないのは分かる。その思い切りの良さ、正義感の強さが良い方向に働くことも間々ある。

 それでも甘寧の全速力は、少々スピードが出過ぎていて、危うげで。


「あの、甘寧――」


 仁菜が慎重に言葉を選び始めた……その時!




 外から響く爆裂音、そして地震めいた振動!

 再び頭上へ降り注ぐ、片付けたばかりの本達!




「ぎゃあー!?」

「な、何事ですか!?」

「まずいッチ!」


 カバンの中から大声をあげたのは、チョイス!


「ちょ、人前では静かに」

「現れたリー! 邪悪な気配を感じるリー!」

「『現れた』……!?」


 甘寧と仁菜は同時に悟り、そして走り出した! 本の山に埋もれてしまったバイト店員をその場に残し、店の外へ飛び出す!


 嗚呼、そこには血のように赤い空、そして住宅街の中心からもうもうと立ち込める煙の柱があった。そして、煙の中心には!


『プリッキィイイィイィイイイィイーッ……!』


 気の狂いそうな声で絶叫する、影の巨人。

 プリッキーが、再び東堂町に現れたのである……!

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