復活!スイートパラディン!④
「――有り得んッ! 理不尽である……ッ!」
灼熱の荒野、スコヴィランの根城たる地獄の世界……ヤクサイシン。
その大地を虫めいて這う大柄な男こそ、魔王ジョロキア。六枚の翼は既に折れ、立ち上がることすらままならない。
「貴様らのどこに……こんな、力、が」
「知らないのッ!?」
力強く言い放ったのは、水色の戦闘装束を身に纏った少女。
「女子三秒会わざれば刮目して見よ! ッてね!」
彼女の言葉を次いだのは、ピンク色のへそ出し戦闘装束を身に着けた娘。
「スイート……パラディンッ!」
スコヴィランの長は、憎悪の表情でふたりを見上げる。
カイエン。ネロ。モルガン。そしてキャロライナ。四人のしもべを倒したとて。所詮は害虫にも満たぬ矮小な存在。それが何故!
「これが希望の力だとでもッ! ほざくのであるかッ!」
「そうよ!」
「アタシといづみが紡ぐ、これが希望の力ッ!」
「「サモン・クックウェポン!」」
スイートパラディンが手を二度叩くと、聖なる武器が現れる!
「カモン! スイートパレットナイフ!」
ピンクの聖騎士の右手に、日本刀ほどもあるパレットナイフが!
「カモン! スイートホイッパー!」
水色の聖騎士の左手に、大きな泡立て器が!
「希望で腹が膨れるものかッ、小娘ェ!」
ミシミシと全身から音を立てながら、最後の力で魔王も立ち上がる!
「私達、負けない! 東堂町を、世界を、大切な人を守るから!」
「アンタ倒して、言うコトがあんの! あっちで待ってる
ジョロキアを真っ直ぐ見据えたふたりは、その手を固く繋ぐ!
「いくよ、いづみ!」
「任せてっ、ナナ!」
ふたりは再び名乗りを上げた! 絶望を糧とする魔王に、希望の力を刻むべく!
「広がる甘さは清まる心! スイートキャンディ!」
水色のスイートパラディンは叫ぶ! 魔導エネルギーをゴウとみなぎらせながら!
桃色の聖騎士も! 暴風めいた風を巻き起こし、腹の底から声を張り上げた!
「とろける甘さはみなぎる元気――!」
「――スイートチョコレート!」
「……ナナ?」
チョイスは、呆然と彼女の……ナナの顔を見つめていた。
二十三年前に世界を救った魔導聖騎士、スイートパラディンの片割れ。
邪悪なる魔人の王国『スコヴィラン』と戦い勝利した伝説の勇者。
スイートチョコレート。その成れの果てを。
「いや、だって。見た目が全然」
「変わるでしょそりゃ! アンタ達『ショトー・トード』の妖精と違うの!」
ナナは大きく息を吸い、
「チョイス! 妖精の国『ショトー・トード』で女王ムーンライトに仕える勇者! スコヴィランからこの世界を、『ファクトリー』を守る為、スイートパラディンを探す使命を負ってた! 恋人はマリー! 好きなのはビスケット!」
この場で思いつくチョイスのプロフィールをまくし立てた。チョイスの顔色がみるみる変わっていく。
「まさか、本当に……だって、二十三年しか」
「二十三年もでしょ、アンタらとは違うんだって……馬鹿ぁ」
ナナの目がうるみ、ゴミの上に涙が落ちた。
「なんでもっと早く来てくれなかったの、馬鹿、馬鹿……」
「そんなこと言われても、何もないのに来られないッチ」
「あったよ」
ナナは絞り出すように言う。
「いっぱいあったよ。アタシも嫌なこといっぱいあった。誰も頼れなくて。こんなクソみたいな世界で、アタシ、ずっと」
「そ、そんな、頼れる人ならお父さんとかお母さんとか」
「ふざけんな!」
ナナの突然上げた大声に、チョイスは思わず尻餅をついた。
「アタシが東堂町出てからねぇ! 助けてくれる人なんか誰もいなかった! ノイローゼのキチガイババアと他所に女作って出てった性欲ジジイと何話せっての!?」
「じゃ、じゃあ……いずみは」
その剣幕に震えながら、チョイスはそう続ける。
「いずみが、スイートキャンディがいるはずだッチ、キミ達は大親友――」
「そのクソみたいな名前を聴かせんじゃねぇよォ!」
金切り声と共に、『ストロングナイン』の缶がチョイスへと飛んでくる。残っていた中身が飛び散り、床に水溜りを作った。
「あんな売女と話すことあるわけねぇだろォ! アタシが好きだって言ってた男とセックスしてた奴とッ!」
ナナの顔は、憎悪と悲哀で歪んでいた。
「聞きたいのその話? いいよ、聞けよ。アタシ中学卒業と一緒に転校することになってさ。その時告白したんだよ愛しの淳児君に。返事は『ごめん』って、他に好きな人いるって。やっぱアタシじゃダメかって思った。でもさ! そもそも中二の頃から付き合ってたんだよアイツら!」
一旦落ち着いたように見えたナナの語り口は、再び加熱し始める。
「散々相談したのにさぁ! 応援するって言ったのにさぁ! アイツ、そんなアタシの気持ち知ってて、陰で、クソッ、せせら笑って……うゥーッ」
「も、もういいッチ、分かったッチ」
「東堂町出身ってバレてからは高校もほとんど行かなかったよ」
床に崩れ落ちたナナは、それでも続けた。
「大学でもテキトーな男と付き合っちゃ別れて。最初に就職した先でとうとう無理になっちゃった」
「ごめんッチ、軽率だったッチ」
「誰も優しくしてくれなかったよ。酒と薬以外」
ゴミの山の上で四つん這いになり、ナナはチョイスへとにじり寄った。
「アンタのお陰で救われた、ありがとうって。だーれも言わないで、アタシを馬鹿にして。いつの間にか底辺アル中メンヘラババアだよ。どう責任取ってくれんの?」
チョイスの背中には最早壁しかない。逃げ場の無くなった彼には、光の無い目をした女の酒臭い吐息を浴びるしか道は残されていなかった。
「でももう大丈夫。アンタが来てくれたから」
「えっ」
ナナはチョイスを拾い上げ、締め上げるように両手で掴んだ。
「アンタが来たってことは。スコヴィランが復活したんでしょ。聖騎士の力が必要なんでしょ」
「ぐっ、苦しいッチ」
「いいよ、何度でも救ったげる。その為にみんなアタシに何してくれんのかな。クソ仕事とも狭くて汚い部屋ともおさらば。フフ、人生大逆転じゃん」
チョイスは既に涙を流していた。そんなチョイスを再び床へ放り投げ、ナナはゴミの山を漁り始める。
「さてと、素敵なアイテムは……あったあった」
カップ麺の容器に飛び込んでいた懐かしき筒状物体を、ナナは地獄の餓鬼めいた形相で拾い上げた。
「ナナ。その」
「見てなチョイス。復活のスイートパラディンよ。イメトレだけは毎晩欠かさなかったから。だってアタシしかいないもんねぇ、プリッキーもスコヴィランもブッ殺して世界を救えるのはさぁ!」
ナナはブリックスメーターを両手で掲げる。そして叫んだ。もう二十年以上、苦しい時に呟き続けたあの始動キーを。
「メイクアップ! スイートパラディン!」
ナナの周りに光のドームが形成……されない。
「あれ……メイクアップ! スイートパラディン!」
チューハイの缶が、カランと音を立てて転がった。ナナの唇がわななき始める。
「呪文変わった?」
「変わってないッチ」
「壊しちゃった?」
「ソレは魔王の攻撃でも壊れないッチ」
「じゃ、じゃあ」
「ナナ、聞いてくれッチ」
チョイスの顔は、「素敵なお知らせがある」という顔では明らかになかった。
「変身には条件があるッチ」
「ねぇ、その話やめて」
「魔導の才能。性別が女か。魂の形。それから……戦いに耐えうる健康な肉体か」
「おい、やめろ」
チョイスは目を逸らしつつ、言いづらそうに続けた。
「つまり。ナナは、女王様のエネルギーを受け取るには、と、年を――」
「やめろって言ってんだろうがァ!」
ナナの顔は怒りというより、むしろ、受け入れがたい絶望と恐怖に塗れていた。
「年齢制限ってこと? 誰が決めたの、いいじゃんいくつで変身しても」
「そんなこと言われても、チョイスは悪くないッチ」
「知ってるでしょ、アタシがどれだけ強かったか。ジョロキアも部下も、みんなアタシが倒したんだよ。変身さえできたら今も動けるよ。それだけ考えて生きてきたんだから。ねぇ、もう一回変身することだけ考えて生きてきたの。夢だったの。それ以外何もないんだから。ねぇ何とかしてよチョイス、ショトー・トードの勇者でしょ? ねえってば。ここで変身できなきゃアタシただの底辺だよ? 一生金持ちにもなれなくて、誰からも尊敬されなくて、救う価値ゼロの生ゴミみたいな世界で踊ってた単なるピエロなんだよ? なんでもっと早く来なかったの? もう一度戦えるうちに! 馬鹿みたいじゃんアタシ、それだけ、それだけ信じて今日まで……!」
畳みかけるように喚き続けるナナを、チョイスは最早無表情で見ていた。
ナナはやがて膝から崩れ落ち、床に転がる衣類へ顔をうずめると、おうおうと声を上げて泣き始めた。
「……とりあえず、ソレ返してほしいッチ」
チョイスが恐る恐る声をかけた。
「ソレは新しい聖騎士に渡すんだッチ。それが使命なんだッチ」
ナナは返事をしない。ただうずくまったままである。
「……ナナ? もう分かったはずだッチ、返――」
「あああああああああああああああああああああああああ!」
獣めいた絶叫と共に、ナナは突然立ち上がった! ゴミを蹴散らしながら向かう先は、ベランダ! 大きく振りかぶり、ブリックスメーターを放り投げる!
「な、何するッチ!?」
「壊れろそんなガラクタ! 世界と一緒に壊れろ! アタシを苦しめる全部、プリッキーが! スコヴィランが! 全部ブッ壊せばいい! お前らも飢えて死ね! 女王は魔王にレイプされて臓物食われて死ね! 死ね! 死ね! みんな死ねぇ!」
「ひっ、あ、頭おかしいッチ、逃げるしかないッチ、チョイスは悪くないッチ! さっさとマリーと合流して東堂町を目指すッチ!」
コンクリート上に落下し、しかし傷ひとつ付かないブリックスメーターを抱え、チョイスは全速力でマンションから遠ざかった。
ナナには最早、それすら見えていない。
目に映るのは、広がる建物。そこに住む自分に無関心な全ての人々。馬鹿にしたような朝の光。コンクリートの地面。地面。地面。何にもなれない自分が最期に行きつく場所。ナナはその柵を、乗り越え――。
「あらぁ。そんなのもったいないわ」
その声は、ナナの背後。部屋の中から聞こえた。
どことなく聞き覚えのあるその声に、ナナは思わず振り向く。
「お久し振りね。不幸にしてた?」
見た目は二十代後半から三十代前半。目つきの鋭く唇のセクシーな、モデルのように背の高い女。ハリウッドセレブめいたワンピースドレスは、彼女の蠱惑的な肉体を際立たせる。
ゴミの上にハイヒールで立つその姿は、さながら掃き溜めの
「アンタ」
ナナは柵から離れ、彼女へと二歩近付いた。
「……キャロライナ?」
キャロライナ・リーパー。
スコヴィランの最高幹部。
二十三年前に決着をつけ、次元の果てへ呑まれたはずの存在。
「なんで」
「復活したのよ。妖精に聞いたでしょ? ……ああ、立ち聞きしてごめんなさいね」
キャロライナは冗談めかしてクスクスと笑った。
「聞いてたなら知ってるでしょ。何しに来たの、アタシもう」
「聖騎士に、なれない?」
ざくざくとゴミを踏みしめながら、キャロライナは迫ってくる。
近付くほどに分かる病的な肌の白さ、きめ細やかさ。まるで過去が服を着てやって来たかのよう。
「それってそんなに悪いことかしら? だって」
キャロライナの顔が、ナナに肉薄する。
「やっと友達になれるんだもの、アナタとワタシ」
友達。今絶対聞きたくない言葉のひとつ。
「……なんでアンタと」
「欲しかったのよ。アナタが、ずっと」
思わず触れたくなるようなその唇が、ゾクゾクするような声で言葉を紡ぎ出す。
「忘れちゃったの? アナタは魔導の才能がある。素晴らしい魂の形と、戦闘の経験も。卑しいファクトリーの人間は誰も持ってない、誰も評価しない才能が」
ナナの目を見つめながら、キャロライナは艶っぽく微笑む。
「ねぇ、シたいことがあるんでしょ。全部させてあげる。ワタシ達と来れば」
「……アンタ、達、と」
告白されると分かっている少女のように、しかしナナは確かめねばならなかった。
「何しろっての、アタシに」
「――スコヴィランになって、復讐の為に戦うの」
耳元で囁かれたその言葉で、ナナの腰は砕けそうになった。
ナナの耳を唇で繰り返し愛撫しながら、キャロライナは続ける。
「一緒じゃない、ワタシ達。ファクトリーの人間共に苦しめられて、ショトー・トードには見放されて。全部無くなればいいと思うでしょ」
「あ、ふぅ」
「我慢できないんでしょ。シたいんでしょ。シたくてシたくてたまらないんでしょ。へ・ん・し・ん」
「あ、うあぁ……シたい。シたいよぉ」
ナナは、己の下半身がじゅんと反応するのを感じた。
「変身したら、どうしたい?」
「……可愛い衣装着る。ビルの合間を跳ぶ。ヒーロー着地する。武器も使う。必殺技も撃って……それで、殺すの」
キャロライナの指が、するするとナナの腿の間へ伸びていた。
「アタシにしたこと全部、百倍にして返して、はぁッ、みんな殺してやるのぉ」
「素敵」
キャロライナの体がぞわりと震えるのを、ナナは肌で感じた。
「ねぇ、早くシて。欲しいの。変身させてほしいの。シたいのっ」
「魔王に忠誠を誓うなら、今すぐにでも」
「するっ、何でもするからぁ」
キャロライナはフッと笑い、己の懐に手をするりと入れた。取り出したのは、細長く小さな瓶。中の赤い液体は、煮えたぎるかのように蠢いている。
「これは『ソース』。魔王の細胞と魔導エネルギーから作られた、契約の秘薬」
キャロライナはこの蓋を歯で開くと、
「飲ませてあげましょう」
中身を己の舌の上に乗せ――ナナの口にそれをねじ込んだ。
「んん、んッ!?」
瞬間、ナナの口に地獄めいた辛さが広がる! 茨の棘が舌に刺さるような感覚!
「あ゛あ゛ぁ!?」
「吐いたらダメよ。愚者は内臓を灼かれて死ぬだけ。でもアナタは耐えられる」
「げふっ、げはぁん゛ん゛ん゛」
再び、舌を絡める接吻! 絶望のソースが、残らず注ぎ込まれてゆく!
「ん゛ん゛ん゛ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛」
瞬間、ナナの肉体が突如として黒い炎に包まれた! 引火し燃え出すゴミの山! ベランダで転げ回るナナ!
彼女の安っぽい服が、衰えた肌が、痩せた髪が焼け落ちる。その肉体すら燃え尽きたように見えた時――創造が始まった。
黒い長手袋が右腕に、左腕に。黒のブーツが右脚に、左脚に。胸に大きなリボン、吸い込まれそうな暗黒の宝石。燃えるような髪の毛が再生すると、彼女は産声めいた長い悲鳴を上げた。
黒い炎が彼女の体から剥がれた時……既に彼女は別人だった。
キャロライナよりやや若い外見年齢。聖騎士に酷似しつつ、ゴシック&ロリータを思わせる黒と白のドレス。あの頃よりなお美しい、白い肌、紫の爪、緋色の瞳。
「エフッ、エフッ」
気の利いた変身口上など出てこない。ナナが認識できるのは、自宅だった場所がメラメラと燃え上がる音、そして地獄の聖母の微笑み。
「おめでとう。アナタはもう瓶井ナナじゃない。スイートチョコレートでもない」
「――『チョコレート』……『セブンポット』」
かすれ声で彼女はそう名乗った。啓示めいて閃いた、その名前を。
「『チョコレート・セブンポット』。そう、それがアナタの新しい名前なのね」
キャロライナは彼女を……セブンポットをそっと抱きかかえ、柵の上に立った。
「準備は良い? なら今すぐ行きましょう。約束の地……『東堂町』へ」
帰る場所は最早無い。赤子のように抱かれたまま、復活せし絶望の聖騎士、チョコレート・セブンポットは。キャロライナと共にベランダから飛び降り……地面に着く前に、既にその姿を消していた。
後に残ったのは、火事のアパート、騒ぎ出す住人、近付いてくるサイレン。
しかし、このありふれた火災など、これから起きる厄災に比べれば、ほんの些細な先触れにすぎなかった。
全てはこの日に続いており、全てはこの日から始まったのだ。
ショトー・トードとヤクサイシン。幸福と不幸を巡る、長い長い戦いが。
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