1:ふたりはスイパラ
復活!スイートパラディン!
復活!スイートパラディン!①
「聖マリベル学院中等部のお坊ちゃん、お嬢さん方。ようこそ
長テーブルとパイプ椅子が並べられた、広い会議室。制服に身を包んだ中学生達は姿勢よく席に着き、前方に立つ作業着の老人に注目していた。
「おじさんはここの社長で、光野といいます。皆さんの社会科見学が実りあるものになるように。私の頭みたく明るく頑張ろうと思います」
前触れ無き自虐ネタにより、会議室は静寂に包まれた。小太りの老人は、人の好さげな笑みのまま何事も無かったかのように続ける。
「さて皆さん、醸造ってご存知ですか。聖マリベルの皆さんなら知ってますかねぇ。醸造は、発酵という仕組みを使い、味噌とか、醤油とか、お酒とかを作ることですねぇ。ではそもそも発酵とは何かというと――」
「ちょっと
「ふにゃ」
会議室後方。うつらうつらと船をこぐ少女と、右隣でそれを諫める少女があった。
「に、
「甘寧、また夜更かしですか」
「魔王退治を生業とする魔導士が女子高生魔導少女の家庭教師をした結果とんでもないことに巻き込まれていく小説『魔導士のクズ』読んでたから……」
「そこは本読んでたでいいですよ、急にステマするのやめろですよ」
甘寧と呼ばれた長い髪の少女は、未だに夢と現実の狭間で前後に揺れている。仁菜と呼ばれたボブカットに眼鏡の娘は、甘寧の両頬をもちもちと繰り返し押し潰した。
「ぶぅ。ぶぅ」
「ほら、後で感想文書く時困るですよ」
「ぶぅ」
押すと鳴くアヒルの玩具めいて、甘寧は頬を触られる度鳴き声を上げる。
「子ブタですか甘寧は」
「ぶぅ。ぶぅ。ぶぅ~」
その反応が若干癖になり始めた頃……ふたりはようやく周囲の視線に気付き、神妙な顔を繕いつつ姿勢を正した。
「アハハ。少々退屈な話が続きましたかねぇ」
光野は頭を掻きながら苦笑いする。
「じゃあそろそろ、ウチの主力商品の試食コーナーを始めましょうかねぇ」
「試食ゥッ!?」
瞬間、甘寧は椅子から立ち上がり叫んだ。大きな目は煌めき、先程まで夢うつつだったとは思えない。
「ちょ、甘寧」
「あっ、えへへ」
「こ、こんなに楽しみにしてもらえるとは嬉しいですねぇ」
老人の笑う間に、会議室のドアが開いた。盆を持った老婆が部屋へと入ってくる。盆の上には小さなコップがいくつも乗っており、深く暗い色の液体が注がれていた。
「正確には『試飲』ですが、これがウチの主力商品。『黒酢』ですねぇ。早速嫁さんに配ってもらいましょうねぇ」
長テーブルに、老婆が手際よく液体を配ってゆく。
会議室がにわかにざわつき始めた。
「お酢? って思うでしょう。でも、ウチのは特別ですから、ハハハ」
仁菜の表情が強張る。「特別」などと言われても、いきなり酢を飲めと言われればこうもなろう。生徒の誰もが、プラスチックコップとしばし睨み合いを続けた。
……ただひとりを除いて。
「甘寧、一番乗りッ!」
名乗りを上げるやいなや、甘寧は何の躊躇もなくその液体を流し込んだ。
ぎょっとしたような一同の視線は、液体がごくりと通る喉に集まり、
「んッ!? まろっとしてるッ!」
直後、甘寧の感想が、嫌という程のボリュームで全員の耳に届いた。
「酸っぱさにトゲが無い! しかもただ酸っぱいだけじゃなくて、飲み込んだ後鼻をスッといい香りが通り抜ける! それにこのコク! お酢だと思ってたらいい意味で裏切られるヤツだぁーッ!」
「なんで食レポの時だけ語彙が増すですか甘寧は」
仁菜は突っ込んだが、甘寧のレポートは間違いなく流れを変えた。生徒達は少しずつ黒酢を手に取り、口に含んでいる。
「おおっ」
「今日は反応が良くて嬉しいですねぇ」
仁菜が小さく感心していると、光野は満足気な笑みを浮かべた。
「ウチは四百年間、この黒酢を同じ製法で作り続けてます。今日は皆さんに、これがどうやって作られているか見ていただきましょう」
「うわー! すごーい!」
工場の裏手。光野に先導された生徒達は『壺畑』と対面した。
ひと抱えほどもある黒い壺が、広大な敷地にずらりと並んでいる。作業着の中年男性が、壺の蓋を開けて中身を混ぜていた。
「驚きましたか。全部で五万個あります。全部黒酢ですよ」
「五万個もぉ!? 数えるだけで一日終わっちゃう!」
異様に反応の良い甘寧に気分を良くしながら、光野は自作のフリップを掲げ、黒酢の作り方について説明していく。
「この壺の底には、沈み麹というものが入っています。その上にお米。
「職人さんの腕の見せ所なんですね!」
「ワハハ、そうなんです」
不思議なものだと、仁菜は感心していた。
最初から黒酢に興味のあった生徒などまずいまい。にもかかわらず、甘寧の合いの手によって、生徒は今確実に注目している。
「それで、この壺の中。ここで奇跡の化学反応が起きているんです。この壺には、空気を好む細菌と、空気を嫌う細菌。両方が共存しているんですよ」
「えぇーっ!? 真逆のキャラなのに! なんでなんで!?」
甘寧は、人の惹きつける何かを持っている。小学部で出会った頃から、仁菜はそれを感じていた。
「まず底に敷いたお米。これが麹カビと結びついて、お米のでんぷんを糖に変えていきます。この糖を食べて、空気が嫌いな麹の酵母が発酵し、アルコールを作っていくんですねぇ」
「そっか、蓋麹っていうので蓋してたもんね」
「そうそう。だから空気が遮られているんです。でも発酵が進むと、先程まで覆い被さっていた蓋麹、これが段々と沈んで行き、空気に触れ始めます。そしたら、この壺の中に昔から住んでる酢酸菌が目を覚ますんです」
「そっちは空気が好きなんだ!」
「そうです。やっぱり賢いなあ聖マリベルの生徒さんは。ハハハ」
クラスの中心にいるタイプでは決して無い。だが、甘寧が何かをする度に、人は彼女に目を奪われざるを得ない。
「空気の嫌いな麹が糖を食べて、アルコールを作る。空気の好きな酢酸菌がアルコールを食べて、酢酸を作る……真逆のふたりの共同作業で、先程のおいしい黒酢ができるんですねぇ」
「すごーい! 魔法みたい!」
そう、甘寧はまるで――生まれついての魔法使いだ。
「仁菜ちゃんもそう思うでしょ!?」
「えっ? ああ? はい、思うですよ!?」
唐突に話を振られ、仁菜はしどろもどろになりながら回答した。全員の注目が仁菜にも向く。仁菜は、元々小さな身長をもっと小さくして、一刻も早くその他大勢側に戻ろうと努めた。
「おじさんも本当に思うんですよ。この黒酢は、神様の贈り物じゃないかってね」
光野は我が子を慈しむような顔で、壺のひとつを撫でた。
「性質の違う者同士が協力して、ひとつのものを作っていく。社会もこうあってほしいと思うんですよ、おじさんは」
彼の語り口は、心なしか先程よりもやや落ち着いているようだった。
「皆さんは中学二年生だそうですから、当時のことはあまり知らないかもしれないですね。二十三年前、この町……
二十三年前。その言葉が出た瞬間、場の空気が変わったのを仁菜は感じた。
リアルタイムに体験したわけでは確かに無いが、知らないはずがない。
「あまり口にしたくはありませんが。国の未来を担う皆さんには考えてほしい。敢えて言いましょう。『プリッキー』にまつわる一連の事件です」
光野、そして生徒達の顔に緊張が張り詰めた。仁菜は視線を素早く甘寧へと遣る。
甘寧は……無表情だった。先程までのニコニコ顔ではなく、かといって嫌悪や憎悪の顔でも、何かを悲しむ顔でもなく。台風の目のように静かな顔。
「一九九四年。この東堂町に、プリッキーと呼ばれる存在が現れました。『スコヴィラン』という悪い人達の手によって、人間が怪物に変えられて、いろんなものを壊してしまった」
ここにいる誰もが知っている。そして誰もが敢えて口には出さなかった。テレビや新聞、どころか今や歴史の教科書ですら扱われるトピックだ。
「結局スコヴィランが『彼女ら』によって倒されたのは、皆さんもご存知だと思います。幸いにもうちの工場は壊されたりしませんでした。でも代わりに、黒酢が売れなくなってしまいました。味も見た目も全く変わらないのに。東堂町で出来たものを食べると、よくないことが起こると信じる人がいたんです」
何とも説明しがたい居心地の悪さを感じているのは、自分だけではあるまい。伏し目がちになる生徒達を視界の端に映しながら、仁菜はそう感じていた。
「ですが、あの頃と比べて、ウチの経営はだいぶ安定してます。皆さんが黒酢をまた買ってくれるようになったからです」
そんな空気を振り払うように、光野は再び大きな声で言った。
「真面目に続けてれば、周りはその姿勢をちゃんと見てくれるんです。空気を嫌う菌と好む菌のように、必ず分かり合える。共存できるんですねぇ」
今日一番の朗らかな笑顔を、光野は生徒達に向ける。
「皆さんも、おうちの方に是非ウチの黒酢を勧めてください。素材にこだわり、おいしくて、健康にも良い。有害なものなんて何も入っていませんし、何より」
光野は大きく両手を広げ、そして話を締めようとした。
「この東堂町に、もうプリッキーもスコヴィランも存在しないんですか――」
――直後であった! 老人の背後から、耳をつんざく爆発音が響き渡ったのは!
爆風で地面を転がる人々。倒れて中身のこぼれる壺がいくつか。生徒達の悲鳴。落ち着かせようとする教諭達の怒声。事態が飲み込めず慌てふためく小太りの老人。
「だっ、大丈夫ですか甘寧!?」
混乱の中、仁菜は咄嗟に立ち上がると、甘寧へ駆け寄って声を掛けた。
甘寧は尻餅をついたままの姿勢で半分口を開け、虚ろな目で空を見ていた。
否、それは正確ではない。彼女が見ているのは、爆発の中心。壺畑から少し離れた畑の中心から、もくもくと赤い煙が上がっていた。
煙はたちまち空を覆い尽くす。夕焼けとも違う不吉な赤が、世界を包み込む。
やがて、人々は気付いた。
煙の柱。その中に、巨大な人型のシルエットが立っていることに。
どう見ても五メートルはある。あんな人間、いるはずがない。
「……まさか」
仁菜は思わず声を漏らした。
煙が晴れていくにつれ、その真なる姿が露わになっていく。
赤黒い影でできた、のっぺらぼうの巨人。そうとしか表現しようがない。
その姿を、仁菜は、甘寧は、否、ここにいる全員が知っている。
凍り付いた表情のまま、甘寧はゆっくりと、その名を唱えた。
「……『プリッキー』」
『プリッ……キィイィイイィイイイィイィイイイィイーィッ!』
本能的不快感を呼び起こす、名状しがたき雄叫びが周囲に響く。
それは、悪夢の帰還を意味していた。
邪悪の使徒、スコヴィランが。その奴隷、プリッキーが。
二十三年の月日を経て、今、この東堂町に。再び舞い戻ったのだ。
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