スイパラ!ざ・りべんじゃーず -変身少女復讐譚-
黒道蟲太郎
プロローグ
プロローグ
ベルトコンベアに乗って、右からプラスチックのデザートカップが流れてくる。
円いデザートカップは、既にぜんざいで三分の一ほど満たされている。その上にホイップクリームを絞り出すのが、彼女の仕事だった。
白い作業着、白いゴム手袋、その上からビニール手袋を二枚重ね。頭全体と首周りを頭巾のように覆う白い帽子。鼻から下を隠す立体マスク。死者のような目元以外、彼女の容姿は窺い知れない。
その右隣には青いカゴ。クリームで満たされた絞り袋が、中に何袋も残っている。
残量から考えて、この作業があと二時間は続くだろう。うんざりするという気持ちすら、最早湧いて来なかった。
デザートカップが流れる先には、別の白づくめ。彼はクリームの上にもう一度ぜんざいを乗せる。
その次は白玉団子を乗せる係が待っていて、更にその次には蓋を閉める係。更にその先には、『ホイップ白玉ぜんざい』と書かれたラベルを貼る機械。最後に重さを計る機械があって、重さが規定値内に収まっていない商品を次々弾いて行く。
この『トッピング室』で働いているのは、まさに今の機械に弾かれたような人間ばかりだった。
コンビニ弁当、惣菜、サンドイッチ、それからスイーツ。自分が食べるわけでもないそれを、流れ作業で黙々と作る。夜の十時から朝の六時まで。それを週に五日。
こんな仕事したくもないが、他にやりたいこともできることも無し。これを永遠に続け僅かな銭を得るのが、従業員にとっての『人生』だった。
コンベアの動作音に紛れ、中年女性のお喋りが聞こえる。
社員の誰が偉そうだ、派遣の誰が使えない、パートの誰が離婚した。
下世話な噂話。彼女らにとって、それこそが唯一の退屈しのぎであるらしい。
ぜんざいの上にホイップクリームを絞る彼女は、その会話に参加しない。否。彼女はこの工場の誰とも喋らないのだ。仕事上必要な最低限の会話以外は、全く。
そんな暮らしを、七年。七年も続けて来た。
百人以上が働くこの工場で。
一億人以上が生きるこの日本で。
何百億もの人間が暮らすこの世界で。
彼女は、たったひとりだった。
缶チューハイ入りの白い袋を携え、彼女が自宅へ帰り着いたのは、朝七時。
ワンルーム賃貸マンションの六階――つまり最上階、奥から二番目。カーテンの閉め切られた薄暗い部屋が、彼女を出迎える。
脱ぎっぱなしの服、弁当やカップ麺の殻、安酒の缶。燃えるゴミ袋から漂う異臭、舞う小蝿。
玄関の鏡には、三十代も後半のしけた面の女が映っていた。
ツヤの無い白髪交じりの髪。クマのある濁った目。こけた頬、酷い肌荒れ。
この部屋に相応しい粗大ゴミのような顔だと、彼女は度々自己嫌悪に陥っていた。
彼女は靴下を脱ぎ散らかすと、ベッドに腰掛けた。流れるように缶チューハイ『ストロングナイン』の缶を開け、ひと口飲む。九パーセントのアルコールが、様々なストレスをどこか遠くの出来事のように感じさせてゆく。
彼女は荷物からもうひとつ何かを取り出した。
チョコレートムース。別ラインで作り過ぎた余り物だ。安いから買っただけで、選択に大した意味はない。
それなりに口当たりがよく、それなりに甘さが広がる。真心など一滴も感じない、空虚な味わい。
壁にもたれかかり、白い天井を見上げる。
何の意味も無い一夜だった。昨日も、今日も、きっと明日も。このムースの方がまだいくらか価値がある。
こんな日々が待っている等と、中学生の頃は考えていただろうか。何でもできて、大いなる可能性があって、誰よりも強かった、あの頃の自分は。
酒が足りていない。彼女は『ストロングナイン』を流し込むと、ふらふらと裸足でベランダへ出た。
高所から見たコンクリートの地面は、彼女を引き寄せる奇妙な魅力を持っている。
落ちたら死ぬだろうか。
頭からいけば即死だが、脚から行ったら。いや、そんな器用なことはできないか。せめてあの頃なら、中学生の頃なら。こんな高さくらい問題無いのに。そう、あの力さえあったなら――。
「――ァァァぁぁぁぁぁぁ」
彼女の思考は、前方斜め上より聞こえてくる甲高い声によって中断された。
男の裏声のような叫び。段々近付いてくる。彼女は顔を上げ、そして気付いた。
「ああああああああああああああああああ!」
酒が見せる幻覚か!? 何かが猛スピードで飛んで来ている! しかも彼女の顔面へ向かって!
彼女は避けようとしてよろめき、後ろ向きに倒れた!
服の海へ無様に突っ込む女! 謎の飛行物体もまた、ゴミの山を盛大にひっくり返して不時着した!
「うっゲホッゲッホォ!? く、臭いッチ! うわ何だこれ汚すぎるッチ!」
どこかで聞いた、懐かしい声。
彼女はガバリと体を起こすと、ゴミの中で悪態をつくその小さな生物を見た。
片手に乗りそうなサイズで、青くて、モコモコしていて、クマだかネズミだかのぬいぐるみのようだけれども。
それは確かに動き、ぶつぶつと不満げに独り言を吐いていた。
知っている。彼女はそれを知っている。
「……チョイス?」
「うっ、何だッチかここ、ゴミ捨て場――えっ、今チョイスのこと呼んだッチか?」
チョイスと呼ばれたぬいぐるみは振り返り、不思議そうに彼女を見た。あの頃と、自分が一番輝いていた頃と変わらない、呑気そうな表情で。
「キミが呼んだッチか? なんでチョイスの名前知ってるッチ?」
「当たり前じゃん!」
彼女の声帯が、何年振りか分からないほど大きく震えた。
「忘れたのチョイス!? アタシ!
「……ナナ?」
チョイスは、呆然と彼女の……ナナの顔を見つめていた。
二十三年前に世界を救った魔導聖騎士、スイートパラディンの片割れ。
邪悪なる魔人の王国『スコヴィラン』と戦い勝利した伝説の勇者。
スイートチョコレート。その成れの果てを。
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