2.はじめての取材は逃亡の味

 幽霊ビルの隣にあるもんじゃ焼き屋は、『異世界タイムズ』社員の御用達となっている。わたしの歓迎会も十万円返済祝いも、雪男先輩・第2子誕生祝もここで行われた。創業以来の煤や油を吸ったテーブル席は独特の飴色をしており、同じく黄ばんだ壁にはその日の特選メニューが貼ってある。


「あー! ツキシマさん、土手を崩さないでくださいってば」


 熱せられた鉄板のうえでエビイカもんじゃと明太もんじゃがじゅわじゅわと香ばしい焼き音を立てる。ここのもんじゃはキャベツをいっぱいに盛るので、かなりのボリュームがあるのだけども、せっかちなツキシマさんはきちんと焼ける前から端をつつき始めてしまうのだ。


「おまえは俺のかあちゃんか。あっ、おやじさあん、生三つ!」

「わたし未成年です! おやじさん、ひとつはオレンジジュースで!」


 わたしが慌ててキャンセルをすると、もんじゃ焼き屋の寡黙な御主人はすっと顎を引き、すぐに冷えたジョッキとオレンジジュースを持ってきた。うめっ、とツキシマさんがさっそくビールを半分くらい空にする。


「それで? あんたのネタ、本当にいけそうなの?」


 お上品にきゅうりの浅漬けを箸で取っていた黛デスクが尋ねた。

 ツキシマさんが持ち込んだマル秘ネタ――とある王国のお姫さま失踪事件のあらましはこうだ。昔々とある小さな王国に、魔法の鏡を持つメンヘラ気味の王妃さまがいた。王妃さまは毎晩この世界でいちばん美しいのはだあれと鏡に問い、鏡もまたそれはあなたさまです王妃さま、とこたえた。しかしある日、鏡が別のことを口走る。それは白雪。世界でいちばん美しいのは白雪であると。


「なんだか、どこかで聞いたようなはなしですねえ」

「よその世界で起きた実際の事件がこっちで『御伽噺』『伝説』『神話』として語り継がれることも多いからな。おじさあん、生ひとつ追加!」


 魔法の鏡の言葉に、感銘を受けたのは王妃さまだ。我が子を「プリンセス・シラユキ」として世界に発信して注目を集め、その母として著書を多数出版。そのすべてが大ベストセラーとなり、姫のもとには連日報道陣が押しかけた。パパラッチに追いかけ回され憔悴する姫。そして十六歳の誕生日。「わたくし、もうプリンセスはやめます!」と書き残し、白雪は行方をくらませた――。


「えっ、七人の小人は? 王子様のキスはどこですか」

「それはこちらの世界のフィクションだ。さて、行方をくらましていた白雪だが、十五年目の真実! 生きていたことが判明したんだ!」

「つまり、ツキシマ。あんたに電話をかけてきたのは……」

「ああ。今年三十一歳になった白雪さんだ」

「嘘でしょ……」

「いやマジマジ。裏付けもとれてる」


 御伽噺の白雪姫といえば、黒髪、透き通るような白い膚、毒々しい赤の唇という魅惑の美少女。いや、そのまま成長なさっていれば、魅惑のアラサー美女か。それもそれで悪くないな……? わたしがひとり想像を膨らませていると、「それほんとに大丈夫なの?」と黛デスクが眉根を寄せる。


「仮に白雪氏が当時の苦境を告白したら、王妃サイドが黙ってないと思うけど?」

「ばあーか、だから面白いんじゃねえか。十五年を経て解き放たれる確執! 愛憎! わくわくするうー」


 ビールでほんのり顔を赤くしたツキシマさんは、「だよな、バイト!」と期待をこめた目をわたしに向けた。


「白雪さんはうちに単独で取材させてくれるって言ってるんですか?」

「まあな。ふははは、きたぞー、『週刊アナザー・ワールド』をへしおる時が! 『異世界タイムズ』の黄金期が!」


 ちなみに『週刊アナザー・ワールド』はこの百五十年間、売り上げトップを独走している異世界ウィークリー誌で、『異世界タイムズ』事務所内には、打倒!『週刊アナザー・ワールド』の紙が(ツキシマさんの悪筆で)あちこちに貼ってある。黛デスクいわく、売り上げの差は今のところ「絶望的」らしい。


「そういえば、前から気になっていたんですけど」


 わたしが小さく手を挙げると、『週刊アナザー・ワールド』への恨みつらみを述べ始めたツキシマさんを無視して、「なあに、春日?」と黛デスクが尋ねた。


「ここって『異世界タイムズ』の支局のひとつなんですよね? なら、ほかの世界にも同じような支局があるってことですか?」

「ええ。『異世界タイムズ』もそこそこの老舗だから、異世界に四十近くの支局を持っているの。場所はそのときどきで変わるけれど、比較的平和でよその世界に接続しやすい国が選ばれることが多いわね」

「ほええ……。雪男さんやいたずら妖精さんは異世界の方ですよね? すごいなあ」

「春日? 知らないでしょうけど、私やツキシマもここの世界のネイティブじゃないわ。単身赴任でこちらに来ているだけで」

「えっ、そうなんですか?」


 目を瞬かせ、わたしは黛デスクとツキシマさんを見比べる。黛デスクはそういえば、燃えるような美しい赤髪をしていらっしゃるけど、これはもしや染めたのではなく地毛だったのか。しかしツキシマさんに関しては。


「めちゃくちゃ日本人顔ですね」

「なんだ、おまえむかつくな」


 空になったジョッキから意地汚く一滴でも搾り取ろうとしながら、ツキシマさんがこちらを睨んだ。態度さえ悪くなければ、このひとも結構な美人さんだと思うのだけど、口が悪いし、目つきが悪いし、性格も悪いから、総合的にはガラの悪いおっさんだ。


「ツキシマと私は同期でね。お互い別の支局をいくつか回ってからここに異動になったのだけど、そのたび語学研修に異世界マナー研修にって大変なのよ。ほら、特にここって『鎖異世界』状態にあるじゃない? 一般人にまぎれて取材しなくちゃいけないから」

「ご苦労なさったんですね……。ちなみにデスクはもとはどういった世界の生まれで?」

「私の故郷? そうね……うちは一族が皆殺しにされて、今は帝国の支配を受けているから……」


 あっこれ聞いちゃいけなかったやつだ。

 異世界シリアスファンタジーカテゴリのやつだ。

 重量級の過去を食らって返答に悩んでいると、ツキシマさんがわたしの頭を横からわしづかむ。


「おまえなあ、黛のはなしばっかり聞いてなんだよ。俺だって生まれは王子だぞ! 義母から迫害を受けて薄幸な少年時代を送ったんだ!」

「薄幸の王子が三十路になって、もんじゃ焼き屋で生ビール飲んでるその後を思うと、複雑な心境になりますね……」

「ふふん、惚れるな、惚れるな。苦労したぶん人間の出来がちがうんだよ」

「確かに、脳みその出来はちがいそうです」


 ひとしきり、ナルシズムモードに入っていたツキシマさん(とシリアスモードに入っていた黛デスク)は、もんじゃ焼き屋の御主人がデザートの和梨シャーベットを持ってきたのに気付くと、「とにかくも」とまとめに入った。


「やるぞ、バイトっ。今号こそ『週刊アナザー・ワールド』にぃー、勝つ!」



 *



 『異世界タイムズ』の一週間の流れは、金曜の企画会議と担当割り、月曜までは取材と原稿執筆、火曜に印刷所へのデータ入稿と校正、水曜が最終校正及び校了日である。ただし、これはあくまでも理想に過ぎないので、だいたいは火曜の深夜まで執筆とデスク修正の嵐になり、ひどいときは校了日ぎりぎりまで編集が続く。

 産休のエルフさんに代わり、バイトとして雇われたわたしは、週三~四日ほど勤務に入り、経費支払いや資料作成といった庶務や、コラム二本の編集をこなしている。いや、実際はこなしきれておらず、日々ツキシマさんにどやされ、おまえの感性は乾燥ワカメだとなじられ、果ては近くのコンビニまで新作スイーツの使い走りをさせられているわけなのだけども(ちなみ使い走り一回につき、十円のお駄賃をもらっている)。


 ツキシマさんのネタ「激白!元プリンセス・白雪が語る十五年目の真実」は、無事本社の企画会議を通り、『異世界タイムズ』次々号の巻頭8ページの割り振りが決まった。雪男さんといたずら妖精さんは、「七匹の子ヤギ訴訟~母ヤギのネグレクトの真相~」の公判で異世界出張中のため、白雪さんへの取材にはわたしが同行することになった。

 今まで電話取材や張り付きはやったことがあったけれど、大きなネタの取材同行はこれが初めてである。わくわくする気持ちを隠せず、わたしは指定の待ち合わせ場所に向かう間、いつもよりぱこぱこと元気よくリュックを鳴らしていた。


「テンション高えなあ、おまえ」

「えっ、わかります?」


 隣を歩くツキシマさんはジーパンにサンダル姿で、このまま銭湯かコンビニにでも行きそうな雰囲気だ(カメラなどの機材はわたしが持たせられている)。

 水曜の夜九時。いつもなら校了作業に追われているが、今号はほぼ完成して、あとは黛デスクの最終チェックと入稿作業を残すのみ。白雪さんサイドの希望で、会うのは新宿駅近のカフェに決まった。白雪さんは狩人さんとともにこちらの世界に渡り、今は異世界輸入雑貨の下請けをやっているのだとか。


「別の世界への渡航って、皆さんわりとやっているんですか?」


 歓楽街を歩きながら、わたしはツキシマさんに尋ねる。ツキシマさんは地図を読む能力と方向感覚を神様から奪われたかわいそうなひとなので、わたしがスマホを片手に先導していた。


「まあなー。たとえば、俺たちが仕事道具で持ってるのは、これ」


 ツキシマさんはおもむろに、マンションなどに使われていそうなステンレス製のドアノブをポケットから取り出す。『異世界タイムズ』に雇われて最初に支給された仕事道具――『異世界転移ノブ』だ。使い方は簡単で、ノブを二メートル四方以上の平らな壁に押し付けると、空間を転移できるというもの。バイト身分のわたしが転移できるのは、月島にある『異世界タイムズ』第19支局だけだが、黛デスクやツキシマさんみたいな社員は、よその世界にもこのノブを使って移動するらしい。ただし、事故や混乱を避けるため、現地人の目が届かない場所での使用が義務付けられている。


「『異世界転移ノブ』を使った移動は正規ルート。とはいえ、システムの誤作動で勝手に別世界に繋がっちまうこともあるし、ドアノブ偽造や転売ドアノブの被害も後を絶たない。こっちで『神隠し』とかあるだろ。あれはシステムの誤作動で別世界に飛ばされた例だよ。異世界迷子は、だいたいドラゴン騎士団が保護するんだが、そのまま現地人になっちまう奴もいるしよー」

「いわゆるJKが異世界トリップして、現地の王様をゲットしちゃうアレですね」

「こちらでいうとこの国際結婚だな!」


 世界を越えて結ばれる愛かあ……。感性・乾燥ワカメのわたしにはなかなか想像しづらいラブ・ファンタジーだけれども、「現役女子高生に聞く! 異世界妻の苦労話!」みたいな企画をやったら面白いかもしれない。言語と文化の壁、親御さんの理解など、困難の連続だろうし。


「おまえは恋愛とかしてねえの、ティーンエイジャー」

「まあ……、ありますよ。人並みに。片想いですけど」

「うっそ、まじでえ!」


 とたんに興味津々の顔をして、ツキシマさんがデバガメモードになった。


「大学の奴? 写真みせろよお、俺がいい男か判断してやる」

「あなたいったいわたしの何なんですか……」

「そりゃあ、人生の先輩だろ?」

「反面教師のほうですね」


 スマホを寄越せとばかりに差し出してきたツキシマさんの手に、わたしはこぶしを打ち付ける。


「で、どんな奴なんよ。性格は? 顔は? 年は?」


 デバガメ・ツキシマさんは空気を読まずに話を続ける。このひとはほんと、居酒屋で絡んでくるおっちゃんか、恋バナ好きな女子高生である。わたしは丁重に無視をして、スマホの地図アプリを開いた。


「あっ、ツキシマさんここです」


 ちょうど折よく店についたらしい。事前にネットで調べたときフルーツパフェが絶品、と出ていただけあって、外のメニューには生クリームとフルーツどっさりの各種パフェが写真つきで紹介してある。ガラス張りの外観から、店の中が見渡せた。ぴろりん♪ とかわいい電子音がしたので振り返ると、ツキシマさんがスマホで店内の写真を撮っている。


「何かありました?」

「んー? つうか、ここ禁煙じゃねーか」


 ガラス扉に貼られたノースモーキングのステッカーを見つけて、ツキシマさんが眉根を寄せる。

 

「煙草くらい我慢してくださいよ。一時間ちょっとでしょう?」

「おまえはニコチン切れたときの苦しみを知らないんだよっ」

「はいはい」

 

 ツキシマさんがニコチンガムを口に入れ、アルミシートの残骸をわたしに押し付けてくる。ガムを噛みながらひとに会うって社会人としてどうなのか……。無給バイトの身ゆえ、わたしは見なかったことにする。

 店に入って予約していた名前を告げると、奥のソファ席に通された。少し落とされた照明の下で、革のソファに座るふたつの人影を見つける。ひとりはレモン色のカーディガンに清楚なワンピースを着た女性。肩ほどの黒髪はきれいなウェーブがかかっていて、一見すると東欧系の女性といった風だ。確かにもう少女の歳ではないけれど、涼やかな美人さんである。隣には、ちょっとワイルド……というのか、あああなたが狩人さんですネーというかんじのおじさまが並んでいた。

 視線を上げたふたりに、できるだけ愛想よくわたしは微笑む。


「『異世界タイムズ』の春日です。白雪さんでいらっしゃいますか?」

「あ、はい。はじめまして」

 

 おずおずと席を立った白雪さんに、わたしは用意していた名刺を差し出す。


「はじめまして。今日はお忙しいなか、お時間を作っていただきありがとうございました。こちらは担当の……」


 と紹介をしようとして、わたしははたと瞬きをする。

 ――……いない。

 さっきまで後ろにいたはずの男が、いない。

 左右と前後と天地を見回し、ジーパンとサンダルを履いた男が影かたちすらないことを確認すると、わたしは今度こそ固まった。


「ええと、担当が……担当の……担当はですね……」


 担当の五段活用みたいになっているうちに、徐々にその場に不穏な空気が流れ始める。不審そうにこちらを見つめる白雪さんと狩人さんに、わたしはにっこりとわらった。


「すいません、少し失礼します」


 笑顔を張り付けたまま一度店を出て、スマホをオンにする。LINEに一件の新着メッセージ。到着時刻は数分前だ。


『煙草すいたい。あとたのんと』


「――あっっんのニコチン中毒者!!! あと誤字っ!」


 スマホを握りしめたわたしの、声なき悲鳴が響き渡る。

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