3.飛び込め!デッドライン
「失礼しました。担当一名は急病のため、今日はわたしがお話しをうかがいます」
スマホを投げ捨てたい衝動に駆られながら、わたしはひとりとぼとぼと白雪さんたちのもとに戻った。落ち着け、落ち着け……小さな取材ならこの三か月で何度かこなしたはずだ……。自分に言い聞かせながら、ボイスレコーダーとノートを取り出して、いつもの段取りを脳裏に描く。わたしが急に外したせいで、戸惑った様子だった白雪さんと狩人さんもとりあえず席に座った。
ウェイトレスに「コーヒー三つで」とオーダーをして深呼吸。断りを入れてからボイスレコーダーの録音ボタンを押し、ノートを開いた。
「今日はよろしくお願いします。まず、はじめにおうかがいしたいのが――」
「あの、ちょっとその前に確認したいんですけど、これ顔出しと実名報道はなしということでよかったんですよね?」
周りのお客さんを気にして視線をめぐらせる白雪さんに、「お約束します」とわたしはしっかりとうなずく。
「それと取材料は弾むっていう……」
「えっそうなんですか?」
思わず素で聞き返してしまってから、いくらだって言ったんだあのニコチン中毒者、とわたしは胸のうちで毒づく。第一、契約社員がバイトに仕事を押しつけてとんづらってどう考えてもおかしい。ちょっと労基あたりに訴えたい。むしろ無給のあたりですでにおかしい。こんなわたしを救済してくれる機関をあとで真面目に探そう。
白雪さんの目が、こいつに話して本当に大丈夫か?という色を湛え始めたので、わたしは慌てて手を振った。
「あ、イエ。お約束の額をお支払いします。ツキシマが」
「そう。ならよかった……」
ほう、と白雪さんが息をつく。いまや異世界のお姫さまも、顔出しや実名報道を気にしなければならない世になったのか……。わたしがしみじみと憐れむような視線を向けると、白雪さんがまた不審げな顔つきになった。まずい。取材対象との心の距離感を取り払うのは初歩の初歩だぞ、春日よ。
「ええと、それでですね。十五年前の白雪さんの失踪についてなんですけども」
「ああ、あれね」
謝礼の交渉が終わったとたん、白雪さんの態度が一変した。肩にかかった黒髪を払って足を組み、「原因は彼よ」と狩人さんのほうを顎でしゃくる。
「は? 狩人さん、ですか?」
「ええ。当時は継母との確執やパパラッチに追い回されたストレスだとか、さまざまな憶測が飛んだけど、実際は彼と駆け落ちをしただけ。あたし、ちゃんと手紙まで残していったのに、王室サイドがスキャンダルをもみ消そうとうやむやにして、変な噂ばかりが広がったの」
「そ……、それは予想外でした」
てっきり継母とのどろどろの愛憎劇を聞かされると思っていたわたしは、ちょっと拍子抜けをしてうなずいた。
以下白雪さんが語ることには、とある平和な王国で、王女の白雪さんと城に出入りする狩人さんは、幼いときより互いに惹かれ合いながら育った。しかし、白雪さんは末姫とはいえ王女の身分。やがて、隣国の王子のもとに嫁ぐことになり(事前に当たった資料にはなかったが内密にそんな話が上がっていたらしい)、狩人さんとの愛を貫くべく夜の森へとふたり逃避行を!
「めっちゃロマンスじゃないですか!」
「でっしょおー? 『プリンセスと野獣、恋のレッスンは淫ら』あたりの見出しでよろしく」
何やらティーンズラブの副題っぽくなってきたけど、さておき、書き方次第では女性読者の胸を揺さぶる実話ロマンスになりそうだ。これは掘り下げねば!とわたしはノートにペンを走らせる。
「ではまず……おふたりの出会いはどのようなものだったんですか?」
「え、出会い? ええっとおー、彼がお城に雇われたときだったかしら。ねえ?」
狩人さんは無口なたちらしく、顎髭がふっさり生えた口元を少し動かしただけだ。
「お付き合いを申し込んだのは白雪さんから? それとも狩人さんですか?」
「もちろん、こいつに言わせたに決まってるじゃない」
「ほほう。では、プロポーズの言葉は?」
なんだか披露宴の打ち合わせみたいな取材になってきた気がするがかまわない!
「あと、これはぜひ聞かせてほしいです! 白雪さんは狩人さんのどんなところに惹かれましたか?」
「あー……髭が濃いところ?」
「ああ、髭。よいですよねえ、髭……」
「まさかあなたも髭フェチ?」
「異世界で取材ができるなら、ぜひ海賊の国のワイルドなお鬚さまたちを拝みたいところです」
「わかるわあ」
などと、にわかに髭トークで盛り上がっていると、ポケットに突っ込んでいたスマホがまた震えた。しばらく無視していたがしつこいので、「ちょっとすいません」と言って席を立つ。着信はやっぱりツキシマさんだった。
『どうだ、バイト。話は聞けたか』
音声がつながるなり、いけしゃあしゃあとツキシマさんが尋ねた。
「ティーンズ小説ばりのラブロマンスをそれはもうがっつりと。あなたどこ行ってたんです? ニコチンはたっぷり摂取できましたか。そのまま一生分のニコチンを摂取して、ニコチンプールに溺れるといいですよ。ええ?」
『おま、地味なキレ方するなよ……。びびるだろぉ……。――で、話ってのはあれか。狩人と白雪ちゃんが愛の逃避行ってやつか』
「え、なんで知って……」
『話はもう聞き終えたな? 今からふたりを店の外に連れ出せ』
「はい?」
意図がわからず聞き返したわたしに、『何でも理由をつけて』とツキシマさんが言い募る。
『できれば、東側の街灯の下がいいな。店の看板が背景にややぼかして映る位置で。俺が合図するまで、ふたりを何とか引き止めろ。じゃ』
最初のときの唐突さと同様、通話が切れる。「は?」とむなしい音を響かせるだけになったスマホを見つめ、わたしは眉根を寄せた。店の外に連れ出せ、まではいいが、俺が合図するまで引き止めろ、というのはどういう意味なのだろう。しかも「店の看板が背景に映る位置で」って、あのひと写真でも撮る気なのか。顔出ししないって白雪さんとの約束は? ううむと考えこみながら、席に戻ると白雪さんと狩人さんがスマホを片手に何やら話していた。
「だから、逃避行ネタでもう一匹釣れそうなんですって――」
わたしに気付いた白雪さんが「あっ」と驚いた顔をして、耳からスマホを離す。まだ何か喋ってるらしいスマホを狩人さんに押し付け、不自然なまでの笑顔を張り付ける。
「は、早かったわね?」
「上司から急な確認があって……すいませんでした。取材はこれで終了ですが、原稿確認用にメールアドレスをいただけますか?」
「じゃあ、このメアドでお願い」
白雪さんが表示したメアドをスマホで写メする。さて、どうやって引き留めよう……。のろのろとノートをリュックに入れているわたしに、「コーヒー代はそっち持ちね」と白雪さんが抜け目なく伝票を差し出した。
なんだかんだで長時間話し込んでいたため、店を出ると二十三時を過ぎていた。
「それじゃあ……」
「ああっ!」
ヒールを返しかけた白雪さんの腕をわたしは両手でつかむ。何よ、と眉をひそめた白雪さんに、わたしはもごもごと口を開いた。
「えー、ええと、そのー……記念にサイン! サインしてください!」
「はあ?」
「わたしも決して叶わぬ恋の途上なので! 苦境を乗り越えて、彼を射止めた白雪さんに勇気と希望をもらったといいますか……!」
嘘ではない。わたしは今叶わぬ恋をしている。『異世界タイムズ』のタイムカードを押すたび、今日はあのひといるかな? 会えるかな? おはなし……少しはできるかな? という甘酸っぱい片想いを。告白しても玉砕するだけって知っているけれど。
「わたしの恋を応援すると思って! お願いします!」
「そ、そうお? なら一枚くらいは……」
わたしが熱をこめて訴えると、白雪さんは肩にかかった髪をいじりながらオッケーをしてくれた。だんだんわかってきたけど、このひとちょろいところあるぞ。
ツキシマさんの言葉を思い出しながら、「手元が明るいところで……」と東側の電灯の下に連れて行く。さりげなく周囲を見回したが、ツキシマさんらしき人影はいない。本当に合図などくれるのだろうか。これでツキシマさんが現れなかったら、わたしはとんだピエロに。
「名前はなんだっけ?」
「春日です。恋のエールを添えていただけるとさらにありがたく……」
ペンとノートを差し出していると、季節外れの雷が鳴り、あたりが一瞬明るくなる。長く伸びたふたりの影の後ろに、長い尾っぽを見つけて、わたしは小さく息をのんだ。この長い尾っぽ、きらきらと光を反射する銀の鱗、とっても見覚えがあるような、ないような。闇夜に輝く金色の目と目が合って、今度こそわたしは思いきり身を引いた。
「ドラゴン……!?」
「――そこの女、武器を下ろせ」
突如、上空から舞い降りたドラゴンを見上げ、わたしは「武器? 武器ってどれだ?」と慌てながらカメラバックを置こうとする。二体のドラゴンは地上に降り立つと、口をかぱっと開いた。
「白雪と狩人。本名、うさぎどんときつねどん。異世界不正渡航と詐欺罪で逮捕する!」
「ちっ、ばれたか!」
舌打ちをして、白雪さんと狩人さんがどろん!とうさぎときつねの姿に転じる。いやいや、詐欺罪ってなんですか逮捕ってなんですか、そもそもうさぎどんとは!? 立ち尽くすわたしを突き飛ばし、四足歩行で駆け出したうさぎときつねを二体のドラゴンが追う。ひえ、とよろめいてひっくり返りかけたわたしを間一髪二本の腕が支えた。
「ふー、間に合った……」
「ツキシマさん!?」
ぱちぱちと目を瞬かせているわたしを引き立たせ、
「おい早くそれ貸せバイトっ!」
ツキシマさんはわたしの手からカメラバックを奪い取った。
「いま、何が起きているんですか!? あっ、ストロボ要りますか!」
「要る! 電池百パーだな!? ――各世界の著名人を装う男女が話をでっちあげて、あちこちの週刊誌から金銭をまきあげてたんだ。被害額は過去最高の百五十金貨! ふはははは来たぞスクープ! 打倒『週刊アナザー・ワールド』!」
わたしが差し出したストロボを装着すると、ツキシマさんはだむっ!とサンダルを鳴らして、ドラゴンに捕まり手錠をかけられているうさぎどんさんときつねどんさんにカメラを向ける。パシパシパシッ。軽やかにシャッターが切られ、悔しげにこちらを睨むうさぎときつねの姿を激写する。決定的瞬間をとらえた写真をゲット――に思われたが、しかしそうは問屋がおろさなかった。ふたりに手錠をかけていたドラゴンさんがその長い尾っぽをツキシマさんに振り下ろしたのである。うぎゃっと悲鳴をあげて横によけたツキシマさんの首根っこに、ドラゴンさんの爪がかかる。
「ここで会ったが百年目。こざかしいモノカキ蠅め!」
芝居がかった口調は変わらないものの、その声は呪詛に満ちている。髭ノビール剤をすっぱ抜いたことをまだ恨んでいたのか。アスファルトに転がされたツキシマさんの背中を踏みつけ、ドラゴンさんが未だしっかりと腕に抱かれているカメラを取り上げようとする。
「異世界法三条で、我々の職務妨害は禁止されている! データを寄越せ!」
「馬鹿め、こっちは取材の自由があるんだよっ! 春日!」
カメラからすばやく抜いたSDカードをツキシマさんがわたしに放る。
「あとは託した」
「はいっ?」
「おまえならやれる! 全異世界が俺たちを待っているんだ! 校了の最後の一声が発せられるまで諦めるな! あがけ! そして走れ!!!」
「はぃいっ!?」
SDカードを握り締めたまま、わたしはツキシマさんとドラゴンとを見比べる。じり、じり、と数歩あとずさり、ついにその方向性がわからない真剣な眼差しに根負けした。
「二十四万はこれでちゃらにしてくれますか!」
「ちゃらにしたうえ、ストロベリーパフェ生クリームもりもりをおごってやる」
「では追加でパンケーキ生クリームメガ盛りもお願いします!」
ふう、と息を整え、肩を鳴らし、短距離走のフォーム。ドラゴンさんたちに背を向け、わたしはきゅっとスニーカーを鳴らした。小糠雨が降り出した夜の街を駆け抜ける。不夜城の名前のとおり、二十三時を過ぎても人通りは絶えず、ビルのネオンサインがぎらぎらと左右で輝いている。リュックをぱかぱか鳴らして走りながら、わたしはSDカードをリーダーに挿した。スマホの通話ボタンを押して、黛デスクに連絡。
「デスクお疲れさまです、春日です!」
『あら、どーお、進捗は?』
「今日校了分の原稿、トップニュース差し替えでお願いします。とツキシマさんが。題は、白雪姫と狩人の逃避行は嘘だった!? 本誌記者が逮捕の瞬間を激写!で」
『了解。二時間前にツキシマから連絡が来てね、ドラゴン騎士団に通報しがてら、私のほうで原稿を作ってあるわ。本社にも調整済。そのようすだと行けるのね? 写真は?』
「ツキシマさんが撮りました。今送ってます。ああっ」
上空にドラゴンの影がよぎったので、わたしはコンビニの軒下に身をひそめた。
『どうしたの?』
「ドラゴンに見つかりました。とりあえず転送続けます」
『了解』
進捗率は50%。上がっていく数字を見守っていると、上空でドラゴンさんがかぱっと口を開いた。ドラゴンさんは一般人には見えないし、危害も加えられないが、異世界に関わったわたしたちは例外で、姿が見えるし声も聞こえる代わりに、火炎が放射されれば丸焦げになる。あたり構わず火炎を吐かれたら、わたしの分が悪い。
ようし、見つからないうちに『異世界タイムズ』に転移してしまえ、とわたしはリュックからドアノブを取り出す。アンティーク調のノブをコンビニ裏手の壁に押し付けると光の輪郭が浮かび上がった――のを吐き出された火炎が吹き飛ばす。
「うそぉ……」
わたしのアンティーク調木製ノブは一瞬にして炭と化した。くそう、バイトだからと中古の木製ノブを支給されなければこんなことには。ふつりと光が途切れ、ただの壁に戻ったコンクリに手を打ち付け、「……っく」とわたしは咽喉から出かけた嗚咽をのみこんだ。よろめきながら、再びぬかるみの中を走りだす。何故一介の大学生がドラゴンに火炎放射されながら街を走っているのだ! もうこんなことやめたい!
「いたぞ、リュックサック!」
ドラゴンの声に気付いて、わたしは転送状況を確認する。89%……92%……。十メートル近い身体がわたしの行く手を塞いだ。後ろにも尾っぽが回り込んでいる。うう、とリュックを抱き締め、わたしはにじり寄るドラゴンさんを睨み付けた。ツキシマさんはどこへいったんだろう。丸焼けかな……丸焼けかも……。
「SDカードを渡せ」
喉元までドラゴンさんの爪が迫り、わたしを絶望が襲う。
涙でぼやけかけた視界。白み始めた意識の底で瞬いたのは。
――よくやった、春日。
大好きなあのひとの声。
「わかりました」
わたしはポケットを探り、こぶしで握り締めたものをドラゴンさんの爪の上に載せる。銀色をした四角いそれは――ツキシマさんのニコチンガムのアルミシートである。その瞬間、ぴろりろりん♪と転送完了の通知音が鳴った。
「おまえまさか……」
「そのまさかだとも」
ドラゴンさんが古風な物言いをするので、つられて昭和時代のミステリ小説みたいな応酬を返しつつ、わたしは再び短距離走(ハードル)のフォームを固めると、ドラゴンさんのもっとも低い尾っぽのうえを飛び越えた。あとは脱兎、あるのみである! まだ通話がつながったままのスマホから黛デスクの声が聞こえた。
『届いたわよ、春日。お疲れ、よくやった』
「写真いけそうです?」
『今画像をはめたデータを印刷所に入稿した。23時59分――』
「校了っ!」
わたしのガッツポーズが夜の街に上がる。
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