爆走ガール&B級記者
糸(水守糸子)
1.記事の差し替えはお早めに
毎週水曜はまる焦げになっても滑り込む!我々の校了日<デッドライン>。
*
「そこのリュックサック止まれえぇえ!」
稲妻ひかる、9月初旬の新宿。濡れたアスファルトのうえをリュックをぺけぺけ鳴らしながらわたしは走る。さすが不夜城。日付変更近くにもかかわらず駅付近の通りに人は絶えない。
「すいませ……っ、ちょ、すいません、通ります!」
行き交う人々にどかどかぶつかりながら、肩越しに視線を投げれば、巨大なドラゴンが駅南口バスタ上空を翼を広げてさっと翔けた。あぁああ…とひとり奇声をあげ、わたしは身を隠した改札前でスマホの通話ボタンを押す。とぅるるる。コール音が一回鳴ったのち着信。
『――こっっっの鈍足がっ!』
「ご心配おかけしました、春日無事です!」
『俺が心配しているのはおまえじゃなくて、12センチ×8センチのこの空白だ! ブツは撮れたんだろうな?』
「ええ、ドラゴンの髭にまつわる不正の瞬間をがっつりと。今送ります」
スマホを顎と肩のあいだに挟んで、首にかけたカメラからSDカードを抜き、リーダーをつけた端末につなぐ。指定のファイル便を呼び出して、何枚かの写真を転送。画面が切り替わり、転送の進捗状況が表示される。そのさなか、端末を握るわたしの手元に翼の影がかかった。
「いたぞ、リュクサック!」
「あああっ」
『どうした?』
「ドラゴンさんに見つかりました!」
『まじかよ、リーダーだけは放すなよっ』
駅の改札に回り込み、体長十メートルはあろう白銀のドラゴンさんがわたしの前に立ちはだかる。髭ノビール剤の不正使用により、先ほどは毛量が足りなかった髭も今ではふっさふさだ。改札を出た疲れた顔のサラリーマンや飲み会帰りの女子大生がドラゴンさんの半透明な身体を突き抜けていくが、ドラゴンさんに気付いたそぶりを見せる者はいない。――そう、わたし以外は。
「忌まわしき『異世界タイムズ』の狗め。今日という今日は成敗してくれよう」
「うぬぬ……」
わたしと対峙したドラゴンさんが金色の目を光らせ、厳かに告げた。
なお、この芝居がかった口調はドラゴンさんの方言のようなものなので、気にしないでほしい。古今東西、重厚なファンタジー界で数々の活躍がみられるドラゴンさんである。今では異世界をまたにかけ、ドラゴン騎士団というこの世界でいう警察組織をつくり、全異世界に秩序と平和をもたらしていらっしゃる。彼らからすれば、ちまちまと不正を暴き、醜聞をつつく我々は、こざかしい蠅とかダニのような存在なのである。
「ファイヤー!!」
ドラゴンさんがかぱっと口をあけて火炎放射したので、わたしはリュックを守るようにして再び雨の降る路上にまろび出た。赤い炎がわたしのすぐ脇を通ってタクシーの並んだ甲州街道を駆け抜ける。この炎はこちらの世界のものには作用しないが、わたしたち『異世界タイムズ』の人間は別だ。まともに浴びれば、新宿のど真ん中でわたしは突如謎の焼死を遂げることになる!
『おい!まる焼けか? おまえの遺志は俺が継ぐから、写真は送ったな!?』
「ちょっと黙っててください、ドラゴンさんに見つかってこっちは大変なんです!」
『紙面に穴をあけたらこっちだってクビきりもんなんだよ! あと4分! いけるか、いけるな!?』
「進捗98……99……100%! 転送完了しました! 写真は明度あげて、ドラゴンさんの手元が見えるようにトリミングして使ってください!」
ファイルを開く操作音が通話口越しにして、「おまえナニコレ下っ手くそ」とかぶつくさ呟きながら、ツキシマさんが画像処理を行う。上空を見上げると、ドラゴンさんがまたかぱっと口を開けていた。データは送信済なのにしつこい皆さんだ! 舌打ちして、わたしは周囲に人がいなくなったのを確認すると、リュックから銀の房つきのアンティークなドアノブを取り出す。
「ツキシマさん、どうです?」
『オッケー。23時58分、校了だ』
その言葉を待たず、ドラゴンさんが火炎を吹き、わたしはノブをつけた壁から生まれた扉を蹴り開けた。
*
わたしが夏からバイトをしている『異世界タイムズ』は、東京・月島のもんじゃ焼き屋の隣に支局を置いている。夏季休業中の大学にレポート提出をしてきたわたしは、リュックをぱこぱこ鳴らしながらビルの外階段をのぼる。近所のひとから「幽霊ビル」と呼ばれるこのビルは老朽化が進み、きのうの雨のせいでところどころ雨漏りしている。薄汚れた擦りガラスのドアを開けて、わたしはタイムカードを押した。
「お疲れさまでーす」
「――はあ? 記事の差し替えだあ?」
わたしの挨拶にかぶさるようにツキシマさんのガラの悪い声が爆ぜた。椅子に行儀悪く座ったツキシマさんは、腰痛防止のあざらしのぬいぐるみを右手でもみもみしながら「なんで? どこの差し金?」と矢継ぎ早に電話の相手に質問を重ねている。わたしの机はツキシマさんの隣で、現在彼の長いおみ足がキーボード付近まで横たわっていた。
「ちょっとツキシマさん。足どけてください」
「だから、どこの差し金かって聞いてんだって。どうせあれだろ、ドラゴン騎士団OBの皆さまが乗り込んできたんだろ。髭ノビール剤の不正使用なんて、ドラゴンのイメージを損ないかねないとかなんとか……」
ツキシマさんはわたしの抗議はまったく耳に入らない様子で、足を組み直した。わたしはその脛の上にリュックをでん!と置く。ふぎゃっ、と変な声を上げて回転椅子からツキシマさんが転げ落ち、はずみに電話が切れた。
「あっ、すいません」
「すいませんじゃねえよ。最近の若者はひとの足の上に荷物おくのが常識かよ」
「イエイエ、ひとの机に足置いてるあなたのほうが非常識ですって」
「ああ?」
ひと回りは年下のアルバイトに本気で因縁をつけてくる、この心の狭いアラサーがツキシマさん。東京でふつうの大学生をしているわたしが『異世界タイムズ』に雇われる原因を作った張本人だ。無駄に長い足と無駄にうつくしく整った顔が自慢だが、態度の悪さと心の狭さのせいで、減点して余りある残念なアラサーだ。打ち付けた腰をさすりながら立ち上がり、ツキシマさんは切れてしまった受話器を乱暴に戻した。
「ツキシマ、備品は大事にして!」
さして広くはない編集部の最奥から鋭い声が飛ぶ。今日は雪男さんといたずら妖精さんは取材に出ていて、最奥に座っているのは『異世界タイムズ』の女性デスク――
「黛ぃ。ドラゴンの髭ノビール不正第二弾、差し替えろってさ」
「差し替え? 誰の命令?」
「本社から。ドラゴン騎士団OBの申し立てがあったんだってよ」
「ったく、歴史だけは古い老害め」
黛デスクは眉間に皺を寄せ、ゲラに入れる校正用の赤ペンをくるりと回した。
「春日、この間取材したマンドラゴラの絶命お料理教室があったよね? あれを代わりに入れる。至急仕上げてツキシマに見てもらって」
「了解です」
「黛デスクー。俺、別の取材あるんだけど。おまえ見てやってよ、こいつの乾燥ワカメみたいな原稿」
「春日はあんたが入れたバイトなんだから、あんたが面倒みなさい」
ぴしゃりと返した黛デスクに、なんだかんだ口では勝てないツキシマさんが面倒くせえなあ、とぼやく。ちなみにツキシマさんの「別の取材あるんだけど」は八割がたが嘘である。舌打ちして座り直したツキシマさんが「三時半までな」と時間を区切った。今は二時四十五分。一時間もない。
「せ、せめて五時までにしてください……」
「そっから見たら、一度家帰れないだろうが。地獄の前に寝たい。録りためてたドラマ見たい」
「昼寝ならいつもそこでしてるじゃないですか」
「うっせ。減らず口叩く暇あるなら手を動かせ、鈍足女子」
あざらしのぬいぐるみをわたしの肩にぽすぽすと打ち付け、ツキシマさんが悪態をつく。ドラゴンの記事が差し替えられた件は、わたしでうさ晴らしすることにしたらしい。この粘着質。パワハラ。腰痛もち。31歳のおっさんがあざらし持っててもぜんぜんかわいくないんだからな。内心で毒づきつつ、わたしは記事作成用のソフトを立ち上げる。多異世界語対応のソフトで、わたしのように異世界共通語が読めない人間でも日本語で文字入力ができるから使いやすい。
――とまあ、おわかりのとおり、わたしはごく普通の日本の女子大生である。
春日、という。年は19歳。
春に故郷の長野から進学とともに上京したわたしが、何故『異世界タイムズ』などという胡散臭いウィークリー誌の編集部で無給バイトをするはめになったのか……これには山より高く谷より深いわけがあるのだけども、かいつまんで言えば、ある日大学に遅れそうになったわたしが自転車を超特急で走らせていると、角から飛び出て来たツキシマさんにぶつかってしまった。そのはずみにツキシマさんの持っていたカメラのレンズが壊れ、修理費に二十四万円がかかることに。学生であるわたしにそんな大金あるはずもなく、「なら身体で払ってもらおうか」というツキシマさんの下衆な企てによって、『異世界タイムズ』のバイトとして、晴れて七月から雇用となったわけである。
ちなみに『異世界タイムズ』というのはその名のとおり、異世界をまたにかけるウィークリー誌で、異世界に99億の購読者を持つ。ツキシマさんいわく、わたしたちが住むこの世界も、千以上ある異世界のうちのひとつらしい。「鎖国」ならぬ「鎖異世界」状態にあるこの世界ではあまり存在を知られていないが、よその世界では、他の異世界情勢を知るために『異世界タイムズ』をはじめとした週刊誌がたいへんな人気を博しているのだとか。
「おまえさあー」
わたしが三時半ぎりぎりで仕上げた原稿を一瞥するなり、ツキシマさんは渋い顔をした。その手にはおやつの安納芋アイスが乗っている(もちろんわたしの分はない)。
「ナニコレ、ぜんぜんだめ。マンドラゴラがいかに恐ろしいのか、その悲鳴が聞いた者をどれほどの恐怖に陥れるのか、それでもマンドラゴラで料理をしたい!っていう対象者の原動力とか熱量みたいな? そういうのがぜんぜん伝わってこない。おまえの感性、干物なの? あと何だよ、この『マンドラゴラのお酢』って誤字。雄とお酢じゃぜんぜん意味ちがうだろーが、お酢組合からクレームくるぞ」
とぐだぐだ言いながら悪筆で赤入れをしたのち、ツキシマさんはそこだけすがすがしい笑顔で言った。
「はい書き直し」
赤が入り過ぎてもはやよくわからなくなった『絶命!マンドラゴラのお料理教室』の記事を握り締め、うぬぬとわたしは言い返したいのをこらえる。このひと見た目もやってることもぜんぜんまともじゃないのに、若干言っていることがまともっぽいのが、
「余計にむかつくというか……」
「おい聞こえてるぞ、アルバイト」
安納芋アイスの木べらを口にくわえたまま、ツキシマさんが半眼を寄越した。このスイーツ大好きな暴言男は、仕事だけは鬼のように速いうえ完璧なので、自分の担当ぶんの記事はデスクチェックまでを終えて、パソコンでのんびりニュースやツイッターを見ている。くそう、何故ひとの品格と仕事のクオリティは一致しないのか!
わたしが地団太を踏んでいると、ダダンダッダダン!と某ハリウッド映画の効果音がツキシマさんのスマホから鳴った。
「はい、ツキシマ。おおーあんたか」
しゃぶってた木べらを空のアイスカップに入れると、ツキシマさんはオヤジサンダルを鳴らして席を離れる。わたしがなんとなくツキシマさんの背中を見ていると、黛デスクと目が合った。
「春日」
小さく手招きをされ、わたしは小走り気味に黛デスクの席へ向かう。黛デスクの前には、来週入稿分の『異世界タイムズ』のゲラがあり、赤のチェックが入り始めていた。巻頭グラビアは、オオカミ少年のセクシーけものショット。ほほう。
「大丈夫? あいつは言葉半分で聞き流していいからね」
粘着男がねちねち赤を入れているのを気にして声をかけてくれたらしい。黛デスク、バイトにまで細やかな気配りがあってすきだ。じいんと胸を打たれつつ、わたしは首を振った。
「平気です。次の原稿であいつを唸らせてやる!と思うとむしろ闘志がわいてきます」
「さすがいい根性してるね……。どう? 二十四万返し終えたら、うちで正式にバイトしない?」
「そこはお給料次第といいますかー」
「時給1,150円」
「高くも安くもない絶妙なラインですね!?」
残業と粘着質あざらし男さえいなければ、考えてもいいかんじがするのだけども。
「おい、黛ぃ」
話していると、その粘着質あざらしスイーツ男がぺったんぺったんサンダルを鳴らして外から戻ってきた。黛デスクの机に手をついて、にやりと笑う。
「きたぞ、スクープ」
こういうときのツキシマさんの目は、獲物を見つけたライオンというか、死肉にたかるハイエナなのである。
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