暗潮

 エミールはいきなり立ち上がった。

「見せたいものがある」

 不審に思いながらもディランは後に続いた。漁に使う道具などをしまっておく納屋だ。その扉を開ける。

「これは……」

 ディランは中にあったものに絶句した。

 球形の、圧力核。潜水艇の中心部だ。だが構造材の多くに錆が浮き、わずかだか歪みも見て取れる。潜水艇の一部。

「これは、俺の棺桶だ」

「父さん、まさか海に。馬鹿な、それじゃ自殺だ」

「まあ聞け。コーデリアと同じ種族、<海の民>には信仰があった。海底にあった遺跡が証拠だ。では、なぜ、噴火が起こるような場所にコーデリアを残したんだ? 彼らのテリトリーなんだ、人間なんかよりよほど詳しいはずだ」

「それは……逃げ遅れたとか……」

「赤ん坊ひとり置いてか? たぶんな、コーデリアは生贄いけにえだったんだ。わざと噴火の起きそうな場所に置かれた。彼らの神に捧げるために」

「僕たち人間からすればそんなことはわからない。そんなことを言われても」

「コーデリアはなぜ人間に似ていた? 彼らの神は、人間に似ていたんだろう。いや、人間に似ているとすれば悪魔か。彼らにとっての悪魔に似せた子を滅ぼすことが重要な儀式だったのかもしれない。俺はそれを奪い取った」

 エミールは淡々と話す。

「その結果はどうだ。噴火は大規模に起こり、今もなお島は拡大している。彼らのテリトリーは滅茶苦茶になった」

「それは単なる自然活動で――」

「彼らには新しい生贄が必要だ。老いぼれにそんな大役が務まるかはわからんがな。儀式は完遂かんすいせねばならん」

「なにも父さんがそんなことしなくてもいいんですよ! 根拠なんて何もない、父さんの思い込みじゃないですか」

「もちろんその通りだ。 で、何が悪い?」

「残される方の気持ちは考えたことあるんですか。家族の気持ちは」

「マリアンもお前もリタも、コーデリアもリカルドもみんな俺の家族だ。もちろん、アシュリンも。彼らの神がどう思うかはわからないが、もし――もし彼の怒りが収まってアシュリンが変身しない可能性が少しでも増えるなら、わずかに残った俺の命くらい使う価値があると思わないか」

「もう決めたんですね」

「ああ」

「ひとこと言わせてください」

「ああ」

「……このクソッタレの、頑固爺い。あんたは最高の父親だったよ」

「すまない、ディラン」


 エミールが癌で死亡したという知らせは街を驚かせた。偏屈ではあるものの本質的には気のいい、病気とは縁がないと思われていた漁師の死は、近所に住む人たちの悲しみを誘った。

 葬式を済ませた後、故人の希望で遺体は船で沖まで運び、海に投棄されることになっていた。



「まさかこんなペテンに巻き込まれるとはな」

「付き合いのいい友人を持って俺は幸せだよ」

 と、トムに返した。

「大したことはないんだ。ただ死ぬのが少しばかり後になっただけのことさ」

 トムは潜水艇を見上げて言った。

「本当に行くのか。移動する動力もない、母船から空気と電力を送るケーブルも接続しない。ライトとカメラとマイクとバッテリーを付けただけの、ただ沈むだけのこいつで。二度と浮き上がれないぞ」

「ああ。決めたんだ」

「そうか。さよならは言わないぜ。気が変わったらハッチを開けていつでも泳いで来い。日が沈むまでは待ってやる」

「感謝するよ……だけど、あんまり期待はしないでくれ」


 エミールの乗った潜水艇――とは名ばかりの、圧力核に最低限の機材をつけただけの代物が海に投棄された。

 青い海中を写していたモニタが、すぐに暗さを増す。黒一色になるまで時間はかからなかった。ライトをつける。

 外部の音を拾うマイクも沈黙したままだ。

 ただただ、エミールは沈み続ける。

 不気味にきしむ。酸素がなくなるのが先か、圧力核が耐えきれずに壊れ、海水に飲まれるのが先か――。

 恐ろしくはなかった。

「コーデリア、俺の娘。俺もへ行くからな」

 息が苦しい。

 その時、マイクがかすかな音を拾った。

 口笛のような音のあとに、たどたどしく、しかしはっきりと――。


『――おとうさん。わたしをそだててくれて、あいしてくれて ありがとう 』


 強く白い光の中で、エミールは聞いた。眩しすぎて目を開けていられない。涙がとめどなく流れる。あの美しかった、人間の姿のコーデリアが確かにいた。



 深海の圧力の中で、エミールの乗った潜水艇の核は耐え切れず変形し潰れた。



 闇の中に落ちてゆく。


 音もなくゆっくりと、永遠にも思える速度で。






                    終


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