潮鳴
「まずはコーデリアと初めて会った日のことから話そう」
エミールはランプの明かりの向こうに昔の光景が見えるかのように、語りだした。
* *
エミールはまだ若く、海底調査を目的とした公共団体の職員で、潜水艇の操縦士として働いていた。妻のマリアンは3歳のディランを世話するのに忙しい日々だった。
その日もいつものように調査海域に潜っていたエミールは、いつもと違う海底の奇妙な様子に気づいた。
異様なほどに平坦だ。
それに、柱のようなものが等間隔に続いている。大半は途中から折れてしまっているが、これが自然にできたものとは考えにくい。
「トム……トム! 見えているか」
エミールは海中から、母船のオペレータであるトムを呼び出した。
「ああ。なんだこいつは。
「位置的にこんな近くで大陸なんてことはないだろう。だがどう見ても人工物だぞこれは」
「海底遺跡?」
「可能性は高い。時代まではわからんが」
巨大な石の板を積み重ねたような形状だが、その段差は1メートル以上はある。
まるで巨人が建造したようだ。
明らかに方向性があり、潜水艇が今いる場所から奥に続いている。
「これは……通路かな」
「エミール、もしこれが巨石文明群の一つなら、通路のいちばん奥は……<王者の場所>だ」
「なんだって?」
「遺跡には共通のパターンがあるんだよ。エジプトのピラミッドがわかりやすいな、通路の奥には王の棺があるだろ、そういう極めて重要な場所がたぶん……ある」
「行ってみよう」
「待て、エミール。温度計の数値が変だ。海水温が上昇している」
「何か見える……<大広間>の中心だ」
「警戒を怠るなよ」
「判ってる……接近する……まるで祭壇のようだ、ストーンヘンジに似てる……中央にある物体は繭のような卵のような……付着物はあるが、アームで持てそうだ」
潜水艇が振動を感知した。
「こいつは――」
「逃げろ! そこは海底火山の真上だ、噴火するぞ! モニタが真っ赤になるほど海水温が急上昇してる!」
「しかしこれだけは――」
「馬鹿野郎、てめえの命が優先だろうが! こちらも退避する!」
振動が続いている。
エミールは操縦レバーを倒し、母船の進行方向に合わせて全速で進む。チャンスは一回だけ。
アームがそれを掴んだ。バラストを捨て、急速浮上する。
「逃げろ逃げろ逃げろ!
トムの声を聞きつつ船尾側のカメラのモニタを見る。
黒い闇の中に1つ2つ、白い影が登ってゆく。あれは――泡だ。岩盤に亀裂ができた証拠。いつマグマが噴出してもおかしくない。
「来るぞ、トム!」
船の後ろを何か巨大なものが通り過ぎた。クジラか? と、
突然潜水艇の尻が跳ね上がる。轟音とともにものすごい勢いで全身が振り回された。
まるでシェーカーに入れられた酒だ――外部センサー類は警戒音のレベルをとうに超えて死んでいる。
何度めかの後頭部への一撃は強烈だった。エミールは気を失った。
目を覚ますと、再圧タンクの中だった。
見慣れた装置類だ、ということは調査母船に拾い上げられたのだ。
「おう、目が覚めたか」
トムの声がスピーカーから聞こえる。
「無事だったか。さすがに悪運が強い」
「抜かせ、状況はどうなんだ」
「潜水艇はスクラップ同然。よく生きてたな。噴火の方は――そっちの端末で見てみるといい。新しい島が誕生して、まだまだ成長中だよ」
「海底遺跡を再調査なんてできそうもないな……。俺が持ってきたやつはどうした。何かわかったか」
「それがな、エミール……」
「どうした、歯切れが悪いな」
「材質はまあ、非常に薄い石灰質で、まあ
「……?」
ため息をついたトムは、お手上げとでもいうかのように両手を上げた。
「信じられないだろうが、中にいたのは、赤ん坊だったよ。可愛い女の子だ」
「またまた、そんなジョークじゃ笑えないぜ」
「高圧神経症候群のチェックも含めて10日はその中にいてもらう。かなり急な浮上だったから、減圧症も怖いしな。その間に彼女の名前でも考えておけよ」
「馬鹿な。200mの深海だぞ? 生存できるわけが――」
「俺に聞くな。陸に上がってから調査するしかないさ。それ以上に差し迫った問題があってだな」
「問題?」
「この船にゃ、おむつやミルクは積んでないってことだ。ヘリを飛ばしてくれるよう要請はした。じゃあ、ゆっくり休め」
本気で端末を殴るところだった。体中の骨がギシギシと鳴っている。エミールはしつらえのベットに倒れこんだ。
――海底の、お姫様? ディズニーかよ。
赤ん坊をいくら調べても人間と異なる点は見つからず、となると人権的にも解剖などするわけにもいかず。
俺が拾ったんだから俺が育てるとエミールが宣言すると犬や猫じゃあねえんだぞとトムが言い返した。
「息子が一人いるんだし、もう一人くらい大丈夫だろ」
「それは奥さんが納得出来たらの話な」
命には別条なかったものの、臓器の一部に変調を起こしていたエミールは海底調査の仕事を辞めた。家を建てて漁師になった。
コーデリアと名付けられた女の子は結局エミールとマリアンが育てることになった。
* *
「よく母さんが承知しましたね」
ディランの目つきが怪しくなってきた。
「マリアンは女の子を欲しがってたからな。だがな、あの子を実際に見たら施設に送ろうなんて思えんさ」
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