眇眇(びょうびょう)たる方程式

方程式もの。

前編

 彼は一人ではなかった。


 彼の視界に浮かんだヴァーチャル・ウィンドウに、ALERTの赤い文字が点滅している。

 赤の点滅付き警告なんて、宇宙を航行しているパイロットがもっとも見たくないものの一つだ。

 それはすなわち、搭乗者の生命の危険を意味する。

 

 視線誘導でヴァーチャル・ウィンドウを操作し、警告が出た原因を探る。

 カーゴ・エリアの重量がおかしい、ようだ。

 

 彼は民間の運航業者である。

 積み荷をごまかして一儲けしようなんて依頼者はザラにいる。トラブルを未然に防ぐため、カーゴ・エリアには床の重量計をはじめ、各種のセンサーが設置されているのだ。

 出航する前にダブルチェックした数値より、明らかに重量が増加している。

 熱量計サーモグラフィにセンサーを切り替える。

 積み荷のワクチンではありえない、熱を持った、オレンジ色の物体が映っていた。

 

 彼は舌打ちした。

 ――油断した。密航者だ。

 

 本来なら、燃料も酸素の量も、十分に安全係数をとって搭載しておくのが決まりだ。宇宙はあまりに広く、トラブルが発生しても簡単に救助に来られるわけではないのだから。

 今回だけは特別だった。

 

 ある惑星で突如、疫病が発生した。

 感染力が異常に強く、死亡率も高い。重大疾病に指定されている厄介な代物だ。

 しかも、有効なワクチンのストックが近くにないという。

 下手をすると惑星一つが死滅しかねない、という事態だ。

 連邦政府は緊急措置として、官民問わず、ワクチンをできる限り早く届けられる宇宙船を募集した。


 彼はその仕事を受けた。

 速度を確保するために宇宙船の重量をギリギリまで削った。

 もちろん、燃料や酸素もその対象である。

 要するに、この宇宙船には彼一人とワクチンがその惑星まで行く、それだけの量しか積んでいなかったのだ。


 通常とは違う、慌ただしい出航前チェックで、細かいところまで目が届かなかったらしい。

 パイロットの彼とは別の誰かが、この宇宙船に乗っている。


 彼はため息をついた。

 連邦の緊急航行時における条例第八条項目Lに、対処の仕方がはっきりと、簡潔に、書かれている。

 ――密航者は、発見と同時に直ちに宇宙船外に遺棄する事。

 気が重い仕事だ。

 今こうしている間にも、計算外の重量が増えた分、燃料の消費量は増加しているにちがいない。

 このままでは惑星への突入時に十分な減速ができず、地表へ激突する可能性が高い。そうなればもちろん、彼は死ぬ。

 ワクチンも全て駄目になって、惑星での感染がさらに拡大するだろう。

 宇宙船のAIが警告を出すわけである。

 ――仕事を受けたときには、ツキが回ってきたと思ったんだがな。



 彼はコクピットからカーゴ・ルームに向かう。

 がっしりした骨格の彼はドアに頭をぶつけないように、少しかがんで通り抜けた。

 銃を抜く。

 ワクチンのコンテナが、遮蔽物となって林立している。

 彼の、マイクを通した金属的な声がカーゴ・ルームに響く。

「出てこい!」

 密航者は素直に出てはこない。

 彼は、天井から撮った熱量計の画像を視界に重ね合わせる。

「いるのはわかってる。右の奥だ。ケガをしないうちに出てこい」

 銃を構えた。

「来ないなら、こちらから行くぞ」

「――わかったわ。出ていくから、撃たないで」

「両手はあげたままだ」

 姿を現した密航者は、彼を唖然とさせた。

 まだ幼さの残る少女だったのだ。

 彼女は、強い意志を感じさせる瞳で彼を見上げて、言った。

 彼が構えた銃など気にもしない、といったふうに。

「船内でも気密服を着てるなんて、変わった人ね」


 気密服を着ているのは、ひとつには用心の為であった。緊急航行中に万一岩石やデブリに衝突しても、外壁のへこみや空気循環の故障くらいなら修理せずに直行するつもりだった。

 船外活動用の気密服のヘルメットは、強烈な光からの保護のために表面を鏡面コーティングしてある。外側からでは中の様子が見えない。もちろんマジックミラーのように、内側からは外が見える。当たり前の話だが。

 彼は大げさに肩をすくめて銃をしまい、指で出ろ、と合図した。


 ワクチンは商品だ。人の体温ぐらいでどうにかなるような性質のものではないが、管理は徹底しなければならない。

 それは彼の商売人としてのプライドだった。銃も最初から使うつもりはなかった。

 パイロットが一人だけの船だ。武装しているなら、最初から彼に脅しをかければ済む。おそらく、それはないと読んでいた。密航者が少女というのは意表を突かれたが。

 コクピットの椅子にどっかと腰を下ろすと、物珍しげにあたりを見渡す彼女に話しかける。

「密航が重罪なのは知っているな? 緊急航行時なら、なおのことだ」

「悪かったわよ。罰金なら払うわ」

「金で片付く問題か。端末ぐらい持ってんだろ」

 彼女はごそごそ、と手のひらぐらいの端末を取り出した。彼は気密服の指に埋め込んである非接触型ポートを近づけ、データを転送する。

 緊急航行時における条例第八条項目Lを表示させる。

 それを読んだ彼女の顔がみるみる青ざめる。

「実際、燃料は俺一人がかろうじて惑星にたどり着く分しか積んじゃいないんだ。あんたを乗せたままだと、惑星に突入できない」

「少しくらい迂回して補給すればいいじゃない――」

「緊急航行だって言ってんだろ!」

 彼は椅子の手すりをバン、と叩いた。

「五分遅れれば何人死ぬかわからん。そういう状況なんだよ。レッドラインまで少し余裕がある。どうしてこんなことしたんだ。理由があるはずだ」

「……兄が、その惑星にいるのよ。連絡が突然取れなくなって――」

「当たり前だ。いま惑星規模のパニックだろう」


「どうしても、会いたかったの!」


「アホらしい。ブラコン娘のわがままに付き合っていられるか」

「あたしだって、正攻法で行こうとしたんだけど。全面渡航禁止になってるし、一級小型船舶操縦士の免許あるから中古でも宇宙船買おうか、って思ったんだけどやっぱり手持ちじゃ無理だし」

「買う気だったのか? 悪かった、訂正する。金持ちで行動力のある無鉄砲なブラコン娘のわがままには……ちょっと待て。一級免許?」

「コクピットのレイアウトは全然違うけど、このクラスの船なら操縦したことがあるわ」

「フム……」

 彼はぼそっと呟いた。

「確率は低いな。やっぱり遺棄しよう」

 耳ざとく聞きつけた彼女は、声を張り上げる。

「化けて出るわよ。勝手に目的地座標をいじってブラックホールに突っ込ませてやる」

「そりゃあ、困るな。まだローンが残ってるんだ」

「あたしが肩代わりする」

「……本当に?」

「死ぬよりましよ」

「それはそうだ」

 彼は笑った。何がおかしいのか彼女にはいまいちわからなかったが。


 彼は指を一本立てて、言った。

「ひとつ、方法がある」


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