第5話

 それからしばらくして、私は退職した。

 村さんとはメールを頻繁にやりとりするようになって、すごく距離が縮まった気がする。

 プライベートのケータイで村さんはメールをくれた。

 でも、話すのは大体会社のことだった。無理もない。一日14時間くらい仕事に囚われてて、休みもほとんどない人だったし、私もまた、仕事で消耗していたから。


 村さんに話せるようになって、仕事に対してかなり気が楽になった。

 一人で泣いてしまうことが少なくなった。村さんがいつも聞いてくれたから。

 でもそれは同時に、私に会社を辞める決意をさせた。こんな思いしてまで仕事をする必要はない。村さんが気づかせてくれた。

 だから私は会社を辞めた。

 自分の人生、大事にしろよと、村さんが言っているように感じたから。須藤ならどこに行ってもちゃんとヤッていけるよ、と村さんが言ってくれたから。


 辞める前、仲の良い仲間と飲みに行った。マネージャーも来てくれた。女の子たちでさんざん絡んだ。

 楽しかった。村さんは困った顔してた。楽しかった。

 何も、進展はなかった。私と村さん。

 当然だ。

 私と村さんは仕事上の上司と部下で、仲間で、友達だった。ライバルにはなれなかった。ただ、少しだけでもいいから村さんの力になりたかった。

 なれなかった。残念だな。


 会社をやめて、しばらくはのんびりした。

 村さんに会いたくなった。しかも、毎日会いたくなった。同僚だった女の子たちには気軽に連絡できるのに、村さんにだけ、連絡できなかった。

 話すことがなかった。仕事をしていない私が、話すことがなかった。会話が続かないことが怖かった。

 ケータイは手放せない私だけど、こんなに誰かからの連絡を待ったことはない。

 こんなに誰かへのメールを、何回も何回も書いたことはない。

 ケータイのメール送信ボックスには、未送信メールが溜まっていく。宛先は、村さん。


 会いに行こう。

 私は決意した。

 ただ会って、元気? って言おう。私だってお客さんなんだから、お店に行っても何も不思議じゃない。

 一週間ぶりのお店は何一つ変わっていなくて、私がいないことなんてまるで関係なく動いていた。

 村さんも、いつものスーツでいつもの顔で、疲れた顔でそこにいた。

 私は服装を、髪を、お化粧を確認した。制服を着ていなくてお店に入るのは変な感じ。パンプスじゃないの、変な感じ。

 自己主張が強いこういうお化粧で村さんの前に立つの。怖い感じ。


「よおー」

 村さんの笑顔と声。一番ほしかったもの。

「おつかれさまです」

 自然とにやける。

「垢抜けてるねー」

 村さんが言う。それ、褒めてるの?けなしてる?

「どういう意味なの」

「いやいや、素敵ですよ。元気してるの?」

「元気だよ。暇すぎて死んじゃう」

「あはは。そうだろうね。少し働いて行きなよ」


 絶対ヤダ。私は言いながら、手土産を渡した。

 気使わなくていいのに、と言いながら村さんは受け取った。みんなでいただくね、と付け加えた。

 店頭で少し話した。話しながら、私はいつもの村さんじゃないみたい、と思った。違和感がある。これは、そう、あの、飲み会の晩、薄暗いバーで2人で話した、あの時の村さんだ。

 仕事を離れて、スタッフじゃない人と話している、そんな村さんだ。


「退職祝いもまだだからさ、今度飯でもおごるよ」

「ほんと?」

「須藤さんさえよければね」

「もちろん!」


 私がそう答えた時。一瞬、ほんの一瞬、村さんの笑顔が消えた。でもまたすぐ、笑顔になった村さんが言った。


「じゃあ、さ、もし、よかったら、食事の後も、考えておいてよ。ね、ヨッコちゃん」


 初めて、初めて名字以外で呼ばれた。そして、全く予想していなかった誘いを受けた。

 それはあまりにも突然で、あまりにも無防備な私は、何も考えずに、ただただ嬉しくて、駆け引きもなにもなく、バカ正直な返事しかできなかった。


「うん!いいよ!」


 それは、偽らざる、私の気持ちだった。

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