第3話

 パイナップルの味がするカクテルをストローで飲んでいた。

 よくわからないけど、ジャズという音楽が流れていて、黒いベストのバーテンさんがシェイカーを振るっていた。

 小さなバーの隅っこのテーブルで、私は村さんと飲んでいた。

 村さんはウイスキーをロックで飲んでた。ロックじゃなくてクラッシュだけどね、と言っていたけどなんのことかよくわからない。


「今日だけ、いいかな」

 村さんが車の中でそう言った時、私は今日は帰ることを諦めた。車で寝てもいいしな、と思った。

 私は村さんを助手席に乗せて、サンダルに履き替えて、車を走らせた。運転しながら仕事のことを色々話した。


「ねえ村さん。私が言うのは生意気だけど、一人で抱えすぎだよ。もっと、言ったほうがいいよ。私だって聞くよ。そりゃ、聞くしかできないけど」

「まあなー。でもみんな、大変だしさ。それが俺の仕事だってことでもあるし」

「それはそうだけど。それにしても、みんな心配してるよ」

「みんな? それはそれで問題だな」

「いくらなんでも働きすぎだって」

「やっぱり、そう思う?」

「誰だって思うよ」


 村さんは、ふうと息を吐いた。少しお酒の匂いがした。

 誰も信じられなくてさ。

 ぽつり、とつぶやいたその言葉は、あやうく車の走行音に溶けて聞き漏らすところだった。

 私はその一言をかろうじて左耳で拾うことができて、その言葉が胸にぐさっと刺さってきた。

 誰も、信じられない。

 信じられない、そうか。

 中小零細企業はどこでもそうであるように、うちの会社もブラック企業だ。中間管理職は経営陣に常に振り回される。

 いつの間にか社員を抱き込んで行動を逐一報告させるなんていうことも、よくあることだ。

 村さんは、ほんとに一人で抱えるつもりなんだ。誰にも言えないのは村さんの気弱な性格だからじゃなくて、スパイがどこで聞き耳を立てているかわからないから、言えないんだ。


「私はさ、村さん」

「ん?」

「私は、村さんの味方だよ」

「ん。ありがと」

「ほんと。ほんとだよ」

「ああ、分かってるよ」

「信じて。ああもう、どうしよう。ねえ、話そう。なんでも話そう。言っちゃったほうがいいよ。とにかく今思ってること、全部一度吐き出したほうがいいよ」

「須藤さん?」

「何もできないよ。できないけど。私は知ってる。村さんがどれだけ頑張ってるか。どれだけ優れたスタッフか。今日だって、村さんのおかげでみんなハッピーだよ」

「。。。」

「だからさ、私にだけ、話してよ。誰にも言わない。絶対。絶対に誰にも言わないから」

 

 車は国道の大きな交差点で赤信号に見下されていた。

 0時を過ぎてFMから静かな音楽だけが車内に流れた。


 村さんは何も言わない。

 私も何も言わない。村さんの返事を待った。

 車が青信号に引きずられるように動き出した。そして


「今日だけ、いいかな」


 村さんがぼそっと言った。はかなく消えてしまいそうだった。


「ありがとう」


 なぜか私はお礼を言った。少しだけ村さんの力になれる。そんな思いがこみ上げてきた。嬉しかった。

 私は村さんの指示に従って車を走らせた。

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