第二章 you BAN

第01話 紡げぬ糸

 まだ日の昇らない早朝、あたりにはもやが立ちこめており、人影が全く見当たらない。山脈から吹き下ろす冷たい風が木の葉を揺らす音だけが聞こえる。

 そんな早朝にもかかわらず、集落の外れにある建物の中からは、トントン、カッカッとリズミカルに機織はたおりをする音が聞こえてくる。

 ここは裁縫さいほうギルドの支店。店は夜も明けきらぬ早朝のうちから開いており、各種布製品や裁縫に関連した材料の販売や買い取りが行われている。

 扉が開き、一人の冒険者が入ってきた。

 ルリナディアでは物珍しくはなく、最もよく見受けられる種族であるヒュム族の男性。

 屈強、とまではまだ程遠いであろうが相応それなりに装備を固めてはいる。身の丈ほどもある大剣も持て余しているのであろう、それほど使い込まれた形跡はない。

 入ってくるなりぐるりと店内を見回す。


「たしかここにあの糸が売ってるんだよな」


 冒険者は布製品の置かれている陳列棚ちんれつだなを見つけるとそれを覗き込んだ。


「えーと、木綿糸は……!! 売り切れてる!?」


 二度、三度、端から端まで見渡してみたがやはりどこにもない。


「はぁ……、世界ここいててから、まだそれほど時間もたってないってのに……、誰だよ、全部買っていったのは……」


 肩を落とし、がっかりする冒険者。

 すると、機織りの音が止み、店の奥の作業場から人影が現れた。

 高尚な制作者クラフターが身につける立派な作業着を着ている――が、裁縫ここのギルドの者というわけではないようだ。

 耳が頭の上に付いていて長い。

 華奢きゃしゃな体つきだがあし回りがしっかりしている。

 特徴的とくちょうてきな丸い尻尾しっぽ

 ウサギを思わせるその見た目、バニラ族の女性だ。

 装着そうちゃくしている片眼鏡モノクルを上げて静やかな声ウィスパーで話しかけてきた。


「どうされました? ……ってまたお前か?」


 バニラ族の女性が俺を見てあきれかえる。

 彼女は俺のことを知っている。

 そして俺もまた彼女を知っている

 俺は頼まれてベナリスまで木綿糸を買い付けに来ていた。

 だが、結果はご覧の通り、先客がいて、すでに買われてしまっていたようだ。

 その先客はミレニアムさん。

 てか、前にもあったな、こんなことが……。

 

 今回なぜ俺は再び木綿糸を買い付けに来ていたのか?

 それを説明するには少し時間をさかのぼる必要がある。

 昨日の選挙の結果、会長に長田さんが当選し、早速今日、生徒会室において引き継ぎ式があり、その場には生徒会の役員として当選した俺とジル、それと長田さんから副会長として任命された美麗さんと、庶務に任命された柏木も列席した。

 引き継ぎ式は滞りなくスムーズに行われた。

 演説会のようなハプニングもなしに、スムーズすぎるほどスムーズに。

 そして何事もなく引き継ぎ式が終わった瞬間、長田さんと美麗さんは猛ダッシュ。

 脱兎の如く帰路に就いた。

 なぜそんなに急いで帰る必要があったのか?

 その説明にはさらにまた時間をさかのぼる必要がある。


 昨日打ち上げの時にみんなで見たパッチ説明会にて製作クラフト関連の項目ノートが読み上げられたところでこの二人の目の色が変わった。

 新しい製作レシピが発表されたからだ。

 そして、その製作レシピの中に新しい織物があり、それに木綿糸を使うのである。

 その織物は製品を作るための中間素材であり、新しい装備などの材料に使われる。

 つまり大量に木綿糸が必要となるのである。

 だがそれには問題点があった。

 そんなにも大量に使われるにもかかわらず木綿糸は、「裁縫ギルドで販売しているものを買う」ことでしか入手が出来ないのである。

 それだけならまだいいのであるがこれがさらに問題なのは「一日(※ゲーム内での)に販売する量に限りがある」ということなのだ。

 その結果、木綿糸の供給量はきわめて限られることとなり、それを材料に使う新しい製作レシピの装備も気軽には作れず、高価になることが容易に予想がされたのであった。


 さて、時間を少し戻そう。

 引き継ぎ式が終わったのが午後四半時過ぎ。

 そしてそれが終わるやいなや二人は急いで家に帰る。

 新パッチのメンテが午後七時に明けるためだ。

 いや、四時半に引き継ぎ式が終わったならまだ二時間半もあるのだから十分間に合うのではないか?

 とも思ったのだが、二人が言うには「メンテが時間通りに開けたためしはない」そして「長田(P)を信じるな」とのことだった。

 まあ実際のところは、俺が家に着いたのが五時半頃で、その頃には長田さんも家に着いていたようで、まだメンテは明けていなかった。

 ちなみに昨日、俺たちはSNSのIDを交換してリアルでも連絡を取り合うことが出来るようになっていた。

 そのSNSでの長田さんとのやりとりの中で、メンテが明けたらベナリスの裁縫ギルドまで行って木綿糸を買ってくるように頼まれたのだ。

 ちなみに長田さんはフェルティスにある裁縫ギルド本店の木綿糸を狙うとのことだった。

 で、七時ちょっと前にメンテが明け、俺は急いでログインし、ベナリスの裁縫ギルドに向かった。結果は――先ほどの通り、ミレニアムさんに木綿糸を先に買わていたというわけだ。


Millennium:どうせお前はあいつに頼まれて木綿糸を買いに来たのだろう?


 いきなり疑いの目を向けるミレニアムさん。

 あいつ――セルフィッシュさんのことだ。


Sky:え~と……、多分ミレニアムさんの考えてるとおりだと思う


 俺は正直に話す。俺にはもう木綿糸が必要な理由がない。


Millennium:まあ、今日木綿糸を急いで買いに来るといったらそれしかないだろうからな

Sky:でもミレニアムさん早くない? 俺も結構急いできたつもりなんだけど、ミレニアムさん買い物終わった上にすでに製作してたよね?

Millennium:たまたまだ。たまたま私はここでログアウトしていたから誰より早く木綿糸を買うことが出来ただけだ

Sky:まじで? 事前にリーク情報があったりとか……

Millennium:あるわけがないだろう。開発や運営じゃあるまいし


 まあ、知ってたら我先にとあんなに急いで帰ったりもなかっただろうしな……。

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