第9話 廃クラさん達は前を向く

 いよいよ決戦の日。

 今日の全校生徒が集まる立ち会い演説会の後、投票が行われ、その日のうちに当落が決する。

 九月も中盤になり、暑いことに変わりはないが幾分いくぶん過ごしやすくなったような気もする。

 そして相変わらず暑い体育館の中、立ち会い演説会が始まる。

 体育館の中にはすでに全校生徒が集められ床の上に座っている。

 壇上には演台が置かれ舞台袖に会長候補の山名さん、灰倉さん、長田さん、そして会計候補の俺と柏木、さらになぜか書記に立候補したジルが集まる。

 なぜジルが書記に立候補したのか。

 それは柏木が期日ギリギリになって立候補していないことが判明しバレて、そのことで揉めていたら、それを見ていたジルが面白そうだから自分も生徒会をやりたい、ということで書記に立候補することになった。

 そんな理由で立候補するようなものなのか? 生徒会って?

 そしてジルが生徒会に入るなら自分もやるということで柏木も立候補する決意を固めたのだった。

 ちなみに書記には他に立候補者がいないので信任するかしないかの投票で当落が決まる。

 よっぽどのことがなければ落ちることなんてないだろう。

 しかしジルに書記が務まるのか?

 TFLOでの文字チャットの会話や、ジルが転校してきてから一、二週間、一緒に学校生活を過ごした中で特に日本語が不自由ということは感じられなかったけど。

 まあ数学で赤点を取った俺の会計よりはもしかしたらよっぽど良好ましなのかもしれない。


「それでは立ち会い演説会を始めます。書記に立候補した大場ジルさん、よろしくお願いします」


 選挙管理委員せんきょかんりいいんの一声で立ち会い演説会が始まる。


「よし! うちからだ! 行ってくるね」


 気合いを一つ入れる。

 ジルが舞台上に出てくると背の高い黒塗りにどよめく館内。

 転校してきてからすぐにあの出来事そうどうがあったりして、瞬く間にジルは有名人になったけど、あらためてその姿を見たらやっぱり驚くよね。

 演台の前に立ち礼をすると原稿を演台に置いたが、演台に置かれているマイクとジルの口がかなり離れていて演台に手をつき前屈みになる。

 ちょっと困っていると位置が低いマイクスタンドを気を利かせて伸ばす選挙管理せんかんの委員。

 目一杯伸ばしたところで直立したジルの口元にやっと届く。

 そしてスタンドを伸ばしたことにより、原稿と目の位置が離れたためジルは原稿を手に持って演説を始める。

 う~ん、これなら伸ばさないでそのままにしておいた方が良かったんじゃないのか?


「みんな~! こ~んに~ちは~!」


 左手に原稿を持ち、右手を上に上げて左右に振るジル。

 選挙演説の第一声にそれはどうなの?

 ノリのいい数人の生徒から「こ~んに~ちは~!」と挨拶が帰ってきて、声の方向に手を振るジル。


「ありがと~! 書記に立候補した大場ジルで~す」


 ジルのその言葉にさらに館内からは


「大場さ~ん!」

「ジルちゃ~ん!」


 と声がかかり、声援に対してさらに手を振り返すジル。


「あいつ、これ選挙だってわかってんの?」


 長田さんが嘆く。


「いいんじゃないの? 楽しければ」


 柏木が脳天気に言う。


「……」


 俺は無言でただ苦笑する。

 ジルの姿によりすでにどよめていた館内だが、さらにざわつき雰囲気が変わった。

 ジルへの声援が次々と飛び交う。

 なんだ? これは?

 ここはアイドルのイベント会場か何かか?


「皆さん静かにしてください! 大場さんも演説をする気がないのでしたら退出してもらいますよ!」


 と、選挙管理員から注意が入る。


「ごめんなさい」


 と頭を下げ素直に謝るジルと、選管にブーイングをする一部の生徒達。


「え~と、ワタシが書記に立候補した理由は……」


 ざわつきが収まらないうちに手にしている原稿を読み演説を始めるジル。

 俺たちが居る舞台袖からから生徒達をのぞくと、演説が始まる前と明らかに生徒達の目の輝きが違っている。

 みんな『立ち会い演説会って面白いじゃん?』という目をしている。

 みんな『次』を期待している。

 『次はいったい何が起こるんだ?』と。

 いや、これは選挙だよ?

 そういう面白いものでは決してないと思うよ?

 面白いのは今演説しているジルだけであって、この先面白いことなんてきっと起こらないと思うよ?


「……と、いうことで、一生懸命がんばりますのでよろしくお願いします!」


 と、普通に最後まで原稿を読み上げ、礼をしてジルの演説は終わった。

 拍手の中、何かを期待をしていた一部の生徒達から「ジルちゃ~ん!」と声がかかる。

 ジルはその声に手を振って応えるつつ、舞台袖に戻った。

 舞台袖まで戻ったジルが手を伸ばし、長田さんがそれに気づいて思いっきり手を掲げると


「いえ~い」


 というジルの声とともに


「ぱんっ」とそれが叩かれる。 


ハイタッチというにはずいぶんな段違いぶりだ。


「大場さんありがとうございました。続きまして、会計候補の柏木かしわぎ夢斗むとさん、お願いします」


 選管から声がかかり


「はい!」


 と元気よく返事をし、席を立ち舞台袖から出る柏木。

 演台の前に立ち、ジルの高さのままだったマイクスタンドを下げる。


「こんにちは。会計に立候補した柏木夢斗です」


 ジルとは違い無難な第一声から始める。


「ジル、あまりふざけたりしたら駄目だよ」


 柏木が演説をする中俺はジルに注意する。


「え? 別にふざけてないよ? 普通に挨拶しただけだよ?」

「普通? いや、普段ならいいかもしれないけど、これは選挙であって……」

「いや、そうでもない。選挙という場で民心を掴むというのは大事なことだ」


 灰倉さんがそれに口を挟む。


「全く下衆ゲスですわね。ああやってどこぞの前座芸人のようにこびを売らないと注目を集められないというのは。でもわたくし登壇とうだんする前に会場を暖めてくれたことに関しては感謝いたしますわよ」


 俺たちからやや距離を置いて一人パイプ椅子に座る、え~とたしか山中……じゃなかった山名さんがそれに加わる。

 てか山名さん、この前見たときと大分だいぶ印象が変わってない?

 この前はかけていなかった眼鏡をかけ、ちょっと明るめでウェーブがかかっていた髪の毛が艶々ツヤツヤの黒髪でまっすぐのド直毛ストレートになっている。

 赤かったセーラーカラーとスカートも紺色に変わっていて、ちょっとたけも気持ち長めになっていないか?

 なぜ?

 この短期間の間にいったい何があったんだ?


「……ということで、今までわかりづらく、不透明だった会計の業務を抜本こんぽん……? じゃない……え~と……抜本さかもと的に見直し……?」


 ……ん?

 「さかもと」的に見直す?

 柏木コイツ何言ってんだ?

 会場もざわつき、一拍ちょっと置いてからそれが何を意味したものだったのかを理解した生徒達から笑い声が漏れる。


「あの馬鹿…、こんな漢字も読めないって……」


 長田さんが嘆く。

 そうだ、柏木の原稿は長田さんが書いたんだった。

 書いてもらう際に柏木からはさんざん読めないような難しい字は使わないでって言われて、簡単な字で書いてもらったはずなんだが……。


「……以上で終わります。ご静聴…………ありがとうございました」


 あきらめた。最後読めなくて詰まってそのまま読まずにあきらめたぞ。

 拍手と笑い声の入り交じる中、舞台袖に戻る。

 戻ってきた柏木は俺の方を見て笑みを浮かべ親指を突き出す。

 なんだ? 柏木コイツ的には今の演説で手応えがあったっていうのか?

 いや、ちがう。


「お前当選あきらめたろ?」


 俺の言葉に答えず通り過ぎ椅子に座る。

 いかにもやりきったという満足げな表情がしゃくさわる。

 そうだよ、元々柏木コイツは生徒会をやりたいなんて思っていなかったんだから。

 俺も長田さんやジル、灰倉さんがいなければ生徒会なんてやりたくはないけど……山名さんには悪いが。

 当初は会計なんてやりたくないと思っていたけど、長田さんの本気度具合が伝わってきて俺も「やってやろう」って気になってきた。


「柏木さんありがとうございました。続きまして、同じく会計候補の奥原おくはら蒼空そらさん、お願いします」


 いよいよ俺の番だ。

 原稿を手に演台に向かう。


「がんばれ~、スカ~イ」

「な……」


 ジルの声援に思わず振り返ってしまった。

 公衆の面前でスカイはやめてくれ!

 会場がざわつく。

 俺は会場を見渡し聞き耳を立てると


「スカイ? ああ、名前が『そら』だから?」

「ジルちゃんにあだ名で呼ばれてるとか、うらやましい」


 などと言っているのが聞こえてきた。

 俺の演説は何もハプニングなく始めて、何事もなく普通に終わらせようとしたのにジルめ、余計なことを……。

 と、ジルの方をもう一度見ると長田さんに小声で怒られている。

 気を取り直してあらためて演台に立ち、礼をして一つ深呼吸をする。


「皆さんこんにちは、会計に立候補した奥原蒼空そらです」


 俺は、はっきりした口調で丁寧に第一声を発した。

 ことさら『蒼空そら』の部分は間違いのないように強調して。

 しかしそれが逆効果だったのか一部からクスクスと笑いが漏れる。

 違う!

 笑いを取ろうとしてそういうつもりで強調したんじゃない!

 というかジルがきっかけを作り次に出てきた柏木がやらかし、館内は何か雰囲気になっている。

 隙あらば笑ってやろう。

 次の笑いのポイントはどこだ? と。

 それより何より笑いのハードルが低くなっているのが一番の問題だ。

 さっきのところ別に笑うところじゃなかったよ?

 もう一度深呼吸をする。

 笑われたって気にするな、俺。

 平常心だ、惑わされるな、俺。

 と、自分自身に言い聞かせる。


「僕が会計に立候補した理由は、担任の百川先生に会計をやってみないかと言われたからです」


 ほんの少しだけ事実をかす。

 本当はほぼ強制的にだったけど。

 そしてつらつらと、当たり障りのない演説をする。


「ですがこの会計という責任のある役職を立候補するにあたり、そんな人から言われたからという無責任な態度で臨むわけにはいきません。先生に言われた時は会計なんて嫌だと思ったりもしました。」


 演説文は自分で書いたが、完成した演説文は一応長田さんに添削してもらった。


「この後演説をする会長候補の長田さんや灰倉さんがしっかりした方針を持ち会長に立候補するのだと知り、自分もそれを補佐できればと思いました」


 ここの部分は長田さんに見せた後俺が独自に付け加えた。


「はっきり言って会計のことなんて僕にはわかりません。会計という仕事が何をするのかもあまり理解していません。そんな自分に会計なんて仕事が務まるのかはわかりません。しかし会計という仕事が自分の学校生活において何かしらかのプラスになるだろうということはおそらく間違いないだろうとは思っています。そして当選した暁には全身全霊をもって生徒会の会計として皆さんのために尽くしたいと思います」


 最後に礼をして連説を終わる。

 よし、ミスらず終わることができた。

 拍手に送られ俺は退出する。

 やっぱり生徒達は何らかのハプニングを期待していたのだろうか?

 拍手の音に明らかに期待外れガッカリ感がこもっている。

 俺は普通に演説しただけなのに、なんだ? この敗北感は……。

 何度も言うが、これは選挙演説だよ?

 演劇とか見世物ショーたぐいでは決してないんだよ?

 舞台袖に戻ると一気に疲れが襲いかかってくる。

 人の前に立ち演説をすること、緊張しつつも平常心を保つことがこれほどまでに心身に負担がかかることだったとは……。


「おつかれ~、スカイ」


 手を出すジルに俺も手を掲げハイタッチをする。

 もうジルに突っ込むこともできないほどの疲労と敗北感。


「奥原さんありがとうございました。続きまして会長に立候補した山名やまな華凛かりんさん、お願いいたします」

「ふふ。真打ち登場ですわね。あなたたちとは格の違いを見せつけますわよ。しっかりご覧なさいな」


 と、俺と入れ替わりで椅子から立ち上がる。

 ん? 山名さんなんか言った?

 もう疲れちゃってて何言ってたかもあまりよく聞き取れなかった。

 ああ、終わった。

 受かるとか落ちるとか、もうどうでもいいや。

 と、俺がパイプ椅子に座ろうとしたところで


「すまない、ちょっとこっちに一緒に来てもらえるか?」


 と灰倉さんに呼び止められる。


「え? なに?」

「転校生も頼む」

「え? うちも?」


 ジルも呼ばれて俺たちは灰倉さんについて行く。

 そこに柏木もしれっとついてこようとするが


「お前はいい」


 と殺気のこもった目で睨まれ


「はい…」


 と、おとなしく引き下がる。


 舞台袖の奥には階段――というにはステップほどの段数しかないが――があり、降りたところの横に体育館内に出入りする扉がある。

 その扉のある向かい側にはなにやら道具がうずたかく積まれていて陰になっているスペースがあり、そこまで俺たちは連れてこられた。


「すまないが二人にはちょっと見張りをしていてもらえないか? 転校生は私から手前側、奥原君? だったかは階段側で見張っていてほしい」


 と言って積まれた道具の陰に隠れる。


「え? 何かするの?」

「ああ、ちょっと見張っていてくれ」

「うん、わかった」


 ジルは無邪気に返事をする。

 見張るって着替えでもするのかな?

 てか俺って灰倉さんにまだ名前を完全に覚えてもらえてなかったのね……。

 ジルの名前も覚えていないで「転校生」とか言ってるし。

 他人に関心がないとは言ってはいたけれど、長田さんの名前くらいは覚えたんだろうか?


「ガチャ!」


 と、不意に扉が開き俺は扉にぶつかりそうになる。


「あら? ごめんなさい。奥原君、そこにいたのね」


 扉を開けたのは百川先生。


「やっほ~。ももち~」


 ジルが手を振り百川先生を呼ぶ。


「はぁ…、あなたも私のことをそう呼ぶのね……」


 と、ため息をつき嘆く百川先生に


「先生は何か用があってここに来たんですか?」


 俺は問いかける。


「あなたたちのおかげでずいぶんと演説会が盛り上がっているわね……」


 と、その瞬間にも山名さんの演説で館内がいている。


「うん、よかったね、ももち~。盛り上がって」


 ジルが笑顔で無邪気に答えるが


「逆よ! 選挙なのよ! これは!」


 振り上げた拳を勢いよく下ろし怒りを示す百川先生。


「たしかに私は盛り上げたいとは言ったけど、こんな笑いが巻き起こるような選挙にしようとは 微 塵 これっぽっちもも思わなかったわよ……」


 拳を振り下ろしたまま頬を膨らまし、怒り顔で俺たちを見上げる。


「心配しなくていい、百川教諭。私が黙らせる」

「あら? 灰倉さん、そこにいるの?」

「演説前にちょっと準備することがあって」


 と、それを身を乗り出してのぞき込むジル。


「あ~、なるほどね~」

「すまない、転校生。覗かないでくれないか」


 こころなしか恥ずかしそうな声で注意する灰倉さん。


「何を準備しているのか知らないけど……。う~ん、あなたなら私が心配するようなことはないかしらね……。長田さんもお願いね!」

「あたしも大丈夫だって」


 段の上からさくに寄りかかりつつ、こちらを見下ろし長田さんが返事をする。

 それを確認すると先生は扉を「ガチャ」と開け出て行った。


「つか何を準備しているのかと思ったら、こっちから丸見えなんですけど」


 上の段奥の方、積まれた道具の隙間から下を見下ろす長田さん。


「なに!?」


 灰倉さんが驚きの声を上げる。


「え? 何かそこから見えるの?」


 柏木が長田さんのほうに近づいてくるが


「こっちんじゃねーよ!」

 長田さんが蹴りを入れると


「はうあ!」


 避けきれずに喰らう柏木。

 そのままよろよろと退散する。


「助けてもらったのか? すまんな」


 声色から安堵の情がうかがえる。


「いいよ、お礼言われたくて助けたわけじゃないから。でもこの前もちょっと思ったけど、あんたけっこう抜けてるとこあるよね」

「ボンクラに言われたくはない」

「前言撤回。今すぐ感謝の言葉を述べてもらっていいかな?」


 上の位置から灰倉さんをにやにやと見下ろす長田さんはすごく楽しげに見える。


「そういえば、うち灰倉さんのことなんて呼んだらいいかな? ミレニアムだからミリ―? レニー? どっちかかな?」


 唐突にジルが提案する。


「あんた、こいつのこともそういう呼び方すんの?」

「呼びやすい方がええやん? それに「はいくら」さんだとクラフターの廃人さんのほう想像しちゃうし」

「あ~、それは俺も思った。でも現実世界リアルでミリ―とかレニーはなぁ…。俺は普通に美麗みれいさんでいい?」


 …………


 なかなか返事が返ってこないので


「やっぱりだめかな?」


 と俺が聞くと


「……お前達が呼びたい名前で好きに呼べばいい」


 少しうわずった声が返ってきた。

 よかった許可がもらえた。


「ありがとうミリ―」


 呼び方は「ミリー」に決めたらしい。


「こっちに来るな! 抱きつくな!」


 やっぱりジルは誰にでも抱きつくんだな。


「ジル、美麗さんの邪魔をしたら駄目だよ」


 早速俺は名前を呼んでみる。

 うん、灰倉さんよりはよっぽど言いやすい。

 その様子を仏頂面で眺めていた長田さん。


「ジル、こいつやスカイは別にリアルでそう呼んでもかまわないけど。あたしのことはセルフィーとか絶対に呼ぶなよ」

「え? なんで?」


 背の高いジルが長田さんを見上げる。


「あたしの名前とセルフィー、どこに共通点があるんよ」

「おさだかなこ……。うん、ないね」

「わかった? 絶対に呼ぶなよ」


 しかめっ面で念を押す長田さん。


「うん! え~と、これってなんて言うんだっけ? フリ?」


 疑問はてな顔で首をかしげ腕を組む。


「フリじゃねーし! あたしは本気マジで言ってんだっつーの! まったく、どこでそんな余計なお笑い用語を覚えてくるんだか……」


 館内から拍手と歓声が聞こえてくる。山名さんの演説が終わったようだ。


「山名さんありがとうございました。続きまして同じく会長候補、灰倉はいくら美麗みれいさんお願いいたします」

「美麗さん呼ばれたよ」


 俺が声をかけると


「ああ、丁度準備が終わったところだ」


 と陰から出てくる。


「おお……」


 思わず声が漏れてしまった。

 だいたい何をしているのかは予想はしていたけど、やっぱり着替えていたんだな。


「ふふ、わたくしの話術により会場は大盛り上がりでしたね。この日のためにストレートパーマを当てた上、少し明るかった地毛を黒く染め、制服も落ち着いたものに新調。極めつけはあの小娘もかけていなかったこの眼鏡! まあわたくしの天性のカリスマ性があれば普段通りのわたくしでも勝てるのですがこれで勝利は間違いにゃあにい!?」


 舞台袖に戻ってきた山名さんが灰倉さんとすれ違い様に雷に打たれたかの如く驚く。

 美麗さんが舞台上に現れると


「おお……」


 と、一瞬歓声が上がるが、すぐに静まりかえる。

 丈の長い袖無しノースリーヴの白いワンピース。

 腰のあたりは帯のようなもので巻いている。

 腕には肘のあたりまである長い手袋。

 髪の毛は頭の上でわえてポニーテールにしている。

 いつもは厳格でおかたく冷淡なキツい印象のある美麗さんだが、服装や髪型が変わっただけでだいぶ柔らかい印象になった気がする。

 この前TFLOで一緒になったときに見た格好によく似ている。

 美麗さんにとってはこれが勝負服せんとうふくだってことなのかな?

 一瞬静かになっていた館内だが、ある生徒からの口笛が契機きっかけとなり


「おおおおおーーーー!!!!!」


 地鳴りのような歓声が鳴り響く。

 歓声の中、演台の前に立ち、礼をして鋭い眼差しでまっすぐ前を見据えて口を開く。


「この度、会長に立候補した灰倉はいくら美麗みれいです」


 静かだが力強く挨拶をする。


「まずは皆さん静かにお願いします」


 声援を控えるように生徒たちに注文する。

 しかし、ざわざわと静かにならない館内に


「静かにお願いします」


 表情を変えずさらに要求する。

 が、まだ騒がしい。


「お願いします」


 三回目の要求の後、なおわずかにざわついていた館内だが


「…………」


 表情を変えず前を見据え、暫く無言を貫くと館内もようやく静まりかえった。


「ありがとうございます」


 と礼をする。


「改めまして、会長に立候補した灰倉美麗です」


 そして前を見据えたまま演台のりょうふちに手をつく。

 演説をするための原稿のたぐいは持っていない。


「まず最初に誤解のないように説明をします。私は人気取りのためにこのような格好をしたのではありません。そして選挙は決して人気を競う場ではありません」


 一つ呼吸を置き、目だけで館内を見渡す。


「見た目で選挙が勝てるなどと勘違いをなさっている方もいるようですが、中身を見ずに外見や印象だけで投票を決めることほど愚かなことはありません」


 山名さんのことかな?

 と、ちらりと見るとパイプ椅子に座って下を向き、激しく落ち込んでいる。

 山名さんのこの格好かっこうは灰倉さんに対抗したものなんだよな?

 それを否定されたんだからそりゃ落ち込むってか恥ずかしいよね。


「では、なぜ私がこのような服装をしているのか? 埼ヶ谷高校の校則で服装に関する記載は次の一文しか存在しません」


 大きく息を吸い


「埼ヶ谷高等学校の生徒として自覚を持ち、清潔せいけつな身なりを心がけること」


 と、一息ひといきで言い切る。


「つまり、私が今着ているような私服で登下校をし、授業を受けるなど学校生活を行うということも本来ならば何ら問題はなく、自由なのです」


 一つ息をつき、演台から手を離し、館内を一度見渡す。


「しかし私が訴えたいことは、みなさんにも学内で私服を着用してほしいということではありません」


 そしてまっすぐ前を見据え、訴えかける。


「近年、我が校の生徒という自覚のない一部の生徒達による乱れた服装が原因で、それを取り締まろうという動きがあると聞きます」


 乱れた服装……。

 俺の横に立つ長田さんの方を見ると腕を組み、真剣な目つきで美麗さんを見つめている。


「つまり自由の意味をはき違えた、その一部の生徒達が契機きっかけとなり、自由の抑圧よくあつが行われようとしているのです」


 演台に手をつき力を込める。


「そして今回、皆さんもご存じのように、独自に制服を作成し、それを学校指定のものと規定しようと画策かくさくする候補者がいます」


 長田さんの制服を作るという計画は掲示物や配布物等により、すでに全校生徒の知るところとなっている。


「この二つはそれぞれ直接的には関係のない事象じしょうではあるのですが、それが我が校の自由な校風に終止符を打つ引き金になるのではないかと私は危惧きぐしているのです」


 再び演台から手を離し、身振りをまじえて訴えかける。


「統一された制服は抑制、抑圧の象徴であり、我が校の生徒個人による自主性を重んじ、自由を愛するという校風とは相容あいいれないものだと私は思います」


 館内の生徒達は静かに演説を聞いている。

 そうだよ、今までがちょっとおかしかっただけでこれが本来の選挙演説の姿だと思うよ。

 俺が演説していた時はまだ館内がざわついていたけど、俺もこんな静かな中で演説がしたかった。

 静かになったのは灰倉さんの何者をも威圧するようなその目力めぢからによるところが大きいのかもしれないけど。

 だとしたら俺の時はやっぱりその力が足りなかった、ってかなめられてたのかな?

 俺も普通にまじめに演説したつもりなのに……。


「もしかしたら変革を望む者の方が多く、現状を維持しようと望む私のような者の方が少ないのかもしれません」


 息を大きく吸いこむ。


「しかし、変革をした結果、失うものもあるということを皆さんには知っていただきたい。失った自由を再び取り戻すのは非常に困難なのです。そして、私が会長になった暁には、全身全霊をもって自由を守り通すことを誓います」


 最後に一際ひときわ強い口調で訴えかけると、一歩下がり礼をして終わる。

 万雷ばんらいの、とまではいかないが館内を包み込む拍手に送られ退場する美麗さん。


「おつかれ、美麗さん」

「ミリ―、おつかれ~」

「…………」


 俺とジルはねぎらいの言葉を掛けるが、長田さんは目も合わさずに無言で灰倉さんを迎える。

 それに対して美麗さんもまっすぐ前を向いたまま長田さんの横を通り過ぎる。

 ジルは先ほどと同じく手を突き出していたが、その手が合わせられることはなかった。


「続きまして最後になります。会長候補、長田おさだ佳奈子かなこさんよろしくお願いいたします」

「長田さんがんばって」


 と、俺が声をかけるが無言で舞台に足を踏み入れる。

 演台に向かう後ろ姿からは表情を伺うことは出来ないけど緊張しているのかな?


「がんばれ~、セ…」


 言いかけたところで、俺はジルの肩を押さえる。ジルの肩は俺の身長と丁度同じ高さにある。


「だめだって! 今セルフィーって言いかけたでしょ? さっきそう呼ぶなって言われたの忘れたの?」


 押さえた肩をそのまま下げ、俺の口をジルの耳に近づけて小声で注意する。

 体重を掛けてもなかなか肩が下がらないから俺は少し背伸びをした。


「え? だってフリでしょ?」


 黒い顔で蒼い目をキョトンと大きく丸くする


「違うって長田さん言ってたじゃん……」

「え~? それ含めたフリちゃうん? う~ん、日本のわびさび……? っていうの? 難しいなぁ」

「いや、わびでもないしさびでもないから……」


 長田さんは気づいているのか気づいていないのか、そのやりとりには動ぜず演台の前に立ち、礼をした後に原稿を台の上に置く。


「こんにちは、会長に立候補した長田佳奈子です」


 長田さんの会長候補者らしからぬその姿にこそこそと話をしている生徒も中にはいるが、前に演説していた美麗さんにより場が落ち着いたので館内はおおむね静まりかえっている。


「私が会長に立候補したのは、皆さんの普段着用する制服を新しく作り、同じ制服を着用することで全校生徒が一体感を持つことができるのではないかと思ったからです」


 長田さんは前をしっかりと向き、時折原稿に目を下ろしながらしっかりとした口調で演説をする。


「う~ん……う~ん……」


 横でジルが腕を組み、首をかしうなっている。


「どうしたの?」


 それに気づき、俺はジルに問いかける。


「リアルでのセルフィーのいい呼び方ないかなぁ? って」

「そんなの後で考えなよ……」


 なおも唸るジルだが、はっと気づき、


「ももちーはなんでももちーってよばれてるん?」


 と、俺に問いかけてくる。


「ももちー? え~と……」


 長田さんが百川先生のことを呼ぶときの名前だけど、そういえばあまりよく考えてみたことはなかったな。


「多分名前が『ももかわちよ』だから名字の『もも』と名前の『ち』の部分を取って『ももちー』にしたんじゃないのかな? ほら、有名人が『キムタク』とか『マエケン』とか呼ばれてるでしょ? ってジルはあまり日本の有名人とか知らないか」

「ああ、『キムタク』は知ってるよ。なるほどね……」


 ジルは一つうなずいて長田さんの方に目を向ける。

 と、長田さんが原稿をめくり、下のページと入れ替えようとしたところで手を滑らせ、原稿がひらりと床に落ちる。


「失礼」


 長田さんがそれを拾おうと屈んで手を伸ばしたところで


「おさかな~、がんばれ~」


 とジルの声が掛かる。


「え?」


 屈んで手を伸ばした状態のまま目を丸くした長田さんがジルの方向に顔を向ける。

 館内からは


「おさかな?」

「おさかなって…」

「ああ、なるほど、おさかなだ」


 という話し声とともに、クスクスと笑い声が聞こえてくる。

 俺は横に立っているジルを見上げ


「ちょっと! ジル!」


 と、注意する。


「おさかな? おさかなって何? いや、『おさだ かなこ』だからおさかなってのはわかるよ? でもおさかなはないでしょ? いくらなんでも」

「え? なんで?」


 駄目だ。ジルは『おさかな』の意味がわかっていない。


「おさかなって、あのおさかなだよ? 食べると頭が良くなったり体にいいあのおさかなだよ?」

「ん?」


 首を傾げるジル。

 いや、俺も何言ってるんだ?

 冷静にならないと。

 こんな説明だとジルどころか一般人いっぱんピーポーも理解できない。


「……海や川を泳いでる魚をちょっと丁寧に言うと『おさかな』でしょ」

「おお、たしかに」


 やっとわかったか。いや、言う前に気づけってそのくらい。

 いくら日本人じゃないからって……。

 ジルのその余計な声援により館内がまたざわつき、おかしな雰囲気に変わりつつあった。

 長田さんは何事もなかったかのように原稿を拾い、演台に置いて演説を続けようとするが…


「こんにちは、会長に立候補した…… じゃない! これ一ページ目!」


 動揺している。平静を装ってはいるが激しく動揺しテンパっている。


 長田さんの失敗ミスにどっと沸く館内。

 ページを慌てて入れ替える長田さん。

 顔が真っ赤だ。

 ああ……せっかく灰倉さんが場の空気を落ち着かせてくれたのに、またジルの一言がきっかけで館内がおかしな雰囲気に……。


「私は決してきょうきょう……興味本位きょうみほんいで制服を作りょうと提案しているいるいる…のではなく……」


 やっぱり動揺しテンパっている。

 まともに原稿を読むことも出来ないで一杯一杯ひっしだ。


「がんばれ~! おさかな~!」


 ジルがまた声を掛けると


「おさかな~!」

「おさかな~! がんばれ~!」


 館内の生徒も同調し、次々と声援が掛かる。


「み、み、みなしゃんが、いまちゃ、ちゃきゅようしていりゅしぇいふくもそ、そそ、そんちょうしちゅちゅ……」


 下を向き、顔が真っ赤で今にも泣き出しそうな長田さん。

 もう原稿もまともに読めず、何を喋っているのかもよくわからない。


「がんばれ~、おさ……」


 ジルがまた声を掛けようとしたところで俺が慌てて止める。


「長田さん、おさかなって言われるのが嫌なんだよ! ジル! おさかなって言ったら駄目だよ!」

「え? セルフィーがああなってるのってもしかしてうちのせいなん?」


 ジル……気づくのが遅いって……。


「とりあえずおさかなはすぐそこの元荒川にでも逃がリリースしてこよう。ね」


 しかしジルに注意したところでもう止まらない『おさかな』の大合唱。

 『おさかな』はジルの元を離れ、その意に意に反し館内を縦横無尽に暴れ回り長田さんの心身HPを削りまくっている。

 悪ノリで応援しているものも中にはいるが、大半は本気で応援しているから逆にそれがたちが悪い。


「みなさん! 静かにしてください!」


 たまらず選挙管理委員会せんかんも生徒達に注意する。

 これは俺がなんとかしないと!

 と、舞台に一歩踏み出そうとしたところで肩をつかまれる。

 肩を掴んだ主は美麗さん。

 いつの間にか服装はいつも着ている普段の制服に戻っていた。

 でも頭はポニーテールのままだ。

 美麗さんは俺の前に出ると、半身だけ振り返り、無言でこちらにてのひらを突き出して制し、そのまま舞台に踏み出す。

 演台と舞台袖のちょうど中間あたりに来たところで


「まったく無様ぶざまだな」


 会場全体に響き渡る声で発したその一言に、長田さんを含め視線は一気に美麗さんに向けられる。


「威勢がいいのはやはりその身なりだけだったか」


 頭のリボンを解くと重力の影響を受けて広がり、本来の髪型かたちまとまったところで美麗さんは腕を組み仁王立ちをする。


「お前がこの舞台に上がってしたかったことは恥をさらすことだったのか?」


 その言葉に長田さんは演台に軽く寄りかかり下を向く。

 泣いているようにも見える。


「そんなことでお前は上を目指せると思っているのか? 私と同じ土俵に立てるとでも思っていたのか?」


 美麗さんは場を収めるために俺を制してそこに立ったんじゃなかったのか?

 美麗さんてこういう人だったの?

 追い込まれている長田さんにとどめを刺すようなことをする人だったの?

 やっぱり俺が出て行かないと!

 と踏み出そうとするが、今度はジルが後ろから覆い被さって俺の動きを止める。

 肩から首のあたりが柔らかい感触に包まれるが、今はその感触を味わっている場合じゃない。


「ジル! 放してよ!」


 俺は胸の圧力に屈せず首を回す。


「大丈夫。きっと大丈夫」

「何が大丈夫なの!? 元はといえばジルがいけないんでしょ! 長田さんのことおさかなとか言って」


 じたばたと抵抗してみるが、ジルの腕にしっかりと固定ロックされて動けない。

 俺の頭を挟む柔らかい固まりだけがふよふよと形を変える。


「う~ん、でもなんだろう? ミリ―の目、すごく悲しそうだったし悪いことしたりするような目じゃないと思うよ?」

「そう?」


 と、美麗さんの方を見るが俺の方からは後ろ向きで頭しか見えない。

 さっき俺に手を突き出して制してた時のことを思い出してみたが、いつもと大して変わらない目だったような気もする。


「周りがお前をどう呼ぼうがお前はお前だろう? 一々いちいち呼び名などを気にしすぎるから余裕がなくなり、自由に動けなくなる。だが、確固かくたる自分おのれというものを持っていれば、そうはならないはずだ」


 嗚咽おえつしているのか肩をふるわせる長田さん。

 美麗さんは一つ深く息をつき


「それが出来ないからお前はボンクラなのだよ」


 そして


「ナガタさん」


 と吐き捨てる。

 その瞬間、ざわついていた館内が長田さんを中心に波が引くように静まりかえる。

 一瞬の無音状態。

 風がながれる音すら聞こえない。

 ほんの一瞬ではあったが、誰も破ることができずに永遠に続くかと思われたその静寂せいじゃく


「……まったく、あんたは覚える気はねーのかよ……」


 長田さんの声によって切り裂かれる。


「あんたの言うとおりだよ、呼び名なんて関係ねーよ」


 肩の震えは先ほどの弱々しいものではなく、怒りに満ちたものに変わっている。


「『おさかな』だろうが『ボンクラ』だろうが、どうだっていい……」


 寄りかかっていた演台から体は放すが、美麗さんとは目を合わさず下を向いたまま続ける。


「だけどこれだけは譲れない! あたしは『ナガタ』なんかじゃ絶対絶対絶対ぜぇっっっっっっっったいにない!」


 下を向いたまま首を激しく振る。


「いいか、今度こそ、よーっく、覚えておけよ……」


 そのまままま足を少し開いて握った拳を下に向けゆっくり発する。


「……あたしは、あたしの名前は……」


 そして顔を上げ美麗さんをまっすぐ睨みつけ


「『お さ だ』だあああああ!!!!!!!!」


 拳を返し肘を脇につけ絶叫する。

 髪が逆立ち、色も鮮やかに輝く……ように感じられた。


「さっきから聞いてれば一方的にあんたは……」


 長田さんが美麗さんに詰め寄ろうとしたところで


「おさだああああああああああ!!!!!!」


 と、会場から声が掛かる


「おさだあああああああ!!!!!」

「おさださーん」

「おさだあああああああああああ!!!!!!!」


 次々と連鎖し、爆発する「おさだ」コールに振り返るその名前の女生徒ギャル

 津波のように途切れることなく襲いかかるコールに打たれながら、眼下に広がる光景を目を丸くして呆然とただ見つめる。

「皆さん!静かにしてください!」


 と、選管せんかんが注意するも収まらない「おさだ」コール。


「おさだああああああああ!!!!!!」


 打たれるままに声援を浴びていた女生徒ギャルの表情がふっと和らぐ。


(そうか……、これがが見ている風景けしき……)


 近いはずなのにはるか遠い存在。

 近づいてみようと思えば思うほどさらに遠くに感じてしまうあの存在ひと

 なおも収まらない声援けしきの向こう側をじっと見つめ続ける。

 会場を見つめ続ける長田さんの後ろを美麗さんが通り演台の正面に立つと、長田さんはそれに気づき目を向ける。


「お前らは馬鹿か!」


 マイクを通して絶叫した声は大きく響き渡り「キーーーン」という余韻ハウリングを残す。


「ここは何をする場だ? 選挙だろう? 馬鹿騒ぎをする場では決してない!」


 会場は一気に静まりかえる。


「選挙は人気取りの場ではないと私は言った。ここに集まっている諸君しょくんらが中身を見ずに上辺うわべだけで物事を判断するような馬鹿でないと、私は信じている」


 ゆっくりと落ち着いた声でそう言うと美麗さんはきびすを巡らし舞台袖に歩を進める。

 その様子を長田さんは驚いた表情で大きく目を見開き、無言でじっと見つめていた。

 舞台袖、幕の後ろにさしかかったあたりで美麗さんは下を向き唇を噛んだ。

 そのまま俺とジルの脇を通り過ぎようとしたところで


「美麗さん?」


 と、俺は声を掛ける。

 その声に美麗さんは立ち止まり


「すまないが一人にさせてもらえないか?」


 と、肩越しに答える。


「……」


 俺は堪らず声をかけてはみたものの、目の前の美麗さんに対して何て言葉をかけていいものか浮かばない。


「悪者になるのにはれている……から」


 そう言い残し、俺の返事を待たず、美麗さんは奥に消えていった。

 慣れている?

 ってことは一度や二度ではないってことなの?

 こんな出来事は。

 いや、それよりもあんな悲しそうな様子だったのに、慣れているなんてそんなはずないじゃないか。


「そっとしておいてあげなさいな」


 声の主は山名さん。

 両手をパイプ椅子の座面の端につき、足を組んでやや浅く座っている。

 そうだ、すっかり忘れてたけど山名さんも会長候補として演説してたんだよね。


「まったく、白けてしまいましたわ。良く書けた台本すじがきだとは思いますけど。こんな遊園地テーマパークで行われる子供向けヒーロー茶番ショー取っ組み合いプロレス見世物パフォーマンスのようなもので私が仮に負けたとしても悔しくも何ともありませんから。……負け惜しみでは決してありませんことよ」


 組んだ足の片方をつまらなそうにぶらぶらとさせる。


台本すじがきなんかじゃない……」


 この期に及んでなおも台本すじがきなんていう山名さんに詰め寄ろうとしたところで俺の肩が「ぽん」っと叩かれる。

 振り返るとジルの笑顔だった。


「セルフィーの演説最後まで聞こう」

「……うん」


 美麗さんも気になるけど、今はそっとしておいた方がいいのかな?

 何て声を掛けていいかもわからないし……。


 舞台袖、演台が見える位置に戻ってきた俺たち。


「新しく作る制服は強制するものではなく、任意であるということにする予定であり、皆さんに負担をいることは決してありません」


 長田さんは冷静さを取り戻し、問題つつがなく演説をしている。

 生徒達も騒ぐことなく静かに演説を聞いている。

 だけど長田さんは目に力がなく、表情がちょっとうつろろだ。

 前を向かずに下を向いて原稿だけを読んでいる。


「私は、この計画が必ずや皆さんの……」


 そこで演説が止まる。

 原稿を見つめたまま動かない。

 暫くした後、長田さんは原稿を裏返し、演台に手をつき頭を下げる。


「ごめん! みんな!」


 長田さんの突然の謝罪に館内がざわつく。


「都合のいいことばっかり言ってるけど、はっきり言って自信がないです」


 頭を下げたまま続ける。


「本当に制服を作るところまでこぎ着けられるのか。制服を作ることが出来ても、それがみんなに受け入れてもらえるのか。受け入れられたところで、それをちゃんと製品として量産するためにはどこかの会社にお願いしないといけない」


 さっきまでとは違う、原稿を読んでいるだけだった魂の抜けたような長田さんではない。


「そんなこと、ついさっきまで、みんなの声援を受けたあの時まで考えていなかった。制服を作るなんて軽い気持ちでしか考えていなかった」


 嘘偽りなく自分の心情をさらけ出す。


「一から新しいものを作るってことは大変で、そして新しく作ったものを受け入れてもらうことはさらに大変で、受け入れてもらえたにしてもそれをずっと続けていくことはさらにもっと大変で……」


 涙声になり、声のボリュームがだんだんと下がる。下を向いているため表情はわからない。


「実現できたとしても、あいつが、……灰倉さんが言うように自由がなくなるってことがもしかしたらあるのかもしれない……」


 …………


 そこで演説が途切れる。長田さんは下を向いたまま動かない。


「おさだあああああああ!!!!!!!!」


 声援が一つ飛ぶと


「おさだああああ!!!!!」

「おさだああああああああ!!!!!!!!」


 次々と声援が掛かる。

 下を向いたまま目のあたりを拭うと力強く前を向く。


「ありがとう。だから、みんなの力を貸してほしい。私の力だけじゃ絶対に出来ないだろうから。みんなの力があればあたしは前を向くことが出来るから」


 そう力強く呼びかけると館内からは割れんばかりの「おさだ」コールが鳴り響く。

 それを先ほどのような遠くを見る表情で全身に浴びる。

 しばらくして歓声が落ち着いたところで


「最後に、これだけは約束します。制服が出来ても自由が抑制されるなんてことはないってことを。あたしがそんなことは絶対にさせない」


 そう言ったところではっと気づく


「いや、ごめん、絶対なんて都合のいいこと言ったら駄目だった。もしかしたらくじけることがあるかもしれない。そのときはみんなの力を貸してください。お願いします」


 そして礼をして終わる。


「おさだあああああああ!!!!!!!!」


 声援にゆっくりと退出しながら笑顔で手を振る長田さん。

 その表情はとても晴れやかで輝いて見えた。


「候補者の皆さん、生徒の皆さんお疲れ様でした。この後、投票がありますのでそのままお待ちください」


「お疲れ、長田さん」

「セルフィーお疲れ」


 手を突き出すジルに長田さんは手を思いっきり伸ばして応える。


「セルフィーって呼ぶなって言ったっしょ……」

「だっておさかなっていやなんでしょ?」

「はぁ……もういいよ、セルフィーで。おさかなよか幾分なんぼ上等マシだわ……」


 ため息をつき、あきらめ顔でジルの呼び名セルフィーを受け入れる長田さん。


「セ~ルフィー♪」


 とジルが長田さんに正面から抱きつく。


「ははははは……はぁ……」


 長田さんは重量感ボリュームのある胸から逃れて呼吸をするために顔を上げると力なく笑う。

 いかにも精根せいこんき果てたって感じだ。

 俺もそうだったけどやっぱりかなり体力使うからね。演説って。

 そうでなくともあの騒動じけんだ。

 俺だって見ているだけでハラハラしたのに当事者の長田さんはさぞや大変だったことだろう。

 俺はその様子を遠くから見つめている存在に気づく。

 先ほど着替えをしていた美麗さんを長田さんが見下ろしていた場所。

 そこで美麗さんが後ろ手に柵に寄りかかり俺たちを見つめていた。

 ジルから解放された長田さんもそれに気づくと、美麗さんの方に歩き出す。

 長田さんが近づいてくるまで目を反らさず睨みつける美麗さん。

 立ち止まると、少し間を置いて


「……さっきはありがとう」


 と、長田さんの方から少し決まりが悪そうにむずむずと口を開く。


「なんのことだ? 私はお前にうらまれこそすれ感謝されるような覚えはないぞ? お前に対してあれだけひどいこと言ったのだから」


 憎まれ口を叩く美麗さん。

 先ほどまでの落ち込んだ様子はない


「……はは…あはははは……」

「なぜ笑う?」


 突然笑い出す長田さんに美麗さんは表情を変えずに問いただす。


「いや、あんたのこと、なんか結構わかってきたから。うん、ならあたしに謝って」


 悪戯を仕掛けた子供が相手の反応を楽しむかのように覗き込む。


「誰が謝るか」


 少し恥ずかしそうに外方そっぽを向く美麗さん。


「やっぱり貴女あなたたちは共犯グルでしたのね。それもずいぶんな仲良しの」


 山名さんも二人に近寄り口を挟んでくる。


「いや、だから別にこの二人は示し合わせてああいったことやったわけじゃなくて……」


 俺はそれを否定するが


「否定せずもそうなのでしょう? あれだけ息の合った茶番ショーはなかなか拝めるものではございませんことよ。別に貴女あなたたちの関係が羨ましいとかそういうことを言いたいわけではないですからね!」

「こいつと息が合ってるとかないんですけど!」

「そんな羨ましがられるような関係ではない!」


 二人は同時に一歩踏み出し山名さんを睨み付け言い放つと、山名さんは顔を引きつらせつつ一歩退く。


「……ごちそうさま、とでも言った方がよろしいのかしらね……。全く付き合っていられませんわ」


 と、両掌りょうてをあげてあきれ果てる山名さん。


「本当に私は何を躍起むきになっていたのかしら? 選挙なんてもう、どうでも良くなってしまいましたわ……」


 山名さんはすっかりこの二人に毒気を抜かれてしまったようだ。

 俺たちに背を向け山名さんは階段ステップを降り扉を抜け体育館内へと消える。

 山名さんが扉から出て行ってから間を置かず入れ替わりで百川先生が入ってきた。


「きゃあ!」


 入ってくるなり悲鳴を上げる。


「誰かそこに倒れているわよ!」


 と指を指す。


「え?」


 先ほど美麗さんが準備きがえをしていた場所の少し手前。

 遠目だと暗がりでよく見えなかったが、おそるおそる近づいてみると確かに人のようなものが倒れていた。


「!? 柏木かしわぎー!」


 そこには仰向けの柏木。

 なぜか笑顔で倒れている。


「ああ、そうだ思い出した。私が着替えていたところ、なにか気配がしたので振り返るとそいつがいた。蹴りを食らわせたら動かなくなったんだった」


 平然と表情を変えずに言いのける。


「動かなくなった? くっ……あたしの蹴りもまだまだ甘いか」

「いや、そんなところ柏木を通して張り合わなくていいから」


 俺は柏木のそばに片膝を立ててしゃがみ込む。


「柏木―! 大丈夫かー!」


 逆さに柏木を覗き込み、ほおを叩くと


「う~ん……」


 柏木が目を覚ます。


「ん……? 奥原……?」

「柏木! 生きていたか!」

「ふふ……、俺は見た……、見えたんだ!」

「何を見た? 柏木」


 いや、美麗さんが着替えをしていたんだから多分そういうことだろうが。


「暗闇の中に浮かび上がる白い天国へのヘヴンズドアに描かれたあの紋章が……、くまさん゛ぐあ!!」


 なんだ? 何が起こった?

 俺が顔を上げると美麗さんが鬼の形相で柏木の鳩尾みぞおちに鉄拳を打ち下ろしていた。


「こいつは息の根を止めた方がいい」


 柏木は白目をきぴくぴくと痙攣けいれんし、口から魂が抜けかけている。


「ちょっと? 美麗さん?」

「あー死んだ。こりゃ完全に死んだわ」

「柏木ー! 死ぬなー! 戻ってこーい!」

「あははは、ミリ―は容赦えげつないねぇ。うちでもここまでできないよ。一般人カタギ相手には」


 ジルでさえできないことを平然とやってのける美麗さん。

 最後にちょっと不穏当なヤバい発言があった気がしたけど気のせいだ。

 俺は断じて聞いてないし聞こえていない。


 こうして俺たちの大 騒 動 のなんやかんやいろいろあった選挙たたかいは終わった。

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