二章



ゆずSIDE



 あんな生物兵器を(文字通り)食らわせて、帰らぬ人になってしまったらどうしよう……と心配していたけれど、幸い、柏木君は午後の授業が始まるころには何事もなかったかのようにもどってきた。

 放課後、いつも通りさわやかにテニス部に向かっていく彼の姿を見て、はー、よかった……と胸をで下ろしてから、私は中庭へと慧君を引っ張っていって、ヒロインプロジェクトの作戦会議をすることにした。



「差し入れ作戦も失敗……次はどうしたらいいと思う?」

「いいか、相原」

 ジージーと余命わずかなせみが全力で鳴き声をひびかせる中、大きな木のかげになったしばの上で胡坐あぐらをかいた慧君は、しかめっつらで話し始める。

「はっきり言うが、少女まんはファンタジーだ。例えば少女漫画で人気のキャラ属性、『俺様』『ドS』『ツンデレ』……しかし現実で自分の周りにそういうやつらがいるところを想像してみろ。『俺様』はなんでも上から目線で人の話を聞かないただの自己中男、『ドS』は人が苦しんでいるところを見て喜びを感じるサイコパス、『ツンデレ』は何かあるたび突っかかってくる感じの悪いめんどうくさい奴だ。どれだけ見目がいいとしても、おまえはそんな男たちとれんあいしたいか?」

「……確かに、キャラとしてなら俺様もドSもツンデレも大好きだけど、実際に付き合うとなるとかなりストレスがたまるかも。漫画なら、根は優しかったりいちだったりすることがわかってるからえられるけど……」

「そうだろう? ほかにも、『ヒロインがピンチになると必ず現れて助けてくれるヒーロー』。あのタイミングの良さは①仕込み ②ストーカー ③予知能力者のどれかじゃないと無理だろう。漫画だと定番でもよく考えるとツッコミどころまんさいなんだ」

「ツッコミどころ……そういえば私も前から思ってたんだけど、よく告白シーンでえがかれる『放課後のだれもいない教室でぐうぜん二人きりになる』ってシチュエーション、まずないよね。そもそも『誰もいない教室』にそうぐうするのがまれだし、そこに好きな人が残ってるってどんなせきかと」

「『ぜんりようせい男子校に女子が男装してもぐり込む』というのも、身体検査があるから不可能だし、そもそも周囲の奴らの目がどれだけ節穴なんだって話だ。わかるだろ、体格とか声で! それともばれないくらいごつくて声が低いのか、そのヒロインは! そんなヒロインが逆ハーできるのか!?」

「非現実的と言えば、『やたらと権力を持った生徒会』もだね。中学入って、実際の生徒会活動のあまりの地味さにしようげきを受けたもん。あとはやっぱりあれ、『眼鏡めがねをとったら美少女』! 美少女は眼鏡かけてても最初から美少女でしょ!」

 思わずヒートアップして『ここがヘンだよ、少女漫画!』大会に興じていたら、同じくこぶしにぎって熱弁していた慧君が、ふうっと調子を整えるようにいきらした。



「──わかっただろう、相原? 漫画と現実はちがう。リアルでは高校に入ったたん空前のモテ期がとうらいすることはないし、チャラ男が一途な男にモデルチェンジすることもない。ランチタイムにこうばい部で戦争が起こることもなければ、ばこを開けたらラブレターが雪崩なだれみたいにでてきたりもしない。コーラではわないし、いつも実験するたびばくはつさせる化学部員もいないし、屋上のとびらはたいていかぎがかかっていていつぱん生徒は立ち入り禁止。り返すが、少女漫画はファンタジーなんだ。だから……」

 れいてつな瞳で私を見つめながら、言い切る。

虚構世界フイクシヨンのヒロインをいくら真似まねても、だ」





 ……って慧君は言ってたけど、やっぱりあきらめきれないんだよなあ……。

「今日のロングホームルームではせきえをやって、後は自習ということです」

 きようだんに立って、おだやかなみをかべつつテキパキと司会をする柏木君の姿をながめながら、本当に王子様みたいだなとれする。

 こんな人となら、きっと少女漫画みたいなてきこいができるよ。



『この間はごめんなさい。もうとつくんをして、もう一度作ってきたの。お弁当、食べてくれる……?』

『うわあ、なんて美味おいしいカレーなんだ……僕のために、がんってくれたんだね。ありがとう。何が入ってるの?』

『ちょっと味付けを変えただけで、基本的な材料は変わらないよ。お魚とかイカのしおからとかたこわさびとか……スコーンとか紅茶とか……大好きって気持ちとか(かああっ)』

『えっゆずちゃん、それって……(トゥンク)』

『わ、私、何言ってるんだろ。ごめん、忘れて(ダッ)』

『待って、ゆずちゃん!(バックハグ)』

『か、柏木君……?(ドキンドキンドキン)』

『……うれしいよ。お弁当の後は、デザートに、さくらんぼみたいな君のくちびるが欲しい』



 なんてね! やーん、柏木君ってばだいたん……!

 もうそうして一人で足をジタバタさせていたら、「相原さん」とすぐ近くからんだ声が聞こえて心臓が飛び上がった。

 ハッと顔を上げると、柏木君の甘いマスクが私を見下ろしていた。

「席替えのクジ、引いてくれるかな?」

「は、はい!」

 あわてて柏木君が持っている箱の穴に手をっ込む。

 黒板を見ると、席の番号とすでに引いた人の名前が書き込まれていた。

 柏木君は、まどぎわの後ろから二番目という良席だ。

 となりはまだ空席で、15と数字が書かれている。

 15番15番15番15番……!

 心の中で唱えながらクジを引き、開いた紙の中に書かれてた数字は──15。

 きたーーー!





「柏木君、お隣だね。よろしく!」

「相原さん……うん、よろしく」

 新しい席に着いて声をはずませる私に、柏木君はせいりよう飲料のCMに出演できそうな爽やかさばつぐんの笑顔であいさつを返してくれた。いつしゆんだけ、隣に座った私の姿を見てほおがこわばった気がしたのは、目のさつかくだと思うことにしよう。

 さつそく参考書を取り出して、自習を始める柏木君。

 難しそうな問題にもつまずくことなく、ノートにスラスラと解答がまっていく。

 窓から差し込む光がいい感じに彼のやわらかそうなかみやなめらかな頰を照らして、なんとも絵になる光景だった。

 はあ、がんぷく……。

 ってれてるばっかりじゃダメだよね。私もちゃんと勉強しなきゃ。うん。

 とりあえず教科書の練習問題に取り組もうとしたけれど……二次関数……解の公式……共有点の座標……うっ、頭が!

 必死で文字と数字を追おうとしても、段々視界がぼやけて、意識が遠くなってきた。

 私にとって、数学は最高のすいみん導入ざいだ。おやすみなさい…………。



「──原さん、相原さん」

「はい!?」

 かたを軽くさぶられて、目を覚ます。

 顔を上げると、はちみつレモン王子のご尊顔がそこに。

「ロングホームルーム終わったよ。今日はこのまま、帰宅していいってさ」

「……そうなんだ。起こしてくれてありがとう……」

 ハッ、私ってば、よだれが! ギャー、ずかしい。

 頰が熱くなるのを感じながら口元をぬぐっていたら、ぷっと柏木君が小さくき出した。

「ぐっすりだったね。そのままかしてた方がよかった?」

「ううん、助かる。……もう、この問題、難し過ぎて。あまりにも訳がわからないから、寝ちゃったよ」

「へえ、どの問題?」

 え、まさか教えてくれるの!?

「問10なんだけど……」

 ドキドキしながら教科書を指さすと、柏木君は二秒ほど視線を落としてから、「ここに書いていい?」とノートを引き寄せた。

「これはまず関数の式をこういうふうに変形するんだ……aが0より大きいからグラフはこういう放物線になって、そのじくは直線x=mになる──」

 私ではまったく太刀たちちできなかった難問を、わかりやすく解説しながらあざやかに解いていく柏木君。



「──あとは①、②、③の共有はんを求めるとどうなる?」

「なるほど! そういうことか~。ありがとう、よくわかったよ!」

 かんたんのため息とともに手を打った私に、柏木君はやさしく微笑ほほえんで、立ち上がる。

「よかった。それじゃあ、また明日あした

「うん、ありがとう! テニスがんばってね」

 かばんとラケットをたずさえた柏木君は、ひらひらと手を振ると、教室から去っていった。

 やっぱり柏木君、素敵だな。ビバ! はちみつレモン王子。ビバ! 隣の席。

 夢のスクールライフが今日からスタートだね……!





「相原さん、ちょっといい?」

 ハッピーな気分で下校しようとしていたら、クラスの女子三人に声をかけられた。

 返事をするひまもなく、そのままあれよあれよと校舎裏に連行される。



「あのさ、相原さん最近、柏木君にれ馴れし過ぎるんだよね」

「……はあ」

「『はあ』じゃないし。柏木君は優しいから顔に出さないけど、絶対内心めいわくしてるから」

「お弁当とかそーゆーの、マジやめて。王子になんかあったらどーするわけ?」

「隣の席になって、調子に乗られたら困るから、あたしたちが忠告してるんだよ。わかってる?」

 こわい顔で囲んでくる女子たちは、いわゆる『はちみつレモン王子親衛隊』、みたいなポジションなんだろう。

 ──やった! これぞ少女まん的展開!

 やっぱり食パンかじって角でぶつかる効果ははんない。着実にフラグが立ちまくっている……!

 心の中でガッツポーズをしていたら、「ちょっと!」と親衛隊Aさんに肩を押されて、よろめく。

「聞いてるの? いい気にならないでって言ってるの」

「いい気になんてなってないけど……」

「なってんじゃん!」

「口答えするわけ?」

 ひえ~、やっぱ生で囲まれるとはくりよくあるな……怖い怖い。

 でも、このパターンならそろそろ王子が助けに来てくれるはず……。

「あんたレベルの女子、柏木君に全然り合わないし!」

「痛っ、髪引っ張らないで」

「もう近づかないって約束してよ」

「なんであなたたちにそんな約束しなきゃいけないの?」

 思わずムッとして反論したら、私を見下ろす六つの目がますますきつくり上がった。

 あわわ。柏木君、早く来て~。

「──思い知らせる必要があるね」

 そう言いながら、親衛隊Bさんが近くにあった水飲み場で、バケツに勢いよく水を注ぎ始めた。……まさか、あれを私にかける気?

 じようだんじゃない、とだつしゆつしようとしたけど、「げんなよ」とほかの子たちに道をふさがれる。

 えーと、かなりピンチなんですけど。柏木君は、来ないの?

 こんなベタな展開なのに……ヒーローだけは不在なの?



 ──「少女漫画はファンタジーだ」



 慧君の冷たい声が、脳内によみがえり、胸がめ付けられる。

「──ウザいんだよ!」

 親衛隊Bさんがそう言いながらバケツを振り上げる。

「…………!」

 息を止め、身をすくめたその時。



「やめろ!」

 男子生徒の声がひびいて、親衛隊Bさんがギョッと動きを止めた。

 しかし、バケツの水はそのまま勢いよくこちらにぶちまけられる。うわあ、危ない!

 囲んでいた女子たちのガードがゆるんだおかげで、とっさに身をかわし、全身ずぶれはかいした。とはいえ、右半身はビチョビチョ……。



「……悪い。一歩、おそかった」

 すごい勢いでとうそうしていく親衛隊たちを横目に見ながら、ばつの悪そうな顔で木のかげから近づいてきたのは──慧君!?



慧SIDE



「このタイミングで現れるなんて……まさか、私のヒーローは慧君……!?」

「アホ。相原があいつらに連れていかれるのに気付いたから、追いかけてそこの陰から見てたんだよ」

 俺が説明すると、相原は「なんだ」と脱力した。

「②ストーカーのパターンか……」

だれがストーカーだ!」

 相原はあまりにも無防備に柏木に接近していたから、いつかこうなるんじゃないかと思ってそれとなく注意していたのだ。

 もともとこいつをき付けたのは俺だし、半分は責任あるからな……。

「でも、見てたならもっと早く助けてくれてもいいのに」

「現実ではそんな都合よくヒーローは登場しないってわかってほしかったんだ。だからギリギリを見計らったつもりだったんだが……しくった。悪かった」

「…………」

 相原は少しうらみがましそうな目で俺を見つめていたけれど、「ま、いっか」とパッと表情を明るくした。

「この気温なら濡れてもむしろすずしいくらいだし、おかげで頭から水かぶらなくて済んだし。慧──一ノ瀬君が来てくれなかったら、どんどんエスカレートしてたかもしれないし……助けてくれて、ありがとう」

「……ああ」

 くもりのないがおで礼を言われて、鹿だけど、いいやつだな、と思った。



えとか持ってるか?」

かばん置いてきちゃったけど、教室に帰ったら体操着があるよ」

「じゃあもどるまでは……とりあえず、これ着とけ」

 今日の相原はベストを着ておらず、上は白いブラウス一枚。今はまだだいじようだが、日差しが強いところに行ったらけるかもしれない。

 俺が、バッグから自分のジャージを取り出して相原にかぶせると、相原はキョトンと目をまたたいてから、「おおお!」と興奮したように顔を赤くした。

 なんだ!? いそがしい奴だな。

「ナチュラルに少女漫画・再び!」

「は? 何言って……」

じゆうなんざいに混ざったほのかなあせにおいにドキドキ……これがイケメンしゆう……」

ぐな変態! 着ないなら返せ!」

「着る着る絶対着る。だからあと五秒嗅がせて!」

きやつぼつしゆう

「そんな、せつしような~」



 相原とやいやい言い合っていたら、不意に「えっ……」という男の声が響いた。

 目を向けると、ちょうど校舎の角のところから現れたらしい柏木篤臣が、おどろいたようにこちらを見つめていた。

 ──おせえよ! どうせ来るならあと数分早く来い!!

 思わず心の中でさけんだが、そんなグッドタイミングで現れていたらそれこそ相原のヒロインドリームが加速していただろうから、むしろこれで良かったのか。

「お、しい……」とつぶやいた相原も、なんとも複雑そうな表情をしていた。



「相原さん、どうしたの、そのかつこう……」

「……えーと……」

 心配そうにまゆをひそめる柏木に、相原が困ったように言いよどむ。

「おまえのファンの女たちに囲まれて、水ぶっかけられたんだよ」

 代わりに俺が説明すると、柏木は口元を引き結び、しばらくちんもくした。

「……そうだったんだ。ごめん、相原さん」

「ううん、別に柏木君のせいじゃないし」

 相原は何でもないようにからっと返したけれど、柏木はものげにひとみせ、ため息をこぼした。

「彼女たちのねつきようぶりには、正直僕も困ってるんだ……」

 直後、それまでびしょ濡れでものほほんとしていた相原の顔がムッとしたようにこわばっていくのに気付いて、驚いた。



「──そう思ってるなら、ちゃんと本人に言ったほうがいいよ」

 ビシッと声が響いて、柏木もハッとしたように目をみはる。

「あの子たちに届く言葉を持ってるのは、柏木君だけだよ。じような反応は困るって伝えることで、暴走もおさまるかもしれない。波風立てないようにしてるなら、それはやさしさじゃなくて八方美人なんじゃないかな」

「…………!」

 強い調子でいさめるような相原の言葉に、柏木はしようげきを受けたように息をのんだ。


「……ってごめん、えらそうに!」

 きんちよう状態もつかの間、いつもの調子に戻った相原が、あわてた様子で両手を合わせた。

「別に、今回のことで柏木君を責めてるわけじゃないの。本当だよ。ただ──」

「いや……君の言う通りだよ。僕がないせいで、めいわくかけてごめん」

 相原の言葉をさえぎり、柏木はすっと顔をそむける。

「だから柏木君は全然悪くないし──」

「ちょっと、頭を冷やしてくる」

 そんな言葉とともに一方的に会話を打ち切ると、柏木は足早にその場から去っていった。



「か、柏木君……!」

 追いすがるように手をばしていた相原は、はなれていった背中が完全に見えなくなると、ガクリとこうべを垂れた。

「あああ、きらわれた……なんであんな言い方しちゃったんだろ……」

「確かに。なんであんなおこってたんだ?」

「怒ってるように見えた!? そっか……」

 はあ~っとかたを落とす相原。

「なんか、あの子たちも柏木君が好きだから暴走しちゃってるのに、かげで柏木君からそんなこと言われてるなんて、むくわれないじゃない。そう思ったら、つい……」

「…………へえ」

 こんな目にわされた直後なのに、そういう発想が出るとは思わなくて、やや驚いた。

「でも上から目線で偉そうだったよね。柏木君も責任感じちゃったみたいだし……余計なこと言ったかなあ」

「別にちがったことは言ってなかったぞ。実際、あいつらはやりすぎだし、何も行動しなかったらこれからもあのままだろう。セーブする一番現実的な方法は、柏木が働きかけることだと俺も思う」

 俺がそうコメントすると、相原は「そう?」と少しホッとしたように表情をゆるめた。

 しかしすぐに「でもでもやっぱり柏木君、よそよそしかったし! げるみたいにあっという間にいなくなっちゃうし! 終わったー!」ともだえ始める。

 ……忙しい奴だな、ほんと。





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