一章



ゆずSIDE



 翌朝。午前六時二十五分。

 私は指定された公園で、そわそわしながら慧君のとうちやくを待っていた。

 慧君がヒロインプロデュースを引き受けてくれた直後にSNSのIDをこうかんして、「以後、よろしくお願いします!」とメッセージを送ったところ、夜になって返事が来た。

『明日の朝、六時半に、かざまつり公園で集合。登校の準備はしてくること』

 メッセージの下に、ここ、風祭公園の地図のリンクつき。

 必死にたのみ込む私に根負けしていやいやプロジェクトに参加してくれたように見えたのに、こんなに早く始動するなんて、ビックリだ。

 やっぱり若くしてまんデビューするだけあって、行動力ははんないのかも……。

 そんなことを思いながら、スマホケースについたミラーで、身だしなみをチェックする。



 桐葉高校の制服は白のブラウスに緑系のタータンチェックスカート(男子は同がらのズボン)という基本の組み合わせさえ守れば、あとは好きなようにくずすことが許されている。冬になると、これにダークグレーのブレザーを着るルール。

 今日は女子力! と思って選んだ赤のリボンに、ベージュのサマーニットを重ねてきた。

 あとは黒のハイソックスに白のスニーカー、オレンジのリュックサック。

 九月じようじゆんのこの時季はまだまだ残暑が厳しいけど、今日はわりとすずしめだ。

 かげで少しだけ曲がっていたリボンを直していたところ、向こうから、まぶしそうに目を細めた制服姿の慧君が気だるげに歩いてくるのが見えた。

「師匠! おはよう!」

 わくわくしながらけ寄って、あいさつした声は、自然とはずんでいた。

すがすがしい、いいお天気だね~。記念すべきヒロインプロジェクト、略してヒロプロの初日に相応ふさわしい感じ! 私、楽しみで昨日はなかなかけなかったよ」

「…………」

 高い位置にある顔を見上げながら頰をゆるめる私を、まるで宇宙人を見るような目でながめてくる慧君。

しよう?」

「師匠って言うな。なんで朝からこんな元気なんだ……ってあきれてただけ」

 はあっと小さくいきらす慧君は、朝は苦手なのかな。

 私はいつも目覚ましが鳴るとパッと目が覚めて、すぐ動き出せるタイプ……その代わり、かしはあんまりできないんだけど。



「じゃあ、一ノ瀬君。さつそくですが、私は何をしたらいいのかな?」

「……まあ、あせるな」

 慧君は私を制するように手をると、近くにあったベンチにこしを下ろした。

 私もそのとなりに座って、次の言葉を待つ。

「ヒロインになりたい──ということだが、それはつまり、少女漫画に出てくるようなカッコいい男とれんあいがしたいというかいしやくでいいか?」

「イエッサー!」

 ビシッと敬礼のポーズをとると、小さくうなずく慧君。

 けれど、次に彼の口から出た台詞せりふは、信じられないものだった。



「となると、相原に相応しい男はあいつだろう──『かしわとくおみ』」



「ええっ!?」

 思わず立ち上がっていた。

「柏木君……!? いくらなんでもたかの花すぎない!?」

 柏木篤臣君。

 私たちと同じ一─Aのクラス委員で、人望厚く、特に女子からはちよう人気の正統派美形。

 頭が良く、スポーツもできて家はお金持ちという、神様のちようあいを一身に受けて誕生したような人。

 にもかかわらず、おごったようなところはなくて、性格はおんこうだれに対しても気さくで親切。レディーファーストのかたまりでごく自然にさらりと甘い言動をしてみせるけど、本当に育ちがいいからいやみな感じもしない。

 ひたすらさわやかで気品さえただよう彼についたあだ名は「はちみつレモン王子」……。



「まさに少女漫画のヒーローそのものだろう」

「いや、それはそうだけど……あんなパーフェクトなイケメンが私ごときに振り向いてくれるとは思えないよ?」

「思い出せ。元気しかとりえのないへいぼんなヒロインが学園の王子様にできあいされる──これぞ少女漫画の黄金パターンだ」

「!」

 ビシッと宣告されて、かみなりに打たれたようなしようげきを受けた。

 た、確かに……!

「さすが一ノ瀬君! もうてんだったよ。実は私みたいなつうの女子にこそ、チャンスがあるってことだね!」

「…………そういうことだ」

 世界の真実をつかんだかのような感覚で興奮しながら手を打った私に、慧君はワンテンポ空けてから、こくりと頷いた。

「この辺りは、柏木が日課にしているランニングコースなんだ」

「そうなの!? よく知ってるね」

「俺の家もこの近所なんだが、仕事でてつした朝は、決まって窓から走っている柏木の姿を見かけた。以前学校でそのことを話したら、柏木本人が教えてくれた」

 仕事で徹夜……そうか、慧君が一学期にしょっちゅうこくねむりをしていたのは、漫画をいてたからなんだ。学校に行きながらプロとしてれんさいするなんて、信じられないくらい大変なことだよね……。

「……すごいね」

 改めて尊敬の気持ちがき起こって、ぽろりとそんな言葉がこぼれたけれど、慧君は別の意味に受け取ったようだ。

「ほんと、どこまでも爽やかなやつだよな。テニスを始めた中学時代から、毎朝同じ時間に同じコースを走ってるって言うから、たぶん今日ももうすぐ、あそこの角の向こうからやってくるはずだ」

 そう言って、公園に面した道路の曲がり角を指差す慧君。ほうほう。

「というわけで──」

 慧君は、しゃべりながら、自分のかばんから食パンを取り出した。



「相原はそのタイミングに合わせて、このパンをくわえながら柏木にぶつかっていけ。台詞はもちろん『キャー、遅刻遅刻~』」



 …………なんですと!?



慧SIDE



 俺が食パンを差し出すと、相原は意表をかれたように大きなひとみを丸くした。

 よし、いい反応だ。

 ヒロインプロジェクトを引き受けたものの、はっきり言って俺は全くやる気などない。

 わざわざ苦手な早起きをして、こんな風に集まったのも、一刻も早く相原に非情な現実を突きつけて、この鹿なプロジェクトから手を引くためだ。



 ──「思い出せ。元気しかとりえのない平凡なヒロインが学園の王子様に溺愛される──これぞ少女まんの黄金パターンだ」



 ああは言ったが、もちろん、現実ではあり得ないからこそ漫画になるのだ。

 この時点で相原には目を覚まして欲しかったが……



 ──「さすが一ノ瀬君! 盲点だったよ。実は私みたいな普通の女子にこそ、チャンスがあるってことだね!」



 普通じゃない! おまえは普通よりかなり馬鹿だ!!



 内心、大いにさけびながら、相原にあきらめてもらう作戦その2に移行した。

 ザ・少女漫画のベタなシチュエーション、『食パン遅刻少女』……しかし現実でこんなことをするなんて、しゆうプレイ以外の何物でもないはずだ。

 これなら相原でも気が引けるにちがいない。



「一ノ瀬君……それはさすがにちやだよ」

 ほら、思った通りだ!

 心の中でガッツポーズをしながら、俺はあえてげんそうにまゆを上げてみせた。

「無茶? だが、この程度のことをこばむようなら俺は手を引かせてもら──」

「食パンをくわえたまま、『遅刻遅刻~』なんて上手にしゃべれるわけないでしょ? だから、食パンは手に持ったまま走ることにしよう」

 …………そこ?

「あ、でも台詞せりふを言った直後にパンをくわえればいいのか! ……ふふっ、これぞヒロインって感じ! いいねいいね、ドキドキしてきた!」

 相原はノリノリのようだった。マジか。



「で、タイミングはどう見計らうの?」

「……俺が植え込みのかげから見張って、柏木が来たら電話で教える」

「らじゃ!」

 満面のみで敬礼をする相原。この女、ガチでやる気だ。

 もうどうにでもなれ、という気分で曲がり角にある植え込みの後ろに身をひそめ、柏木が来るはずの方に視線を向けていると、ほどなくして白を基調としたジョギングウェア姿のイケメンが、さつそうけてくるのが見えた。

 規則正しいリズムを軽快に刻みながら、生まれつき色素のうすかみが太陽光にけてかがやく。

 ひいでた額を流れ落ちる、光るあせ。零れるいき

 柏木とはたまに話す程度の仲だが、本当に、ミントの風がいてきそうなほど爽やかな奴なんだよな……。

「来たぞ。曲がり角へのとうちやくまで、あと五秒」

りようかいです!」

 相原のはずんだ声とともに、通話が切れる。

 高校の始業時間は八時半。こんな早朝で遅刻もへったくれもないだろうが──



「キャー、遅刻遅刻~」



 相原はなんのおくめんもなく声を張り上げてから食パンをくわえるや、曲がり角に向かってとつしんする。

 一方、柏木はちょうどそのしゆんかん、ほどけていたくつひもに気付いたのだろうか、ふと足を止めてしゃがみこんだ。まずい……!

「「!」」

 結果、全力でとつげきしてきた相原のひざが、柏木の顔面に勢いよくしようとつし──赤いものをまき散らしながら、柏木は後方に吹っ飛んだ。

 ……なんというさんげき



「ギャー!」

 地面にこしを落とし、鼻を押さえる柏木のてのひらから赤い液体がれていくのを見て、相原が悲鳴を上げる。曲がりなりにもヒロイン目指すならそこは「キャー」にしてほしい。

「ごめん、柏木君、だいじよう!?」

「相原さん……? うん、僕は鼻血だけだから……君こそ、はない?」

 流血しながらも弱々しく微笑ほほえみ、相原をづかう柏木は、マジでいいやつだ。

「私は全然平気! ティ、ティッシュ……もしくはハンカチ……!」

 あわててポケットやかばんさぐる相原だが、生憎あいにく忘れてきていたらしい。

「ごめん、よかったらこれ……」

 相原が差し出したのは、食パン。



 アホかー! 怪我した男に食パンを差し出すヒロインがどこにいる!



 吸収力は高そうだけどそういう問題じゃない。

「……じ、自分のティッシュがあるから、えんりよしておくよ」

 わずかなちんもくの後、柏木はどこまでもしん的に断ると、ポケットティッシュで鼻を押さえ、「じゃあまた、学校で」とそそくさとげるように去っていった。



「お、王子……!」

「まあ、現実はこんなもんだ」

 柏木の遠ざかる背中に向けて力なく手をばす相原のそばへ、りよううでを組みながら近づく俺。

 正直、ここまでの展開は予想外だったが……道路に点々と飛び散ったけつこんが、なんとも生々しかった。相原が、しゅんとかたを落とす。

「悪いことしちゃった。まさか怪我をさせちゃうなんて……印象は最悪だろうし……」

「俺も配慮が足りなかった。出会いがしらの激突なんて考えてみればつうに危険だよな……だが、これでわかっただろう? まんと現実は違──」

「でもまだまだこれからだよね! 少女漫画のヒロインたちも、色んな苦難を乗りえてハッピーエンドをつかみ取るんだから!」

 パッと顔を上げた相原の全身からは、メラメラと燃え上がるやる気のほのおげんかくが見える気がした。

「プロデューサー、なにかいいばんかい策ないかな?」

「……普通に考えたら、おびの品を差し入れるとかじゃないか?」

 適当に答えただけだったが、相原は「なるほど!」と大いに感心したようにうなずく。

「それをきっかけに話題も増え、きよが縮まっていく……みたいな感じだね。第一印象は最悪でも、じよじよに意外な一面を知ることでかれ合っていく二人……まさしく少女漫画の王道展開……!」

 両手をにぎって、うっとりしたまなしでここではないどこかを見つめる相原。

 たのむからさっさと諦めてくれ。





 翌日の、昼休み。四時間目が終わった直後。

「柏木君、昨日は本当にごめんなさい!」

 相原が、そんな言葉とともに柏木のところまでやってきた。

 ちなみに俺は今、柏木のとなりの席なので、二人のやり取りは自然と視界に入ってくる。

「お詫びと言ってはなんだけど、お弁当を作ってきたの。食べてもらえるかな?」

 相原が弁当とおぼしき包みを柏木に差し出すと、教室内がかすかにざわめいた。

 柏木ファンの女子たちが(けすんなよ!)とばかりにするどい視線を相原に注ぐのがわかったが、にぶいこいつは気付いていないようだ。

 鹿、そういうのはもっとこっそりわたすようにしろ。余計なヘイトを集めるぞ……と、見ている俺の方が冷や冷やする。



「えっ……そんな、気にしなくていいのに……」

 柏木はまどったように目をまたたいたが、すがるように見つめる相原に、「じゃあ」と微笑んだ。

「せっかくだし、いただこうかな。今日は学食にするつもりだったから、ちょうどよかった。でも、今後はもうこんな風に気を遣わなくていいからね」

 相原のこうも受け取りつつ、やんわりと関係をけん制する柏木の対応に、ピリッとした空気が一気にやわらいだ。

 はちみつレモン王子はやさしいから、みんなの前で女子をすげなくあつかうことはできないけど、別にあの子が好みというわけではないようだ……そんなにんしきが、今の台詞せりふで女子たちに生まれたようだ。やるな、柏木。

 一方相原は、そんなやり取りが周囲でひそかに行われているとは夢にも思わないようで、「うん!」と顔をかがやかせると、柏木の前の席に腰を下ろした。

 柏木が受け取った包みを開くと、二つのタッパーが出てきた。

「こ、これは……!」

 タッパーのふたを開けた柏木が、絶句し、先ほど以上に周囲がどよめく。

「特製シーフードカレーだよ。柏木君のイメージで、英国風にしてみました♪」



 弁当にカレーという時点で変化球だが、何よりそのカレーはなぜか──青 か っ た。



 何を入れたー!?

 パッと見、魚の骨やよくわからないつぶなぞの細かい葉っぱがかんでいた。

 英国風ってなんだ? 不味まずいってことか?

 ヒロインの料理がド下手へたってのも確かにベタっちゃベタだが、これは別に真似まねしたわけではなく、相原はガチのようだった。

 こーゆーとこだけしっかりヒロイン属性持っててどうする!

 においもなんだかおうくさい、危険な感じがした。俺なら「こんなもん食えるかー!」とたたきかえすしろものだ。

 しかし、柏木篤臣は根っからのジェントルマンだった。

「どうぞ、し上がれ」

 にこにこしながら期待に満ちた目で反応を待つ相原に、「不味そうだから無理」なんてすげなく対応することは、彼にはできなかったらしい。

「い、いただきます……」となんとか引きつった微笑ほほえみを浮かべると、ぶるぶるとふるえるスプーンでカレーをすくい、決死のひとみでパクリと一口ほおばった。

 お ま え こ そ 勇 者!

 しゆんかん、ぶわっと柏木の両目からなみだき出す。

「柏木君!?」

「……お、美味おいしいよ……でも僕、急用を思い出したから、ごめん……」

 そうはくのままなんとかそこまで告げると、おとこ・柏木は口元を押さえ、ふらつきながら教室を出て行った。柏木……おまえはよくがんった……。



「相原、そのカレー、味見したか?」

「ううん」

「一口でいい、食べてみろ」

「えっ、でもそんなことしたら間接キス……」

「いいから食え!」



 かあっと一丁前に照れる相原の口にやりスプーンをっ込むと、いつぱく置いてから「ごふうっ」といううめきとともにショートボブの頭が机に突っした。

 かたきはとったぞ、柏木……。





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