第二幕 悪役令嬢は可愛げがないので泣かない その2
ゲームの
(マークスを見張ってもいいけれど、イベントが起こる前に魔物を見つけるのなら後手になるわ。そもそもイベントに関係ないのなら、マークスを見張っても意味がないし)
寄宿舎の裏門を
その周辺で魔物の姿がないのならば、そもそも迷子の魔物がイベントと無関係という線も考えなければならない。
「あっさり見つかってくれると助かるのだけれど──あら」
寄宿舎裏に近づくにつれ、
「くっそ! 角が固い、木の棒じゃ無理だ」
「早くしろ、
「まず
その短いやり取りだけで
同時に、がうがうと必死で
「角と
「何をなさっているの」
男子生徒達の背中が
(
男子生徒の
「魔物を殺すおつもり? 不戦条約をご存じないのかしら」
「──ア、アイリーン様……退学なさったって、聞きましたけど」
「び、びびるなよ。こんな女……」
相手にする時間も
(確か、解除の仕方はお兄様に教えてもらったはず……!)
真っ先に罠に手を
「かっかまれた!」
「お
血は
一呼吸おいてから、アイリーンは唸る魔物の子供に微笑みかける。
「初めまして、わたくしはアイリーン。あなたを迎えにきました」
手首をそっと魔物の子供の鼻先に差し出す。ふわっと風に
「わかるわね? 少し
じっとタイを見つめる目が迷っている。だが次の
「何をなさるの!」
「うるさい! 人間を傷つけたんだから、こいつはもう殺していいんだろう!」
再び全身の毛を逆立てて唸り声を上げ出した魔物の子供を、
「やめなさいと言って──」
ぬっと
(──これ、イベントの魔物……そうか、親!)
クロードの言いつけを破り、結界を越えてさがしにきたのだ。その
この状況を見れば、当然だ。罠にはまって前脚から血を滲ませた子供。不自然に曲がった後ろ脚。人間に傷つけられた、そう考えない親はいない。
アイリーンを
「待ちなさい! 吠えては
制止したアイリーンは、立ち上がろうとして
「
吠えるのをやめた魔物がぎょろりと視線を動かす。その間に急いで罠の解除を始めた。兄に教えてもらった手順通りに操作すると、すぐに
か細い声を上げて魔物の子供が、親の
「子供を連れてすぐ人気のないところへ行きなさい。クロード様が迎えにきてくれるわ。
「……」
「早く行きなさい。あとはわたくしがなんとかしておくから、早く!」
魔物はじっとアイリーンを見ていたが、子供の首筋をくわえ、ひょいと壁を飛び越した。ほっとしたが、気が抜けたのは一息分だけだった。
「──アイリーン。どうして君がここにいる。自主退学したんだろう」
マークスの苦々しげな声と、あとに続く厳しい
(……やっぱりイベントだったのね)
迷いこんだ子供を痛めつけられ怒った魔物の親が人間を
いい気分で、アイリーンは優雅に微笑む。
「忘れ物を取りにきましたのよ」
「忘れ物、か。……魔物が出たと聞いたのだが」
「ええ、いましたわね。そちらの罠にはまっていたので、逃がしてやりました」
「逃がしただと? こんな獣用の罠を、
そう信じて疑わないという
(……まあ確かに、
その
「君が罠にかかった
「──は?」
「ここはリリアの部屋の、真下だろう」
そうなのかという
「
「それでも君ならやりかねない。現に、返り
ちらとマークスのうしろを見ると、
(あらどうしましょう、マークスが
冷たく笑うアイリーンに、マークスが厳しく告げる。
「魔物とは不戦条約があるとも知らないのか、ドートリシュ
「待って、マークス。私はアイリーン様がそんなことをたくらんだとは思えないの。何かの誤解だわ。そうでしょう、アイリーン様。私は信じますから」
さすがヒロインだ。正解にたどり着いている。だが
だからアイリーンはあえて黙ったまま、何も言い訳しなかった。それをどう思ったのか、マークスが舌打ちする。
「……何もなかったわけだし、リリアの
「マークス。アイリーン様、怪我をなさってるんじゃないの?」
「
ちらとアイリーンの
(でもこれで騒ぎにならずにすんだわ。何もかもわたくしが悪いのは
胸は痛みはしなかった。とっくに
「な、ん──っ」
マークスがリリアを背にかばい、剣に手をかけたところで、固まってしまう。
夕暮れの空に
空に
「
「まさか、森から出てこないって」
(……どうして、クロード様が?)
今、彼が出てくる理由はどこにもないはずだ。
つま先から地面に足をつけた魔王の姿に、人間達が
その
「──貴様、何者だ! 魔王か!?」
「……」
「答えろ。……でなければ、
夕日に
アイリーンの目には見えないマークスの剣さばきを、クロードは目線も投げずにその場に
「──くそっリリア、うしろに下がっていろ」
「は、はい」
「おおおおおおおぉ!!」
だが、クロードが
「うるさい人間だ」
何が起こったのかは見えなかった。マークスも目を丸くして
クロードは最後までマークスに目を向けず、剣を
「──待て、どうしてとどめをささない!」
「アイリーン・ローレン・ドートリシュ」
「は、はいっ?」
「あなたに感謝を申し上げる」
完全にマークスを無視したクロードは、胸に手を当てて、アイリーンに頭を下げた。
ざわっと周囲に
「
クロードの口調がいつもと
「……礼だなんて、わたくしは何も……」
「魔物との争いを起こさぬよう、あなたは魔物を傷つけたのが自分であるという
クロードの言葉にざわりざわりと周囲が目配せし合う。マークスが
「助けられた魔物が、恩人であるあなたを
そこでちらとクロードは背後の人間達に目を向けた。
「──だが、あなたが許せと言うなら、今回は飲みこもう」
呆然とクロードの話を聞いていたアイリーンは、やっと気づく。
(……助けにきて、くださったんだわ)
アイリーンの濡れ衣をはらしに姿を現してくれたのだ。
そんなことをしても、クロードになんにもいいことなんてないのに。
「……いえ。その言葉だけで、十分です」
胸に手を置いて、アイリーンはやっと、それだけ答える。クロードは
「そうか。では不問にしよう──あなたに免じて」
最後まで念を押すことを忘れず、クロードはぱちんと指を鳴らした。
「どこか痛みは?」
「だ、
「なら、私が
もう一度ぱちんとクロードが指を鳴らした瞬間、今度は真横に銀色に
立派なたてがみを持つ黒馬による二頭引きの、
「ど、どこから出したんですか!?」
さすがに
(あ)
冬なのに、花の
「驚くのはまだ早い。──手を」
言われるがままに、アイリーンは手を差し出す。その手を引いて、クロードが馬車の
「この馬車は、空を飛ぶ」
「えっ」
馬がいななき、その背から
驚いて思わずクロードの
ぽかんと口を開け
夜空を走る馬車に、
またたき始めた星の光。
「きれい……」
「──そうしていると、
紅潮した
「失礼なことを
「普通の令嬢は
「……でも、どうして助けてくださったんですか?」
「それはお前が何にも言い返さないからだ、
窓の外にベルゼビュートが張り付いている。
「窓からの眺めが台無しですわ……!」
「やかましい! どうして言い返さなかった、娘! 万倍言い返すと思ったのに」
「あなた、それを聞きに空をわざわざ飛んでますの?」
「王が我々は出るなと仰るから、ここまで
「ソウダ! 娘! 説明!」
反対方向の窓はカラスで
「……クロード様。ひょっとして今、この馬車の周りは」
「魔物で埋まっているが?」
「……色々、本当に台無しですわ……
「いいから答えろ、娘! 王が返事をお待ちだ」
どう見ても返事を待っているのはこの馬車を囲む魔物達だ。
深い
「都合がよかったからですわ」
クロードは相変わらず静かにアイリーンを見つめている。そのおかげで
「大事なのはあの魔物の子供が無事で、かつ人間側から言いがかりをつけられずにすませることです。あの場があれでおさまるなら、多少の誤解など
「……そう、かもしれないが……」
「それに、うまく言いくるめる方法も思いつかなくて」
ふう、とアイリーンはわざとらしく溜め息をつく。
「学園での信用が最底辺なわたくしが、あの男子学生が先に手を出していたと言ったところで
「
「まあ、わたくしが
「そうではなく、どうして我々に証言をさせようとしなかった!」
思いがけない
「そんなことをしたらもっと
「ど、どういう意味だ」
「あなた方が何か証言したところで、わたくしが魔物をたぶらかしたと思われて余計事態が悪化するだけです。というわけで、余計な
「なんだと!?」
苦虫をかみつぶしたような顔で、ベルゼビュートが
「あなた方に助けられるほど落ちぶれておりません、ということです」
「オ前、ダカラ
「あらご明察。わたくし、恩を売られるのが大嫌いですの。恩を売るのは好きですけれども」
「……ベルゼビュート。全員、下がれ」
静かにクロードが命じた瞬間、窓硝子ごしに
反対側の魔物もいなくなり、あっという間に静かになったところで、クロードが口を開いた。
「魔物達は君を好ましいと思い始めている」
目がまん丸になった。
「わたくしを……ですか」
「いいか悪いかでの評価ならほぼ悪いだが、フェンリルの子供を助けたからな」
「たかが一回子供を助けただけで、単純すぎません?」
「魔物達は人間のように上っ
何もかも
「すぐに
「君だって似たようなものだ」
「はい? わたくしは騙されたりしませんでしてよ」
クロードは答えない代わりに、ちらと視線だけを流した。あえて
「……元
「君は泣きもせず、言い訳もせず、助けも求めない人間なんだということはわかった」
目の前の
「だから愛してもいない、しかも人間ですらない僕になぜ求婚しにきたのか、その理由を言わないんだな。今も、言う気はないのか?」
「言っても信じてもらえないと思いますけれど」
「信じるか信じないか、それを決めるのは君じゃない」
それはそうだ。ふむと
「では申し上げますわね。実はわたくし、前世の
「は?」
「実は、この世界はわたくしの前世にあった乙女ゲームなんですの。リリア様がヒロイン──主人公で、わたくしは悪役令嬢。いわゆる当て馬のやられキャラですわね。そして婚約
「……」
クロードの目が冷たい。ものすごく冷たい。だが、アイリーンはにこにこと説明を続けた。
「でも愛の力ってありますでしょ? だからてっとり早くクロード様をわたくしのものにしてしまえば殺されずにすむと、そう考えて求婚しに参りました。うふふ、ご理解いただけました?」
「……ああ。よくわかった」
クロードがしらけた
頰を
当然、落ちる。
「君がどうせ理解できないだろうと
「いっ──」
悲鳴が落下に飲みこまれた。雲の
(噓! 死ぬ!)
下からの強風に
(あ、流れ星)
落下速度が不意にやわらいだ。
クロードの
そのまま、へなへなと芝生にへたりこむ──と同時に、
「なんってことなさいますの! 殺す気ですか! 人でなし!」
「ああ。僕は
「開き直りましたわね!? 一体どういうつもりでわたくしを
「夜会には出席しよう」
「──え?」
「ど、どうし、ましたの。いきなり」
「これで貸し借りなしだ。君の
「……そ、そうですけれども。ならどうして、笑ってらっしゃいますの」
「ああ。笑っているのか、僕は」
「魔王らしい感情だな、と我ながら思うな」
「説明を──いえいいです、なんだか嫌な予感が」
「君を、泣かせてみたくなった」
は、と言葉が空気が抜けるような音に変わった。
とんと軽い音を立ててクロードが地面を
いや、そうじゃない。クロードの感情が流れ星を落としている。やたらときらきら星が
(そ、それってどういう感情!?)
※カクヨム連載版はここまでです。お読みいただきありがとうございました。
続きは本編でお楽しみください。
悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました 永瀬さらさ/角川ビーンズ文庫 @beans
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