第10話

 桜並木の坂を女学生たちがさざめきながら通り過ぎる。

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、菫さん」

 菫と呼ばれた少女は長い髪をお下げに結って、手に楽器のケースを持っている。大きさからしてバイオリンだろうか。

「いまから、バイオリンのおけいこ?」

「ええ」

「例の英語教師の?」

「そうです」

 女学生たちはさえずるように笑う。

「外国の先生は少し怖くありません?」

「とてもお優しいです」

「でも、目元は鋭くていらっしゃるから」

「瞳の色素が薄くていらっしゃるんですよ、黄金色をしていらして、とっても綺麗でした」

 菫は外国人教師を怖がる他の女学生たちに一生懸命弁解する。

「菫さんは先生が好きでいらっしゃるの?」

 菫の顔が赤くなる。

「そ、それは……」

 女学生たちは菫をさんざんからかうと、それぞれの道へと散開していった。




「タイヘンよかった、です」

 アーノルドは目の前のまだ幼い異国の少女にいった。

 シナから日本に渡ってきて早一年。今のところ、追手の影はない。

 この異国の地で、静かに骨をうずめる覚悟もできた。

 何より、目の前で頬を赤く染めている少女のことがいとしくてたまらなかった。

 スミレ……母国ではビオラという花のことを指すらしい。

 小さくはかなげな印象がその花に重なってなお愛しい。

 日に日に募る恋情と欲情を抑えながら、いたって冷静な振りをして、まじめな教師を装って来た。

 体の奥深くに眠る、獣はこの少女を切り裂き押さえつけ、好き勝手に犯して切り刻めと叫ぶが、アーノルドは目の前の少女を決して傷つけたいと思わなかった。

 肌に触れたくともその恋情を抑え、ただ指先で指示をする。

 その仕草が怖いと、他の少女たちには嫌われていたが、アーノルドにとってはそれは好都合だった。

 餌食は少女たちではなく、パンパンと呼ばれる女たちだった。米軍兵士にまぎれて女を買い、ひとしきり生気を吸った後、その場を去る。その繰り返し。それで充分だった。金を要求しない女もいた。アーノルドと並んで歩くだけで満足する異国の女たち。

 それはアーノルドにとっては敗戦国の卑屈な姿に見えた。

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