第9話

 成り行きで女を連れてきてしまったアーノルドは、気絶した女をそのまま路地の影に寝かせ、夜の街路を駆けた。

 おそらくあの女はかわいそうだが殺されるかもしれないと思う。これから先自分とかかわる人間は死ぬ運命にあるのかもしれない。

 そうなれば、おのずと警察も人の目も自分に向くだろう。この国にいることすらできなくなる。

 気づけば、袋小路に追いつけられたネズミだった。

 遠くに逃げねば……

 ほとんど本能で、アーノルドは海に向かった。この国からでなければ……




「クレイグ様、見つかりません」

「この役立たずが……」

 月夜を背景に、ロンドンの街の影がゆれる。屋根の上に二つの影。

「やはり、ハウンドを連れてくればよかった」

 愛犬をおいてきたことをクレイグは後悔した。




 アーノルドは追手のないことを確認すると、ロンドン橋の袂からはい出た。

 テムズ河は昨今の軍需工場のためにかなり汚染され、ヘドロが底に淀んでいる。アーノルドはその川に何時間か潜み、様子をうかがっていた。

 夜が明ける前に子の皮を出て、港に向かわねばならない。そこからシナ行きの船に潜り込み、香港に行こうと決めていた。

 第二次世界大戦が終わり、中国の一部がイギリス領となって、成功を夢見るものが数多く香港に渡っている。

 アーノルドは船員にまぎれ船に乗り込み、イギリスから逃げ出すことをもくろんだ。

 港の船員を一人誘惑すると、アーノルドはシナまでの渡航賃なしで船に乗り込んだ。輸送船である。船底に潜んで、誘惑した船員相手に約一カ月を乗り切ったのだった。

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