第17話

「それが答えなのかね? 彼が怖がっているから、代わりに血を受け取ろうとでも申し出たのかね?」

「違います……栗栖はおじいさんと一緒に俺を燃やしてしまおうとしたんだ」

「……ということは……」

「そうです。俺は栗栖にうまいことハメられたんです」

了はにがにがしげに吐き捨てた。

「それでも彼に執着するのか?」

「あの……栗栖は俺のこと、何とも思っちゃいないけど、俺は栗栖を友達だって……そのぉ、それ以上かもしれないって、思ってるんです」

 了はうつむいた。

 カーッと血が頭に上ってきて、藤堂と目を合わせられなかった。

 藤堂はあごをなでながら、了のつむじを見つめた。

「君の話だけだと、彼の行動は突拍子もないね」

「性格かもしれない」

「まぁ、そうも言えるが……それでも彼が好きなのかね?」

「ハァ……まぁ」

 藤堂は苦笑した。

「彼は、想像以上にいろんなことを知っていて、なおかつ行動しているのかもしれない。最悪を言えば、君のお母さんは盾代わりなのかもしれない」

「そのことは考えてみました。でも、栗栖の行動はさっぱり見当がつかないんです。都合さえよければ、その場その場で決断するみたいで」

「ふむ。その性格はたしかにバスクレーの血かもな」

 冗談とも思えない冗談。

 了はぎこちなく笑い返した。

「藤堂さんっ!」

 突然、藤堂の名が呼ばれた。

 ふたりはギョッとして、声のほうを振り返った。

「見つかったらしい。ここから動くなよ」

 藤堂はそう言い残すと、刑事らしき男に近寄り、なにやらゴチョゴチョ話し始めた。

 藤堂は男に指示を与えると、了に向かって、

「ナオミが県境で目撃された。甥は山に逃げ込んだらしい。厄介なことになったぞ」

 それを聞いて、了はクラクラとめまいを起こした。

 首根っこをガッチリ藤堂に押さえ込まれて、了は高速を降りた国道沿いまで連れて来られた。

「藤堂さァん、いいかげんに信用してくださいよォ」

 了は情けない声で訴えたが、

「ナオミを始末してからだ」

と言うばかり。

 ロザリオを巻いた腕でつかまれていては、身動きが取れなかった。

「いったい、どうやってナオミを始末するんです?」

 了がたずねると、藤堂はスーツの下から拳銃を取り出した。

「拳銃なんかで……」

 了があきれてつぶやくと、

「これにはロザリオを溶かして作った弾丸が込められている。単なる銀の弾丸じゃない。そのなかには、さらに聖水が注入してあるんだ」

「ハァ……」

 妙に納得して、了はその拳銃を見つめた。

「ヴァンパイアにきくんですか?」

「しもべにはな」

「ヴァンパイアは殺せないんですか?」

「試しに撃ってみようか?」

 藤堂はニヤリと笑って、銃口を了に向けた。

「冗談はよしてくださいよォ」

 了はあわてて両手を振って、銃口を押しのけた。

「ロザリオにしても、君はやけどくらいですむが、しもべは、おかしな話だが、生死にかかわるんだ」

 藤堂に指摘され、了は自分の両手を眺めた。

 赤く引きつれを起こした手のひら。

 藤堂が応急処置をしてくれたが、まだこころなしか痛い。

「この目で見てきたんだ。わたしは神父だが、エクソシストという特別な仕事に携わってね。このロザリオは何度もわたしの命を救ってきた。これからもその恩恵にあやかるつもりだよ」

 ドーゾ、あやかってください。

 了は心のなかでひとりごちた。

「彼と君のお母さんは、このさきの山道から歩きで山に入ったらしい。ナオミは高速を突っ走って」

と、藤堂は高速道路の高架の一端を指さし、

「あそこから飛び降りた。民間からの通報で意外に早く知ることができたんだ」

「通報した人は、すげー驚いたでしょうね」

「そうだろうな」

 藤堂はうなずいて、微笑んだ。

「母さんの車が見当たらないけど……」

 了は山道を見渡して、たずねた。

「多分、木かなにかで隠してあるんだろう。夜が明けてみないと……こんなに暗いとちょっと分からないな……」

 ふたりはテクテクと山道に入り、真っ暗闇の山の木陰を見つめた。

「さぁ、ここからがヴァンパイアの力の見せどころだ」

「力……?」

「仲間を嗅ぎ付ける能力だよ、知らなかったのかね?」

 もちろん、知りません。

 了は苦笑い、

「そんな力があるって知ってたなら、藤堂さんに頼らなかったのになぁ」

「後悔先に立たず、だな」

 藤堂はニヤリと笑った。

 しようがないので、了は目をつぶって意識を集中した。

 やり方は分からないけれど、一種の超能力なのだろう。

 超能力と言えば、精神集中と相場は決まっている。

 あ、もしかすると、ナオミがラブホテルでリストをまえにしてやってたのが、その力なのかもしれない。

 ああ、そーなのかァ。

 了はひとりで合点すると、ひと差し指を立てた。

 目をつぶると、指先にあらゆるものが絡み付いてくるのが分かった。

 押し流される空気、自分の脈動、藤堂の生気に息遣い、森の満々とした精気、夜の張り詰めた振動。

 小さなしびれを感じた。

 グイとそちらのほうに指を向けた。

 ひとつは暖かく、もうひとつは冷たい。

 首をかしげて、試しに藤堂を指さした。

 暖かい。

 ハハァ、生きてる人間は暖かな波動を生じるのだ。

 冷たいのは、そいつがヴァンパイアだからだ。

 血が凍っているのだ。

 そう考えると、了は悲しくなった。

 自分の血も凍っていると、自分で証明したようなものだからだ。

「藤堂さん、あっちだ。あっちに3人がいます」

「そうか」

 おもむろに藤堂は携帯用の懐中電灯を照らした。

 オレンジ色の光の輪ができ、濃い藍色の木陰に影を作った。

 おかしな話だ。

 警察の情報網さえ利用したというのに、結局ふたりきりでヴァンパイアを追っているのだ。

 相手が殺人犯なんかだったら、総出の山狩りが行われているところだったろう。

 ふたりは枯れ葉を踏み締めて、山のなかへ分け入った。

 懐中電灯が無ければ、人間の視覚だけでこの森のなかを逃げることは不可能だ。

 栗栖が捕まりもせずにナオミの魔手から逃げおおせているのは、奇跡に近い。

 いや、もしかすると、ヴァンパイアの狩りの本能が、わざと自分自身を焦らしているのかもしれない。

 獲物をもてあそぶのだ。

 たやすく捕まえられることが分かるだけに。

 栗栖は、きっとヘトヘトだろう。

 香也子を連れて(最悪なのはすでに香也子がヴァンパイアの餌食になっていることだが)、どこまで逃げられるというのだ。

 了はヴァンパイアの特質を生かして、ロザリオで封じ込められてさえいなければ、いますぐにでも栗栖の元へ駆けつけたかった。

 いや、藤堂が一緒でもいい。

 栗栖を、この手でしっかりと捕まえてしまえれば……

 闇は、黒いスープのように、目の前に立ち込めている。

 小さな暖かい気配が、いくつも足先をかすめ去り、時折ふたりはつまずいた。

 了は、なんとか栗栖たちの行く手を阻むように、近づきつつあった。

 しもべには、あるじほどの鋭敏な嗅覚はないのだろうか。 

 それとも、風上に立つまぬけなライオンと同じで、了たちの匂いや気配にまったく気付いていないのだろうか。

 了は立ち止まった。

 暖かな塊が、まもなく了の胸に飛び込んでくる。

 そして、そのうしろにヒタとついてくる狼のようなしもべを、藤堂の弾丸が打ち抜くのだ。

 了と藤堂は待った。

 ガサガサガサガサ……!

 ドンと胸のなかに飛び込んできた愛しい人間を、了は力強く抱き締めた。

 柔らかく、小さな体。

 了はギョッとして、胸のなかの人間の顔を見た。

「か、母さん……」

 香也子は喉を詰まらせたような顔付きで、了を見つめた。

「了……」

 藤堂も驚いた様子だったが、彼は拳銃をまえにかざし、すでに銃口は、飛び掛かろうとするナオミをねらっていた。

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