第16話

 藤堂にはなかなか会えなかったが、薄ら寒い受付で待っていると、バタバタとあわてて走って来る足音が聞こえてきた。

「すまんすまん、いや、ちょっとめんどうなことが起きて」

 ダンディを決め込んでいた藤堂のスーツは、ちょっと会わないうちにくたびれ、その秀麗な顔に浮かぶ疲労は隠せなかった。

「栗栖のお母さんがいなくなったんだろ?」

 藤堂は目を丸くして了を見た。

「どうして……」

「会ったんだ。栗栖が追われてる……どうしていいか、わからなくてここに来たんだ」

「……」

「それと……」

 了は言いにくそうに、口をモゴモゴさせた。

「なに?」

「栗栖、いま、俺のお母さんと一緒なんだ」

「……なぜ?」

 了は思わずうつむいた。

 こんなにも言いにくいことなんて。

「う……うう……」

 懸命に喉を振り絞って、

「駆け落ちしちゃった……」

「……」

 ふいに藤堂の腕が了の肩を抱き締めた。

 とたんに、

「イテテテテ!」

 了は絶叫して、藤堂から飛びのいた。

 うっかりしていた。

 藤堂はなにやら威力のあるロザリオをしていたのだ。

 了が飛びのいたのを照れたからだと、運のいいことに藤堂は勘違いしてくれた。

「ああ、悪かった、うっかりしてたよ。日本は外国とは違ったんだな」

「いや、あの……」

といいわけしても、本当のことは言えない。

 代わりに、了は声を低くして続けた。

「あの、それと……栗栖を探しててラブホテルに入ったとき、学生証を忘れて来たんです」

 これはかなり恥ずかしい告白だった。

「なんでまた、ラブホテルなんかに?」

「……」

 この沈黙が藤堂の直感をくすぐったようだ。

「お母さんと栗栖がいたからか?」

 了はうなずいた。

「いったい、一人で入ったのか?」

 了は答えに困って、黙りこくった。

 藤堂はため息をつくと、

「ほかに忘れたようなものはないんだね?」

「ハァ」

「じゃあ、現場でそういうものを見つけたら、なんとかして君に返そう」

「返してもらえるんですか?」

 了は恐縮したままたずねた。

「その代わり、何があったか、話してもらわないとね」

 厳しい返事だ。

 了はガッカリした。

「とにかく。ヴァンパイアが彼らを追っている以上、ややこしいことにならないうちに、手を打たないといけないな」

 了はギリギリの真実を話した。

 了にも分からないことが多いので、どのていど正しく伝わったかは疑問だ。

 しかし、藤堂はそんな穴ボコだらけの説明でも、かなりのことが把握できたようだった。

「ナオミさんがヴァンパイアのしもべなのだとしたら、わたしの出番かもしれない」

「ズバリそうだから、藤堂さんに頼ってんじゃないですかァ」

 藤堂の婉曲な物言いに、了はイライラして言った。

「お母さんの車のナンバーとか、わかるかね?」

「ハァ」

 藤堂は了の告げた番号を控えると、「ちょっと待っていて」と、署内の奥へ走っていった。

 しばらくして藤堂は戻ってきた。

「いま、手配してもらった。時間は掛かるかもしれないが、ヴァンパイアは目立つし、見つかればすぐだろう」

「え、車のナンバーは?」

「まさか、民間人の車1台相手に特別手配はできない。だから、輸送中の遺体を窃盗した疑いで、ナオミさんを指名手配してもらったのだ」

 警察も追っている人物が盗まれた死体だとは、思いもよらないだろう。

 気の毒に……

「日本ではこのくらいしか影響力がないんだよ」

「いえ、別に……」

 どう答えればいいものやら。

「それから、さっき報告を受けたが、5階から飛び降りた男がいるって?」

 ギクッ

「白い服を着た外人の女と一緒に逃げたと聞いたが……」

「へぇ、仲間がいたんですか?」

 了は白々しく言った。

「五階から飛び降りて無傷なのは、確かにヴァンパイアだろうな。それか、そのしもべ……」

 藤堂は胸元からロザリオを取り出し、了の目の前にかざした。

「ところで、これを触ってもらってなかったね?」

 ギクギクッ

「え、藤堂さん、まさか、俺を疑ってるんじゃあ……」

「触りたまえ、疑う疑わないの前に」

 了は唾を飲み下した。

「さぁ」

 グイとロザリオを突き付けられる。

 触っても触らなくても、この場合、出てくる答えはひとつしかない。

 でも、ここで逃げ出せば、栗栖の行方を知ることはできない。

 しかも、栗栖は了の母親を連れて逃げているのだ。

 あーもー、どうにでもなれ!

 了はやけくそになって、両手でロザリオを握り締めた。

「ヴアギャオアウエガッ!!」

 言葉にならない奇声が、了の口からほとばしった。

 両手とロザリオから、モウモウと煙が立ちのぼった。

 両手がなぜだか燃えているのだ。

 熱いというより、痛い。痛いというより、骨が瞬時に砕かれて稲妻が両腕に走ったようだった。

 藤堂はロザリオから、了の両手をもぎ取った。

 了は自分の手を見た。

 真っ赤に水ぶくれている。

 ところどころが黒く焦げていた。

 涙目で藤堂を見上げた。

 理由を求めているような瞳が、了を見下ろしていた。

「血は……血は俺が受け継いだんだ……」

 了は痛みにあえぎながら告白した。

「やっぱり火事のときの少年は君だったんだな?」

 了はコクンとうなずいた。

 藤堂はロザリオを持ったまま、身構えた。

「どういうつもりなんだ?」

「どういうつもりって?」

 了は思わず聞き返した。

「なぜ、栗栖を追うんだ? ナオミのことは知っていたのか?」

「知るわけないよ。こんなことになったのも、栗栖が張本人なんだから」

「……」

 藤堂は眉をひそめた。

「ということは、君は巻き込まれた、と言いたいのかね?」

「そーそー、まさにそのとおりなんですよ」

 なんとも言えない白々しさが漂った。

 けれど、了は嘘を言ってないし、できれば信じてほしかった。

「俺、別にヴァンパイアになりたくてなったわけじゃないんです。ホントに何も知らなかったんだ。人を殺そうとか、仲間を増やそうとか、そんなこと考えてないよ!」

「君みたいなことを言うヴァンパイアを、わたしだって何度も見ている。しかしね、奴らは根っからの嘘つきなんだよ。君が本当のことを言っているという保証はないのかね?」

 グググググ……

 了はくやしげに歯軋りした。

 栗栖だけが了を弁護できる。

 あの、栗栖だけが。

「バスクレー卿も一族の血を呪わしく思って、日本に逃げたのだ」

 了は「え?」と驚いた。

「だが、結果はこれだ」

 卿が了に血を継承するときに、なんとか言ってなかったか?

 苦しめたとか、地獄へ突き落としたとか……

「ナオミは最善の方法、ヴァンパイアを生きたまま永遠に閉じ込めるというやり方で、この血統を途絶えさせようとしたんだ。君はそのことを知っていたのかね?」

「栗栖は……怖がってた。最初、何を怖がってるのか、俺には分からなかった。栗栖はママの死を、自分の一族の血を怖がってたんだ。そんでもって、血を受け継ぐことからうまく逃げおおせても、しつこく追いかけて来る一族の存在が怖かったんだ……栗栖はただひたすら人間として生きていたかったんだ……」

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