第11話

 栗栖はググッとまゆを寄せて、じっと藤堂を見つめた。

「生前、お母さんから伺ったことは?」

「なにも」

「あなたのお父さんのこととか」

「なぁんにも」

「お父さんのことは、なんと伺っていたんだね?」

「病気で死んだ、と」

 栗栖はジロジロ藤堂を見つめ、

「あなたが僕を引き取るんですか?」

「そうだよ、もう転校のための書類はできてるんだ」

 藤堂の爆弾発言に、了は大声を上げた。

「校長の誠意って、そのことなのかよ!?」

「僕が転校?」

 栗栖の手からボロボロとスナック菓子が玄関に飛び散った。

 了は取りも直さずキッチンへ行き、布巾を手にして、言った。

「上がってください、こんなところじゃなんだから」

 藤堂は栗栖の視線から逃げると、了に「失礼」と笑いかけていすに座った。

「母の遺体は?」

 栗栖は立ったまま腕を組んで、たずねた。

「防腐処理をして、警察病院に安置してもらってる」

「じゃあ、当分そのままだね。家も焼けたし、役所の手続きが済むまでは、僕は文無しだからな」

「実家の教会を貸すよ。なにせ、君の伯父だからね」

「いまごろ都合よく親戚が登場するなんて、これ定石ってカンジだね」

「子供が生まれたとは思わなかったものでね」

「おたくの教会の日曜学校にも行ってたのに?」

 ふたりのあいだには、どう見ても親しみのムードは皆無だった。

 それに藤堂も決定的な質問を言い渋っている。

 了は機械的に緑茶をすすりながら、状況がどう展開するか、ワクワクしながら見守った。

「大丈夫。わたしは神父でね。君さえいやでなければ、カトリック式の葬式を上げられるだろう」

「ママは喜ぶかもね。あの人、カトリックだったから」

「君は? ママと一緒に教会へは?」

「いーや、子供のころだけ。僕は日蓮宗なの。ナンミョーホーレンゲキョーってね」

 ふたりのあいだには、バチバチと火花が散っていそうだった。

 藤堂はおもむろにシャツの下から、なにかを引きずり出した。

 了は一瞬ひるんだ。

 藤堂が片手に持ち、自分の目の前に出したのは、ロザリオだったのだ。

 手のひらくらいある、大きな十字架。

 あれだ。

 了は悟った。

 了の指を跳ね返したのは、あのロザリオなのだ。

「これは、神父が身につける信仰の証し。わたしはこの仕事を選び、このためにあらゆるものを捨てておきながら、これだけは決して捨てることができなかった。触ってみてくれないか」

 そっと差し出されたロザリオを、栗栖はためらいもなく触れてみせた。

 了には、藤堂の愕然とする心中が手に取るように分かった。

 そして、そのロザリオを了にも触れと言うんじゃないかと、気が気ではなかった。

 しばらくして、何事もなかったかのように、藤堂はロザリオをシャツの下にしまった。

 栗栖は最初のうち、藤堂が何の意図があってそんなことをしたのか、分からなかったようだ。

 けれど、了に目をやって、もう一度藤堂を見やって、ニヤリと笑った。

「わたしは君に、ナオミさんの遺言を持ってきたんだよ」

と、藤堂は告げて、了に目を向けた。

 栗栖はそれに気付いて、

「了はべつに気にしないでください」

「ナオミさんは事故で亡くなった。ナオミさんを連れてきたとき、だれもが彼女は死んでいると思ったんだね。なぜなら、呼ばれたわたしは神父でしかも急いで仕事中に掛けつけたものでね。でも、瀕死の彼女と話していてね、わたしは運命の偶然というものに感服したよ」

「前置きはいいですから、早く言ってください」

 藤堂は栗栖の物言いに苦笑った。

「彼女には保険金がかかっていた。受取人は息子だと。なにか支障があるようだったら、わたしが親代わりになって処理してくれと」

 藤堂はよどみなく告げた。

 栗栖がお目当てのヴァンパイアでなかったときに言うべきセリフだったのだろう。

「ママが?」

 驚いたのは栗栖のほうだった。

 絶対信じられないという目付きで、藤堂をにらんだ。

「死ぬ直前まで、君のことが気掛かりだったんだよ。それなのに、あの火事が起こって、わたしは内心とても焦ったんだ」

「嘘だね」

 栗栖は薄く笑いながら、つぶやいた。

 藤堂は栗栖を見つめた。

「ママがそんなこと、言うはずがない。ママは僕を憎んでいたんだ」

「しかし保険金の受取人は君になっている」

「ママは……自分が先に死ぬなんて思ってなかったんだ。多分、僕も生命保険に入ってるよ。あの人は疑われないために、自分も保険に入ったんだ」

「……」

 藤堂は目を細めた。

「なぜかね?」

 了はハッとした。

 これ以上栗栖に話させたら、事の顛末までばらしてしまうだろう。

「栗栖、おまえ、学校にお母さんが死んだこと、連絡してなかっただろう?」

 ふたりの視線が了に集中した。

「おまえ、怪しまれてんだぜ? 保険金目当てに母殺しと放火をしたんじゃないかって」

 栗栖は目を丸くして、了を見つめていたが、ブバーッと茶を吹き出して、笑い転げた。

「汚ぇなぁ、もぅ」

 了はブツブツと布巾でテーブルを拭いた。

「その話は本当だよ。警察は君にもアタリをつけているようだ。それに放火の疑いもかかっている」

 栗栖は鼻で笑った。

「保険金が欲しくて、犯罪者なんかになったら、バカ見るよ!」

「1億だってよ」

「……へぇ……それだったら、ちょっと考えちゃうな」

「考えなくていい」

 了は栗栖の現金な態度にガクッと肩を落とした。

「ま、とりあえず、明日のことだね。いつまでもここに居候するわけにも行かないしさぁ」

 藤堂が身を乗り出した。

「わたしがホテルを用意するよ。遺言だからね」

 了も負けじと身を乗り出した。

「いやぁ、俺は全ッ然迷惑してないから。好きなだけ居候してくれよ」

 了と藤堂のあいだに火花が散った。

 栗栖はキョトンとそのやり取りを眺めていた。

「わたしにはこの子を生き残ったかもしれないバスクレー卿の手から守る義務がある。君では話にならない」

 藤堂は栗栖に聞こえない声で了にささやいた。

「そんな荒唐無稽な話があるもんか。俺が一緒の方が栗栖も安心する」

 了も小さな声でやり返した。

「じゃあ、君もホテルに来たまえ」

 了は渋り顔をしてみせたが、内心はラッキーとほくそ笑んだ。

「学校から近いとこじゃなきゃな」

「では、ハイヤーを手配するよ」

「ちょっと、ホテルがなんだって?」

 栗栖は怪しげな密会に業を煮やして、バンとテーブルをたたいた。

「小鷺田君も同行することになったよ」

と、藤堂が告げたとたん、栗栖の顔がひきつった。

「栗栖、俺とお前の仲だろ?」

 了は微笑みながら、栗栖に言った。

 荷物をバックに詰めて、了と栗栖は車に乗り込んだ。

 バックシートに体を収め、栗栖がポツリとつぶやいた。

「なぁ、クソ出た?」

 了はモゾモゾしながら、

「いいや、今日はまだ」

「ふーん……フン詰まりの……!」

 了は危機一髪で栗栖の口を押さえた。

 ニヤリと栗栖は笑った。

 了は苦笑い、爆弾を抱え込んだ気分で栗栖を見つめた。

 エンジンがかかり、すっかり暗くなった道路をライトが照らした。

「君たちは、高校に入ってからの友達?」

 藤堂はバックミラーに映るふたりを見た。

「いいえ、高2になってからかな」

 藤堂の質問に、さっきから栗栖が答えている。

 なにせ、了が口を開こうとする前に、栗栖がベラベラしゃべっているのだ。

「どういうきっかけで?」

「席が、前後なんです」

 了は呆れた目で、ひょうひょうと抜かす栗栖を見やった。

 了と栗栖だけが知る、複雑な理由。

「外国も日本も、友達になる理由はさほど変わらないなぁ」

 了と栗栖がいまだ友達であるかどうかさえも、疑わしい。

 藤堂は栗栖への嫌疑が晴れたものだから、やたらと明るかった。 栗栖が自分の出生の秘密を、一族の秘密を全く知らないと思っているらしかった。

 真実を知ったら、きっとぶったまげるだろうな、と了は気の毒に思った。

「ホテルについたら、わたしはちょっと出掛けるから。食事はホテルのクーポンを渡しておくよ。和食洋食、好きなものを食べたらいい」

「へぇ、ホテルってどこです?」

 栗栖はなにやらうれしそうにたずねた。

「いいホテルといっても、このあたりにはあまりなかったからね。一応、ホテル西急のツインを取っておいたよ」

「ツイン……?」

 栗栖の顔から、あっという間にうれしげな様子が失われた。 

「シングルをふたつ取りたかったんだけどね、なかなか」

 藤堂は申し訳なさそうに告げた。

「僕が、こ……!」

 了はすかさず、栗栖の首元に手を当てた。

 栗栖はグニャリと体をシートに沈め、うらめしげに了をにらみつけた。

「どうした?」

「寝ちゃったみたいです。疲れたんじゃないですか? いろいろ起こったから」

 藤堂は微笑むと、

「わたしは、このあと警察病院へいって、父の教会に遺体を預けてくるよ。君たちがあの現場をうろちょろしていた事実は気に食わないが、あの火事がバスクレー卿によるものか調べてみないとな。結果によっては、栗栖の保護の仕方を変えねばならない。ところで、わたしはまだナオミさんがどうやって殺されたか、言ってなかったね」

「ハァ」

「脳死どころか……彼女は体半分つぶれていたんだ」

 了はゴクンと唾を飲み込んだ。

「だれも彼女が生きているとは思いも寄らなかった。わたしですら、ね。見ただけで死んでいると思ったんだ。肺がつぶれていたし、いまでもどうやって生きていたのか……彼女はやっと聞き取れる声で、すべてを話してくれた。聞いていたのはわたしだけだった。単なる事故だと思われたんでね。だが、違った。彼女はイギリス私に会うとは別の用件も秘めて訪れたらしい。だれかは分からないが、おそらく彼女の父親の一族のものだろう。そして、その人間に観覧船から突き落とされ、スクリューに巻き込まれたんだ」

「本当に栗栖のお母さんが、栗栖を藤堂さんの養子にしてくれって頼んだんですか?」

「いや、彼女ははっきりと栗栖は殺してくれ、と言ったよ。たとえ、血を受け継いでいない普通の人間であっても、生かしていてはならない、とね」

「……」

 了は栗栖を見下ろした。

 栗栖は目を見開き、蒼白となって震えていた。

 栗栖はまだなにか隠していることがあるらしかった。

 火事で燃えてしまった母親の日記には、明らかにとんでもないことが書かれてあったに違いない。

「ショックかね?」

 了は顔を上げた。

「俺は……」

「母子家庭だそうじゃないか、彼は。彼女は恐れていたんだ、一族の体質そのものを。その子はなにも知らないらしい。彼女はなにも話さなかったんだな……そのほうがいい。そのほうが彼も幸せだろう」

 うーん……物事はそんなに安直じゃないらしいぞー。

 了は苦笑って、あいまいな返事を返した。

 しかし、栗栖のお母さんを殺したのはだれなんだ?

「イギリスにバスクレーの一族が、まだ生き残っているのかもしれない。イギリスにはかなり閉鎖的な村が、いまだに残っている。正体を偽るには適した土地柄だよ」

「藤堂さんは、やっぱりヴァンパイアはいるって、意見なんですね」

「そうだよ。だから、ロザリオを栗栖に触ってもらったんだ。彼はヴァンパイアに、そのエキスを与えられていない。ヴァンパイアが人間をしもべにするには、血を吸うときにエキスを入れ込むんだ。そうすると、その人間はヴァンパイアと同じ体質に変わってしまう」

「昼間、棺桶に寝てるとか?」

 藤堂はハハッと笑った。

「そうかもしれないな。だが、それは小説のなかのヴァンパイアだ。現実のヴァンパイアは、想像以上に人間じみているかもしれない」

 おみそれ。

 了は藤堂に感心した。

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