第10話

 了はふと思った。

 始アニキも、今年ちょうど33、4だ。

 同い年だろうか?

 しかし、始アニキは刑事などではない。

 アニキは写真家なのだ。

 小鷺田始は、有名な動物写真家なのだ。家庭も顧みずに、自分の夢ばかりを追いかけている。

 藤堂は了の思考を探るように、しばらく黙っていた。

 校長が落ち着かずに咳をし始めると、藤堂は口を開いた。

「では、彼は昨日、自分の家が焼失してしまったことを知らないのかね?」

 了は、驚いたふうに目を大きく見開いた。

「え?」

 了の態度を見て、藤堂は目を細めた。

「テレビでも新聞でも報じられたよ? 知らなかったのかね?」

「そもそも、なぜ、彼が君の家に居るんだね? 君は風邪で休んでいたはずじゃないか」

 校長が我慢しきれない様子で、話に割って入った。

 それを、藤堂は片手で遮り、

「君は昨日の1時頃、何をしていたんだね?」

「江嶋君と一緒にいました」

 藤堂はふたたび笑顔を浮かべた。

「では君は彼が母親を亡くしたばかりというのも知っていたのかね?」

「知っていました」

 藤堂は「ほう」と声を漏らした。

「彼が失踪扱いを受けているということも?」

「え!?」

 了はこれには驚き、思い切り声を上げた。

 これを見て、藤堂はうれしそうに微笑んだ。

「知らなかったと見えるね? ところで、江嶋栗栖、彼は今君の家かね?」

「……」

 了は藤堂をじっと見つめた。

 この男はただ者ではない。

 と、本能が告げていた。

 ただの刑事ではない。

「藤堂さん、あなたはだれですか……?」

 校長が口をはさもうしたが、藤堂が大きな声で遮った。

「江嶋栗栖の母親の遺体を、日本まで連れてきたものだよ」

「……」

 藤堂はにっこりと、独特な笑顔を浮かべた。

「神父でね。江嶋栗栖の伯父でもある。小鷺田君、わたしは彼とぜひとも話をしなければいけないのだ。早急に、ね」

 了は用心しながらたずねた。

「それじゃ、火事のとき見かけたって、あれはなんですか?」

「警察沙汰にはしたくない。あれが、単なる火の不始末ならいいが、しかし、どう考えても不審火にしか思えない。火事の前後に現場で見かけられた人物は、君らしき少年と甥なんだよ」

「……」

「君たちを疑いたくはないんだが」

 と言いつつ、疑っているわけだな、と了は藤堂をにらみつけた。

 藤堂は了の視線の意味に気付き、肩をすくめた。

「もしも、僕たちが江嶋君の家に火を点けたとして、なんの得があるんですか?」

「確かに、直接君には得などないかも知れない。だが、彼にはあるんだ」

 了はキュッと唇を引き結んだ。

「保険金、ていうのは知っているね?」

「ハァ」

「甥には1億近くの保険金が、近々降りることになる」

 了は目を見開いた。

「家に掛けられた保険。そして彼の母親の保険金なんだ」

 藤堂はじっと了を見つめた。

「彼の母親はね、殺されたんだよ。事故だと見せかけて」

 了は息を飲んだ。

 藤堂は了の一瞬の戸惑いを見て取った。

 くるりと校長のほうを向き、

「このあと、警察のほうからも連絡がくると思いますが」

 校長はよどんだ目付きで、藤堂を見つめていた。

「この件、あなたの誠意を信じていますよ」

 了は藤堂がどういうつもりで、校長にこの言葉をかけたのか、分からなかった。

 この時点では。

 有無も言わさず、いつのまにか了は藤堂の車に乗せられていた。

 レンタカーなのか、車のなかに雑多の日用品はひとつも見当たらない。

 唯一、藤堂の持ち物と言える品は、この街の近辺の詳しい地図だけだった。

 藤堂はかなり調べたらしく、地図には細かく折り目がつき、赤いサインペンで至るところに丸印がついている。

 その丸の一つに、外国人街があった。

 了がしげしげとそれを眺めているのに気付いて、藤堂は気さくに話しかけてきた。

「なにしろ、20年近くイギリスにいたものでね、この街に帰ってきたのは本当に久しぶりなんだよ」

 了はギョッとして藤堂を見やった。

 藤堂はなごやかに顔を緩ませ、

「わたしの名前は、葉月・J・藤堂。たいていの日本人はわたしの名前を、ゼイゼイ息切れするみたいに呼ぶね」

と、言った。

 自己紹介などされてしまうと、了は自分もしなければ、とさいなまれてきた。

 なかば、渋々と了は自分のことを漏らした。

「俺、あの、僕は小鷺田了といいます。あの……」

 藤堂はにこやかに、まるで始兄のように了を見守っていた。

「もう校長のまえじゃないんだ。緊張しなくていいよ」

 了は藤堂の言葉に安堵して、ホッと息をついた。

「ねぇ、君は本当は知っているんだろ? 彼が人間じゃないことを」

 あまりにも気軽に藤堂が続けたので、了は一瞬自分の聞き違いかと思った。

 しかし、藤堂は了の沈黙を肯定の意味に受け取ったようだった。

「わたしとしてはね、君はすでに江嶋宅を訪れたことがあるんじゃないかと思っているんだ。たとえば、それがあの火事の、もしくはあの不幸の前後くらい」

 了は何と言っていいのか分からず、じっと藤堂を見つめた。

「彼をかばっているのは、分かる。それが、たとえ、操られている結果だとしても、ね」

 了はあんぐりと口を開けた。

 藤堂は明らかに知らないのだ。

「わたしはイギリスから追ってきたんだ。こんなことを、現代っ子の君が聞いたら、陳腐だと思うかもしれないけれど」

 確かに栗栖の口から最初の告白を聞いたとき、了は丸っきり信じなかった。

「彼の血のなかに潜む、ヴァンパイアの血だ」

 思わず、了は笑ってしまった。

 それを見て、藤堂は寛容に微笑んだ。

「彼の祖父、バスクレー卿は自分の血が絶えるのを恐れて、第二次世界大戦の直後、日本に渡ったのだ。卿は日本に永住して、自分の血をひそかに受け継がせるために日本人になった。イギリスでの地位も何もかも捨て去ってね」

 了は疑わしげに藤堂をにらんだ。

 この男は一体何者なのだ。

 しかし、藤堂はその目付きを勘違いした。

「まぁ、こんなキテレツな話など、信じろと言っても無理だろうがね」

と、低く含んだ笑い声を漏らした。

「彼の母親、江嶋ナオミとは、死の直前にこのことを話したのだ。さすがに血の一族あって、彼女は脳死状態であってもおかしくない状況で、かなり長い時間、いろんなことを告白してくれた」

 藤堂は、まるで試しているような目付きで、了を見やった。

 いつのまにか、車は栗栖の燃え尽きた家の前に止まっていた。

「遺言というかね、そんなものをわたしに残していったのだよ」

「……」

 どこまで信じていいのやら、了には見当もつかなかった。

 ふたりは車を降り、栗栖の家の門の前に立った。

 灰のこびりついた鉄製の門には、立ち入り禁止を示す警察のテープがベタベタと張り付けられていた。

「君は……」

 了は、180cmを優に越す藤堂を見上げた。

「彼を閉じ込め、生き続けたバスクレー卿とともにあのふたりを焼き殺そうとした……それは、自分の意志? それとも、彼の……甥の意志?」

 話は思わぬ方向へもつれ込もうとしていた。

 彼は栗栖をどうしたいのだろう?

 それが分からなければ、なんとも言いようがなかった。

 了を前にして、限りなく無防備に近い藤堂を、今の了なら好きなようにできるのだ。

「栗栖がお母さんが死んだって伝えられた晩、あいつ、俺のうちに来ましたよ。でも、泣くだけで。あいつ、一人っ子だから、ほかに慰めてくれる人もいなかったんでしょうね」

「やっぱり、まだ否定するつもりなのかね?」

「否定するもなにも、行ってもない家に行ったとか、家を燃やしたとか、あげくの果てに友人が化け物扱いされて、気持ちいいはずないじゃないですか」

 藤堂は悲しげな顔付きで、了を見つめた。

「君は、甥の父親。ナオミの夫がだれだか知っているかね?」

「いいえ?」

「それはわたしの兄だ。わたしがイギリス留学してしまう直前だった。彼は、突然、衰弱死したのだ。ナオミの母親と同じように。わたしはその死を疑ったが、どうすることもできなかった。わたしの家は敬虔なクリスチャンでね、今思えば、ナオミがなぜ兄にひかれたか分かる気がするよ」

 了は愕然として藤堂を見た。

 この男は栗栖の伯父なのだ。

「彼女が何におびえ、何に苦しみ、何に嘆いていたか……わたしが知りたいと思い、長年見続けてきた悪夢を、彼女はすべて背負って生きてきたのだ。わたしは彼女の勇気に感服するね。自分の母を殺し、自分の夫を殺し、あまつさえ、自分さえもその呪われた血の犠牲にしようという、卿の魔手を阻止し……その魔物を受け継いだ息子が犠牲者を出す前に殺してくれと、わたしに依頼するためにイギリスを訪れた……」

 了の毛がビリビリと逆立った。

 この男は危険だ。

 藤堂はじっと了を見つめていた。

 そして、はっきりと了に告げた。

「君は、もうすでにヴァンパイアの甘い密に毒されているのじゃないかね? 目を覚ますんだ。それは、人間とは決して相いれない、悪魔の血なんだ」

 了のこめかみが、ジンと熱くほてってきた。

 了は何げないふりをして、藤堂に触れようとした。 

 そして、ハッとして、手を引っ込めた。

 藤堂に触れたとたん、マイナス軸どうしが反発するように、了の指先が跳ね返されたのだ。

 藤堂は気付かなかったようだ。

 彼は、なにかに守られている。

 了は目を細め、藤堂をすみずみまで眺めた。

 いったいなにが彼を守っているのか、見当もつかない。

「じゃあ、栗栖に会ってみますか?」

 すると、案の定、藤堂は度肝を抜かれたような顔をした。

「あいつ、俺の家に居ると思います。あいつが、人間か、化け物か、その目で確かめたらいいじゃないですか」

 了はにっこりと無邪気に笑ってみせた。

 マンションの駐車場に車を止め、了は藤堂を家へ案内した。 

 栗栖がおとなしく留守番をしていればいいけれど……

 それだけが気掛かりだった。

 鍵をガチャガチャいわせて、了はドアを開けた。

「おかえりー」

 身構えたふたりを出迎えたのは、寝くたびれたスウェットシャツを着て、スナック菓子を食わえた栗栖だった。

 なんと緊張感のない格好!

 了は心のなかで拍手した。

「小鷺田?」

 栗栖は、ぼうぜんと立ち尽くす了をいぶかしげに覗き込んだ。

 そして、栗栖の目が、了の後ろにたたずむ藤堂に向けられた。

 もちろん藤堂も目を丸くして、スナック菓子を食べるヴァンパイアに見入っていた。

「えーと、どちら様?」

 栗栖は了にたずねた。

「あ、え……」

 一瞬、なんと説明していいものやら、了は言葉に詰まった。

「初めまして。お宅に寄ったんだがね、火事で燃えてしまっていて。ところで葬式はどこでされるのかな?」

 藤堂がおだやかにそう告げると、栗栖の顔色が急激に変わっていった。

「わたしの名は、葉月・J・藤堂。あの、皐月・シモン・藤堂の弟だよ。偶然な出会いに、神に感謝すべきかね?」

 しかし、栗栖はその重大な発言に、キョトンと首をかしげた。

 藤堂もそのそっけなさに肩の力が抜けたようだ。

「皐月・シモン・藤堂」

と、もう一度はっきりと告げた。

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