第9話

 了は了二の汚い部屋で目を覚ました。

 茫洋とした思考が、とたんにサイレンを鳴らし始めた。

 了は考えるよりも先に、本能に従っていた。

 しかし、栗栖はおとなしく了のベッドに寝ていた。

 布団と枕を抱きかかえるようにして寝ている。

 了はホッとした。

 それから、20分しないうちに、部屋中にみそ汁の匂いが漂い始めた。

 了はキッチンの時計を見やった。

 もうすぐam7:40。

 了はテーブルに朝食の準備をすると、インスタントコーヒーに湯を注いだ。

 ふと、顔を上げ、了は明るく声をかけた。

「おはよう」

 戸口に栗栖が憂鬱そうに立っていた。

「よく眠れたか?」

 栗栖はボサボサ頭のまま、ドスンと食卓についた。

 そして、開口一番。

「僕、みそ汁嫌いだ」

 ご飯をよそおうとする了のかいがいしい手が止まった。

「コーンポタージュスープじゃないといやだ」

「……栗栖、知らなくてごめんな、明日の朝、きっと作るよ。約束するよ」

 栗栖はブスッと寝起きの悪そうな顔付きで、テーブルのうえの二人分の朝食を眺めた。

「なんで、二つずつあんの? こんなに食えるわけないじゃないか」

「俺と栗栖の分だよ」

 起きたばかりの栗栖は、思考力が小学生以下になってしまうらしい。

 かんしゃくを起こす寸前の子供みたいなしかめ面で、

「なんでおまえの分があるんだよ!」

とどなった。

 了は気にもせず、止まっていた作業を続けた。

 栗栖の目のまえにご飯を置き、

「ひとりで食うメシはマズイだろ?」

「おまえにメシ食う必要があるわけないじゃないか! 僕のまえでメシなんか食ったら許さないからな!」

 了は黙ったまま、栗栖を見つめた。

 これが本当の栗栖の姿なのだろうか。

 こんなことくらいでかんしゃくを起こしてしまう、甘っタレが。

 うーん、このサマを学校中の奴らに見せてやりたい。

 みんな、なんと言うだろう?

「なんだよ? なんか、文句あんのかよ」

 栗栖はまるで酔っ払いだった。

 了は苦笑ってたずねた。

「食べないのか?」

 栗栖は下唇を突き出して、言った。

「食べるよ!」

 それから、栗栖は全部平らげてしまうまで一言もしゃべらなかった。

「んじゃ、俺、学校行くから」

 am8:10に家を出るなど、いつもと比べたら遅いくらいだ。

 栗栖はすっかり落ち着いた様子で、

「へぇ、ヴァンパイアでも学校に行くんだね」

「そりゃあ、俺、高校生だからな。栗栖と違って、頭も悪いし」

「……」

 栗栖は何も言わず、了をじっと見つめた。

 了はふと、栗栖は昨夜のことを水に流すつもりなのだろうか? と考えた。

 けれど、それを口にしてしまうのは、ちょっと恥ずかしかった。

「なぁ、小鷺田?」

「え、なんだよ?」

 了は半分期待して、栗栖を見上げた。

「おまえがさっき食べた朝食。あれさ、どこから出すの?」

「……」

「ヴァンパイアって、メシ食う必要ないじゃない。どこから出すの?」

「……やっぱ、下、からじゃない……?」

 栗栖はじーっと了を見つめた。

「そ……じゃあさ、出たら見せてよ」

「……」

 パタン

 気がつくと、了は返事もせずに、ゆっくりとドアを閉めていた。

 栗栖は何を考えているのだろう。

 何も考えていないのかもしれない。

 それを考えると、学校に行って、栗栖をひとりきりにしてしまうことが不安になってきた。

 だけど、学校にはいかなくちゃ。

 昨日は理由もなしに嘘をついて休んでしまった。

 そのことを考えると、頭痛がしてくる。

 栗栖の様子が気になる。

 しかし、足はしっかりと学校の通学路をたどっていた。

 栗栖はいい。彼は学校に忌引とかなんとか言って休んでいるのだろうから。

 1日ぶりにクラスの連中にあったが、べつに1年会わなくても惜しくない奴らばかりだった。

 4時間目が無事に終わり、了はぼんやりと教科書をとじた。

「……さぎだ!」

 ハッとして、了は顔を上げた。

 古典の教師が、了のまえに立っていた。

「おまえなぁ、目を開けたまま寝るなよ。起きてるか?」

「ハァ……」

「うん。あのな、校長が今すぐきてくれとさ」

 了は聞き違いかと思った。

「え、なんで?」

「わしは知らんがな。ほらほら、無実を潔白してこい」

 了は教師にせきたてられながら、教室を出た。

 思い当たることはふたつしかなかった。

 火事の件と夜遊びの件。

 だれかに見られていたのだろうか。

「参ったな……」

 了はこめかみをもんだ。

 トントン

「2のCの小鷺田です」

「ああ、入りなさい」

 了が校長室のドアをたたくと、すぐに校長の声が返ってきた。

 了は恐る恐るドアを開けた。

「ドアを閉めて」

「あ、はい」

 ドアを閉め、校長と向き合う。

 そして、了は校長の机の斜め前のソファに座る人物に目をやった。

「藤堂さん、この子が小鷺田了です」

 了は藤堂と呼ばれた男を見つめた。

 彼はきちんとした身なりの30半ばの男性だった。

 だれだろう? 

 了は警戒しつつ、藤堂の前に立って、頭を下げた。

「普通の子ですね」

「そうですね、あなたの言うような、スポーツ万能というタイプではないですな」

「……」

 了は二人の大人のやり取りを黙って聞いていた。

「小鷺田くん、君は江嶋栗栖の家を知っているかね?」

 藤堂はまずそう切り出した。

 了はどう答えたものかと、躊躇した。

「知っとるのかね、小鷺田くん」

 校長もたずねた。

 了は慎重に答えた。

「知ってます」

「昨日、彼の家に行ったかね?」

 了ははっきりと答えた。

「行ってません」

 藤堂はにっこりと笑った。

「行ったとしたら、何時頃行ったのかね?」

「僕は行ってません」

「でもね、昨日の一時前後に、江嶋宅の前に君が彼と一緒にいるところを見た人がいるんだよ」

「江嶋君とですか?」

「そうだ」

 了はピンときた。この男は刑事で、聞き込みにきたのだ。

 了はアリバイを調べられているのだ。

 もちろん、放火の嫌疑で。

「確かに江嶋君とは一緒にいましたけど、家には行ってません。なぜ、そんなことを聞くんですか?」

 藤堂は眼光の鋭い男だった。

 鷹の目。

 自分の運命を変えてしまった、あの鷲の瞳とは一味違う。

 あごはしっかりとしているが、全体的に顔の作りは繊細で、通った鼻梁をしている。

 しかし、頭だけしか役に立たないタイプの人間ではなく、その引き締まって痩せた体は、なにか武道を身につけていそうだった。

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