第6話
これを見ていたすべてのやじ馬が驚嘆にどよめいた。
「すげぇ、最近の放火魔は化け物みてぇだな!」
だれかが叫んだ。
了はがむしゃらに後ろも見ず、ピョーンと屋根から屋根へ跳び移って、安全な場所を探した。
やっと神社の杜に身を隠すことができた。
神社の横手には教会が見える。
栗栖の家はその反対側だった。
最初のうち、了はこずえにしがみついたまま、身じろぎすらせずに時間が過ぎるのを待った。
そのうち、落ち着いてきて、改めて自分の姿を眺めた。
シャツははだけて、ススで真っ黒け、髪は乱れまくっているやらで、およそまともな人間の格好ではなかった。
顔を拭っても拭っても、ますます手の甲が黒くなるだけなので、顔も人相が分からないくらいに汚れているに違いない。
もしかして、身元は割れてないかも知れない。
了は被害者ではあったが、あんなところにいたのでは一番に怪しまれてしまう。
それにあれだけ全焼してしまえば、なにが目的で火を点けたかさえも分からない。
栗栖だって、おじいさんと了を跡形もなくしてしまうために、あれだけ丹念に火を点けたのだ。
そう言えば、栗栖はどこへいってしまったのだろう。
了はこそこそとこずえから降りて、神社の御手洗で体を拭った。
怪しくない程度のいで立ちで、それでもスス汚れてはいるけれど、神社をあとにした。
栗栖を探さないと。
まず、そう考えたが、了は書き置きすら残さなかった家のことが心配になってきた。
心配になってくると、もうだめだった。
気になって、栗栖どころではなくなってしまった。
栗栖だって、ほかに友人がいなければ、だれかに頼らざるを得ない。
なんてったって、栗栖の依存心の強さは人並み以上だ。
いまごろ甘やかしてくれる存在の皆無に、泣きべそをかいていることだろう。
了はひそかにほくそ笑んだ。
まるで自分が、ターゲットを定めたハンターになったような気分だった。
その設定に、ワクワクと血が沸き立つ興奮を覚えた。
獲物を捕まえた暁に、何をするのだろう。
はらわたを抜いて、剥製にするのか?
皮を裂き、肉を味わうのか?
それとも、大切に檻の中で愛でるのか?
まえの自分なら、こんな考えに喜びを感じなかったはずだ。
けれど、その矛盾さえもしっくりと心に収まっていた。
なぜなら、了の体に、栗栖が受け継ぐはずだったヴァンパイアの獣の血が、毒々しくよみがえったのだから。
了は邪まな心とは裏腹な、人の良さそうな顔を微笑ませた。
「アニキ、メシー」
了を迎えた第一声は、了二のカワイクない声だった。
「ただいまぁ」
「どこ行ってたんだよ、もう7時だぜぇ?」
「ちょっと買い物」
「なんも持ってないじゃんか」
「買わなかったんだよ」
了は肩の力が抜けた。
マンションのドアをあける瞬間まで、ヴァンパイアとなった自分の颯爽たる悪役ぶりを想像していたからだ。
どうやら、あの妖しげな感情は栗栖に対してだけ起こるらしい。
「今日のごはんなに?」
了は冷蔵庫をあけ、中身を調べた。
いつもながらたいしたものが入っていない。
「すぐ食えるどうでもいいもん? それとも時間が掛かっても凝ってるもん?」
了はいつものように了二にたずねた。
そして、了二もいつものように答えた。
「すぐ食えるもんに決まってんだろぉ」
「へいへい」
弟はどんなものでも食えれば食ってくれるので助かる。
ツナ缶と切り干し大根のごった煮とみそ汁を出すと、うまそうにガツガツ食い始めた。
「アニキは?」
いつもなら、一緒にどんぶり飯をかき込む了が、珍しく何も食べないので、了二は不思議そうにたずねた。
「ン……腹減ってないから」
いつもなら、食い物の匂いを嗅ぐだけで、腹の虫がダダをこねていたはずなのに。
了の胃袋は、もっと別のものを求めているようだった。
「アニキ、なんで昨日、常盤の名物男が来てたのさ?」
「友達だからに決まってんだろ?」
「ふーん……」
「それよりおまえ、昨日の夜中、どこ行ってたんだよ。いっつもだれんちに泊まってんだよ?」
了二は眉をしかめて、不機嫌な顔をした。
「なんだよぉ、いつもは聞かないのに、今日はどうかしたんじゃないの? ババァみたいなこと言いやがって」
「ババァ……お母さんのことかよ?」
「あいつ以外にうちにババァが存在すんの? へぇ、知らなかったな、それは」
「バカヤロ……お母さんって言えよ」
了はたしなめるように三つ年下の弟の頭をはたこうとした。
サッと了二はその手をよけると、
「あんな女、母親じゃねぇよ」
と、吐き捨てた。
「……」
了は呆れ返って、むくれた弟を見つめた。
世間でよく言う家庭の危機って、このことか?
自分の知らない間に、親子の亀裂は深まっていたのか?
確かに弟は茶パツのスケボー野郎だ。ゲーセンに通い詰めてる不肖の弟だ。
けれど、それが家庭の崩壊によって突っ走った道とは、了は気づきもしなかった。
ドゴドコドコと、それまで安易に組み立てていた家族像というものが、音を立てて崩れていった。
ほうけたままのアニキを、弟はいぶかしげに見つめた。
「ついでにさ、アニキは知らないだろうから言うけど、あのババァ、浮気してんだぜ?」
「……」
「それも、あの、常盤の名物男とだよ」
「なにぃー!?」
ガッターン!
勢いついでにいすも倒れ、弟は目を丸くした。
「なんだ、やっぱ、知んなかったのね、アニキ」
知っているも知らないも、初耳どころか、およそ想像だにしないことだった。
問題外だったのだ。
栗栖が自分の母親と浮気なんて。
あいつは、一体なに考えてんだ!?
俺をこんな目に合わせた上に、どうして!?
もっと、謎なのは、なぜ了二が知っていて、了が知らないか、だ!
「い、いつから、それを知ってたんだ!?」
「そうだなぁ、今年の5月くらいだったかな」
栗栖と急激に親しくなったのはちょうどそれよりまえくらいだ。
「だれから、聞いたんだよ?」
「だれって? アニキー、やめてよ、俺以外の人間にばれてたらさぁ、いまごろゆすられてるよー」
了二……おまえの人間関係って、歪んでんな……と、了はひとりごちた。
「どこで見たんだよ?」
「ケケッ」
「なんちゅう声で笑うんだ!」
「ケケッ、ホテル街」
了の顔からサーッと血の気が引いた。
生々しいことを考えてしまったのだ。
「ケケッ、あんなババァでもするこたァするんだなって、思ったよ」
「するって……」
お母さん、なんだって……! 了は心の声で叫んでいた。
「お、お父さんは、あの人、このこと、知ってんのかよ?」
「知ってるだろ? よくわかんね。俺、教えてないしさ」
この家の家族は……! 知らぬが仏とは、まさにこのことだ!
「第一、教えたってさ、あいつらが変わると思う? 始ニイがいたときとは、てんで違うからさ」
「そうだよ、始アニキがいたときは、お母さんもお父さんも家にちゃんと帰ってきてた」
了二はどことなくブスッとつぶやいた。
「だってさ、アレじゃない。この家の子供って、始ニイだけだもん」
「……」
たしかに、昔からうすうす了も疑問に思っていた。
自分の両親は、やけに無干渉じゃないか、と。
それでも立派に育ってしまった鈍チンの俺。
「アニキ、落ち込むなよ。アニキはアニキで俺のめんどう良く見てくれてんじゃない」
「わかってんなら、いいよ」
「でさ、どうすんの?」
了二はやけに明るくたずねてきた。
「どうするって?」
「わっかんないかなぁ、ババァと名物男の実態、知りたいんじゃないの?」
いまさらになって、栗栖の「人事みたいに言うねぇ」という言葉が耳に響いてくる。
あの言葉は、これを暗に指していたのだ。
あんのヤロウ……
まぁいい、積もる話は捕まえてからすればいいのさ。
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