第3話
「ママがさ」
栗栖はささやくように話し始めた。
「僕が生まれるまえに、死にそうなおじいちゃんを地下室に塗り込めたんだって……」
「ポーの黒猫みたいだな……」
了はポツリと感想を述べた。
「そう! 小鷺田もやっぱ、そう思う?」
「でも、それがホントのことなら、おまえのお母さん、犯罪者じゃないか」
「だけど、だれにもばれなかったみたいなんだ。おばあちゃんはとっくの昔に死んでたしさ。たぶん、ママ、適当に言い繕ったんだろうな」
「なんか、壮絶だな」
「ママがイギリスから帰ってくるまで、葬式も出せないし、家に居なくちゃならないみたいだし、いろいろとメンド臭い手続きもしなくちゃなんないみたいだし……だけどさ、地下室のおじいちゃんのこと考えるとさ、いてもたってもいらんなくなっちゃって……なぁ、小鷺田ァ、おまえんとこにしばらくおいといてくんないか? 迷惑かけないからさぁ」
すでに迷惑をかけているというのに、一人っ子という存在は!
了は苦々しく感じたが、栗栖が数多い友人のなかから自分を選んでくれたことが、誇らしく思えた。
「いいよ、うちは別にひとり増えようと困りはしないし」
「やった! だから、了って好きさ!」
このときに、了は気付けばよかったのだ。栗栖という人間性の悪さを。
つぎの日、了が目を覚ますと、隣に栗栖が眠っていた。
え!? え? あ!
10秒くらいたって、だんだんと昨日のことが思い出されてきた。
栗栖のお母さんが死んで、そして、栗栖のおじいさんが生き返ったのだ。
生き返った、というのは語弊があるかもしれない。生きたまま地下室に塗り込められたのだから。
ちょっと想像ができない。
いったいどういう理由から、普通の優しい女の人が、病気だったらしい父親を、地下室に閉じ込められるというのだろうか。
栗栖のお母さんはすごい美人だった。
それにすごく若かった。
十代で栗栖を生んだらしかった。
栗栖の父親は不明だ。死んだらしい。
結婚については、例のおじいさんから猛烈な反対を受けたらしかった。おばあさんはお母さんがすごく若いうちに病死したらしい。だから、きっとおじいさんは、お母さんを手放せなかったんだろう。
おじいさんを閉じ込めたときには、すでに栗栖を身ごもっていて、父親である男は死んでいた。
全部、栗栖から教えてもらったことだ。そして、栗栖はこのことを、お母さんの残した日記から知ったのだった。
天涯孤独、とはどんな気持ちなのだろうか。
了は栗栖の幸せそうな寝顔を見つめたまま、考えにふけった。
ふと気がつくと、時計はam7:10をさしていた。あと5分で目覚ましがなる。
了は栗栖を気遣って、目覚ましを先に止めておいた。
栗栖はゆっくりと寝ておいたらいい。
昨日、了の家に来たときは私服だったし、制服は自宅においてあるのだろう。
しかし、学校を無断で休むわけにもいかないだろう。了が電話してやってもよかったが、そうすると話がややこしくなるかもしれない。
けれど、栗栖は気持ち良さそうに眠っている。
起こすに忍びなくて、了はこっそり寝床を抜け出した。
キッチンはひっそりと静まり返り、ひんやりとしていた。
了二はまた夜中に出て行ったのかもしれない。
了は、音を立てないように朝食の用意を始めた。
慣れた手つきでフライパンのうえに卵を割っていく。
了はいつも卵を二つ食べるが、栗栖はいくつだろうと考えながら、四つ目玉を作った。
即席のオニオンコンソメを作るか、みそ汁を作るか悩んだすえ、栗栖のイメージから洋風にすることにした。
7時半まえには朝食はできあがり、了は食パンを三枚トースターに突っ込んで、栗栖を起こしに行った。
栗栖は安らかに眠っていた。
了はひとしきりその寝顔を眺めたあと、優しくその肩を揺さぶった。
「朝飯、できてるから、起きろよ」
「ウーン……」
栗栖はうなって了の手を払いのけた。
「ごはん食べるだろ、栗栖?」
「ウウウウウ!」
栗栖は獣のような声をあげて、いまいましげに了の顔を殴った。
「!!」
とっさのことに了は声も出ず、驚いたまま、栗栖を見つめた。
栗栖の安らかな睡眠は、何事もなかったかのように持続している。
栗栖がこんなにも寝起きが悪かったなんて、知らなかった。栗栖のお母さんはさぞかし毎朝苦労したことだろう。
了の母親など、一度だって子供を起こすのに煩わされたことなどなかった。
たしかに長男の始のことは分からないが、了は物心ついたころから母親を困らせたことなどなかった。
弟の了二はまた別のことだけど。
殴られて、ぼうぜんと了は痛感した。
栗栖が弟のようなものに思えた。
弟という、グロテスクで不可解な生き物。
時計はam7:40をさしていた。
八時には家を出なければ。
そのまえにこの生き物を起こすべきか、それとも自分のことを最優先するべきか、了は悩んだ。
結局、了はため息をついた。
のろのろと電話に近づくと、学校に電話した。
「あ、2のCの小鷺田です。風邪引いて、なんか、熱あるみたいなんです。病院行きたいんですけど、保険証がないんで、学校、休みたいんですけど……」
できるかぎり頼りない弱々しい声を演出して、担任に訴えた。
担任はあっさり、「そーかぁ、養生しろよー」と言って、電話を切ってしまった。
了は肩をなでおろして、受話器をおいた。
「そういうときって、風邪で休みます。で、いいんだぜ?」
いきなり、背後から声をかけられ、了は飛び上がって驚いた。
「驚いた?」
さっきまですやすやと眠っていたはずの栗栖が、目覚めのいい顔をして立っていた。
「僕さ、7:40分過ぎにいっつも起きるんだ。それまでは絶対起きない。教えとけばよかったかな? 僕、なんかしなかった?」
「……いや」
したけどさ……了はもごもごと口のなかでつぶやくと、栗栖を食卓へ通した。
「へぇ、コレ、おまえが全部つくったのか? マメだなぁ」
そう言われても、了は素直に喜べなかった。好きでやってることでもなかったので。
「そういえばさ、おまえのママとパパはどうしたのさ?」
「さぁ、お母さん夜勤だと思う。お父さんは、なんだろな? 呑み歩いて最終に乗り損ねたんじゃないの?」
「人事のように言うねぇ」
栗栖はニヤニヤ笑った。
了は言いわけがましい気がしたが、うちは昔からこうだったと、説明した。
「昨日のあの子、弟だろ? なんか、おまえ母親みたいだな」
了は困ったように口元を歪ませた。
「おまえってさ」
栗栖は気にもしてない様子で、パクパクと卵をほお張りながら、言い続けた。
「自分の話、あんま、しないじゃない? そういうのって、やっぱ、育ち方のせい? 学校でもさ、けっこうおとなしいじゃない。目立ってないしさ。さっきの電話だってさ、聞かれてないことまで話しちゃって。要領悪いっていうかさ、損してるっていうかさ、自分で思ったことないの?」
栗栖って……
了は目を丸くしたまま、栗栖の勝手な言いぶりを聞いていた。
栗栖って、もしかして、無神経な奴?
了はひそかに心のなかでそう感想を述べ、口には出さず、飲み込んだ。
そんな了の思いになど、少しも気がつかず、栗栖は食べながら話した。
「僕はさぁ、あんまし感心しないんだよね、流されるっていうの? そういうのってさ。なんか、言いなりじゃない。感情を他人に預けちゃって、自分で感じようとしないとこなんかさ、こズルいっていうかさ」
了は眉をしかめた。
栗栖は初めて腹を割って話す機会を、こんな話題に使うのかと。
友人というよりも親友になれそうな雰囲気を、こんな無神経な言葉で壊そうというのだろうか。
そう考えたとたん、ムカーッと腹が立ってきた。
「ヘェー、栗栖って、俺のうちに突然押しかけてきて、俺の寝間着借りといて、朝飯まで食べといて、そういうこと言うわけ?」
栗栖は口をつぐみ、まじまじと了を見つめた。
「おまえでも、言い返すことってあるんだ」
心底驚いたような口調で返されて、了は苦々しく思った。
「当たり前だよ。俺だって、言うときは言うんだぜ?おまえさ、だれにでもそんなこと、言ってんのかよ?」
「言わないよ」
栗栖は拍子抜けするほど、あっさりと答えた。
「言うわけないじゃない。了が初めてだよ」
ハ……!
了は胸を押さえた。
いやだな……すげ、うれしい……
了は栗栖から目をそらし、
「ごはん、お代わりするか?」
「うん!」
栗栖はきげんよく返事すると、茶碗を了に差し出した。
「了と毎日一緒だったら、あれだね、奥さんもらわなくってもいいね」
「なに言ってんだよ」
と返しつつも、了は頬が緩んでくるのを感じていた。
何がこんなにうれしいんだろ?
了はニヤニヤ笑いながら、不思議に思った。
「で、頼みがあるんだけど」
食器を洗っている了の後ろから、テレビを見ながら、栗栖は話を切り出した。
「なに?」
「僕の家にさ、荷物を取りに行ってほしいんだ」
了は振り返って、栗栖を眺めた。
「いや、別にさ、一人で行けって言ってるわけじゃないんだよ? 僕もついて行くしさ、ただ、家のなかに入りたくないんだ」
あまりにもじっと了が見つめるものだから、「まさか、昨日の勇気ある僕の告白を、信じなかったなんて言うんじゃないだろな?」
実はそうだった。
「別に……でも、俺、おまえんち、行ったことないからさ」
「大丈夫! ちゃんと家のなかの間取りも教えたげるよ。日用品とか、お金とか、必要なものを取ってきてもらうだけだしさ」
「まぁ、別に俺はかまわないけど」
栗栖は目を輝かせて、
「マジ? うわ、助かるよ!」
と、いすをガタガタゆらした。
そんな栗栖の様子を見ていると、小さいころの弟を思い出す。はしゃぐ態度なんかそっくりだった。
けれど、弟とはちょっと違う。
もっと違う何かを感じていた。
やっぱり、トキメキだろうか。
了は食器を片付けながら、首をかしげた。
あこがれてただけだろ?
それが、突然親友みたいになって、興奮しているのだろうか?
おそらくそうだろう。
別に自分を自分で邪推するようなことは、なにもないんだから。
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