第2話

 マンションの鍵を学生カバンの底から出し、ガチャガチャと鍵をひねった。

 了には年の離れた兄と3つ下の弟がいる。

 母も父も共稼ぎで、けっこうさみしい思いをした子供時代だった。

 兄の名は始で、実のところ了で子供は終わりのつもりだったらしい。それで彼には終了の意味の了という名前がつけられた。

 こういうと下世話だが、両親が避妊に失敗したために了二という弟ができた。おかげで憎たらしいがいい遊び相手ができはした。

 兄はもう結婚してここにはいない。

 弟は両親の帰りが遅いのをいいことに、しょっちゅう友達の家に泊まり歩いている。

 了は習慣的に炊飯ジャーのスイッチを入れ、夕飯の準備をし始めた。

 ご飯の用意など、慣れてしまうと行動の一部になってしまうらしい。もともとこまめなタチだったのか、20分後には立派な夕飯が湯気を立てていた。

 ふと時計を見ると、まだ六時半を過ぎたばかり。






 そのうち炊飯ジャーもピーピー言い出して、了はどんぶりにご飯を山盛りについだ。

「いただきまぁす」

 ピンポーン

 ほぼ同時だった。

 了は誰だとぼやきながら、インターホンを取った。

「小鷺田?」

 一瞬、だれだか分からなかった。

 黙っていると、

「江嶋だけど……小鷺田?」

「え、ああ! 栗栖!? え? なに、どした?」

 了はあわてて玄関を開けた。

 そこには、蒼白に顔を歪めて、いまにも泣き出しそうな栗栖が立っていた。

「栗栖!?」

 あまりの唐突さに了は叫んだ。

「栗栖……? あ、あがれよ」

「うん……」

 えらく殊勝な様子の栗栖にも驚いたが、なにより、ここに栗栖がくること自体が驚異だった。

 仲良くなって一年はたっているのに、ふたりで町に遊びに行ったことすらなかったのだから。

 お茶など出してみたが、栗栖はテーブルに着いたまま、ひとこともしゃべらない。

 とうとう了はしびれを切らした。

「いったいどうしたってんだ? なにか、あったのかよ?」

 栗栖は深いため息をついた。

 内臓まで一緒に吐き出してしまいそうな、ため息だった。

 長いため息をつき終わると、栗栖は沈んだ声で、

「ママが死んだ」

と、告げた。

「え!?」

 了は信じられず、問い返した。

「ママが死んだ……」

 了はつぎの瞬間、栗栖が泣き出すかと思った。

 けれど、栗栖は蒼冷めたまま、

「家に、ひとりでいられないんだ……怖くて」

 了はまじまじと栗栖を見つめた。

「ママが死んだから、つぎは僕の番なんだ……」

 栗栖の声は、弱々しく震えていた。

「僕の番?」

「僕には分かるんだ。ママは死ぬまで隠し通したけど、僕は知ってたんだ」

「な、何を?」

 栗栖はガチガチと歯を鳴らし、寒くもないのにブルブルと震えていた。

「おじいちゃんが……」

 ピンポーン

 ガタタタン!

 いすが倒れ、栗栖は勢いよく立ち上がった。

 その薄い黄土色の瞳が、恐怖に見開かれ、じっと玄関を凝視していた。

 ただならぬ様子。

 こころなしか、了さえもゾッとした。

 ダンダンダン!

 玄関のドアが、力強くたたかれた。

 了は生唾を飲み込み、恐る恐る玄関に近づいた。

 覗き窓から外を伺うと、不肖の弟・了二がブーたれた顔をして立っていた。

 了はホッと胸をなでおろした。

「弟の了二」

 栗栖を安心させるためにそう告げると、ガチャリとロックを外した。

「早く、開けてよねー」

 聞き慣れた了二のカワイクない声が、了の耳に飛び込んできた。

「珍しいな。こんな時間に帰ってくるなんて、思わなかった」

「メシ、できてんでしょ? 食わせてよ。腹ペコペコ」

 了二はドカドカ上がりこんでくると、栗栖を見てぶしつけに言い放った。

「ありゃ、常盤の名物男じゃん、アニキ、友達だったの」

 栗栖はおびえた目で了二を見つめた。あいさつもしないなんて、栗栖らしくもなかった。

「へぇ、オレもクォーターだったらよかったよ、茶パツでも校則違反じゃねーもん」

「了二、おまえなぁ」

 了二は倒れたいすを起こし、ドッカと座り込んだ。

「アニキ、メシー」

 了はため息をつくと、弟を食卓に残して、栗栖を自分の個室へ連れていった。

「悪いけど、弟にメシ食わせてやんないといけないから、ちょっと待っててよ」

「……」

 栗栖をベッドに座らせて、了は弟に食い物をあてがうためにキッチンへ戻っていった。

 了が部屋に戻ると、栗栖は本棚の本を手にとって眺めていた。

 ふと顔をあげ、栗栖は言った。

「さっきはびっくりしたろ? だいぶ、落ち着いたから」

「栗栖、おまえさ、お母さん亡くなったんだろ? 家に戻んなくていいのかよ? 親類とかこないの?」

 栗栖は本棚に並ぶ本の背表紙に指を走らせながら言った。

「おまえさ、けっこう本読むんだな。太宰治なんてさ、教科書でしか見たことないよ。へぇ、おまえ、推理小説なんか好きなの? ホームズは僕も好きだな。チェスタートンって知らないなぁ……日本人のとかはあんまし読まないんだな」

 放っておいたら、夜中までしゃべり続けそうだった。

 了は栗栖の肩をつかみ、引き寄せた。

「落ち着けよ!」

 栗栖はピタッと押し黙った。

 さすがに了も気がとがめて、謝った。

「小鷺田、おまえさ、ヴァンパイアって信じるか…?」

「急になに言ってんだよ?」

「信じる?」

 ズズイと栗栖の顔が押し迫ってきた。

 ドキッと心臓が鳴ったが、了は慎重に答えた。

「この目で見るまでは」

 栗栖の瞳に見据えられ、了はまるでヴァンパイアに見入られた乙女のように身を堅くした。

「多分、小鷺田は信じるようになると思うゼ」

「……なんで?」

 栗栖はオレンジ色の瞳を暗く陰らせて、つぶやいた。

「僕のおじいちゃんは、ヴァンパイアなんだ」

「……」

「……」

「……」

「……」

 了も栗栖も、黙りこくったまま、見つめあった。

「なんとか、言ってくれよ」

「なんとか」

「そうじゃないだろ! うっそーとか、すげーとか、なんとかあるだろ、リアクションかが」

「お~こわっ!」

 了はボディランゲージで、リアクションとやらをご披露して差し上げた。

 ブシッ!

 了の鼻面に、栗栖の張り手が見事に決まった。

「は、鼻血が!」

 了は慌ててティッシュをつかんだ。

「ぼ、僕はまじめに言ってるんだ! この僕の命懸けの告白を、誰も知らないギャグですまされて、たまるか!」

「栗栖がなんとかって、言ったんだろぉ!?」

「僕のユーモアくらい、長い付き合いなんだから理解できるだろ!」

「栗栖のじいさんがヴァンパイアだのなんだのも、ユーモアなのかよ!?」

「それはホントのことだよ!」

 二人とも思わず声が大きくなっていた。

 息を整えて、了はもう一度たずねた。

「じゃあ、おまえのお母さんもヴァンパイアだったの? でも、フツウ、ヴァンパイアって不死身だよな?」

 栗栖は、今までのふざけあいなどなかったかのように、くちもとを引き締めて、言った。

「ヴァンパイアの血を受け継ぐまでは、普通の人間なんだ。ママは普通の人間だった。ママはおじいちゃんから血を受け継ぐまえに、おじいちゃんを地下室に閉じ込めたんだ」

「なんで?」

「分からない。だけど、ママが死んだって電話を受けてから、突然地下室から声が聞こえ始めたんだ」

「どんな?」

「うめき声だよ。なんて言ってんのか、ぜんぜんわかんないけど」

「なんで、地下室にじいさんが閉じ込められてるって分かったんだ?」

「ママの日記。知らせを受けたけど、イギリスだし」

「旅行って、イギリス!?」

「そうなんだ。僕ンとこ、おじいちゃんが帰化した人なんだ。おばあちゃんは一人っ子だったし、ママも一人っ子だし。パパのことはぜんぜん分からないし。なもんで、お金とかないじゃないか。あっちに行って、ママを引き取りに行けないんだよね」

「ど、どうすんの?」

「さぁ……? そのこと言ったらさ、ママ送ってくれるってさ」

「それで、日記なんか読んじゃったの?」

「いや、日記はさ、日ごろ、ママが留守してるときにチョチョッと」

「……」

「ママってさ、もの隠すのが下手なんだよね。絶対クローゼットの奥とか、化粧台の裏とかさ。すぐ見つかるんだよね、それにさ、うちって、ナゾが多いわけよ。知りたいじゃない、やっぱ。で、日記読んじゃったってわけ」

 了はいぶかしげに栗栖を見上げた。

「栗栖、お母さん死んで、ショックじゃないのか?」 

 栗栖はふと口をつぐんで、了を見下ろした。

 栗栖は考え込むように眉を寄せた。

 そのうち、困った顔をして、答えた。

「なんか、よくわかんないな……地下室のことでパニくっちゃって」

「栗栖、おまえって……」

 了は喉元に熱いものが込み上げてきて、それ以上言葉を続けられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る